2023年9月26日
次第に秋めいてきました。
蝉は役目を終え、今は秋の虫がこの世を謳歌しています。
24日は長野市で「男声合唱団ZEN」の<創立20周年>第10回の演奏会にお邪魔をいたしました。

上は打ち上げパーティで
前列、左、ヴォイス・トレーナーの移川澄也先生、右、指揮者の、宮下荘治郎先生、後列、副会長の堀内征治さん。
会長の笠原甲一さんとは記念撮影、撮り損ねてしまいました。(失礼をいたしました)
この日の演奏会では「男声版レクイエム」が初演されました。
創立20周年を記念して委嘱をいただいたものです。
これまでにも指揮者の宮下先生のお声掛かりで
「雨ニモマケズ」「永久ニ」
(トコシナニ)、「般若心経」「祈祷天頌」などの男声版を委嘱・初演いただいております。
長野市の「善光寺」にちなんで「ZEN」と命名されたこの男声合唱団は、故塩沢荘吉氏の提唱で20年前に活動を開始しました。
合唱経験を問わず、当初、2.30名で発足したこの合唱団はコロナ前は100人を越え、この日の演奏会では80有余名の方々による大合唱でした。
メンバーは多士済々、実業界、教育界、その他さまざまなキャリアの方の集まりです。
レクイエムは、男声合唱の世界を満喫させる演奏でした。
宮下先生はウィーンの初演の際ご一緒くださいました。
(その他にZENから数人ご夫人同伴で参加くださいました)
先生は昨年、茅野市で混声でレクイエムを指揮してくださったりもしています。
プログラムで先生は次のようにご紹介くださいました。
「鈴木憲夫先生は<祈りの世界>をライフワークとしておられ、数多くの作品の根底には常に「祈り」があります。
〜〜〜祈りといっても特定の宗教のためではなく「人生における救いを追い求める祈り」といえます。」
このように深い理解の基に取り組んでくださいました。
メンバーの方々とも永年のお付き合いがあります。
思えば今は亡き、懐かしい方々のお顔も浮かびます。
塩沢元会長は昨年の12月に亡くなられました。
今回の「レクイエム」はそういう方々の面影を偲び、そして今の時代を憂い、演奏されました。
他のステージも実に楽しく充実したものでした。
来年もさまざまな企画をしておいでのようです。
活躍を見守り、応援をしたいと思っています。
2023年9月6日
9月2日はSNコーラス(鈴木憲夫作品を歌う合唱団)の鳩山合宿でした。
コロナの影響で三年ぶりの開催となりました。
後列の右、主宰者であり指揮者の伊澤俊雄くんほかここにいる多くの人たちとはもう三十年来のお付き合いです。
練習の後、こうして自然のなかで食事をし酒を交わし、賑やかな時を過ごします。
料理は私の「手料理」です。
ちなみにこの日のメニューは「春巻きピザ」
(オリジナル)「麻婆豆腐やきソバ」「海鮮パリパリサラダ」
「仙台牛タン」「パスタ
(トマト煮込み風)」「焼きビーフン」他・・・・・。
いつも5.6人はお泊まり組で、男は雑魚寝です。
SNコーラスが出来る前からこうしてここに居る人たちとは、年に1回、与野市の時代より我が家で食事をしたりしていました。
「みんな変わらない!」すがたを見るのは嬉しいことです。
8月27日は「諏訪合唱団」の演奏会でした。
諏訪合唱団(指揮=宮下荘二郎先生、ピアノ=安藤美季さん)の皆さんとのご縁も深いものがあります。
2001年に「永久ニ
(トコシナニ)」を諏訪合唱団の委嘱で作曲しました。
作曲には3年を要しました。
完成までどのくらい諏訪に通ったことか。
団員のMさんのご好意でご自身所有のマンションを自由に使わせていただいたことが、どれほど心丈夫だったかしれません。
それだけではなく、私の他の作品を演奏していただいたり、また指揮もさせていただいたり、
当日も「二度とない人生だから」
(混声版は諏訪合唱団の委嘱)を指揮をさせていただきました。
付き合いも永い分、亡くなられた方も多く、打ち上げではそういう方々の想い出話もつきませんでした。
来年8月に京都コンサートホールで還暦演奏会をする箸尾哲男先生もお越しになり
(諏訪合唱団も参加します)
和やかな会となりました。
男声版「レクイエム」初演演奏会。

諏訪合唱団指揮者の宮下先生が指揮をしてくださいます。
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2023年8月11日
この一ケ月、いくつかの催し物に出演したりしました。
7月23日は「大久保混声合唱団」の定期公演にお邪魔しました。
今回は「般若心経」=無伴奏混声合唱曲=が演奏されました。
指揮は下の写真左の中村拓紀先生。
名演を聴かせていただきました。
こういう時って作家にとって何より嬉しいことです。
「般若心経」のテキストは「お経」。
皆さん「お経」で苦労されたと思います。
改めて、皆さんのお力に拍手です!。

写真右は辻秀幸先生。
秀幸先生は ブラームスの「哀歌」を指揮されました。
いつもながら真摯な取り組み、そしてスケールの大きな演奏を聴かせていただきました。
最後の「大久保混声・愛唱歌ステージ」では私の「ほほえみ」を指揮して下さいました。
この作品は多くの方がご存知のように「亡き辻正行先生」の70歳を記念して作られたものですが、
正行先生がお亡くなり今年で20年という・・・何とも時間の流れの早いことかと、さまざまな思いがよぎってきます。
当夜は「合唱界の<天然記念人物>」というべき秀幸さんとも久しぶりにお目にかかり楽しいひとときを過ごしました。
7月30日、ミュージックスクール「モードプラス・大人のコンサート」でミニ講演をしました。
私はモードプラスの相談役になっております。
毎年、この催しでは今回のようにミニ講座を持っております。
今回のテーマは「リズムって面白い!」
8月6日(日)は常盤台バプテスト教会にて「鈴木憲夫作品を歌う合唱団(SNコーラス)」の「平和を祈るコンサート」がありました。
指揮はこの合唱団の主宰者でもある伊澤俊雄さん。
このステージは教会主催の「平和記念会2023」の催しの中で行われました。

伊澤俊雄さん、ピアニストの和田蕗子さんと。
曲目は「今が美しい」「マザーテレサ 愛のことば」(全4曲)「さくらんぼと麦わら帽子」「平和という果実」。
教会の聖歌隊の皆様と「平和の祈り」の合同演奏もありました。
教会の清楚とした雰囲気の中、SNコーラスの持ち味が充分に満たされた演奏でした。
いつも思う事ですが、こうした仲間に触れ合い私は「幸せ者」です。
教会では友納牧師さまはじめ関係者の方々にお世話になりました。
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鳩山町は気温の高さでは全国一とニュースに出たりと、すっかり有名になりました。
が、しかし、私の家は高台にあり、緑に囲まれ、風の通り道ですので比較的に涼しいのです。
クーラーは仕事する以外使いません。
今年の夏は久々の新刊の準備、また男声合唱曲に取り組んでおりますので、鳩山籠りになりそうです。
どうか皆さん、御身お大切にこの夏を無事に乗り越えて下さいますよう!。

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2023年7月7日
6月26日から30日まで石垣島に遊びました。
私はこれまで日本中くまなく歩いてはおりますが、とくに旅行という意識はなく、
仕事の合間にというか「ついでに」観光するという具合でした。
今回のように「旅目的」の「旅」というのは多分初めてではなかったかと思います。
石垣島と周辺の島巡りは妻のたっての希望でした。
石垣島に着いたその日はちょうど梅雨明けの日。

石垣島離島ターミナル内での具志堅用高さんの銅像の前で。

西表島から水牛車で由布島へ(わずか15分程度)。

竹富島で水牛さんと記念写真、水牛さんの名前はルイ君。
石垣島のホテルにて。夕暮れ時、残念ながら夕焼けは見れなかった。
今回は、那覇→石垣島→西表島(イリオモテジマ)→由布島(ユブシマ)→竹富島(タケトミジマ)と島めぐり。
西表島ではマングローブを観ました。
最終日29日は石垣島を車で一周しました。
川平(カビラ)湾ではグラスボート(海底が見える舟)に乗り、ウミガメを見る事ができました。
「碧い空と海」・・・言葉にすればなんとも味気ない表現しかできないのですが、心・体全体に染み入る「碧」の世界を堪能してきました。
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2023年6月20日
私はこの4月から月に二度、江東区東陽福祉会館での「シニアのための合唱講座」の講師を務めています。
ほとんどが合唱経験のない方々で、年齢は私より年下の方がわずかいる程度です。
私は合唱指導は40年以上になりますが、今回のような経験は初めてです。
たんに合唱の指導だけではなく、身体を使ったリトミックやなんと言っても呼吸法などを取り入れた内容となっています。
初めてコーラスをする方々のために、テキストも作ったりしています。
相変わらず私の下手なジョークに皆さんお付き合い下さり楽しくやっております。

このお話ははじめに江東区でミュージックスクールをやっている妻に声がかかり、それを聞いた私が「やる」と言ったものですから、妻は驚いていました。
妻は「ボディパーカッション」を長年やっており、私も関心があり、また妻から教わってもいたものですから、
「何とか身体運動も取り入れたシステムが出来れば良いナ」ということがきっかけでした。
私の父は短い間でしたが施設に入ったことがありました。
よく施設を覗いたものです。
そこでやることといえば、ボールを足で転がしたり、カラオケ、またある時間帯は時代劇のTVドラマ鑑賞、といったヒマ潰し程度の内容でした。
介護士の方々は熱心に取り組んでくださってはいましたが、やる方も、受ける方も、何やらマンネリ気味でした。
今回、お引き受けした背景にはそういう私の思いもあったのです。
それと、もうひとつ、忘れられないある経験が元になっています。
今から20年ほど前のことになりますが、私は神奈川県の麻生区での「合唱祭」の講師に5.6年連続して招ばれたことがあります。
麻生区の合唱連盟を牽引されたのは声楽家で指揮者の宗孝夫・いづみご夫妻でした。
お二人の情熱と温かなお人柄でいつも和やかで楽しい会でした。
私が伺った頃、いづみ先生はシニアのコーラスを指導され、その時は10人程度の混声メンバーで唱歌などを演奏されていました。
印象としては声もあまり出ず、やや弱々しいコーラスでした。
その翌年伺ったときには人数も少し増え、コーラスも整っていました。
またその翌年には人数はたしか30人くらいに増え、コーラスとして充実にしてきた、という驚きがありました。
その会でいづみ先生のコーラスは「今年はどうなっているだろう」という期待と楽しみを持つようになりました。
そして私が最後に立ち会った演奏では5.60人の大編成になり、しかもMorzartの「アヴェ・ベルム・コルプス」を歌ったのです。
それもラテン語を暗譜で。
これには驚きました。鳥肌が立つほど感動しました。
当初からの活動を目の当たりにしているだけに、とても感慨深いものがありました。
コーラスの方々はどんなにか素晴らしい経験をされたことでしょう。
この度のシニアコーラスの指導に際し、私は宗先生ご夫妻のお姿が頭の片隅にありました。
今から5年ほど前に宗先生ご夫妻は時を経ずに相次いで亡くなられました。
私とほぼ同年代でしたからその時の驚きと喪失感を今もひきづっております。
お二人とも互いを労わり、とても仲の良いご夫婦でした。
はじめにいづみ先生が、たしかその半年後に孝夫先生が亡くなったとのことです。
私はいつも思うのです。
人のそういう「思い」こそ、かけがえのないものだと。
改めて宗孝夫・いづみご夫妻に心から哀悼の意を捧げます。
2023年5月25日
7月23日に大久保混声合唱団の定期演奏会にて「般若心経」が演奏されます。
先日、その練習を聴かせていただきました。
伝統、そして実力とも日本でも有数の合唱団です。
コロナにより、合唱活動もだいぶ「小幅」になった合唱団が多い中で、練習には50人を越える団員の皆さまが一堂に会して下さいました。

「般若心経」は「お経」そのものをテキストにしております。
私の作品の中では「地味」なもので比較的演奏の機会は少ないのですが、でも「滋味」なのです・・・とは、「自尊」もいいところですが・・・・・。
指揮者の中村先生の的確な指揮・ご指導でとても良い合唱でした。
私は音楽のお話というより「般若心経」の話を多くいたしました。
この作品は今から18年ほど前に完成しました。
作品は完成するとその「旅」は終わります。
今回、改めて作品を見て、そして皆さまにお話をするために「般若心経」を見直すと、当時では見えなかったものが見えてきました。
その意味で私の「般若心経」の旅はまだまだ終わっていなかったのです。
とても良い機会をいただいたと思い、感謝の思いを深くしました。
私は母方の祖母の影響で子供の頃より「般若心経」に親しんできました。
指揮者の中村先生も同じような経験をお持ちとのことで、そういうご縁を嬉しく感じました。
SNコーラス(鈴木憲夫作品を歌う合唱団)指揮者の伊澤俊雄さんが今回の仲立ちをして下さいました。
これもそれも「般若心経」の導くご縁、と言ったら「妙」ですがそれも「妙」。
本番はきっと素晴らしい演奏を聴かせてくれることでしょう。
辻秀幸先生指揮の「ほほえみ」の演奏もあります。
宜しかったらぜひ、会場に足をお運び下さい。
私も会場の片隅で聴かせていただくのを楽しみにしています。

2023年5月3日
本日で70歳になりました。
「いつの間にこんな歳になったんだ?」というのが正直なところです。
多少の見栄はありますが、いたって健康、とくに老いらしきものは感じません。
毎日7.000歩の記録更新中。
3月、4月はたった一日だけ目標達成ならず。
「60にして59年の非を識(し)る」と中国の言葉(黄山谷=こうざんこく)にありますが、60になった時はその実感がありませんでした。
が、70になりその言葉がズシリと胸に沈みます。
まさに今、私は「70にして69年の非を識る」といった面持ちです。
「もう70年も生きたか、これまでの69年はまったくバカなこと、恥ずかしいこと、何とダメなことが多かったことか」という心境です。
母親の生前、誕生日の日はいつも電話でこう話してました。
「おかげさまで○○歳になりました」と。
今年は「おかげさまで70歳のオジイサンになりました」と仏壇にチーンとしながら報告をしたところです。
上の黄山谷の言葉に対して後にこういう解釈もでてきました。
「70にして70と化す」つまり「70なら70歳たる自覚を持つものだよ」と。
黄山谷の言葉の元の意味、そして後の世でのその言葉の解釈、そのどちらもうなづけるというものです。
さてさて皆さん70歳になりましたが、今後ともあいも変わりませぬお付き合いのほどを、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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2023年4月20日
ただ今は選挙戦真只中。
江東区のマンションと鳩山町を行き来する身としては、あっちでもこっちでも「候補者の名前の連呼」の嵐にいつもながらウンザリ気味です。
告知日の前日、江東区の砂町銀座あたりを歩いておりましたら、
「○○△△です!選挙では皆さまにご迷惑をおかけしますので、一足先にご挨拶に参りました」・・・???・・・と選挙本番さながらのスピーカー音が。
まだ若い、血気盛んな勢いに、思わず「ガンバレ〜」と心の中で叫んでいました。
そもそも騒然とした都会での「連呼」はさほど気にはなりませんが、静かな鳩山町では「騒音」そのもの。
18日、鳩山町のメイン道りを歩いておりましたら、選挙カーがやってきました。
私の前も後ろも誰も歩いていないものですから、選挙カーが通り過ぎるとばかり思ってましたら、私の前で突如「こんにちは〇〇△△です」と大音量のマイクにびっくり仰天。
頭を叩かれた感じで無神経も甚だしい。
「んも〜、誰が入れるもんか・・・・・・」
車の窓を開けて肉声で「宜しくお願いします」などと言われたら、「なんという心遣い!」とむしろ感動したと思います。
名前をただ連呼する「選挙運動」は今の時代では珍しい「アナログ世界」です。
最終日ともなれば「叫び」に変わる。
そもそも「よろしくお願いします」の意味も分からない。
それは有権者が候補者に向かって言う言葉のはず。
それに「いつもお世話になっています」も意味不明。
選挙は一種のお祭りです。
私の父方は選挙好き系で、子供の頃から「村選挙」に馴染んでいました。
事務所で近所の「オジサン」たちが酒を目当てに居座るなど当たり前の光景でした。
まるで祭り。
日本の選挙風景はまさに「無形文化財」。
選挙カーが通り過ぎると猫が恋歌を唸ってました。

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2023年4月10日
「ヤバイ」がヤバイぞ若者よ!
「ヤバイ」と言うのはもともと「危ない」と言う意味です。
が、この言葉が巷で流通したのがほぼ20年前。たぶん「SMAP」全盛期時代のころだと思います。
今では何事かあると「ヤバイ」の連発が当たり前になりました。
美味いものを食べても、美しい風景を見ても、衝撃的なものに出会っても、つまり「心の動揺」を言葉にできなくて一緒くたに「ヤバイ」で済ませている。
この言葉が社会に浸透し始めた頃、あるラーメン店の主人が店の前にこういう張り紙をしました。
「このラーメンを食べて<ヤバイ>と言う人は店に入らないで」と。
「なかなかやるじゃん」と私は密かに喝采したものです。
何かを伝える、それも分かりやすく伝える、感じたことを、感動したことを伝える、これは言うまでもなく大切なコミニケーションです。
「文化・文明が進むと人間は言葉を省略する」と昔、読んだことがあります。
この「ヤバイ」もそうと言えばそうとも言える。
それがたんに言葉のファッションだとしても、はっきり言えば「ボキャブラリーの低下」にほかなりません。。
英語でよく耳にする「オーマイガット!」「オージーゼス!」。
日本ではそれを「ヤバイ」と言う、なんて注釈をつけたらアメリカ人からひんしゅくを買ったりして・・・・・。
若者が将来、例えばプレゼンテーションする場合、
「この風景はとてもヤバイんです。ここにリゾートホテルを作ったとしたら、チョーヤバクないですか?」なんて・・・それが通用する時代もマア面白いが・・・。
「ヤバイ」も結構でしょう。
しかし、なんで「ヤバイ」のか少しでも考える「力」を養うことも忘れてほしくないものです。
ですから若者よ、年寄りから申したい。
「今の日本!、チョーヤバクない?」
一度、言いたかった・・・・・(スッキリ)。

林の小径
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2023年3月30日
27日の日、大島のマンションから近所の深川・仙台堀の桜並木を家族で散歩しました。
義母の静江先生を車椅子で押し、孫のRちゃんも一緒に、実に楽しい幸せなひとときでした。
帰り道、あまりにはしゃいでママに叱られたRちゃんは、泣きながらトボトボと私の前を歩いています。
ママの裾を左手で掴み、右手の袖で涙を拭きながら・・・・・・・・・・・・。
私はそれを見て笑ってしまいました。
数日前に何かで読んだ記事を思い出したからです。
「老人の認知症を防ぐ3つの言葉」というのがありました。
「怒らない 叱らない 否定しない」がそれです。
その時、私が目にしたのは「怒られ、叱られ、否定され(行動に対して)」のRちゃん姿でした。
老人のそれに対してまさに真逆。
それで思わず笑ってしまったのです。
「まさに進化のまっ真っ最中なんだ」と。
春は、若い人にとってそれぞれの世界に旅立つ時期でもあります。
親戚の子にお祝いに手紙を書いていて「これからいろいろ大変なこともあるだろうけれど<ガ ン バッ テ>と書こうとしましたが、
手が止まりました。
若い人に<ガンバッテ>は不要なのです。
「重力に逆らって生きるのが若さの証」なのですから。
そして人は歳を取るごとに重力に逆らうのに疲れてくる。
むしろ<ガンバッテ>という言葉は私たち「老境(ろうきょう)」の域に生きる人間にこそふさわしい言葉なのです。
「電車で空いている席に目がいく、横になった方が楽だ」というように「次第に重力に従う」ようになるのです。
そうすると足腰が衰える。
ですから老境にこそ<ガンバッテ>は言いあてはまるのでは、と。
さてと、今日もこれから<ガンバッテ>歩いてくるか!

3.29 散歩途中で毎日のように語りかけている「桜子」の勇姿。
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2023年3月20日
今年も咲いたヨ 桜が咲いた。

上の写真のように桜は下に向かって咲きます。
ご存じでしたか?
江戸の小咄(こばなし)にこういったものがあります。
「桜はなんで下を向いて咲くんだろうネエ〜」
「そりゃ〜オメエ〜、皆んなが上を向いて歩くから、桜の花も一年ぶりの
おでましダ〜、コンチ、って挨拶してるんじゃね〜か」
人が笑顔で桜を見上げ、桜もそれに微笑み返しをする、和気そのもの、
まさに春の風景です。
今から二十五年ほど前に、母と母の妹、ワタシとで中国湖南省市長沙市を旅したことがありました。
目的は、昭和17年戦争二年目の年に19歳で戦死した母の長兄の終焉の場所を探し、そこに詣でるためでした。
戦死通知に添えられた上官の「黒で大部分塗りつぶされた手紙」をもとにした旅でした。
そこには「常徳市西10km、◯○山にて勇敢に戦い戦死されました」とありました。
それだけの手がかりを元に長沙市西北にある常徳市に行き、そこで地元の人の話を頼りに、やっとそれらしい場所を探し出しました。
戦争中、激戦があったと伝えられる小高い山は、今は平和公園になっていました。
そこで一体何人の人間が戦い、死んだことでしょう。
そしてそこには数えきれないほどの桜の木が植えられていました。
まだ私の背丈にも満たない桜の木々。
生前、桜の時期を迎えると母は遠くに目をやりいつもこう言ってました。
「あの山の桜、咲いたらきっと見事だろうね」
この時期になると母の言葉とあの山肌を覆う桜の木を思い出します。
桜の開花の時期ともなれば、きっと近隣の人々が大勢集まり賑わい、笑い声も絶えないことでしょう。
人々が桜を見上げるそのすがたを、もの言わぬ桜は今の時代を、今の世の中をどう見ているのでしょう。

家の近くでウグイスが啼いています。
2023年3月10日
急に春めいてきました。
散歩をすると汗ばむほどです。
このところ机の上での仕事ばかりでしたので「目はショボショボ、肩や腰はギャクギャク」、それは明らかに加齢ということなのでしょう。
しかし自身はそれほどの自覚症状はないのです。
見栄ではなくてホントニ・・・・・・。
ただ数日家に籠りきりになって、久々に歩くと「足が重い」感はいなめません。
「それが歳ですよ・・・」という声があちらこちらから聞こえてきそうです。
以前、こんな話を聞いたことがあります。
懸垂(ケンスイ)するときに、黙々と必死に耐えて懸垂する人と、
「ああ!もうダメだ!ダメダ!キツイ、ハアー、ヨイショ!」などと声を出す人と、
どちらが長く懸垂してられるか、というと「声を出す」人の方が長続きするのだそうです。
さて、私の場合、「ア〜もう歳だ、疲れた〜、やってられねえよ」などと声に出せばもしかして、永く、今の状態でいられたりして・・・・・・?
そんなことはないでしょうけれど、
しかし声に出すと加齢が加速してしまうのでは・・・・なんてこともないでしょうけど。
本当に難しい年頃になりました。

まもなくこのテラスでビアガーデンするのが待ち遠しい。
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2023年3月1日
遅ればせながら私は最近、PayPayを導入しました。
本当に不思議な時代になったと思います。
もともと、私はポイントカードなどどちらかというと面倒で、放ったらかしだったのですが、よく知るとなんとも面妖なものです。
海外に行くとチップは当たり前です。
海外でのそういう習慣になれなかった当初は、ずいぶん戸惑ったものです。
日本ではその逆です。
歩いてもポイントが増えるというのですから・・・・・。
日本のそういうシステムはいずれ海外に波及するものでしょうか。
海外ではなかなか受け入れ難いのではと思うのですが、
これまで常識とされていた事柄がいろいろくつがえる時代ですから、さてさて今後の動静やいかに。
鳩山では梅が咲き出しました。
桜もまもなく咲く準備を着々としています。
蕾は天を仰いでいます。どの木の枝の蕾もそうです。みながそうです。
しかし人間だけが違います。
自分勝手に理屈をつけ「あっちを向き、こっちを向き、時には下を這いずって」います。
みな太陽を讃え、生命を讃えているのです。
今の時期、私は木々のそういう姿を見て、木々にならってひとり天に向かって背伸びします。

昨日、散歩の途中で。
前回の「なぞなぞ」の正解は「リスク」です。
メールを寄せて下さった皆さんありがとうございました。
メールを下さった方全員に御礼のメールを差し上げたところです。
2023年2月20日
私は普段は埼玉・鳩山に独居していますが、月に2、3度、江東区のマンションに滞在します。
鳩山の家は天気の良い日は陽射しを受けてまるでサンルームのようです、が、なにせ一軒家なので、朝夕は冷えます。
その点、マンションというのは気密性があり快適なものですね。
先日、穏やかなある日、義母の静江先生と妻と3人でお茶をしてました。
その時、ふとあるプリントが目にとまりました。
静江先生が通うディサービスで配られたそのプリントにはいくつもの「なぞなぞ」がありました。
しばしそれで話に花が咲きました。
「おじいちゃんとする球技は?」・・・・・・・・・「ウ〜ン」・・・・・・
私はすぐにわかりました。(答えは最後「1」・・・・)
「1日に2回あるのに、一年に1回しかないという不思議なものがあるという、それは一体?」
これには皆で「ウ〜ン」・・・・・・。答えを見つけたのは蕗さんです。
答えは「2」。
またこういうものもありました。
「ベテラン俳優と新人俳優がお茶をしてました。さて二人のうち茶柱が立ったのはどっち?」・・・・・お分かりになるでしょうか。
蕗さんと私が「ウ〜ン」と考えている時、静江先生が「茶柱は縁起が良いよね」と。
それで答えがわかりました。答えは「3」。
これは難問でした。
「ある県に住んでいる人はハンガーを決して使わないというその県とは?」
・・・・「ウ〜ン」・・・・・・。
いくら考えても分かりません。
静江先生が「まさか服を着ない県」ということ?
これが大きなヒントになりました。答えは「4」。
「なぞなぞ」の問題には必ずヒントが隠されているものです。
例えば
「たくさんこぼしても減らないものとは?」
ヒント→こぼす・・・というと「水?」・・・他には?(答え「5」)
「どこに就職してもすぐにクビになってしまう虫は?」
ヒントは「クビ」です。「クビ」を他の言葉に置き換えると?(答え「6」)
その日、鳩山に帰りましたが蕗さんから「薬を置き忘れたのね」と、帰りの車中にメールが入りました。
そこで電車の中で私なりに「なぞなぞ」を作り返信しました。
「薬は良い効果を得られることもあれば、反対に、悪く作用することがあります。これをなんという?」
この答えは次回の更新の時に・・・。ヒントは「反対」という言葉。
分かった方はこちらへ→
正解でもご褒美はありません。あしからず。
久しぶりに「なぞなぞ」をして思ったことがあります。
何かに囚われると(先入観、思い込み)答えが見えないものです。
でもよくよく見るとその中に答えが隠れているものなのですね。
般若心経で「心無ケイ礙(シンムーケーゲ) 無ケイ礙故 (ムーケーゲーコ)無有恐怖(ムーウークーフ)遠離一切顛倒夢想(オンリイッサイテンドウムソウ)
・・・・というところがあります。
「ケイ」という字は“罫”(「けいせん」の「けい」ですが、正式には「ト」がありません)「魚を取る時の<カゴ>」の意味です。
つまり「心が囚われると物事を反対に見たり、夢想したりするものだ」と言っています。
久しぶりに「なぞなぞ」で楽しみました。
良い頭の体操になります。
それにしても間もなく96歳になる静江先生の機知にはつくづく関心!

「1」ソフトボール=祖父とボール
「2」チ=イチニチ イチネン
「3」ベテラン俳優=縁起がいい=演技がいい
「4」福岡県=服を掛けん
「5」愚痴
「6」解雇=蚕
2023年2月10日
私が生きた時代はきっと後になってから、日本で一番いい時代だったと言われるかもしれません。
子供の頃の記憶にある街並みはまだ戦後の名残があり、みなどの家も貧しく、質素な暮らしぶりで、それこそ昭和レトロの世界でした。
子供時代の誕生日のプレゼントといえば、長靴、だったり傘だったり、筆箱だったり、
いわゆる必需品が主で、小学校5年になって野球のグローブを買ってもらった時は狂喜したことを覚えています。
高度成長期の中で育ち、世間、社会は活気があり、みな前を向いて生きていたように思います。
たしかにどの時代も競争があり、人の争いや、事件、事故などさまざまな出来事は人間の社会ですから当然あったものの、
金子みすゞの詩にある「このみちの先には なにか なにか あろうよ」(「このみち」より)の世界でした。
日本人の食文化を研究する学者の言うことには、縄文遺跡などで発見された「糞(ふん)」を調べると、
縄文時代から戦前までの日本人の食事はあまり変わらなかった、ということです。これは驚きです。
私は相変わらず縄文時代に関心を持っていますが、ほぼ一万年の間、戦争の形跡、武器らしいもの、
人骨にしてもそれらしいものは傷を負った骨は(あってもほんのわずかな例)ないに等しい、ということでした。
これはどういう意味なのか、その示唆するところを私たちは考えなくてはならないような気がします。
私のように「古い人間の感傷」と言われたらその通りなのですが、
ふとそんなことを考えながら、春を間近にした散歩道の道端の草花を見、歩いたりしています。

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2023年1月30日
北国の方々には此の度の寒波で、さぞや雪や寒さでご苦労なさったことでしょう。
お見舞いを申し上げます。
関東は寒いと言っても比較的穏やかな日が続いています。
私はTVはあまり観ませんが、ニュースはよく見ます。
世の中、相変わらず悲惨な事故や事件が相次いでいます。
犯人逮捕の映像を見るにつけ、私は容疑者の名前につい目が行ってしまいます。
「きっとこの人が生まれた時、皆、喜こび期待して名前を付けたのだろう」と・・・・・。
名前をみるととても立派な名前もありその度に悲しい思いに囚われます。
名前には親の子に対する思いが詰まっています。
「立派な人間になり、幸せな人生を送れるように」という願いが込められているはずです。
それなのに「こんなことをして・・・・・」と、これを観て親はどんなにか悲しんでいることか、と思ってしまうのです。
日本人の名はほとんど漢字です。
漢字には意味があります。字には「言霊(ことだま)」があります。
言葉の持つ力、というのでしょうか、意味があるのです。
私は漢字が好きなものですから、いつも人の名前に興味を持ってしまいます。
ちなみに私は「憲夫」。憲法記念日に生まれたものですからただ単にそれを用いたようです。
私はずーっと「味気ないナ〜」と思っておりました。
しかし、よくよく調べてみると「憲」という字は「正しいことを行う」という意味があるのです。
さらに「鈴木」などは「人混みに向かって<鈴木さ〜ん>といえば何人かは振り返る」という姓です。
ですが「鈴木」は結構縁起の良い「姓」だと解(わ)かりました。
神に奉納する「舞い」には「鈴」を用います。
「鈴」の元々の象形文字は楽器の「鈴」をかたどったものです。
「鈴」は神を喜ばすための道具なのです。
そして「木」は神へのご神託、また「神」が降りてくるモノです。
正月などに玄関に「松の木」を飾りますが、それは名残です。(これは私の解釈で、鈴木の姓の由来には多説あります)
他にもたくさん調べました。
「佐藤」さんは「藤」=尊い立場の人=を「佐」=たすける=という意味。
「伊藤」さんの「伊」も=たすける=という意味があります。
「高橋」さんは「橋」が「高」ければ安全・安定を意味します。
「田中」さんは「田」の「中」にあることで豊穣を意味し、
「斉藤」さんは「藤」=尊い、また幸せを=「斉」=もたらす=ということになります。
「斉」はもともと「齎」と書きます。
これらの例は日本でも多い姓です。
つまり縁起が良い「姓」な訳ですから、多いのもうなずけるというものです。
自分の名前を見て、自分にどういう期待・願いを持ってその名前が付けられたか、改めて親の思いを知ることでしょう。
たまに自分の「名」をとくとご覧になるのも楽しいものですよ。
1月29日撮影
いつもの散歩道にある桜の木、名付けて「桜子」(手前の木)。ここを通る度に私は「桜子」に声をかけます。
昨日声をかけたのは「もうすぐ出番だよ」
2023年1月20日
比較的穏やかな日和が続いています。
今年も多くの年賀状のやりとりがありました。
昔作った俳句に「賀状にて繋ぎとどめし縁もあり」
などと下手くそな句を詠んだことがあります。
一度しかお会いしていないのに何十年にも亘る交誼が続いたり、本当にさまざまな多くのご縁があるものだ、と、改めて思う時期です。
そしてそれぞれの人生と何らかの形で関わることの不思議を思うものです。
以前、「般若心経」
(お経そのものをテキストして)を作曲した時に、それこそいろいろなご縁から「縁」についてお話をしたことがありました。
それもお寺でしたこともあります。
その人とのご縁を知る「呪文」のようなものがあります。
「おかげさま」という言葉です。
お世話になった方やご恩を受けた人にはしぜんと「おせわさま」また「おかげさま」という言葉が出ます。
しかし「そうでない人」。
つまり「意地悪をされたり」「いじめられたり」と、良い印象を持たない人というのは誰にしもあるものです。
ですがそこでその人を頭に描いてその人に向かって「おかげさま」という言葉を発してみるとします。
そうすると不思議なものです。
「あの人のことで苦労したおかげで、随分と考えさせられ、勉強になった」などと思えるものです。
それこそがその人との「縁」を知る「呪文」と言うわけです。
ぜひお試しあれ。
早いものでもう1月の半ばを過ぎました。
比較的良い気候なので嬉しいですが、これから寒さも厳しくなることでしょう。
どうか身の回りの所作にご注意あって、御身お大切になさってください。
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2023年1月10日
明けましておめでとうございます。

皆さま明けましておめでとうございます。
新年早々国際音楽交流協会(IGMEA)の丸尾直史さんより嬉しい便りをいただきました。
暮れにウィーン、ザルツブルグへと高校生で編成された吹奏楽のツアーを無事に大成功裡に了えて帰国されたそうです。
久しぶりのウィーンでの海外公演の成功。
ようやく海外公演の扉が開かれた、という実感を得、私も嬉しくなりました。
丸尾さんによるとウィーンは以前のような賑わいだったそうですが、日本人はほとんど見なかったとのこと。
日本と海外の事情の落差に改めて驚きもし、日本人の国民性、さらに日本人の感性から、さもあらん、という感じもします。
以前にここでご紹介したかもしれませんが、国民性を表すジョークがあります。
沈没しかかっている豪華客船で船長が各国の人を飛び込ませるために放った言葉。
アメリカ人には<飛び込めば英雄ですよ>
イギリス人には<紳士はこういう時に飛び込みます>
ドイツ人には<飛び込むのが規則です>
フランス人には<飛び込まないでください>
そして日本人にはこう言ったそうです。
<みんな飛び込んでいますよ>
ジョークと言いながら笑うに笑えないものがあります。
私は1953年生まれですから今年で古稀になります。
ペリー来航がその100年前の1853年。
時の流れの不思議を思い、知らず知らずの内にいつの間にかこんなに生きた、という気もしないでもありません。
今年もさまざまな催しに関わることになるでしょう。
自身が楽しみ、またそのイヴェントを成功に導くように励むのはもちろんですが、
最近は「多くの人にとりそれが喜びになり、幸せにつながるように」という思いが一層と増してきています。
たくさんの喜びが
心嬉しいことがありますように
本年も宜しくお願い申し上げます。
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