【ブダペスト編(10/26〜28日】
        
高台から見渡したブダペストの街。街の中央を流れるドナウ河。河をはさんで手前左側が「ブダ地区」
右側が「ペスト地区」、総して「ブダペスト」になります。
歴史を感じさせる教会、そして建造物。風景に見とれて建物の名はブダペストの丘の風に吹かれて飛んでいきました。
街の中央に位置する「くさり橋」      街の並木路。
古い建物の右手に写真があります。傍で観るとかなり大きいものです。1956年のハンガリー動乱の際に死んだ若い兵士の写真です。
(ハンガリ動乱→ハンガリーで起きたソビエト連邦の権威と支配に対する民衆による全国規模の蜂起を差す。=wikipedia)
この若い兵士は動乱の時、15歳でした。他の動乱に関わった人々はソビエトによって全て処刑されましたが、18歳まで3年間留置され、18歳という年齢に達した時点で処刑されました。写真には生没年が記されています。
このような写真が街のいたるところで観られました。
ハンガリー国民にとって忘れられない出来事として、このように今でも記憶に留めている事実に驚きと感動を覚えました。
26日夜、ドナウ河ディナークルーズで船から見た夜のブダペスト。写真は国会議事堂。現地のガイドさんが面白いことを言っていました。「ここが貧しいハンガリーの国の立派な国会議事堂です」と。
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27日、本番前の観光。英雄広場にて。右端は写真を提供してくれた西池さん。
コンサートが行われたペスティ・ヴィガド。左が外観。右が内部。
                     リハーサル風景。
プログラムは
1.くにたち混声合唱団ときわ(東京)=指揮・木野村雅子先生
2.ラ・コール(京都)=指揮・箸尾哲男先生
3.日立市民混声合唱団(茨城)=指揮・鈴木憲夫
4.女声合唱団アンダンテ(広島)=指揮・中川聰子先生
5.Pro Fun(ブダペスト)=指揮・Karnayunk Enekes Katalin(女性指揮者)
6.Chor SUZUKIO(日本・合同)=指揮・鈴木憲夫
コンサートは19:30 開演。
日本の感覚からいうとかなり遅い開演ですが、これでも早いということでした。
500を超える客席は満員。既に、日本にいる時から「チケット完売」という情報を得ていましたが、観客の熱を感じ、出番前の私はちょっと「武者震い」が。
ひとつのステージが大体18分程度。それぞれの演奏は素晴らしいものでした。そして聴衆の反応も素晴らしいものでした。
ひとつひとつの団体に「温かな」というより「熱のこもった」拍手が送られました。
とくに4番目のアンダンテでは指揮者の中川先生のお孫さんが、ハンガリー民謡をバックにダンスを披露。大声援・大喝采を浴びました。
Pro Funの演奏もさすが「合唱国ハンガリー」だけあって見事なものでした。
最後に「Chor SUZUKIO」総勢100人以上の日本からの合同合唱でしたが、「Chor SUZUKIO」とは3年前にバチカンで合同合唱をした際、
バチカン側から頂いた名称を用いました。
終わりには会場の皆さんと「平和という果実」を一緒に歌いました。

私たちの演奏が終わると鳴り止まぬ拍手。幾度かのカーテンコールが終わっても鳴り止むどころか拍手から手拍子に。
団員がステージを降り、最後の一人が消えるまで手拍子は続きました。
そして、私たちがバスで移動するため入り口に集合していたのでしたが、帰り際の聴衆からそこでも私たちに拍手・投げキッスを受けました。

皆さん、充分に手応え・感動を感じたコンサートでした。
ブダペストを発つ朝。ホテルからの風景。朝、7時頃。ドナウ河が朝日に映えています。
28日、8時すぎにブダペストからバスでウィーンへ。ウィーンまで約4時間。
のどかな景色を観ながら、ブダペストでの2日間の感動の余韻に浸りました。
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                            【ウィーン編(10月28日〜31日】 →