HP通信17
2022年
  2022年12月30日

   コロナ社会の影響でここ2年程は静かな日を送りましたが、今年は少しずつ復調し、いくつかの催しに参画することができました。
  個人的には禍いもなく、また家族も皆無事平穏な年を過ごすことが出来ました。
   本当にお陰さまという心持ちです。
  ただご他聞にもれず、10月には家族でコロナを経験しました。
   症状はまったく軽いもので、大事に至らなかったことは幸いとするところです。
  ここ数日は一年のホコリを払うべく大掃除をしていました。

   この一年、コンサートを初めとして多くの方のお世話になりました。
  ここにあらためてお世話になった皆さまに心より御礼を申し上げます。
 
   新しき年が平和でしあわせな一年であることを願ってやみません。
  新年のご挨拶は10日にさせていただきます。
   佳いお年をお迎え下さいますよう。

                                 
  
  
2022年12月20日

 12月18日、日曜日の夜9時からのHNK交響楽団の定期公演を観ました。
曲目は「伊福部昭/シンフォニア・タプカーラ」指揮:井上道義氏。
 伊福部ファンの私としては垂涎(すいぜん)のプログラムです。
しかもNHK交響楽団の定期公演ですから尚のことです。
 以前にも定期公演で井上道義氏指揮で「リトミカ・オスティナータ」が演奏されましたが、N響がこれまで伊福部作品を取り上げたことはありませんでした。
伊福部作品に対して井上氏の功績は「大」です。
 ファンというより実際に師の薫陶を受けた身としては「嬉しくて涙ながさん思い」でこれを観、聴きました。
先生には多くの教えをいただきました。
 音楽の書き方の手解き(てほどき)を受けた、という記憶はありません。
音楽というもの、作家のあり方、そして生き方、芸術全般にわたる啓発と指針を受けた、と言う方が先生を語る意味で的を得ているかと思います。

 たくさんのエピソードの中で一つご紹介をいたします。
東京音楽大学時代(大学院研究科)私は聴講生という立場でしたが、卒業作品の提出を許されました。
 審査に当たった先生方からは概ね好成績を得たものの、聴講生ですのでそれが音になる機会はありませんでした。(優秀作品はオケで演奏されます)
ゼミでは松村禎三先生にも師事しました。
 私は松村先生の音楽はもちろん、人柄にも敬淑しておりました。松村先生は伊福部門下です。
その卒業作品を松村先生にも見ていただきました。
 私はほぼ独学で作曲を勉強してきましたので、私の研鑽の的は西欧音楽のアカデミズムにありました。
要するに作曲の基本です。
 私の作品を見て松村先生はこう評されました。
「今から20年前の芸大のクソアカデミズムだ」と。
こうして書くと酷評にも聞こえますが、実は私はそれを聞いて内心飛び上がらんばかりに喜んだのです。
 何せ一人黙々と正当な勉強に憧れ励んでいたのですから。
そこで私は「これを作らないと先へ行けない感じがしたもので・・・・」と答えたら松村先生は、
私の顔を覗き見るような感じで「あ〜そうなのか・・・」と温かな表情を寄せてくれました。

 私はその時の会話を伊福部先生にお伝えしました。
そうしたら先生は表情を曇らせこう呟きました。
「作家を育てるには大木でなければならない。小枝は後からでも切れる。初めから小枝を気にしていたらそれは盆栽だ。
私は松村くんをそのように育てたつもりことはない」と。

 衝撃でした。
 そういうつもりで先生にお話したわけではなかったし、松村先生に対して大変申し訳ないと口の中で砂を噛む思いと、
同時に私のうちでまるで大きな流れ星が体を突き抜ける気がしました。
 もちろん、私の言葉足らずを伊福部先生には釈明をしました。
むしろ松村先生には感謝をしている、と。
 それ以後、私はアカデミズムからの脱却に没頭するようになります。
松村先生の薫陶、そして伊福部先生の存在が当時25歳の私に大きな視野を抱かせてくれた転機となりました。

              
                                 私、27歳くらいの頃。
                  左、松村禎三先生、伊福部昭先生と。先生の作品の演奏会で。(東京文化会館ロビーにて)

 
 伊福部先生の「シンフォニア・タプカーラ」は私が先生の許で勉強した頃、先生がちょうど改訂をされていた作品です。
初演のテープを聴かせていただいたり、改訂にまつわるお話を聞いていただけに、先日のN響の演奏は尚のこと感慨深いものがありました。
 東京音楽大学時代には管弦楽法の池野成先生にも多くの示唆をいただきました。
そんなことが蘇ってきて、その夜、私は妻に対して多弁でした。
 イヤ「過弁」だったというべきか。ちょいと酒も過ぎたような・・・・。


 考えてみれば当時の伊福部先生や松村先生と今の私は同じくらいの年齢になっています。
「なんともまだまだ至らずなり哉」の心境です。

 
 今年もそろそろ新しい年に向けて身支度の時節に入って参りました。
皆さまにはどうか身辺お健やかに、せわしい日々をかいくぐって下さいますよう。

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   2022年12月10日


                       
                                   12月3日、鳩山町文化会館で

   3日、「鳩山町人権問題を考える町民の集い」で私は鳩山で初めての合唱指揮をいたしました。
  曲は「この街で」(新井満作)。演奏は鳩山で合唱をされている方々の合同によるものです。
   当初は「未来への決意」を演奏するつもりで私に相談があったのですが、話の成り行きで「この街で」になりました。
  鳩山町は2021年、全国で幸福度ランキング第一位になった町です。
   皆さんといろいろお話を進めていく中で、ふと私の中で閃く(ひらめく)ものがありました。
  そして皆さんに「この街で」という歌があるのですが、と提案をいたしました。
   「この街で」をご存知ない方もおいででしょうから歌詞をご紹介しましょう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   この街で 生まれ この街で 育ち 
   この街で 出会いました あなたと この街で
   この街で 恋し この街で 結ばれ
   この街で お母さんに なりました この街で
   あなたの すぐそばに いつも わたし
   わたしの すぐそばに いつも あなた
   この街で いつか おばあちゃんに なりたい
   おじいちゃんに なったあなたと 歩いて ゆきたい
   (後略)
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  
   皆さんが賛同して下さったので、早速、混声三部に編曲して差し上げました。
  そして「しあわせの町・鳩山で<この街で>を歌う会」としてステージで披露したのでした。
  
   鳩山は自然が街の中に溶け込んでいて、イヤ、街が自然に溶け込んでいて住みやすい綺麗な街です。
  たまに都内のマンションに参りますけど、街を怖(コワ)くて鳩山のようにボヤーっとしては歩けない。
  
   今回は自宅からステージ服を着たままで鳩山文化会館に出向きました。
  何とも気楽なものです。
   以前住んでいた与野市(現さいたま市)の家から「彩の国芸術劇場」まで自転車で一分ほどでしたので、
  スタッフからは「鈴木には控室は不要だ」などと言われたことを思い出しました。


   この日、人権を考える会でしたが、私たちの周りには相変わらずイジメ、不平等、人権侵害がつきまとっています。
  たしかに人の出自(しゅつじ)は生まれたときから貧富、その人の能力など、平等であるとは言えません。
  
   金子みすずの「私と小鳥と鈴と」の中の<みんな違ってみんないい>は人間の持つべき最高の道徳感かもしれません。



                                    

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   2022年11月30日
  
  「空高く〜」などと俳句の一つもひねりたいところですが、残念ながら俳句の世界を20年以上前に抜けて以来、風雅とは縁遠くなっています。
  しかし今は「鳩山の自然」の中で生きていますので、それ自体、今の世、「風流」と言えなくもない、かな、と。

   27、28日、蕗さんと秩父札所巡りをしてきました 。
  月のはじめに一人で秩父一番札所「四萬部寺(しまぶじ)」〜五番札所「五歌堂(ごかどう)」を巡りました。
   今回はその続きです。
  雲一つない秋空のもと、秩父の秋を味わってきました。 

   一日目は六番寺「卜雲寺(ぼくうんじ)」から歩いて十一番寺「常楽寺(じょうらくじ)」まで、ほぼ10Km歩きました。
  そして秩父の夜空に散らばる星を眺めながら温泉に浸かってきました。

   二日目は十二番「野坂寺(のさかじ)」〜二十番寺「岩之上堂(いわのうえどう)」まで、この日もほぼ10Km歩いたことになります。

                                 
                                     第十三寺「慈眼寺(じげんじ)」にて
                                   このお寺は駅のすぐ近くにあります。
  
  
   その日、日曜というのに駅近辺は賑わいがあったものの、街中は至って静かなものでした。
  私たちのように歩いて札所を巡る人はほとんど見かけませんでした。

   私は七年前、一人で四国巡礼を十日ほど巡ったことがあります。
  「歩きお遍路さん」はけっこう居て、たくさんの方々と同行しました。 
   道を歩いていると必ず「道案内」があります。
  道案内というより単なる「矢印」です。
   それで道に迷うということがありませんでした。が、秩父ではそれがありませんでした。
  よく人に道を尋ね歩きました。
   それだけ「歩きお遍路」の方が少ないということなのでしょう。

   この次、歩くのに良い季節になったら、二十一番寺からまた歩こうと二人で話しています。
  ちなみに二日で約20Km歩いたというのに、ともに足腰健在!

   秋の日の秩父小旅行でした。

                        
                                     二十番寺「岩之上堂(いわのうえどう)
   
   2022年11月20日
  
  
                          れくいえむ 〜祈りの灯(ともしび)コンサート〜 は無事大成功理の内に終わりました。

                          

                          
   
   素晴らしい演奏会・・・の「ひとこと」でした。
  長崎市内からの参加者、その他東京近辺、四国、その他の地域から計80数名の方々の参加を得ての合唱でした。
   今回の演奏会は松川暢男先生に中心となっていただき、現・長崎県合唱連盟理事長の伊藤信二氏、岩永崇史氏の協力を得ての開催でした。

   第一部は長崎市内で活動されている団体、また今回のために集まった方々の演奏でした。
  「純心女子高等学校音楽部」(指揮;松本佳代子)
  「ふたば女声合唱団」(指揮:松川暢男 ピアノ:山浦直子)
  「イトウ・キネン・シンガーズ&長崎室内合唱団」(指揮:猿渡健司 ピアノ:拓磨千尋)
   特設合唱団「祈りの芽」(指揮:岡田知理 伴奏:近藤大夢)
  ープログラムは最後にご紹介してありますー
  
   どの団体もとてもレヴェルの高い、聴きどころ満載の第一部の演奏でした。
  
  「祈り」という言葉は、普通に平坦に用いられますが、実は奥の深い言葉だと私は思うのです。
  「祈り」とはまさに「神への祈り」です。
  しかし「広義」に考えると「それぞれの<思い>の行為」が「祈り」に導かれると、私には思えます。
  「平和への思い」「私たちが生かされて生きていることへの思い」それらが「祈り」という言葉に集約されるとも私には思えるのです。
   私はそういう<思い>を抱いて音楽をやっています。
  
  「レクイエム」はまだ産まれてまもない作品です。
   今回の演奏は初演以来、全曲私が指揮したのは初めてです。
  
   ソプラノの松本佳代子先生、バリトンの伊藤信二氏の素晴らしいソロにも恵まれました。
  そして前日の全員初顔合わせの練習にも関わらず、皆さん気持ちがそろった素晴らしい祈りに満ちた感動的な演奏をして下さいました。

   長崎の演奏会から1週間過ぎましたが、感動の余韻は未だ私の心の中で静かに沈殿しています。
  多くの皆さんに演奏していただき、そして熱心に耳を傾けて下さった皆様に対して私は感謝の言葉以外ありません。

   忘れてはいけないのがこの演奏会を主催して下さった「一般社団法人 国際親善音楽交流協会」の丸尾直史氏の存在です。
  ウィーン・シュテファン大聖堂での初演、そして昨年の宮城県南三陸町での演奏会、これらは丸尾氏の尽力の賜物です。
   南三陸町での演奏会では「採算が合わなかったのでは、無理されないでくださいね」という私のメールに対して彼はこうご返信を下さいました。

  「無理は出来ないものですが、鈴木先生とは<仕事のため、利益を上げるため>という事は一切抜きにして、
  今後も鈴木先生を慕って集まれる皆様方のために実施したいと、個人的に思っております」と。
   丸尾さんはじめとして、こうして私の作品を取り囲んで下さる方々がいることに、私は幸せと感謝を思います。
  さらにスタッフとして常に我々に寄り添い、会を盛り上げて下さっている岩本絵美さんの存在も忘れてはならない存在です。
   また長崎・カトリック中町教会の葛嶋秀信牧師さまの格別なお取り計らいにも心より感謝を申し上げます。

   長崎での演奏会に関わって下さったすべての皆さまに心からの感謝を申し上げます。


                         
                                         松川先生を囲んで。
                                 松川先生はかねてより私の尊敬申し上げる先生です。
                          このたびの長崎の演奏会では監修というお立場で中心的な役割を務めていただきました。
                            アンコール「ふるさと」は松川先生の指揮で私も合唱に加わり歌いました。

                         
                東京から参加されたSNコーラス(鈴木憲夫作品を歌う合唱団)をはじめとする皆さん。2段目左がこの団の主宰・指揮者の伊澤俊雄さん。

                                          第一部のプログラム。
                          



  
   2022年11月10日


                                  
                                        facebookより伊澤俊雄氏撮影
  
   2022年11月8日、442年ぶりという皆既月食の天文ショウがありました。
  442年前というと西暦1580年です。
   戦国時代真っ只中です。往時の人々はどんな思いでこの月を眺めたことでしょう。
  私はそういうことに思いを巡らすことが大好きです。
   というより「魂が揺れる」思いがするのです。
  かつて古代に思いを馳せた作品「祈祷天頌(きとうてんしょう)」や「永久ニ(トコシナニ)」など、私のライフワークと言える作品を描きました。
   ここで「永久ニ(トコシナニ)」の二章をご紹介させていただきます。
  
  「星の降る丘」 
  
   星の降る丘で母と子が夜空を見上げていました
   ー 人が神と共に在った時代 ー
   星は人の子と大地の上に降りそそぎ
   母は平和を祈り 子は未来を夢みる
   時は静かに流れ
   星はただじっと人と人の世を照らしている
   
   ー 人が人しか信じなくなった時代 ー
   星の降る丘で母と子が夜空を見上げていました
  
   ー 人が神を喪(な)くした時代 ー
   星の降る丘で母と子が夜空を見上げていました
  
   何千年も何万年も変わらぬ星の輝きのもとで
   何が変わったというのか
   何が変わらぬというのか
   人の上にそして人の世の上に 
  
   星の降る丘で母と子が夜空を見上げていました
   ー 人が人として地上に生きる意味を悟(し)った時代 ー
   星は人の子と大地の上に降りそそぎ
   母は平和を祈り 子は未来を夢みる
   時は静かに流れ
   星はただじっと人と人の世を照らしている

  「星の降る丘」→https://www.youtube.com/watch?v=-8KuFJQ9n9w
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  
   赤銅色の皆既月食を眺めながら、天体の厳かな巡りの中で、人の行うこと、人の世の有りよう、それらにしばし心ただよいました。
  この次、今回のような皆既月食が見れるのは何百年先か。
   その時の世界はどうなっているのでしょう。
  それらに思いを馳せるのも束の間の楽しい夢であります。
  
  
   今年の紅葉は心なしか少し早いような。

                        
                                        11月4日鳩山町

  2022年10月30日

    <政治家先生の語言(ごげん)味なきを>
  
   私はあまりTVを観ませんので、流行については疎いと自身では思っています。
  ただニュースはまめに観る方です。
   そうしますと気づくのですが、何とマア政治家先生の方々で流行ってる言葉。
  まず「丁寧な説明〜」・・・・何かというとこの「言葉」
   足元を掬われない無難な口上です。
  この言葉を初めて使ったのは元安倍首相でした。
   以来、どの人も「右ならえ」状態。
  
   それに昔懐かしい「記憶にございません」
  また一時こういうのもありました。
  「物事を粛々と〜」というのもいつの間にか政治家さんならではの口上になりました。
  最近では官僚の答弁で「・・・と認識しております」、また「理解しております」
   何とも政治家さんの「味気のない」ボキャブラリー乏しき表現世界です。
   
  「子書を三日読まざれば面目憎(にく)し、語言味なきを」という言葉があります。(たしか黄山谷)
   意味は「書を三日読まないと人相は悪くなるし、言葉に味がなくなってしまう」ということです。
  書を三日読まないというのは言葉を換えると、天地真理を思わないと・・・・ということです。
   子(し)=志ある者が=勉強を怠り、俗世間の中に浸ると、人相も、そして言葉も味気のないものになってくる。
  
   私は「自分の言葉」で語れる人を尊敬します。
  それは自身の知識や経験に基づくものではありますが、その人なりの思いとして語ること、
   それを発することの出来る人、私はそういう人が本物だと思うのですが・・・・・・。

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  2022年10月20日
 
                <鈴木式腹筋法>
   私のコーラスの指導を受けた方々とっては「毎度おなじみ」の<鈴木式腹筋法>です。
  歌うことについて腹筋の鍛錬はとても大切な要素になります。
  「鈴木式腹筋法」とは何とも仰々しいのですけど、ナンのことはない、合唱の練習の前に「笑」わせるのです。
   短いジョークを言います。落語の「落ち」のイメージです。
  
   例えばこうです。
  「ダイエットの際に健康に気をつけた食事をしますね。そういう食品をヘルシー食品と言います。
   なぜヘルシーというのか、それはそういうものを食べるとすぐにオナカが・・・・・・・《減るし〜》=(言い方もちょっと強調して)」
  すかさず私が「ハイ!15.14.13〜」とカウント。
   初めのフフフッ、を15秒間笑い続けさせるのです。
  笑うと腹筋が働きます。つまり腹筋練習というわけです。
   私は合唱の練習の初めに必ずこれをします。
  かれこれ20年間、話の種も50は下りません。
  
   ちなみにいくつかご紹介しましょう。
  「具志堅用高さんって皆さんご存知ですよね。ボクシング元世界チャンピョンです。
   最近はバラエティなどでもお馴染みですが、具志堅は自分のことを何て呼ぶか知っていますか?・・・・・・・《ぼくサー》
  
   中には意味が分からず首を傾げたままの人がいます。
  そんな時、私はこう言います。
  「なんで可笑しいのか分からなくとも、とにかく笑いましょう。そして笑いながら何が可笑しいのか、考えて下さい」
  最後まで分からずじまいというのも中にはありました。
   文字だと少しは伝わるかと思いますので、それをご紹介します。
  
  「あるお寺で住職とその檀家さんがテレビでボクシングの試合を観ながらお茶を飲んでいます。
  檀家さんと住職さんの会話」
   檀家→「こうして人と人が殴り合うというのも何かの縁なのでしょうかね」
   住職さんがポツリと答えます。
  「これは・・・・・・・・・・・・・・・・《打つ縁(ブツエン)=仏縁(ブツエン)=じゃ。」
  
   もっとホントはご紹介したいのですけど、これは企業秘密ですので、今回はココまで。
  こんなことも考えながら普段、散歩をしたりしているのです。
   実は今日も一つレパートリーが増えました。


   日の入りが早くなってきました。
  虫の声もいよいよ弱々しくなってきて、晩秋の季節に入ろうかという今日この頃です。
   こんな時期についうっかりとしてしまい、風邪など引きそうです。
  どうか御身(おんみ)、お大切になさって下さい。。

                                       


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  2022年10月10日
  
           <学ぶということ>
  
  「学ぶ」というと皆さんはどういうお考えをお持ちでしょう。
   学校教育における学問というのは、知識を蓄えること、さらに進学、就職のために優秀な成績を得ることが、
  将来の為に必須と言えます。
   それは過去も現在もおそらく未来も変わらない姿でしょう。
  しかし知識だけ詰め込んでも、頭ばっかり大きくなって、まっすぐ歩けないどころかバランスを失い転んでしまう。
   これは笑い話ではありません。
  知識が知恵にならなければ、さらに教養にならなければ、それは学問をしたということにはならないのです。
   
   荀子(じゅんし)が「学問」についてこう言っています。
  荀子の代表的な言葉です。
  「(そ)れ学(がく)は通(つう)の為に非(あら)ざるなり。窮(きゅう)して困(くる)しまず、憂(うれ)えて意(こころ)衰えざるが為なり。
   禍福終始
(かふくしゅうし)を知って惑わざるが為なり
  
   意訳するとこうです。
  「学問というのは就職や出世のための方便であってはならない。
  本当の学問というのは何事かに行き詰まっても悩まず、心配・不安を抱いた時でも心は萎むことなく、
   禍福終始、つまり何が禍(わざわい)なのか=自分にとって、人にとって=何が禍でないのか、
  何が福で福でないのか、それらを知って惑わない、そのための学問なのですよ」
   ということです。
  ちなみに「禍福」とは「善悪」「美醜」「本物/偽物」などにも言い換えられます。
  
   私たちは生きるため、仕事をするために勉強してきました。 
  さまざまな分野において、それぞれ必要な知識を得ることが必要でした。
   それは当然のことと言えます。
  荀子は学ぶことの本当の意味を語っています。
   一口に「学び」と言ってもそれは無数にあり、方法も人それぞれです。 
  「人に学ぶ」「書に学ぶ」という人もいます。
  そういう人は本当の意味での「学ぶ」という意味を知っている人です。
   知らない人というのは何事かあると「人に当たり散らし」「本質を見ずに他のせいにする」「取り乱し狼狽(うろた)える」などをするものです。
  仮に立派な肩書き、大きな富を得たとしても、身ぐるみ剥がしてみればただの人。
   そんな時に何を拠り所に生きていくのか。
  
   知識から知恵、それらを教養として具現している人は、私は素晴らしいと思う。
  荀子の他にも実に「宝の言葉」がたくさんあるのですよ。
   少しでも関心を持っていただけたら嬉しいです。


   3日に秩父の札所巡りをしました。
  一番寺の「四萬部寺」(しまぶじ)から五番寺の「語歌堂」(ごかどう)まで、約4時間かけてほぼ10Km歩いたことになります。
   これからも折を見て、続けて見ようと思っています。

                               
                                         四番寺「金昌寺」

                                         
                                       三番寺「常泉寺」前にて
  
  
   夕方、テラスで食事をするにも大分、涼しくなってきました。
  多分、今年最後のテラスでのディナー?。
  
                               

                                             

                      
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  2022年9月30日

  <今の日本の政治はコワイ!>
  
   安倍元総理の国葬も終わりました。
  氏の業績の評価や、それが国葬に相応しいかは別にして「安倍氏への追悼の 念」はおそらく日本国民、誰しもが抱いていることだと思います。
   それはそれとして、国民世論を無視し、国会軽視、野党の声も聞き流し、
  密室で国家の行事を運営した政治のあり方に、日本人は真剣に危惧感を持た なければならないと思います。
   世界の流れが戦争を警戒する気運に向かう中、国防費がいつの間にか当たり前のように膨大に膨れ上がっています。
  
   <シンギュラーポイント>という言葉あります。いわゆる「沸騰点」です。
  それを過ぎるとあっという間に干上がってしまう。
   歴史を見るとそれは歴然です。
  気がついたらあっという間に戦争に突入していた、という事実が過去に幾度 もあるではありませんか。
   このままで行くと、憲法改正についても今回の国葬のように、独断に近い形で進められかねません。
  そういう危惧を今回の国葬を通して感じさせます。
   国事と言える国葬を誰も止められなかった、そういうシステムもなかった、なんのための三権分立なのか。そして衆院、参院なのか。
  こんな有様を見せつけられると、私たちの孫が鉄砲を担いで戦場に赴かなければならない日が来るかもしれない、と大いに案じ怖れを抱きます。
  
   政治家の論戦をみるといつも「枝葉末節」の議論ばかりです。
  「歴史は再び繰り返される」という教訓を心底にしっかりと持ち、政治家の方々には肝を据えていただきたいものです。
  
   もう 10 月です。
  蝉も絶えました。
   秋の虫がささやき合って、夜ともなると大合唱です。
  暦どおりに自然界は動いています。
   気温の差が体調を崩しかねません。
  どうか皆さまには御身くれぐれも大切になさって下さい。

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  2022年9月20日
  
   
18日は11月13日「祈りの灯(ともしび)コンサート」の練習のため長崎市に行くはずでしたが台風の影響で取りやめにしました。
  いつもこの時期、飛行機を使う予定がある時は台風情報が気になります。
   台風の影響で今回のように取り止めたのは実は初めてのことでした。
  自称「晴れ男」なのです、私は。
   もちろん「晴れ女」という人もいます。
  なかには「雨男」「雨女」という人もおりました。
   これはどうしてなんだろう、と以前考えたことがありました。
  これはワタシの説。
   その人が生まれた日の天気が「晴れの日」、また「雨の日」だと、自身でそういう認識・意識を持つものだろうか、と。
  「思い込み」とでも言おうか、何事につけ、そこへと結びつけてしまう傾向があるかもしれません。
  ちなみに私の誕生の日は「晴れ」でした。(私の生まれた日、若い父が青空の下で笑っている写真が残っています)
   根拠のないこととは言え、興味をお持ちの方、「過去の天気」https://weather.goo.ne.jp/past/で調べられるようですので、お調べになるのも一興かと。

                                 
  
   上の写真は先日、あるコンクールの審査でご一緒した指揮者の片野秀俊先生、作曲家の高嶋みどりさんとのものです。
  なんと皆さんとは「40年来」のお付き合いなのです。
   これまで個々にお会いすることはあってもこうして3人揃って、という機会はありませんでしたので「撮ろう撮ろう」というノリで撮ったのがこの写真です。
  日本合唱協会で活躍されていた片野先生、またそこで編曲・指揮をされていた若き高嶋さん。
   私の20代後半の作品「地蔵礼讃(らいさん)」の初演からのお付き合いです。(初演・日本合唱協会、指揮は私)
  「40年」・・・・思えば「遥か昔」です。
   それぞれにまだ無名の時代でした。
  共に指揮の山田一雄先生門下です。
   片野先生はご存知のように合唱連盟の副理事長を歴任、合唱界の重鎮。
  高嶋さんは私の初刊行物「永訣の朝」より一年早く「愛のプロローグ」で出版デビューしました。
  (今年6月12日日本合唱指揮者協会主催の「10人の作曲家による自作・自演コンサートでは高嶋さんも一緒でした)
   
時を経てこうして3人で写真を撮ることなどおそらく誰も想像しないことでした。
   感慨深いものがあります。
  高嶋さんを真ん中にし写真を撮ろうとしたところ「写真の真ん中の人って先に死ぬっていうじゃない」だから私はココ、と、高嶋さん。
   今の人たちには「エッ?」と思われるくらい「レトロなんだな私たちは」などと一人こころの中で笑った私でありました。
 
                           

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  2022年9月10日
  
   人にはそもそも「相(そう)」というものがあります。
  「人相」「手相」などはその主だったものですが、「背相」というものもあるようです。
  中国の古い文献で知りました。
   私はどちらかと言うと「凝り性」かもしれません。
  仕事の合間の「気晴らし」と言いつつ、「人相・手相」はもちろん「姓名判断」、はたまた「相性占い」など、その他諸々まさに「浅学」の極みです。 
   また「歩き方の相」と言うのもあるようです。
  終戦後、ある人が仕事がなく半年間、「靴磨き」をしたそうです。
   毎日毎日、路上に座り人の歩き方を観察し、「人の歩き方を観て、その人がどんな性格」かを会得したそうです。
  その後、その人は事業を興し大成功を収めたと言うことです。
  
   また酒の飲み方にも「相」があるようです。
  明治初期、三菱財閥の入社試験で実際にあったと言う最終試験の模様です。
   一般の試験を通った人が宴会に呼ばれます。
  そこで酒を振舞われます。
   とことん飲ませ、そこでその人物の「酒の飲み方」で採用を決めた、という話を聞いたことがあります。 
  幕末の気風を受け継いだ当時の人たちの大らかさが伝わってくる話です。
  
   以前、面白半分で「私だったら車を運転させて採用を決める」などと放言したことがありました。
  車の運転はその人の性格を如実に表します。 
   気配り、目配せ、判断力、臨機応変の対応力など、意外に面白いことになるかもしれません。
  

   ウッドデッキを2年半ぶりに塗り替えをしました。
  もちろん私が自身で行ったのではありません。
   今から6年前にウッドデッキの業者を探しに探し、やっと見つけたのが
  細田木材工業株式会社という木場にある材木専門の会社でした。
   これは板を外せる仕組みになっており特許を得ているとのことでした。
  
                                    
                                         もともとのテラス

                      
                                          2022年9月
  
   余ったペンキでテーブルを塗ったのは「ワタシ」です。
  夕方は少し涼しくなったのですが、秋蝉のように、夏の余韻を感じつつ飲むビールもまた良いものです。
  
  
  
  2022年8月30日 

   ここ一両日、だいぶ涼しくなってきました。
  秋の虫が啼いています。
   ただいまの気温は23度ですが、蝉の啼き声がしない。
  自然界ははっきりしています。
   その点から言えば人間界は「うやむや」だらけです。
  人間の「ご都合」がまかり通っている。
   まかり通る、とは 「良くない物事などが堂堂と通用する」ということです。
  
   この夏久しぶりに中国の古文などに接しまして「愁眉を開く」思いを幾度もしました。
  愁眉を開く、の主な意味として、不安が除かれ安心を得る、ということです。
   ここで思いつくままいくつかご紹介したいと思います。
  
  「企(つまだ)つ者は立たず」(「企」はかかとを上げるということで、そうすれば不安定で長く立っていられない)=老子
  
  「頭(ず)の高い者は足元見えず」(脚踝下を照顧せよ=きゃくこんかをしょうこせよ=つまり足下を見よ)=禅より
  
  「陰徳ある者にはかならず陽報あり」=説苑より
  
  「慣性的になると人間精神は眠ってくる」=トーマス・カイル
  
  「仁は人を愛すること 知とは人を知ること 
   故に 知者は惑わず 仁者は憂えず」
=孔子
  
   きりがありません。
  孔子が弟子・子貢の仕官の祝いに<この5つのことを心がけなさい>と贈った言葉。
  
   努力しなければ成就(じょうじゅ)しない
   苦労しなければ功はない
   衷心
(ちゅうしん=まごころ)がなければ親交はない
   信用がなければ履行されない 
   恭
(つつし)まなければ礼を失う=(恭・うやうやしく)=孔子
  
  
   つくづく思うことは、古人の智慧に私たちはもっと耳を傾けねばならない、ということですね。
  

   もう9月です。
  皆さんにとってこの夏はどんな夏だったでしょう。
   コロナが今よりも収まり、気候も荒ぶれることなく、平穏な日が続きますよう。
 
                                     
  
  
  
  
  2022年8月20日
  
                         
                                 鳩山荘から見える日の出前の東の空(8.19朝5時)
  
  
   私は安岡正篤(*)著を永く愛読しております。
  今年の夏はもう一度氏の著書を読み返すことにしています。
  「運命を創る」の中でこういう部分がありました。
  ニュルンベルグの裁判においてナチス当時の軍需相・シュペアの言葉です。
  「科学技術が発達し、機械的組織が完備するに従い、人間は次第に単なる命令受領者に過ぎなくなり、
  その結果、独裁者を生ずるようになる。今後、社会が機械化するほど、同時に自由な個人の完成に努力しなければならない」と。
   そして安岡氏はこう述べています。
  「これは、近代文明人に対する悲痛な見識であり述懐であります。
   機械化・組織化するにつれて、その社会は危険になりやすい」
  
   歴史は実に多くの、そして確かな「証」を私たちに明らかにしてくれます。
  「今の自分は見えない、しかし明日になれば、その時の自分が見えて来る」のであります。
   かつて、私の師・伊福部昭は次のようなことを私たちに語ってくれました。
  「きょう新しきことを思えば、あすには古きものとなる、真に新しきこととは実は過去にその萌芽(ほうが)があるのだ」と。
   つまり本当の新しさとは、過去の中に存在し秘められているものだ、ということです。
  師の訓(おし)えは「音楽がどう」なのではなく、人生に通じる「美学」というべきものでした。
   そういう師に出会え、訓えを享(う)たことは幸甚この上ないことでした。
  昔、何かで読んだものの中に(うろ覚えですが)こういう一節がありました。
  「人生にとって大切なことは、良い師を得ること、それが叶わなかったら良い先輩・友人を持つこと、もしくは良い書に巡り合うことだ」
  私は幸せなことにその3つを得ています。
   私が老子、孔子をはじめとする東洋思想に興味を抱いたのは伊福部先生の影響です。
           
   上の写真の朝5時ころともなると、蝉、鳥が啼きだし、その声で目を覚まします。
  鳩山は静かで良いところなのですよ。

                                       
  
  *安岡 正篤(まさあつ 1898~1983)は、日本の易学者、哲学者、思想家。 旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部政治学科卒業。
  金鶏学院の開学、国維会、師友会の創立など、日本主義の立場から保守派の長老として戦前戦後に亘って活躍した。(Wikipedia)
  
   
  
  2022年8月10日
  
      暑中お見舞い申し上げます。
  
   鳩山は連日、体温を越える暑さです。
  最近はニュースで鳩山のことをよくみかけます。
   私は夏のさなか、汗をかきかき歩くのが好きなのですけど、さすがに用心をし、散歩はやや陽が傾いてからにしております。
  
   私は夏に入る前には、いつも夏の間やる課題を据える、ということを常としています。
  これは若い時からの習慣のようなものです。
   例えば、一夏かけてあることを勉強したり、また海外の長編小説を読んだり、もちろん仕事もしたり、またあるとき、ドラクエ攻略に臨んだこともありました。
  ですが、今年は仕事の締め切り、義母の入院やら退院で、都内のマンションを行き来したりしていて、とくに目標を定めることなく夏に突入してしまいました。
   人は目的がないと努力し続きにくいものですね。
  人が目的を失ったときに、目的を作る、いうのも大きな資質であり才能と言えるのかもしれません。

   まだ8月の初め、残りの夏、目標を定めて、今年の夏も張り切るゾー、といきたいところです。
  皆さまもどうか御身お大切に、どうか元気に夏を乗り切って下さい。


                              
                                        ある日のディナー。
                                左上からとうもろこし、麻婆豆腐、こてっちゃん、
                          左下、とろろソーメン(50g)、ブロッコリー、トマトカプレーゼ、ミニステーキ(100g)


                                        
  
  2022年7月30日
  
   先日二日続けて映画を観ました。
  「ゴーストブック おばけずかん」と「エルヴィス」。
  「ゴーストブック」は制作者(監督・山崎貴/音楽・佐藤直紀)が好きで、私はそのスタッフが作る映画は欠かさず観ております。
  「エルヴィス」はいわゆる伝記映画です。
  「ボヘミアンラプソディ」での「クイーン」もそうでしたが、私はリアルタイムに生きた者なのですが、「クイーン」も「プレスリー」もよく知らないのです。
   大体、スターの物語というのは一世を風靡すると急落ぶりも激しいもの。
  
   英国の歴史学者のトーマス・カーライルが言っています。
  「人間は逆境には耐えられるが、順境に耐えられる者は一人もいない」
  ・逆境=自分を生かすエネルギーが体から湧き出る
  ・順境=財力、権力に恵まれそれが当たり前になること
   つまり「順境」においては、堕落し謙虚でなくなったり傲慢になったりして失敗する、ということです。
  
   東洋にも実は似た言葉があります。
  「無名有力 有名無力」という言葉です。
  名が無い時ほど、その人間が本来持っている力が発揮できる。
   つまりしがらみに囚われないからこそ力が発揮できる、ということです。
  名が大きくなると、本来その人間が持っている力が発揮できなくなり、名誉や財産、権威に縛られて身動きができなくなる。
   そういうことを歴史は訓(おし)てくれています。
  
 
   昨日、映画を観た帰り道、そんなことを歩きながら考えていました。
  そこでふと思いました。
  「私など順境にほど遠い、未だ逆境に身を置いているのだろうか」などと・・・・。
  
   私は映画館には大体歩いて行くのです。片道ほぼ1時間。
  昨日もとても暑かった。
   子供の頃よりボーイスカウトで培った経験で、夏、汗をかきかき歩くのが慣いとなっています。
  いつまで続けられるか、自身の「老いのバロメーター」です。
  
   
   いよいよ夏本番。
  と言っても7月の初めなどは既に夏本番のような日がありましたが。
   皆さん、どうか御身お大切に、元気で夏を乗り切ってお過ごし下さい。
  
  
                                   
  
  
  2022年7月20日
  
   7月初めは漠猛暑だったのですが、少し落ち着いたと思ったら大荒れの天候続き。
  鳩山も先日の記録的な大雨で全国的に有名になりました。
   多くの方から「TV観ましたよ」とお見舞いをいただきました。
  この10日間はほとんど都内のマンションにおりました。
   義母の静江先生が体調を崩し検査入院、そして退院、さらに病院通い、と付き添ってました。
  締切の迫ったものもあり、マンションで仕上げたりしてました。
  
   静江先生が入院中なので久しぶりに蕗さんが鳩山荘に来荘。
  いつもは一人ビアガーデンですが、二人でテラスでゆったりとしました。(蕗さん撮影)
  
                         
  
   私は料理、洗濯と労を厭いませんが、掃除は苦手。
  月に一度、家政婦さんに来てもらってますが、冷蔵庫の掃除や雑草や植木の手入れなどは手付かず。蕗さんは家に居る間、目まぐるしく働き詰めでした。
   私も吊られて車を洗ったりしましたら翌日の鳩山の大雨です。
  慣れないことをしたせい・・・とは思いたくないのですが・・・。
  
   1週間も入院すると95歳の身体には急な衰えが見え、しばらく交代で介添えをすることに。今も私は都内のマンションにおります。
  静江先生は頭と口は元気です。
   先日の看護師さんとの会話など、思わず吹き出して大笑いです。
  車椅子に座っている義母に看護師さん「和田さん立てますか?」
   その言い方がいかにも年寄り扱いと思ったものか、即「走れます」・・・・と。
  普段の会話でも義母の切り返しには驚かされます。
   私が「ちょっと横になりますから」というと「いいのよ縦になっても斜めでも」・・・。
    
                                      
                                       今年3月、95歳誕生日の日に。
  
   今回も私は料理人。主夫ならずシュフをやっています。
  たくさんの仕事も持ってマンションに来ております。
   静江先生は次第に体力を回復しつつあります。
  
   近況お知らせまで。
  
  
  
  2022年7月10日
  
   7月3日の中新田バッハホールでの演奏会は大成功理のうちに終わりました。
  今回は前日・当日のゲネを除いて4回の練習しかなく、曲目が「大学祝典序曲」「交響曲第二番」とかなりのボリュームだっただけに、
   ハードな練習日程となりましたが、バッハホール管弦楽団のメンバーの皆さんの大奮闘のおかげで「ブラボー!」も聞こえ大盛会でした。
 
                         
                                        打ち上げにて。
      左から「Mozartのフルート協奏曲2番のソロをされた相澤政宏先生、私の隣はコンサートマスターの宮崎博さん、そして団長の鹿野浩一さん。
       相澤先生は地元のご出身で東京音楽大学をご卒業。私より10歳以上もお若いので、大学のキャンパスではご一緒しませんでしたが、昔の学食など
      当時の大学の様子を懐かしくお話したりしました。素晴らしい演奏家です。
       宮崎さんは仙台フィルハーモニーのコンサートマスター。私は随分と助けられました。
      しばらくオケから遠ざかっていたので、オケの感覚にしばし戸惑ったりしましたが、彼のお陰で無事に指揮することができました。

       鹿野くんとは中学一年生からの付き合いになります。彼はフルートなのですが、今回は裏方で志士奮闘の働きをしました。
      彼とのことを語れば、枚挙にいとまがありません。私は中学では吹奏楽でフルートをやりました。彼は私より半年ほど後に入部しました。
       そこでフルートの手ほどきは私がやったのですが、その時の間違った指遣いなど50年経った今に至っても「オマエのせいでクセを直すのに苦労したゾ」と言われ続けています。
       私は中二の時に部をやめました。私たちの学校は中高大の一貫校ですので、高校一年の時に、指揮者の先輩が卒業すると指揮者不在になるというので、
      彼が中心となり、私を復部させようと働きかけがありました。いやがる私を彼と同級生がむりやり引きづり込んだのです。
       当時、苦手な先輩がいたのですが「少し辛抱すればオマエの天下だから」との言葉につられて入部しそして指揮者になりました。
      高三の時に「吹奏楽部」(それまでは同好会)としてコンクールに初参加をしました。
       そして小編成の部で「最優秀賞」をいただきました。その時は嬉しかった。

       大学では彼はウインドアンサンブルに入部。大学二年の時に、先輩のカリスマ指揮者が卒業するのでその後継者に「私を」という声があがりました。
      もちろん、彼が音頭をとったのですが、同級生はもとよりそのカリスマ先輩たちからもラブコールがありました。
       しかし当時の私は作曲の勉強、オーケストラでコンマス、さらにCMの作曲や地元テレビ曲で劇伴の作曲など、生意気ながら結構忙しかったのです。
      混声合唱曲「永訣の朝」を作曲した頃でした。結局、吹奏楽には行かず、鹿野くんが指揮者をすることになりました。
       そして彼の指揮で全国大会銀賞を獲得するのです。

       彼とは50年来の付き合いです。彼は「まあ、腐れ縁だナ」と私に言います。誠に口が悪い。が、どういうわけか憎めないのです。
      今回の客演指揮の件も彼の働きかけによるものです。
       当日来てくれた昔の仲間に(下に写真)彼はこう言ってました。
      「オレはケンプの指揮を見て欲しい、ケンプの音楽を知って欲しいんだ」と。(ケンプとは私の呼び名、憲夫を音読みするとケンプ)
       彼は口に衣を着せない、時に辛辣、大いなる皮肉家、女性にはセクハラもいとわず、一見豪放磊落、ですが人一倍優しく、気遣いのある人間です。

       たしかに彼からみれば私とは「腐れ縁」かもしれない。
      でも私からすれば彼はずーっと私のことを見てくれていた最も古い友人なのです。
       そして言葉でこそ表さないけれどずーっと私のことを応援してくれてました。
      とにかくこの度は彼に感謝です。

                         
  
   当日、昔々一緒にオーケストラをやった旧友4人も仙台から応援に駆けつけてくれました。
  仙台ユースシンフォニーといって、市内の高校生で構成されたオーケストラです。
   私は高一の時に、創設されて間もないこのオケに参加しました。
  仙台一高の中野(石坂)貢治先生の提唱によるものでした。先生はテナー歌手、合唱指揮者としても仙台で大活躍でした。
   その活動絶頂期に先生は奥様のご実家の稼業を継ぐべく長岡市に移住したのでした。
  ある時先生からお手紙がありました。
  「合唱で貴方の作品を歌っているのだけど、もしかして仙台でユースをやっていたケンプ君?」
   石坂先生とは現在もご厚誼賜っております。(2019年のウィーンでのレクイエム初演の際、奥様と聴きにお出かけくださいました)
  
   上の写真は当時の仲間です。本当に懐かしい。

  
   みんな歳をとりました。しかし、見かけは古ぼけても何も変わらない。私にはそう思えます。
  私の隣は私の一年上の宮城純一さん。彼は仙台を根拠にし活躍している現代音楽作曲家です。
  
   今回は演奏会のご報告というより、懐かしいことばかり書いてしまいました。
  演奏会も終わり、ただ今は、これまで滞っていた仕事、新作の打ち合わせなど、再起動中です。
  
  
  2022年6月30日

6月 6月25日、26日(日)は「第45回全日本おかあさんコーラス九州支部大会」のために熊本市の県立劇場におりました。

                             講師の先生方との記念写真。
                 
                   左から清水雅彦先生、ワタシ、香月ハルカ先生、片野秀俊先生、菅野正美先生。
  
   先生方とはほぼ30年のお付き合いです。片野先生とはかれこれ40年来の厚誼をいただいています。
  香月先生は2014年バチカンでの演奏会にご同行いただきました。
   私がバチカンでローマ教皇様と謁見という光栄に俗した場で、広場に待機していた合唱団約70人の合唱を香月先生に指揮していただいたこともありました。
  
  「おかあさんコーラス九州大会」はここ2.3年、開催は見送られてきました。
  これまで私が関わることになっていた「大会」はことごとく中止となり、ときに映像による審査など、と、さまざまな試みも成されたりしました。
   そのつど関係者のご苦労を私なりに目の当たりにし、共に心痛を覚えての開催だっただけに、この度の「おかあさんコーラス大会」は嬉しいものがありました。
  参加団体は九州全県から「48団体」。
   これまででしたら80〜100団体の参加団体は普通のことでしたが、それでも関係者のご尽力でひとまず開催できたことは、大きな喜びでした。
  
   コロナ禍社会で合唱も大きな変化を強いられました。
  以前は100人という合唱団もステージ狭しと立ち並んだものですが、今回は多くても30数名。
   参加団体の減少に加え、合唱団自体のメンバー構成も小規模なものとなりました。
  でも「おかあさんコーラス」は華やかで楽しいものです。私は好きです。
   写真でご覧の通り私のジャケットは花柄の賑々しいものです。
  「おかあさんコーラス」では皆さん輝いて華やかな装いなものですから、私もそれに倣い、少し派手にしてみました。
   普段、とてもじゃないが着れるものではないのですが、おかあさんコーラスのために以前から準備していたものです。
  それが今回ようやく着ることが出来ました。
  
   私は九州には数え切れないほど訪れていますので、会場には顔見知りの方が多くみえ、お声をかけてくださったりしました。
  それも嬉しかったことです。
  
  
                            7月3日は中新田バッハホールで演奏会です。 
                   
  
   私はこの30年間、指揮と言えば「自作」だけでした。
  この度は「ブラームス」を指揮します。
   オケの指揮は合唱とは違いかなりの体力が要ります。
  体力をつけるために鳩山の灼熱の中、これから散歩に出かけます。
  
   次回の更新では演奏会のご報告をしたいと思います。
  
  
  
  
  2022年6月21日
  
   6月12日の北とぴあのスペシャルコンサートも無事に終わりました。
  気づいてみれば当日は慌ただしくしておりまして写真を撮り損ねました。
   とても面白く、素晴らしいコンサートだったと思います。
  日本合唱指揮者協会のホームページに先日の演奏会のネット配信のお知らせがありますので、宜しければご覧になって下さい。 
   日本合唱指揮者協会ホームページ https://www.jcda1963.jp
  
  
   当日は出演した久しぶりの方々にお目にかかりました。
  同じ楽屋の池辺晋一郎先生とは親しくお話しさせて頂きました。
   先生は皆さんご存知のように「KING OF DAJARE」。
  これまで数々の「技あり」ギャグでいつも面食らってばかりいます。
   先日も先生が格好いい帽子をかぶってらっしゃったので「その帽子お似合いですね」と申したら即「これ頭の防止(ぼうし)」との切り返し。
  
   これまで数えきれないギャグを浴びましたが、こういうのもありました。
  あるパーティで新実徳英先生と池辺先生と3人で写真を撮ったのですが、同席した女性に写真をお願いしたところ、
  「シャッターはここですか?」とその女性、次の瞬間先生がボソッと呟きました。
  「オスだけ」。
  私はこうしたノリが大好きです。
  
   そういえば先生にまだ妻をご紹介してなかったので妻を紹介しました。
  「6年前に結婚しました。この人は<ツマンなくない妻です>、私、この人の<オットコドッコイ>になりました。」と申しました。
   ダジャレではとてもとても太刀打ちできないのでせめてもの私なりの報讐?(ほうしゅう)でした。
  
  
   18日は日帰りで宮城・中新田のバッハホールでリハーサルをし、最終の新幹線で都内のマンションに。
  妻が友人と旅行の間、95歳の義母・静江先生のお世話を2日間しました。
   私は普段一人暮らしですので、家事はお手のもの。
  静江先生を車椅子に乗せ、散歩、買い物、食事など楽しく過ごしました。
   翌19日(日)は近くに住む4歳になる孫が遊びに来たりしました。
  静江先生とは笑いが絶えません。
   いずれ静江先生のエピソードをここでご紹介したいものです。
  
                         紫陽花がきれいに咲き誇っています。(鳩山荘の玄関脇の紫陽花)
                              

                               紫陽花や きのふの誠 けうの嘘
                                            子規
  
  
  2022年6月10日

                        中新田バッハホール管弦楽団の練習風景。(6月5日)
                
  
   大崎地方・加美町中新田は宮城県内有数の穀倉地帯です。
  中でも有名なのは「ササニシキ」。
   新幹線で仙台駅を過ぎると15分ほどで最寄りの古川駅に着きます。
  
   今回の曲目は
  ・バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」
  ・ブラームス「大学祝典序曲」
  ・モーツアルトのフルート協奏曲2番
  ・ブラームス「交響曲2番」。
  
               私もそうですが、練習のたびに楽団の皆さまの熱気も高まってきて、7月3日に向けての演奏会が楽しみです。
                 
  
   
   明後日の12日は「北とぴあ」での合唱フェスタの本番です。
  そこでは私の「永久ニ(トコシナニ)」を指揮します。
   浦和高校グリークラブの皆さんとの共演が楽しみです。
 
                
  
   今回は近況お知らせまで。
  
  
  2022年5月30日

         5月28日は日本合唱指揮者協会主催の「北とぴあ・合唱フェスティバル」の練習のために「浦和高校グリークラブ」を訪れ、
                     男声合唱曲「永久ニ(トコシナニ)」を練習してきました。
              
                                         ご指導の櫻井 寛先生と。
                       
                  浦和高校グリークラブの皆さんと。私の左、ピアノの二宮万莉さん、白取晃司さん。
                

   約40名の力強い、そして若いエネルギーがほとばしる素晴らしい合唱でした。
  その模様はアーカイブで発信されることになっており、その録画撮りも行われました。
   6月12日の本番はきっと素晴らしい演奏になると思います、楽しみです。
  どうか多くの方々に聴いていただきたいものです。
  
   浦和高校のある北浦和駅は以前、最寄りの駅として利用していました。
  練習を終え、帰りに駅近くの「娘々(にゃんにゃん)」で、懐かしいスタミナラーメン、餃子を食べてきました。
   大将も変わらずに元気そうで、スタッフも昔変わらず、まるでタイムスリップしたようでした。
  
   翌29日は中新田バッハホール管弦楽団の練習に日帰りしました。
  いずれその練習の様子もご紹介するつもりです。
  
   これまで「まるで砂漠で雨乞いをするような生活」から、少し身辺が賑やかになってきました。
  
  
  2022年5月20日

                  初夏の候となりました。鳩山荘の下の林は5月の風に新緑がたゆたうと揺らいでいます。
                 
 
   鳥の囀(さえず)りがあちらこちらで聞こえます。
  鶯もようやく発声練習を終えたようです。
   鶯は場所によってとても「上手にきれい」に啼く「所」と未だ「おぼつかない」啼き方をする「所」があります。
  「親」の啼き方を真似るのでしょうから鶯にも「育ちの良さ・悪さ」というものがあるのかしら、
   などと思ったりするのですが、本当のところはどうなのでしょう。
  
   6月7月と演奏会が続き、練習も始まりました。
  先日は日帰りで中新田バッハホール・管弦楽団の練習に行きました。(東北新幹線古川駅から車で15分)
   曲はブラームスの「大学祝典序曲」と「交響曲2番」。
  難しい曲ですが、皆さんとても熱心に取り組んでおられました。
   今後の練習が楽しみです。
  
   そろそろホトトギスが啼くころです。
  鳩山のホトトギスは「ホットトギスデチュ〜」と啼くんです。
   皆さんウソだー!と言いますが、ホントなんです。

                

                
  
  
  2022年5月10日

                              近々の演奏会情報です。
                          6月12日は日本合唱指揮者協会主催の演奏会です。
                 
  
   このステージは作曲家が自身の作品を指揮するというものです。
  私は男声合唱曲「永久ニ(トコシナニ)」を指揮します。
   演奏は浦和高校グリークラブです。
  若いエネルギーの面々に接するのが今から楽しみです。
   関心のある方はお出かけ下さい。
  チケットお申し込みは日本合唱指揮者協会に。 https://www.jcda1963.jp
 
                           中新田バッハホール管弦楽団第8回定期演奏会
                 
  
  
   久方ぶりにオーケストラを指揮します。
  ここ30年以上、指揮というと自作、主に合唱でした。
   20代30代と若い時代はよくオケの指揮をしたものです。
  新座市の市民交響楽団の常任、また獨協大学医学部の管弦楽団の客演指揮などしておりました。
   そのほとんどが古典でした。
  今回はブラームスの交響曲2番を指揮します。
   久しぶりにオケに取り組むことになり、毎日スコアとにらめっこの日々です。
  久しぶりにスコアと対峙し、昔なら気付かないことや、分からなかったことが少し見えてきた感じもしています。
   

   会場は宮城県中新田町です。
  遠方ですので気軽にお出かけ下さいとは言えませんが、関心をお持ちの方は旅行がてらお出かけになってみて下さい。
  
   今回は演奏会情報まで。
   北とぴあコンサート、また中新田コンサートのお問い合わせはこちらまで。 メールはこちらへ→
  
  
  2022年4月30日

                  この間まで八重桜が咲いていた傍らに、今はツツジが咲き始めました。
               
   

  「ツツジか〜」と独りごちていて、ふと頬が緩みました。
  亡きY叔父のことを思い出したのです。
   叔父は仙台市郊外の出で「仙台弁」丸出しの生粋の田舎人でした。
  「シ」とか「チ」とか「I」の母音が出来ないのでした。
   叔父だったら「ツツジ」とは言えずに「ツツヅ」と言うだろうな、と思ったら可笑しくなったのです。
  
   私は、昔、よく面白がったものです。
  「叔父さんチーズと言ってみて」
  「ツーズ
  「じゃ日本地図は」
  「ヌホンツズ
   叔父もウケを狙ってわざとらしく言うものですから、私はいつも笑い転げたものです。
  
   私は生まれ故郷の仙台から埼玉に出て40数年になります。
  しかしいまだに「訛(ナマ)り」が抜けてないようです。
   自身ではまったく気付かない事です。
  ある時こう思ったものです。
  「私は普通に喋っているつもりでも、他の人には訛って聞こえる。
  自身では普通にしていることが他の人からみると、他とは違う、これが<個性>なのだ」と。
  「普通とはちょっと違うこと」また「奇抜なこと」が「個性的」と見られがちですが、決してそうではないのですね。
   個性とはそういうものなのだろう、と。
  
   毎日毎日、ウクライナの戦禍報道には昏(くら)い気持ちにさせられます。
  そんな中、目に映る新緑、樹樹を縫うようにして新緑の香りを運んでくる風、
   ウグイスの囀(さえず)りや、土の匂いが、一抹の心の清涼剤となっているような気がしています。
  
  
  
                               メールはこちらへ→
  2022年4月20日

                   今年も八重桜が咲きました。近所の梅沢運動場そばのアーチ状桜並木です。
                             例年より少し早いです。

                  
  
   長岡市在住の石坂貢治先生は、私の尊敬する先生です。
  元仙台一高の音楽教師、同時にテナー歌手として仙台で活躍をされ、長岡市に居を移された後も、地域の音楽文化の育成発展に力を尽くされています。
   先生は「日本歌曲研究会」を立ち上げ、会報「遠音(とほね)」を主宰しておられます。
  この度「第21号」の会報に寄稿させていただきました。
   ここに転載いたします。

         「コロナ禍後の音楽文化について」 
                              鈴木憲夫
   新型コロナによりこのような時代になろうとは誰も予想し得なかったことでしょう。
  音楽の世界に生きる者として、生活存続の危機さえ感じるものです。
   今回のテーマに沿って少し考えてみたいと思います。
  日本に於ける「音楽文化」とは実に様々な形態・世界を持っています。
   日本の古典を除けばそのどれもが歴史は浅く、多くの先達によって日本の音楽文化が作られました。
  日本では市民レヴェルでの音楽活動が盛んです。とくに合唱文化に関しては世界に誇れるものとさえ私は思っています。
   ちょうど私が生きた時代がまさに「成長期」と言えましょう。私はその過程を目の当たりにして来ました。
  今回のコロナ禍は見方を変えれば「炙(あぶ)り出し」のようなものです。
   炙り出しとはご存じのようにある液で紙に字を書き、熱を加えることで字が浮き出るといったものです。
  さてそこで今の時代からこの先どんな景色が見えて来るでしょう。  
  
   ある人が言っています。「人間の思考は大変な時代に働く」と。
  たしかに新しいビジネスが生まれ、生活のスタイルも変わり同時にそれは日本人の意識を大幅に変えました。
   音楽の世界においてもリモートで「ピアノレッスン」、アンサンブルを試みるなどの工夫が生まれてきました。
で すがコロナ禍により音楽愛好家人口が急減し、合唱などは活動の休止をきっかけに消滅した団も多く、合唱から遠ざかる人も増えました。
   今回のコロナ禍によりそういう日本独自と言える音楽文化の有り様を私は認識させられたように思います。  
  
   「コロナ禍後の課題」として今後はその立て直しに如何に取り組むかでしょう。
  「市民の音楽団体」の復活・活動促進・支援の具体的な方策、また積極的に新しい「市民サークル団体」を「興(おこ)す」ということも大切な事案であろうと思われます。
   もっとも重要なことは「精神性」です。「成熟」です。
  個人的なことを言えば、久しぶりの演奏会で「生の音楽」を聴いた時の身に染み入る感動は言葉では言い難いものでした。
   日本の合唱コンクールをひとつ例として考えてみましょう。
  コンクールでは「音楽を磨く」というより「技術の練磨」に衆目が集まりがちです。
   コンクールという性格上それも一概に「悪(あ)し」とは言えない部分もあります。
  日本人には「何かを測る」基準がないと世には認められないという「歴史」があります。しかしそれは「成熟」を止めます。
   私は「コロナ禍後」の世界は、音楽の感動、芸術、音楽が人生に如何に彩りをもたらすものかを再度見つめ、「成熟」の意味を考え、
  そして広く芸術、文化に「深い造詣」を持つ社会になってほしいものと思います。 

   音楽人としてまるで「砂漠」の中で「雨乞い」するような経験をしたことは、
  実は本当に大切なものに「気づかせてくれた」との思いに至るなら、
   今回の「忍耐」を強いられた時間が決して無駄にはならないだろう、と切に思うのであります。
   
  
  
  2022年4月10日

                        初め2匹だったメダカが今や大家族となりました。
                           子供のメダカが7匹になりました。
                     写真では分かりにくいですが、大体1cmくらい。可愛いものです。
                 
  
   桜が散りました。
  今年の桜は正直、心に映らなかった感じがします。
   日に日に戦争の惨状が知らされる度に、今食べたものの味が分からなくなる感覚に囚われました。
  さらに国連の動きを見ても、必ずしも世界が一つになっていない事実も、気の晴れない理由のひとつになっています。
   
   東洋思想で「思考の三原則」というのがあります。
  ・目先に囚われずに、できるだけ長い目で観察する。
  ・一面に囚われずに多面的、できるだけ全面的に考察する。
  ・枝葉末節に囚われずに、できるだけ根本的に観察する。  
  
   これは歴史が訓(おし)えたことです。
  歴史は人間にとって唯一と言って良い教科書です。
   私の好きな歴史学者で英国のトーマス・カーライルという人の言葉です。
  「経験は最良の教師である。ただし授業料が高い。」
  
   とにかく一日も早く平安が訪れる日が来ることを祈るばかりです。
  
  
  
  
  2022年3月30日(水)

                    自宅から徒歩で20分ほどのところに坂戸北浅羽桜堤公園があります。
                早咲きで有名な「安行寒桜(あんぎょうかんざくら)」の桜並木が1.200m続いています。
                           この写真は先週24日のものです。
                
  
  
   一昨日は江東区猿江恩賜公園で妻と義母とでほぼ満開の桜を見ました。
  世の中がピンク色に染まりつつあり、心の浮立つこの頃となって参りました。
   が、かたや戦火に怯え逃げ惑う人がいることを思うと、心はいまいち晴れません。
  
   日本人にとって桜は特別な存在です。
  たんに花の美しさを愛でるのではなく、日本人の詩情性、時に生死感さえ漂わせます。
   桜を見るといつも思い出すのでは西行の歌です。
  「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃」
  さらに満開の桜を見上げると坂口安吾の「満開の桜の下で」という物語も浮かびます。
   古来、桜には「神的」な力が宿っているとされています。
  この物語はで満開の桜の下で「女が鬼と化す」、という筋立てになっています。 
  
   満開の桜の候、それぞれに思いを巡らすのも楽しき哉(かな)です。
   
  
  
  2022年3月20日(日)

                   3月9日、義母で詩人の金子静江先生が95歳の誕生日を迎えました。
                              いたって元気!。
                      
  
   私は行くたびに何かしら料理を作ります。
  先日は「真アジ」の煮付けを作りました。
   自宅とは勝手が違い、醤油やみりんや酒を継ぎ足しているうちについ量が多くなってしまいました。
  炊き上げているのを見た静江先生「アラ!真っ黒な水の中でアジが泳いでいる!」
  
   そういうわけで久々に(正月以来2ヶ月ぶり)都内に出ました。
  鳩山に居りますと閑静な生活に馴染み、久々の都会は「喧騒」で目眩(めまい)がしそうでした。
   まるで「私は田舎者」です。 
  
   多くの人がスマホ片手に歩いているものですから、人が行き交う駅構内、さらにホームなど危なっかしいったらありません。
  今更のことですが「歩きながらスマホを見るほどそれは大事なことなのか!」です。
   今やスマホは生活の一部となり、手放せない「慣性的」なものとなりました。
  「人間、慣性的になると精神は眠ってくる」と言われます。
  とすると多くの人の精神、眠っている!?。
  
  「病気とはたいてい喰いすぎて病気になる」とモノの本に書いてあります。
  ですから大事なことは「腹を減らす」ということ、つまり「消化」するということです。
   同じように人間の精神・思想・学問も「消化吸収」が必要というわけです。
  そういう意味でスマホは明らかに「人間の脳や精神に消化不良」をもたらしているのではないか、と私には思えます。
  
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   毎日、毎日、今のこの時にも殺戮が続いているウクライナに心を寄せない日はありません。
  ナショナリズムとは人間が歴史の中で何度も経験していることです。
   自国を「尊し」とし、他の文化・人種・国家を「排他」することが、いかに愚かで残酷な結果を生むことか。
  しかも大抵がごく限られた複数の人間が行うのです。
   一日も早く和平が成り、戦争が終わることを祈り、願うものです。 
  
  
                   

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  2022年3月10日
  
  「長崎でレクイエムを歌う演奏会」が発足しました。
  昨年11月に宮城県三陸町で行われた「れくえいむ」の演奏会に続き、この度は長崎市での演奏会を行います。
   (明日11日で東日本大震災11年目を迎えます。)
  演奏会は「花ではなく歌を捧げる」という「祈りを結集する」催しになり、その時の演奏の感動はいまだに記憶に新しいものです。
   長崎は申すまでもなく<平和を希求するにもっとも相応しい>地です。
  長崎には私が信頼をし尊敬してやまない松川暢男先生がおられます。
   この度は松川先生が中心になって動いて下さり、こうして実現の運びとなりました。
  南三陸での演奏会同様、各地からの参加をお待ちしています。
  
   21世紀の<今>、ようやく人類が平和への手がかりを<掴んだ>かに思われた矢先の今回の戦争です。
  中国も何やら<きな臭い>。
  〜祈りの灯(ともしび)コンサート〜とタイトルをつけましたが、これには次のような意味があります。
  「ロウソク一本の灯火は、わずかに足元を照らす灯(あか)りのみです。
  しかし、それが何百、何千、何万と灯ればどうでしょう。世の中に光が満ちます。
   そういう世界を目指して、という願いからタイトルにしました。」
  これは禅の言葉で「一灯照隅(いっとうしょうぐう)」から取ったものです。
   さらには「万灯(まんとう)照隅」「遍灯(へんとう)照隅」と続きます。
  「遍」は「あまねく」という意味です。
   今こそ、この意味を噛み締め、私たちで出来る事をしたいものと思っています。
  長崎でレクエイムを歌いませんか?
   ご質問お問い合わせはこちらまで。→ 

                 

                 
  
  
  2022年3月1日
   このところ更新を10日毎にしています。
  しばらく更新を絶やしていたこともあり閲覧下さる方も少ないようですが、地道に続けて参りたいと思っています。  

                        1ヶ月前から我が家に新しい家族が増えました。
                
                                                                                              

   1ヶ月ほど前から我が家に家族が増えました。
  メダカです。アカヒレという品種のオレンジ色したメダカ二匹です。
   水槽左下にいます。
  一時名前も付けたのですが、一匹が死んでしまい、メダカと言えどその日一日暗い思いでおりました。
   そこで一匹増やした訳ですが、名はつけず、この品種はコップでも飼えるというのでコッピーということですので、
  以来「コッピーちゃん」と呼んでいます。 
  
   世界でまた戦争が始まりました。
  歴史は人類にとって「教科書」です。
   それを学ばず、また同じ事を繰り返す愚かさに何故気付かないのでしょう。
  独裁者は歴史から「人を制圧し権力を握る方法」を学ぶのでしょうか。
   それがどんな結末に至るかも歴史で教えている筈なのに「利」に惑い狂わされるのでしょうね。
  「論語」で言っています。
  「利に依りて行へば必ずや怨み多し」と。
  人の「命」にまさる「利」とはいったいどこにあるというのでしょうか。
   一日も早く戦火に惑う人が居なくなることを願わずにはいられません。
    
  2022年2月20日(日)

                 
                                「銀河の丘」
  
   前回ご紹介した「林の小径」は峯づたいにある道で、その先にこの「銀河の丘」があります。
  これが何なのか未だに分かりません。
   でも分からなくたっていいのです。
  自然な中にこうした不思議な空間がある、というのも楽しいものです。
   私は上の半球体に上向きになって雲を見るのが好きです。
  ヘッセ(ヘルマン)が言っています。
  「私は雲が好きだ。なぜならいつまでも完成しないから」と。
  私も雲が好きです。
   雲はいろんな形になってそれこそ「完成」せず流れて行きます。
  そういう時間が私は好きです。
                          そこから見える「鳩山ニュータウン」の風景。
                
  
   今回紹介するのは、最近読んだ澤田瞳子さんの小説「星落ちて、なお」より。
  「人っていうのは結局、喜ぶためにこの世に生まれてくるんじゃないですかね〜(略)
  この世のすべてはきっと、自ら喜び、また周囲を喜ばせられた者が勝ちなんです」
   日本画家「河鍋暁斉(かわなべぎょうさい)」を回顧した物語。  
  
  
  2022年2月10日

                              毎日通る散歩道
                 
                             この道を毎日歩いています。
                              名付けて「林の小径」
                   先日、この道の先にある空き地で、仮面ライダーの撮影をしていました。
  
   コロナが収まらない中、相変わらず窮屈な生活が続いています。
  都内にいる家族とは互いに往来もなく遮断された状態。
   上の散歩道は一年中味わいのある世界を見せてくれます。
  夏などはこんもりとしていて、涼しくさえあります。
   最近こそ見かけませんが、かつてはタヌキの親子(もしかしたら夫婦?)、野うさぎも見かけました。
  キツツキもいます。
   自然に包まれる、といった情緒です。
  
   最近読んだ本の中からひとつご紹介します。
  「目力(もくりょく)を養うは常に瞑(みょう)し=眼を閉じ=
   耳力(にこん)を養うは常に飽(あ)き=耳を閉ざし=
   心気を養うは常に黙すにあり」
   白隠禅師著
  「夜船閑話(やせんかんな)」より。  
  
  
  2022年1月20日

                   
  
   鳩山荘はお天気の日は朝から夕方まで陽がさして、家はさながらサンルーム。
  最近はたまに打ち合わせや用事で他出するも、大部分は家に居て、仕事、勉強、読書、散歩の毎日です。
   このホ−ムページはしばらく更新を休んでおりましたが、時折、気が向いたら更新をしてみたいと思っています。
  最近目にした言葉をここで紹介することにします。
   ロダンの手紙より。
  「成人は電話、汽船、その他の故を以て進歩を信じています。
  しかし、それは皆、腕や脚や眼や耳の改良に過ぎません。
   誰が精神を改良するのでしょう。」
  
  
  2022年1月3日

              
  
   
新年明けましてあめでとうございます。
  この2年は「コロナ社会」でした。
   一日も早く「コロナ社会」が明け、光明が見える一年となりますように。
  今年の正月は江東区大島のマンションにて家族と過ごしました。
   昨年は締め切りもあって、一人鳩山にて年を越しましたが、今年は賑やかに皆で過ごしました。
  2日は富岡八幡様にお詣りしました。
   大混雑と思いきや比較的空いていました。
  帰りは徒歩で大島に戻りました。
   時間にして半刻(はんとき=1時間)。
  鳩山の自然も大好きですが、江戸下町の風情がある深川、本所も私のお気に入りの処です。
   今年一年、皆さんご無事で元気に参りましょう。
  本年も宜しくお願い申し上げます。

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