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「HP通信3」は08年1月より再開しました。 「HP通信1→2005年」 「HP通信2→2006年」 「HP通信3→2008年」 「HP通信4→2009年」 「HP通信5→2010年」 「HP通信6→2011年」 「HP通信7→2012年」 |
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HP通信NO.344/ 2013.12.21
12月のはじめから2週間近く仙台/利府に居りました。 こんなに永く利府に滞在したのは初めてのことです。 毎日、歩いてばかりいました。 普段からそうですが、よほどの悪天候でなければ一日に1万歩は普通に歩いています。 利府でもいろいろな散歩コースを開拓したりしていました。 利府には月の内、およそ3分の1は行っておりますので、病院も利府町近くの塩釜市のS病院に通うようにしました。 |
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HP通信NO.343/ 2013.12.3 今年一年を振り返る時期となりました。 それにこれから年賀状の準備も・・・・・・。 暮れからお正月にかけてどこか温泉でも行こうか、と、母と毎年のごとく話していながら いつも近場の松島のホテルへ。 「今年はどこか違うところに行きたいね」とまたぞろ母が言い出していますが、さてさて今年はどうなりますやら。 仙台/利府には只今叔母が週末をのぞいて母と一緒に住んでくれています。 父が認知と持病の治療で施設に入っているものですから、一人でいる母をみかねてのことです。 明るくて元気な叔母のお陰で、母は心身ともに元気でいます。 叔母の様子をみていると「幸せ現役だナ〜」とつくづく思うのです。 いつも何か小さなトラブルを抱えています。 孫の学校でのことだったり塾のことだったり、とにかく、「現役で頭痛」を起こしています。 これまでは「子供」のことや「連れ合いの病気と死」、そして「姑女」のこと、今は「孫」。 本当に頭痛の種はエンドレスです。 きっと多くの皆さんもそうなのでしょう。次から次へと問題が湧いてくるものなのですね。 それからすると我が家は静かなものです。 問題を起こすほどの元気は私にはありませんし、 とはいうものの母親というのは次から次へと「心配の種」を作るのが仕事のようで、 今更ながらですが「へきへきとして呆れる」ことばかりです。 先日も「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」と、母が。 つい「ハハ〜ン」?とワタシ。 これから何か言われたらこれにします。「ハハ〜ン?」つまり「母〜ン?」と。 今年は珍しく外を出歩く用事もほぼ終わりましたので、しばらく利府に滞在して仕事をしようかと思っています。 コールベルもほんの少しの間、お休みをいただきました。 しかし気になるのは留守宅の留守電、ファックス、郵便物や宅配物など。 それとHPの更新です。更新はPCの事情で鳩山でしか出来ないのです。 今、いろいろその手だてを考えているところですが、「今月のこれからの更新は20日前後」になる見込みです。 しばし更新の間隔が不定期になりますが、どうかご理解をいただきたくお願い申し上げます。 利府では母が洗濯オバサンやってくれますし、料理は叔母の得意分野。掃除はお手伝いさんがやってくます。 ですから私は家事から一切解放されて「楽」です。 締め切りは目下のところほんの少し先。 しかしあまりノンビリしていると「すぐ目の前」に「締め切り」はやってくるものなのです。 よくよく油断のないように、と今から気を引き締めているところです。 年の瀬の何かと慌ただしい時期、 どうか皆さまにはお身体ご慈愛に加えて、事故などにお気をつけ下さい。 上で書きましたように、しばしHPの更新に間を空けますのでご了解下さいますようお願い申し上げます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <ローマ法王謁見の間にてコンサート決定> 来年のコトを言うとオニが笑うと申しますが、下記のようにバチカンでのコンサートが決定しました。 曲目は「マザーテレサ 愛のことば」「アヴェ・マリア」など。 サン・ピエトロ大寺院でのコンサートも決まっているので、伴奏はパイプオルガンで、と思っているところです。 日時は未定ですが、もう少しするとはっきりすると思います。まずはお知らせまで。 |
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HP通信NO.342/ 2013.11.23
「鈴木憲夫の世界」(11月16日/京都コンサートホール大ホール)は無事、大盛会で終わりました。 本番前日のリハーサル風景。 指揮:箸尾哲男先生、合唱は箸尾先生傘下の6団体他に、京都産業大学合唱団「ニポポ」、おうみ少年少女合唱団、 諏訪市、福井市、鹿児島市、高松市、千葉市、から集まった有志の皆さま総勢約300名。 オケは「永久ニ」のために編成された約50名の皆さん。 ステージは第一ステージ・混声合唱曲集より「朝に」から始まりました。 合同演奏ですからとにかく大勢の皆さんで、最初から圧巻のステージでした。 短い曲ですが、とてもまとまりのある演奏でした。指揮は箸尾哲男先生。 第二ステージは「楽園」。 京都産業大学混声合唱団ニポポの演奏、指揮は田末勝志先生。 かつて20年以上も前になりますが、ニポポさんのお招きで京都で「祈祷天頌」を聴いたことがありました。 こうして脈々とご縁が続いていることは嬉しいことです。「永久ニ」の次の作品に当たるのがこの「楽園」。 これらの曲が並んでプログラムに乗るとは、滅多にないことだと思われます。 ニポポでは私の作品を度々取り上げて下さっているようで、「楽園」の演奏も学生の皆さんの若い魂が躍動していました。 第三ステージは「みすゞこのみち」、おうみ少年少女合唱団の皆さんの演奏で指揮は西田かおり先生。 そもそも児童合唱のために書かれた作品ですので、子供たちの声で「パーッ」と花が咲いたように会場が彩りました。 第四ステージは女声合唱のステージ。 はじめに「今が美しい」を私が指揮し、次に「般若心経」を箸尾先生が指揮されました。 とても良い演奏でした。合同で練習も大変だったろうに、と思いましたが、「般若心経」など全員暗譜で驚きました。 そして最後のステージが「永久ニ」。 オーケストラの音が鳴る瞬間というのは、いつもながらゾクゾクするものです。 20代、30代の頃はオケ(オーケストラの略称)のことだけが頭にありました。 合唱を頻繁に作曲するようになってからはオケから次第に遠のくようになってきました。 指揮も以前はオケの指揮をよくやっていたものです。 指揮の師匠の「山田一雄先生」のカバン持ちをやったくらいです。 Beethovenの交響曲をはじめ、たくさんの曲を指揮してきました。 とても勉強になりました。そして楽しかったです。 私はそもそもヴァイオリン出身ですので、オケとの縁は深いのです。 今回「永久ニ」のオーケストレーションをするに当たって、 初めからスンナリと五線譜に立ち向かえたわけではありませんでした。 合唱とピアノというスタイルで既に「この曲」は完成しているものですから、 オケの音がなかなか頭の中で響いてはくれませんでした。 オケの音を書き始めたのは8月の中旬、脳梗塞で入院した病室でのこと。 そして全曲の完成は10月20日。 その間、私の内でオケ版の「永久ニ」がずーっと鳴り続けていました。 結局鳴った音は、私の考えていた音と寸分違わない響きで聴こえました。 これも作者として嬉しく、心地よさを越えた「大満足」の瞬間です。 演奏も素晴らしいものでした。 壮大な「永久ニ」を聴かせてもらいました。 箸尾先生はじめ委員の方々、そして合唱で参加された皆さまに改めて心から感謝する次第です。 箸尾先生と、千葉から参加されたコールベルの皆さんと一緒に。 パーテイには約200名の方が参加。皆さんの多くとは旧知の間柄で、あちらこちらとおしゃべりも大忙しでした。 写真をすべてここにご紹介できずに失礼いたします。 京都産業大学の合唱団ニポポの皆さんと。私の隣が箸尾先生、そのお隣が指揮者の田末勝志先生。 私たちとは別な会場で盛り上がっていました。 皆さんの多くは私の作品にこれまでいくつか触れて、その熱い想いを次々と語ってくれました。 こういう若い人たちの「心に」「魂に」私の作品が息づいていることを思うと、 自分の仕事もまんざらではない、と思える瞬間です。 今回、愛媛県から「坂村真民記念館の館長:西澤孝一様ご夫妻(ご夫人は坂村真民さんのご三女です)」もお出かけ下さいました。 (あいにくご夫妻とのツーショットは取り忘れました) アンコールではオケをバックに会場の皆さんと一緒に「二度とない人生だから」を歌いました。 来年、記念館で「二度とない人生だから」を歌おう!という気運が盛り上がり、さてさて楽しみがまた増えました。 遅くまで、賑やかなで華やいだ宴会となりました。 今回は京都にはこの演奏会のためだけに行ったようなもので、ほぼトンボ帰り。 京都は観光シーズンまっただ中ですので、どこもかしこも人で一杯。 今度、静かなときに「来ようっ!」と思って京都を後にしたのでした。 今回少し風邪気味での京都でしたので、鳩山で休養を取りながら、いろいろと考え事をしつつ毎日散策していました。 来年のバチカン公演のこと、今かかっている仕事のこと、それに何より次作のこと。 やはり京都でのたくさんの思い出が、新しい作品を作り出す上で大きな励みになります。 その新作の指揮者、合唱団のメンバーも今回京都に来てくれました。 いつもながら、まだ「霧の中」にいる身としては皆さんとお会いするにはまだまだ「肩身」が狭い思いです。 ここ1週間は本当に天気の良い散策日和が続きました。 来週は仙台です。 仙台もきっと朝夕は寒いことでしょう。 私の風邪はほんとに軽いもので、今は普段通りの生活ですが、そもそもちょっとした油断からでした。 どうか皆さま身体を冷やさぬようご慈愛下さい。 今回の更新は京都での演奏会のご報告まで。 |
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HP通信NO.341/ 2013.11.14
11月10日は市川市合唱祭に「コールベル」と出演してきました。 曲は女声合唱組曲「ラブ・ストーリー」より「昼の月」と「ネコ物語」。 その夜は久しぶりに皆さんと打ち上げをご一緒しました。 もちろん酒もいただきました。以前は毎日のように飲んでいた酒ですが、今はたまさか飲む酒です。 そのせいか前と比べて酒量が減りました。少しの量でも酔いが回ります。 「底なし」とまではいきませんが、もともと量はかなりイケる方でした。 ですが、身体のスイッチはほどほどの酒量へと切り替わったようです。 先夜は久しぶりに皆さんと酒を飲み、いくつかダジャレを連発しました。 |
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HP通信NO.340/ 2013.11.4
秋の空の下、深呼吸をすると空を丸ごと飲み込んだ気になります。 家にいる時は相変わらず日に1万歩以上は歩いています。 仙台/利府でも歩いてはいるのですが、田舎なのに歩く場所は車通りのかたわらの道。 鳩山では林の中や、深い緑の道をいつも歩いていますので、景色も音も違います。 ドングリの落ちる音が聞こえます。それが結構大きい音なのです。 秋の色というのはあっという間に染まるものですね。 1日から横須賀市にお邪魔していました。 ここ5年間続けて招(よ)んで頂いています。 会長の山田茂雄先生はじめ委員の方々の和やかで心温かな交流がいつも楽しみな会です。 2日、3日と56団体の演奏を聴かせていただきました。 会場の前で役員の皆さまと。私の前が会長の山田茂雄先生。看板は毎年、山田先生のお手製。 横須賀ではいつも皆さんと楽しく飲むお店があります。 そのお店は「焼き鳥屋」さんなのですが、今回は違いました。 私が食事に気をつけているという情報を皆さんご存知で、今回は「魚」のおいしいお店へ。 お昼のお弁当までヘルシーなものをご用意下さいました。 嬉しい心遣いに本当に恐縮してしまいました。 その1週間前の10月27日は福島県のいわき市へお邪魔をしてきました。 こちらは<いわき市女声合唱連盟>「女声合唱の祭典」。 8団体参加の皆さんとの合同演奏で「二度とない人生だから」などを指揮、演奏しました。 「いわき市」とのお付き合いも結構古いのです。 いわき市では永年指揮者の石河清先生とご厚誼を頂いています。 今回も懐かしいお顔にたくさん会いました。 上、写真、私の左隣が、いわき市女声合唱連盟の菅野優子先生。 いわき市には当初、仙台から電車で行く予定でした。が、電車は不通、道路も寸断のまま。 普通の災害と違い、放射能ですからいつ復旧するかまったく見通しのつかないまま。 驚きの現実に唖然としました。 地元の方からいろいろお話を伺い、改めて今の現実を思い知る事となりました。 会はそんな暗い影を吹き飛ばし、賑やかに盛り上がり楽しい集いでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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HP通信NO.339/ 2013.10.26 この1週間仙台/利府に行っておりましたので、更新のタイミングが少し遅くなってしまいました。 9月から利府の家に近い塩釜の病院に通うことにしています。 わざわざ新幹線を使って「塩釜の病院まで」とは、たしかにご苦労なことではありますが、 病院によく母を連れて行ったりしていますのでまったく「苦」なことではありません。 父や母がお世話になっている主治医のO先生に今回私までもお世話になっている次第です。 先日、病院で「栄養士」さんと食事についていろいろ話を伺うことができました。 大変勉強になりました。 やはり聞いてみるものですね。 いろいろな疑問も解決。 たとえば「わかめ・こんぶ」また「酢」などをよく食べているのですけど、摂り過ぎということはあるのかなど。 結果的には現段階では他の問題も含め「気にする程ではない」とのことで安心はしましたが、 新たな課題ももらって私なりに「セカンドステージ」へ進んだ、という感じです。 これからまた新メニューに挑戦です。 8月より病院通いが続いています。 「歯科医」「眼科」にもお世話になりました。 自分の身体のことですから「病院」には「お世話になっている」と言うべきなのですが、 「歯科医」では「直ったのでもう通うのはよいかナ」と思っていると 「今度虫歯も治療しましょう」(既に虫歯の治療は受けているのに・・・・)、 「眼科」ではさんざん検査をしたのに「◎◎の怖れもありますからまた検査しておきましょう」・・・・ などどなかなか病院を卒業できません。 言葉は悪いが「病院とは次から次へと病気が生まれて来る場所」といったら 「アンタバチ当たるよ」といわれるかもしれません。 歯科医には「虫歯の治療は一度で済ませて」と言ったらすぐ終わりましたし、 眼科に「しばらく様子をみます」と言ったら「何かあったら連絡下さい」程度で済みました。 更に「悪言」を垂れると、ほんの少しでも「医師に関わると」お金が「飛んで」行きます。 つい最近の経験で「ある検査について」相談(?)をしただけで、3.000円近く支払ったことがありました。 〜自己負担でこれだけですから保健での支払いはこれのおよそ3倍〜 確かに病気で苦しんで医師に助けられている人も多く知っています。 アメリカでは保険制度がないために日本ほど気安く「病院」に行けないようです。 日本の「医療制度」は素晴らしいとも言えるのでしょうが、何とマア周りを見渡すとご高齢の方が多い事か。 病院帰りは「大きなビニール袋に一杯の薬!。」 「お大事に〜」ではなく「毎度ありがとうございます」の方が似合っています。 悪言が多くなってきました。 ここしばらく病院通いが続きましたのでストレス高じてのこととお赦し下さい。 事実「禁煙外来」へは2度ほど行きましたが、担当の医師と話すとストレスが溜まってきて、 喫煙が再発しそうだったので通院を止めました。(禁煙は自力で継続中) 利府にはほぼ1ヶ月ぶりに帰りましたが、私の病院通い、父の病院への見舞い、母の付き添い、 などで毎日のように病院と行き来をしていました。 夜になると寒々と感じる日が多くなりました。 鳩山では既にストーブに火を入れました。 私のコーラスのメンバーからは「何と早い!」と驚かれました 北国生まれの人間は決して寒さに強い訳ではないのです。 ただ「寒さに敏感」なのであります。 台風の話題も最近多いですが、もう少し静かにやってきて、静かに去っていってほしいものです。 そろそろ紅葉のウワサが聞こえる季節です。 11月16日、13:00開場、14:00開演 京都での演奏会のご案内。 この演奏会は京都を中心に活躍されている 箸尾哲男先生の指揮の元に集まった総勢300人の出演による演奏会です。 「永久ニ」はオーケストラ・ヴァージョンです。今回が初演です。 お問い合わせ:中島理恵/090−6063−4132 チケット取り扱い:京都コンサートホールチケットセンター/075−711−3090 |
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HP通信NO.338/ 2013.10.14
秋日和が続いています。 朝起きるとまっさきに「今日はどういうコースで歩こうか」などと考えるくらい 嬉しく楽しみな鳩山の秋の季節になってきました。 5日(土)は「よのコーラス」(指揮:大沼宙子先生)の40周年コンサートがありました。 5月の私の還暦コンサートにも出演して下さいました。 「与野」(現さいたま市中央区)はかつての私の「地元」です。 そこで活躍されている「よのコーラス」の皆さんとはかれこれ30年以上のお付き合い。 これまでに私の女声合唱作品のほとんどを演奏して下さっています。初演も数多くあります。 40周年記念のこの日のコンサートにも私の作品をたくさん取り上げていただきました。
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HP通信NO.337/ 2013.10.4 今年の異常気象で「秋」はどうなのかしらと思っていましたが、今のところ、いたって静かな秋の日が続いています。 散歩をしながら秋の気配を楽しんでいます。 これは私の食事です。 上の4品、パック入りのものは近くのスーパーで仕入れたお惣菜です。 1パックのものを大体4回くらいに分けて食べます。 上から ・れんこんのきんぴら ・おから ・かぼちゃ ・ひじき 二段目 ・とうもろこし/あずき ・ミニトマト2ケ/ぶどう(5粒) ・ニラと小松菜のおひだしと玉ねぎスライス(レモン汁) ・わかめ/おくら=酢の物 手前 ・ご飯(大体150g) ・きのこと豚肉、こんにゃくの中華風 ・人参、ブロッコリーの茹でたもの(マヨネーズで) 以上が毎食のように食べているものです、が、日々試行錯誤の繰り返し。少しずつ内容も変わってきています。 例えば、これではちょっと食べ過ぎかな〜と、量を少なめにしたり。それに朝はこれに牛乳が入ります。 酢の物類やとうもろこし類は一日一回にするとか、一日に摂る栄養を2.3回に分けたりバランスを考えているところです。 カロリーを単に低くする食事は簡単です。 初めはとにかく全てに控えめでした。 上の写真をご覧になると何と豪勢な健康食かと思われると思います。 「食物繊維」「ミネラル」「タンパク質」「ビタミン」などとちょっと興味を持って考え始めると、上のように いつの間にかおかずの品数が増えていってしまいました。 今度、栄養士さんと相談の予約を取ってあります。 「自分流」というのは「決して良くない」ということを身に沁みていますので、 今度きちんと相談して参ります。 食事はどの人も毎日します。 しかしどうでしょう、毎日毎日食事しているのに、案外私たちは食に関しては(栄養に関しては)「素人」なのではないかしら。 毎日食事をしているのに、です。 昔は違ったようですね。 昔の人は食・栄養に関して深い造詣を持っていたことが伺われます。 「○○」は身体にいい、とか、「○○」は滋養がある、とか、それが常識的に言われてきたことがたくさんあります。 今のように科学的な根拠のない時代、人々は経験によって語り継ぎ、脈々と受け継いできたのですね。 例えば「米」、米には多くの栄養分が含まれています。 笑い話ですが、昔、見世物小屋に「命の源」という看板が出て、 興味本位に中を覗いてみると、何と「どんぶりに山盛り」の「ご飯」があったそうです。 まさに「命の源」という訳です。 私が「栄養」に関心を持って食事をしようなどとは思いもよらないことでした。 これまで「自分なりに」健康に気遣った食事ではありましたが、それも大本を知ると知らないとでは大違い。 栄養に関しては「無知」でした。 イヤ、栄養に限ったことではなく、今の時代は情報が溢れてはいるけれど「無知」な時代と言えるかもしれません。 「進化」していると思っているかもしれないけれど「退化」に気付かない時代とも言えます。 それはどの時代も同じことの繰り返しなのでしょう、きっと。 だとすると、人間はもっともっと「退化」する生き物ということになります。 先日「永久ニ」の管弦楽版を脱稿しましたが、このテキストにこうあります(私自身によるテキストです)。 「人が神とともにあった時代〜/人が人しか信じなくなった時代〜星の降る丘で母と子が夜空を見上げていました〜」 様々な時代の中で「母と子が夜空を見上げていました」というストーリーなのですが、 その中で「人が人として地上に生きる意味を悟(し)った時代」と最後に書いています。 どんな時代か、というと「未来」の話です。 今の時代では「人は人として地上に生きる意味」を「悟(しっ)ていない」からです。。 「食・栄養」の話から取り留めのない話になりました。 只今の食事について、今度きちんと栄養士さんとご相談をして私なりのレポートをここに記すかもしれません。 おいしく、楽しく健康的な食事とはいかなるものや・・・・興味は当分続きそうです。 上でちょっと記しましたが、11月京都のコンサートで初演する「永久ニ」のオーケストラ版が完成しました。 「永久ニ」の世界がオーケストラになりました。 お近くの方、ぜひともお出かけ下さいますよう。 11月16日、13:00開場、14:00開演 京都での演奏会のご案内。 この演奏会は京都を中心に活躍されている 箸尾哲男先生の指揮の元に集まった総勢300人の出演による演奏会です。 「永久ニ」はオーケストラ・ヴァージョンです。今回が初演です。 お問い合わせ:中島理恵/090−6063−4132 チケット取り扱い:京都コンサートホールチケットセンター/075−711−3090 |
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HP通信NO.336/ 2013.9.24
11月16日、13:00開場、14:00開演 京都での演奏会のご案内。 この演奏会は京都を中心に活躍されている 箸尾哲男先生の指揮の元に集まった総勢300人の出演による演奏会です。 「永久ニ」はオーケストラ・ヴァージョンです。今回が初演です。 お問い合わせ:中島理恵/090−6063−4132 チケット取り扱い:京都コンサートホールチケットセンター/075−711−3090 先日は久しぶりの仙台/利府でした。 上でご案内したコンサートのためのオーケストラ編曲もかなり形になってきました。 あともう少しすると箸尾先生にバトンタッチです。 仙台では母や叔母が、久しぶりの私を見て「随分スマートになったわね」と言っていました。 ほぼ一ヶ月半で7Kgは減ったことになりますので、たしかに少しはスマートになりました。 私の食事を見て「食事の好みも変わったみたい」とも感想を言っておりました。 以前は「酢の物」など口にしなかったものですが、最近は好んで「酢の物」を食べます。 それこそ「酢好き」・・・・・・・・やっと遅まきながら「スズキ」になった次第でアリマス。 食事制限でさぞかし「食べたいものも食べれず」我慢の日々だとお思いでしょうが、本人はさほど「苦」にはしていません。 むしろ粗食を楽しんでおります。 食事というのはたしかに「食べたいものを美味しく」食べて然るべきですが、一方こうも言えると思うのです。 「食べる」とは「身体に食べさせる」ものだと。 アタマで考えるから「アレが食べたいコレが食べたい」になるわけです。 私は急に「酢好き」になったわけではありません。 「身体が欲っしているから」(そのような気がするので)自然と酢のものを口にするようになったわけです。 酢以外のものでは「海藻」などを好んで食するようになりました。 栄養に関する本を見ると海藻などにあるミネラルも大切とされています。 また果物も最近食べています。 栄養のバランスを考えると、自然とそのような食べ物が必要となるようです。 ですから「アレが食べたいコレが食べたい」という「アタマ」は何かと邪魔をするものなのですね。 散歩もそうです。「今日は面倒だナ」と思えば「本当に面倒になる。」 けれど足を交互に動かしさえすれば前に進むわけです。 人のアタマというのは、たくさんの選択肢を抱え込んでいるワリに結局、 「自分の都合の良い事ばかり」を優先とするようです。 しかし逆手に取って考えれば「ない」と思えば「ない」と思えるのも人のアタマです。 「○○を食べたい」という気持ちを「ない」ものとすれば、「ない」ものとして済ますことも可能です。 「喰う」の心「空(くう)」に通じる、なぞと言ったら笑われるかもしれませんが、私は真面目にそんなことを考えています。 「般若心経」の一節。「色即是空」「空即是色」。 「色」とは目に見える形のあるもの、実体のあるものです。 「空」とは何もない、実体のないという意味です。 直訳すれば「色即是空」→「目に見える形のあるものは実は何もないということと同じ」 「空即是色」→「何もないとは実は目に見える形のあるものと同じ」。 まるでナゾナゾのような一節です。 文字通りに読み解こうとしたら「?????」・・・です。 アタマで考えようとするから「???」なのです。 「空」という捉え方が厄介ですが、何故「空=そら」という字なのか。そこから考えると誠に面白い。 簡単に解説するとこうです。 <ここに水の入ったコップがあります。時間が経てば蒸発してなくなってしまう。が、インドの人はそうは考えないのです。 水が無くなったのではなく、(蒸発して)空に吸い込まれて行ったのだと考えます。やがて雨となってまたその同じことが繰り返される>。 「質量不変の法則」というインドの思想が根底にあるのです。ですから「輪廻」の考えも出てくる訳です。 つまり「水」が無くなったのでなく、蒸気となりまたやがて雨という実体となって私たちの前に姿を現す、ということです。 そういう考えから「色即是空」「空即是色」を改めて考えてみるのも面白いかもしれません。 「空」という字を当てはめた先人たちの偉大さをつくづく思います。 ですから「アタマ」で分かろうとするのではなく、イメージが大切なのです。 「喰う」「空」の心とは「似て非(あら)ざる」ですが、 「ないと思えば」「ないに等しく」なくとも「在ると思えば」「在るに等しい。」 「○○を食べたい」と思っても、食べる気持ちを無くせば「ない」と同じ。 「ないもの」たとえば美味しいものを想像するだけで「生唾」が出る、それは「在る」と同じです。 食事や酒の制限、また禁煙などをしている身としては、 常々《ないと思えばない!》」と自分に言い聞かせてつつ毎日を過ごしているわけであります。 「喰う」と「空」の心、突拍子もないゴロ合わせのようですが、まんざらでもないかもしれません。 余談ながら私流のコツをお教えしましょう。 「すぐ忘れる事です。」 「○○を食べたい」「タバコが欲しい」と思ったら、すぐに忘れる事。 ですから一日中、忘れる事ばっかりです。
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HP通信NO.335/ 2013.9.15
静かなで穏やかな秋がやってきました。 最近の天候不順でこれから荒れなければよいのですけど・・・・・・。 相変わらず仕事に明け暮れています。 まさしく「仕事に明け暮れている」といった生活です。 午前、午後、夜と、それぞれほぼ2時間程度仕事をし、夕方には1時間の散歩。 夜はTVで天気予報を観る程度で寝てしまう、という生活です。 タバコも吸わず、酒も飲まず(医師から禁止されたわけではなく限度内だったら酒はよいということです)、 こんな健康的な生活はおそらく「子供時代」以来ではないかしら、と思うくらいです。 毎日、仕事ずくめの生活といいながら気晴らしに近くの映画館にもよく行っています。 最近上映の映画を殆ど観ているくらいです。 なにせシニア料金で観られるものですから、尚のこと嬉しいことこの上ない。 よく「無病息災」とか「一病息災」という言葉を聞きますが、 たしかに「無病息災」に越したことはありません、が、「一病息災」とはなかなか意味深な言葉です。 「身体に何か気がかりなことがあって気をつけて生活する」と、無事に過ごせる、というものです。 私など「自称健康」そのものでしたが、こうして一旦病気になってみると、 その「過信」というか「無知」を改めて思い知ったという気がします。 「そういう状況にならないと分からない」というのは人間の常。 サイの目が吉と出れば良いとして、もし裏目に出たら、「一病息災」なんてことは言ってられません。 今回いろいろな事を考え、思いもしました。 注釈:素心=素直なまっすぐな心 自在=在るがままに、ということ 「言葉」というか「語」とは大切なものです。 |
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HP通信NO.334/ 2013.9.5
9月に入り、過ごしやすい日が続いています。 夕方ともなると蝉の声はやみ秋の虫が啼き始めます。 そんな季節になりました。 先日は鹿児島の女声合唱団「Voce Ayame」の練習にお邪魔しました。 結成されてまだ一年の若い合唱団です。 私の向かって右が猪俣先生、左は家村喜代子先生。この合唱団は家村先生の門下生で作られました。 ちなみに皆さん、ピアニスト。ちょっとユニークな合唱団です。 鹿児島では故田丸寛先生のご縁で、たくさんの方と今でもご厚誼を賜っています。 Voce Ayameの指揮者、猪俣裕子先生とも田丸先生を通して旧くからのお付き合いです。 「マザー・テレサ 愛のことば」の指導をしてきました。 鹿児島に着いたのが8月31日。 その夜は猪俣先生をはじめ皆さんと宴会。 最近、酒も止めているので、久々のアルコールとなりました。 禁酒、禁煙、食事節制、それに仕事の締め切りも抱え、ストレス満載の日々の中、 鹿児島で懐かしい顔に会い、一抹の清涼剤となりました。 上で書いたように、今はまるで「絵に描いたような」健康的な生活です。 食事はきちんと(カロリー計算して)摂り、昼は軽くお昼寝、夕方は1時間の散歩。 時々、コンクールの審査などで家を空けますが、家にいるときはホント規則的な生活です。
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HP通信NO.333/ 2013.8.26
前回の更新で「脳梗塞にての入院」のお知らせをしましたら、 たくさんの方々からお見舞いのメール、またお電話などを頂戴しました。 改めて深く御礼を申し上げます。 退院当初にはまだ少し残っていた右半身の軽いしびれも、今は殆ど違和感を感じられないほど回復しました。 お見舞いに寄せられたメールには、皆さまのご家族で経験された様々なことが寄せられたりもしました。 皆さんそれぞれに病気についてはいろいろな経験をされているのですね。 私は只今、食事療法をやっております。 この数年の中で最近、ちょっと体重オーバー気味です。 ある本によれば「肥満は万病の源」と書いてあります。 私なりに日々気を付けてはいたのでしたが、「自分なりに」というのは時に大きな落とし穴になることもあります。 それまでの私は結構「自分なり」に食事に気をつかっておりました。 しかし病院食を食べれば一目瞭然。 内容といい量といい、普段の食事とは歴然の差を見せつけられました。 「私なり」に意外だったことは、ゴハン(米)を毎食、食べる事。 これまで私はゴハンを殆ど食べませんでした。 炭水化物の採り過ぎに注意をしていたほどでした。 が、それは違いました。少量の食事でも、ゴハンを食べると腹持ちが違うことが分かりました。 それでこのところ毎食のようにゴハンを食べているのですが、何と何と体重が下降線になってきました。 最近は体重計に乗るのが楽しみで・・・・・・・。 今はどこに行ってもカロリー表示があり、私のような「素人」でもそこそこのカロリー計算ができます。 ダイエットの方法も多々あるでしょうが、結局、食事療法が一番確実なのでは、と思います。 今私は「栄養士」さんとお友達になりた〜い!デス。 食べたいものをある程度食べて食事療法が出来るなんて、こんな最高なことありません。 制限された食事内容で毎日楽しみながらおいしく頂いています。 「カロリー制限食」の宅配弁当を利用したり、またスーパーからお惣菜を買ってきて(バランス良く)、 それを少量ずつ食べるということもやっています。 結局、今回の病気の件がなければ実践しなかったことです。 他に実践していること。 禁煙外来に通って目下「禁煙中」。 また「酒」は量を守るようにしています。 まさに「健康的な生活」が目の前に待っています。 今月の予定をすべてキャンセルしたことで、目下取り組んでいる「永久ニ」のオーケストレーションも進んでいます。 皆さまには後日ご案内を致しますが、 これは11月16日京都コンサート大ホール(箸尾哲男指揮)で行われるコンサートで初演されるものです。 (その他にも、ほほえみ、二度とない人生だから、もオーケストラ伴奏で演奏されます。) 毎日1時間ほど散歩をしていますが、空を見上げれば秋の雲。 昨夜は珍しく肌寒い日でしたが、秋の虫が啼いていました。 もうすぐ秋が近づいています。 でも最近の気候ですから今年はどんな秋カナ?。 |
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HP通信NO.332/ 2013.8.17 今回は珍しく更新の間が空いてしまいました。 それにはちょいとした理由(わけ)があったのです。 おいおい触れていくことにいたしますが、前回更新した先月29日以降、関西方面、北陸方面と旅続きでした。 北陸は金沢。コンクールの審査でした。 帰宅したのが7日、夜12時も過ぎた頃。 翌8日は比較的ノンビリな日ではありましたが、朝から気のせいか右手・右足にしびれを感じました。 午後になっても治まらないので、日頃お世話になっている近所の医院へと出かけました。 さほどのことはなく「近いうちに検査に行って下さい」と脳神経内科の紹介状をもらってその日は帰りました。 しかし翌日になってもまだしびれ感が残っておりましたので、隣町の東松山市にある脳神経クリニックに向かいました。 MRIで検査をし、その結果、「脳梗塞を起こしている」と医師から言われました。 まだよく内容の飲み込めていない私を傍目に、その医師は即入院の連絡を取っていました。 「脳梗塞」というのは発症してから48時間内の死亡率が高いらしいのです。 現在の症状は軽くても、時間が経つごとに更に悪くなるケースも多いということでした。 即入院と言われても、家の窓は全部開けっ放しで来ているし、誰か病院に駆けつけてくれる人も居るわけでもなし・・・。 入院先の病院の通り道が鳩山の家ということもあって、医師に断りを入れて家に立ち寄ってから車で病院に向かいました。 「埼玉医科大学・国際医療センター」の救急センターへ。 行ってみて驚いたことは、まるで救急車で運ばれたような処遇でした。 救急専門ですので、私のいつも旅道具一式を見て「旅行にでも出かける前だったんですか?」とさえ聞かれました。 早速の点滴。担当医師から改めて現況を知らされ次第に状況が読めてきました。 病院からは緊急の連絡先?などと尋ねられ、<いざという時はヨロシクね>と、旧くからの友人のご家族に連絡をしただけで、 あとは誰にも連絡しませんでした。 母にも黙っていましたが、さすがに予感というか察知したものか、「何故家にいないの?」という再々の問いかけに、 ついに白状をしました。 「埼玉医科大学・国際医療センター」は病院とは思えないほど広々として、まるでショピングモールのような装い。 結局7日間入院をしました。 私には初めての経験でした。これまで病気で入院したことなどありませんでした。 もちろん病院食も初めて。 今年あたり(還暦を期に)人間ドックに入ろうかと思っていたのですけど、今回、こんな機会ではありましたが、 いろいろと検査も受けました。 それによって知らされたことも大分ありました。 そう!まさしく「カミさま」から<厳重注意><イエローカード>をもらったようなものです。 これを以て<運良し>としなければ、バチが当たるというものです。 こういうことにならないと<人は分からない>ものなのですね。 「タバコ」も止めます。「酒」も医師の忠告内にとどめます。(酒はある程度であれば却って精神をリラックスさせる効用もあるとのこと) その他の生活習慣も改めないといけないようです。 病院食を初めて経験したと書きましたが、細々なことはさておき、大きなところで考えさせられることが多くありました。 つまり「独りで生きる」ということはある意味「独りよがり」とも言えるかもしれません。 私なりに「健康に気をつけて」食事をしているつもりではいましたが、案外、中途半端でした。 タバコも「健康に留意して」日に5本以内と決めていましたがそれも中半端でした。(退院した今日、早速禁煙外来の病院を探して予約をしました) 他にもいくつも反省しなければならないことに気付かされました。 入院した当初は状況が状況だっただけに「不安」と「寂しさ」に覆われました。 これまで経験がないことでした。 最初の3日間はドン底気分。 4日目より幾分気力も復活し、病室で仕事をするに至りました。 本日、退院してきたのですが、病院の風景が心の中に刻まれています。 広い病院にはコンビニやスターバックもありました。 その時の私の心の風景までしっかりと刻まれています。 私はその風景を決して忘れないと思います。 余談ですが、私は職業欄には「音楽家」と書きます。 医師や看護士の方々「音楽家」とは珍しい職業なのか、まるで異星人を見るようでした。 それと最新の医療機器に基づくためなのか、働いている人が皆若い人なので驚きました。 今回の事で、身体的にも精神的にも一新した思いです。 病院での経験は私にとって「再生」の機会だったようです。 その思いを込めて、病院の風景を心に刻んで本日退院してきました。 明日、心配する母に顔を見せに仙台に行きます。 突然に驚かせてしまい恐縮でした。 私は今は元通り普通に生活しています。 イヤ、元通りではないですね。 これからの行く先を見つめた新しい自分になったようです。 この1週間でたくさんの経験をしました。 これからも油断のないように生活しますので、どうかご心配のなきように。 突然ながら、ご報告まで。 |
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HP通信NO.330/ 2013.7.29 一気に夏本番かと思えば、梅雨空のような天候が続いたり、猛暑日だったり、急に黒雲が湧いてドシャブリになったり、 はてはて「昔はどうだったっけ」などとつい考えてしまうこの頃です。 選挙も済みました。 鳩山町はその期間中静かでした。殆どといっていいくらい選挙カーは来ませんでした。(そのくらい田舎ということ?) しかし選挙の少し前、党名と個人名を連呼する候補者がいて、それも連日。 あまりにうるさいので町役場に「これは選挙違反なのでは」と電話をすると、町役場の人に逆に尋ねられました。 「選挙に投票して、とか言っていましたか?」 「そういうことは言ってませんでした」と言うと「それは選挙違反ではありません」との答えが返ってきました。 「???????」 告示前に、宣伝カーで党名と候補者の名前を連呼していれば、選挙違反でないと言っても、明らかにルール違反です。 選挙運動中、その候補者の宣伝カーは鳩山には来ることはありませんでした。、が、結局、その候補者は当選したようです。 「最後に笑ったヤツが勝ちさ」とでもいうような、当事者たちのほくそ笑む姿が目に見えるようです。 そういうギリギリの規則を政治家の都合で作り、賢い、というか「こズルイ」というか、 そういう人たちが実際に政治をやっているのですね。 「一事が万事」と言います。 そういう「こズルイ」ことをやって当選をして、これからいったいどんな政治をするのやら・・・・・。 繰り返しますが、そういう人が政治をやっているのです。 「選挙速報」も観ましたが、どの局もそうでしたが、必ずといっていいほど「BGM」が流れていました。 音楽が付いているのです。「音」がないと「間が抜けた」感じがするのでしょうか。 今の時代は若い人たちがテレビ番組を作っていることが、そうしたBGMを多用していることでも分かります。 「速報」まで「BGM入り」とは、と、ため息まじりに、あっちこっちのチャンネルを変えて観ていました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 下の写真ですが、此の度「黄色いキャリーケース」に買い替えました。 赤いケースはもう2.3年になります。 一見、まだ使えそうですが、下の車の部分ネジが壊れて、家にある適当なネジを押し込んで何とか使えるようにしています。 一年のウチ、3/2はあっちこっちに一緒に旅をした愛着のあるものですが、いよいよ新旧交代。 これからこの新キャリーケースで、各地に参ります。 先週も仙台/利府におりました。 利府での天気は毎日低気圧でまだ梅雨です。 東北は今年梅雨が長引いているようで、はやくカラっとした夏空が見たいものです。 日中はさすがに姿を現すことはあまりありませんが、 夕方になるとこうして姿を見せるマノン。 少し痩せたような。 時折でもこうしてマノンに逢える事は嬉しいことです。 本日利府より帰り、明日からまた留守にします。 急に夏日になり、熱中症など皆さまお気をつけ下さい。 |
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HP通信NO.329/ 2013.7.19
暑い毎日ですが、暑さも時折緩やかになったり、急に雲がモコモコと湧いたり、毎日気の抜けない天候続きです。 一昨日は夕方散歩に出かけましたが、急に雲行きが怪しくなり、あっという間に激しい雨。 家を出る時に「もしや」と思って、家中の窓を閉めてから出かけたので安心でしたが、 道路はまるで川のようになっていました。 夕方、天気予報を観ると(関東地方の天気情報)、 「埼玉県の鳩山町で1時間○○ミリの記録的な豪雨がありました」と報じていました。 鳩山町も有名になったものです。 夜は殆ど窓を開けて寝るものですから、天気予報には充分に気を配っています。 15日は宇都宮市民芸術祭 合唱フェステイバルが開催され講師として招かれました。 ただ講評を述べる合唱祭と違い、この日出場した12団体の演奏を聴き、私もステージ上でその演奏の感想を述べたり、 また具体的に指導をするというものです。 最後は私の「二度とない人生だから」を1時間ほど講習をし、全員合唱で幕を閉じました。 参加者の皆さんもとても熱心に、和やかで楽しい、そして笑いの飛び交う会でした。 宇都宮にはご縁を得て何度も訪れており、前夜は独りで駅前周辺の餃子店を食べ歩きました。 宇都宮は全国的にも雷の多いところで知られています。 その折にも急な雨と雷で、しばし餃子店で足止め。 宇都宮名物の餃子と雷を味わいました。 パーテイで会長の荻野久一先生と。 このところ毎夜のように映画(DVD)を観ています。 ゆったりとした革張りの椅子を置いたこともその理由のひとつにあります。 くつろいで映画を観ながら酒を飲む(?酒を飲みながら映画を観る?)、やはり良い椅子ですとリラックス出来ます。 余談ながら酒は適量。程よい量で程よく酔えるようブレンドしてます。 初めはビール、次に酎ハイ、次にワイン2杯ほど、そして最近私の内で流行っている「牛乳割り焼酎」。 いろいろブレンドすることで適度な量で酔えて、翌日の朝は爽快。 昔、一時期、酒の代わりに牛乳を飲んでたことがあります。 それを私は「寝酒」ならず「寝牛乳(ネチチ)」などと称していました。 仲間内では「ネチチ」は大受けでしたが、今はそれを進化させ「ネチチドリンク」と言っています。 さて映画ですが、ただ面白いで終わる映画もあれば、後でいろいろ考えさせられる映画もあります。 先日は「別れ」を考えさせられる映画を観ました。 (その映画は別れがテーマではないかもしれないし、こうしてタイトルを書くと誤解を生むかもしれないので敢えてタイトルは伏せます。) しばし物思いに耽けました。 「さよなら」と言えずに別れた人たちのことを思いました。 「さよなら」を言えずに別れる、というのは寂しいけれど、それが別れるということのホントの悲しさかもしれない、と。 そういう経験はたくさんあります。家内もそうでした。 「さよなら」と言って別れられたら、どんなにか心が軽くなっただろうなどとふと思うのです。 悲しみというのはその一点で、後悔と混じり合うほどに、より深く感じるものなのだと思います。 昔々、私が子供の頃(小学5.6年生)にテレビで観た映画があります。 それは普通の日の日中に民放のテレビで放映していました。(学校から帰って偶然観た映画です。) イタリア映画の「自転車泥棒」という映画です。かなり古い映画です。 今でもはっきり覚えています。 その映画で私は「切なさ」ということを覚えました。 現在だったら大人は子供にそういう映画は「まだ難しい」と言って観せないことでしょう。 しかし、違うのですね。 「切なさ」とか「悲しい」とか「侘しい」その他情緒に関わる様々は感情を、子供というのは正直に学んでいくものだと思います。 昔の教育と今の教育の大きな違いはそういったところにあるかもしれません。 音楽も文学もそうです。 芸術に「子供用」などというジャンルはありません。 「本当のもの」に触れることこそ、子供にとりかけがえのないものだと、大人はもっと思うべきだ、と私は思います。 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に「グロッセ・フーガ(大フーガ)」という曲があります。 これは難曲といっていい曲なのですが、子供の頃、それを聴いて音楽に対する奥深い興味をもったものです。 中学2年の時にヘルマン・ヘッセの「春の嵐(ゲルトルート?)」を読んだ時も、文学に対する深い興味を抱きました。 また絵などに才能などまったくない私ですが、画集を通して、古今東西の名画にも触れました。 映画といい他の芸術といい、子供の頃に抱いた様々は感情は今尚、心の中で消えることはありません。 それは教養ということではありません。 心の奥底に積み重なっていく、いわゆる「ひだ」のようなものです。 上で書いた「自転車泥棒」を観た時のあの「切ない思い」は、当時の私の周りの生活では決して得られないものでした。 その時、世界が違って見えたことを思い出します。 映画というのは良いものですね。 先日観た映画で少しばかり「物思いに耽った」ということも書きましたが、いろいろたくさんのことを思いました。 書けばキリがありませんからまずはこの辺にしておきます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今年も例年ながら、夏の景色になった「アマテラス(我が家のテラスを私はこう呼んでいます。)」 |
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HP通信NO.328/ 2013.7.10 梅雨も終わりました。 鳩山荘で、夕暮れ時佇んでいると毎日のように遠雷が聞こえます。 家の前の林の樹々が風にそよぎ、静かに暮れていきます。 そんな風景が私は大好きです。 7月2日「初蝉」の声を聞きました。 それも「ミ〜ンミ〜ン」という蝉らしい啼き声ではなく「ギ〜イギ〜イ」というどちらかというとぎこちない啼き方でした。 生まれたての蝉の声です。(こんな啼き方だったっけ?と自分で首をかしげるような啼き方でした。) これから蝉の啼き声も本格的になっていくのでしょう。昨年の蝉は比較的静かでした。 毎年違うのですね。今年はさて?どんなだろうと思うと楽しみでもあります。 蝉の声に私は格別な思いがあります。 私の「般若心経のCDブック」をお持ちの方はご存知だと思いますが、般若心経に作曲している時のこと。 蝉の声とともにこの時期になるといつもある思い出が甦ってきます。 般若心経とはご承知の通り「お経」です。そのお経そのものに曲を付けました。 混声合唱曲「般若心経」がそれです。後に、女声、男声版も出来ました。 子供の頃より馴染んだお経ではありますが、お経に作曲するなどそもそも大それたことでした。 今から7年前の夏、この大それた作曲に臨んでいました。 しかし「やはり今の私には無理だったのか」と何度となく挫折を繰り返してもいました。 そんな折、仙台/利府の仕事場の近くの塩竃神社で天啓ともいうべき経験をいたしました。 (以下般若心経CDブックより) 「仕事場から歩いて三十分ほどのところに塩竃神社があります。私の好きな散歩コースです。 木立に覆われ、陽もささないいつもの薄暗い小径に入ったときのことです。 蝉の大群!その凄まじい蝉の啼き声の渦の中で一瞬別世界に迷い込んだような気がしました。 啼かずにはいられないとでもいうように。啼くことでしか己が命の在処(ありか)を証明できない、とでもいうように。 それは読経のようにも、また<叫び>のようにも聞こえました。 その時ふとある言葉が脳裏に響きました。 『人も啼かねば・・・・・・・・・』と。『今の自分で描ける般若心経を書けばよい』と。 蝉は何年も土中に潜伏した後、わずか一週間ほどで命を終えます。 人の命も、この地球、人間の歴史からみれば『蝉のわずか一週間』ほどと変わりがないかもしれない。 『蝉のように今、生きていることを<謳わねば>』と。 合唱曲「般若心経」を作曲してもう7年が経ちます。 毎年のごとく、上のことを思い出します。 そうして塩竃神社のこんもりした木立の中に蝉の声を毎年聞きに行きます。 本日もこれから仙台/利府に向かいます。 今年も、もうそろそろ仙台では蝉が啼いている頃でしょう。 あの七年前の蝉たちの子供が今年ミーンミーンと啼いているかもしれません。 私は夏が好きです。蝉の声と青い空に盛り上がった雲。 デモ夏はあっという間に終わってしまうのですね。 昔から私は、夏は何かしらの目標を持って過ごすことにしていました。 例えば読書、しかも古典で長編もの。また一夏ゲームを完結することに夢中になったこともあります。 もちろん仕事の合間にです。 しかし最近は気力・体力的に仕事で手一杯でそんな余裕はなくなってきた、というのが正直のところです。 今年の夏は「永久ニ(トコシナニ)」のオーケストラ版に取り組みます。 さてさていよいよ夏本番となりました。 ここ鳩山町は昨年もそうでしたが、関東地方で度々最高気温の記録を出しています。 最高気温では有名な「埼玉県・熊谷(くまがや)」を抜いて、時折ニュースなどで鳩山町の名が出るようです。 鳩山町は熊谷市の近く。比企丘陵地帯にあります。 丘陵ですので若干、平地より高台になっています。 ですから、太陽が真っ向から照りつけ、近くの鳩山ニュータウンなどは足下がフライパン状態。 道に卵を落としたら、もしかすると「目玉や焼き」が出来るかも、と思うほどの「熱さ」です。 私は一度だけ熱中症になったことがあります。 それは3年前のウイーンでのことでした。 暑い最中、ケルトナー通りのカフェでビールやワインを飲んで街を歩き回ったのが原因でした。 日本でしたらまずそんなことはしない。 ついつい羽目をはずしてしまったのです。 懐かしい思い出といえば懐かしい思い出です。ですが苦しい思いをしました。 上で夏に何か一つ目標をと書きましたが、今年はそんな余裕はない、とは言いながら例えば「シニア料金」で 映画を観れる事だし、「一夏・10本」くらいは映画を観ようかナ、などと今、頭をよぎっているワタシであります。 どうか皆さまには体調管理などお気をつけ、暑い夏を乗り切って下さいますように。 |
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HP通信NO.327/ 2013.7.2
今年の梅雨は空梅雨なのでしょうか。 そういえば今年は傘を持つ事があまりないような・・・・・。 そんなことを言っているうちに7月に入ってしまいました。 先週(6月30日)、東西四大学合唱演奏会に行って参りました。 I.関西学院グリークラブ 男声合唱曲「永久ニ」(詩・曲鈴木憲夫) 指揮:広瀬康夫 ピアノ:大山まゆみ 渡辺麿奈 II.早稲田大学グリークラブ 男声合唱曲「ことばあそびうたII」(谷川俊太郎詩/新実徳英曲) 指揮:樋本英一 ピアノ:小林功 III.同志社グリークラブ 男声合唱曲「風に鳴る笛」(谷川俊太郎詩/高嶋みどり曲) 指揮:伊藤恵司 ピアノ:萩原吉樹 IV.慶応義塾ワグネル・ソサエテイ 男声合唱曲「ふなたび」(委嘱初演/宮本益光詩/加藤昌則) V.合同演奏 男声合唱のための「おらしょ」(千原英喜曲) 指揮:辻博之
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HP通信NO.326/ 2013.6.22 先週も埼玉県の合唱祭に出かけたり、仙台/利府の生活と相変わらず留守の多いこの頃です。 利府の仕事場のPCが故障したので新しいものに替えたり、鳩山の家の模様替えも一段落してホっとしています。 気分一新、というところです。 不思議と仕事も進んでいます。今月末約束のものも本日、脱稿しました。 これでまずは煩わしいことは無くなったと思いきや、今度は歯の治療に行かねばならないようです。 次から次へと問題は出てくるものです。 家の整理がついたところで、最近、上手にモノを捨てることも覚えました。 これまでですと一年のうちに溜まった書類などを年末に一気に処理していました。 しかし部屋がスッキリすると余計なものが目についてきます。 「一事を増やすは一事を減らすにしかず」という(モンゴルの歴史的人物「耶律楚材」=やりつそざい)名言を思い出します。 「ひとつ事を増やしたら、ひとつ事を減らしなさい」ということです。 そうしないとやがて身動きができなくなるということです。 なかなか出来るようで出来ない事です、が、今回それを実感しました。 古いタンスには家内の衣類も残っていました。 ゴミ袋はゆうに20ケを越えました。古く使っていない家具も10点は業者さんに引き取ってもらいました。 これで大分家がスッキリしたとご想像いただけるのでは、と思います。 家の片付けをすると不思議なもので、それが伝染するかのように次から次へと気になる所が出て来るものです。 カーテンを替えたのもそうです。 極めつけは新しいイスを購入したことです。 寝室には小さな応接セットがあって、夜のリラックスタイム、酒などを飲むのですが、還暦のお祝いにある方から クリスタルのグラスを戴きました。 そうするとこれまでのイスでは何か落ち着かなくなりました。 「気のせい」だと思います。しかしその「気のせい」が全ての源にあるかもしれません。 そんなことを考えているとある笑い話を思い出しました。 ある裕福なご夫人のお話です。 ご主人はとても理解があり、そのご夫人は何でも好きなことが許されました。 家具や調度品を好きに揃え、自分で満足していました。 が、そうするうちに「?」という気持ちが湧きました。 「?」とは「この家にアノ人=つまりご主人=が不釣り合いになっている」ことに気付いたということです。 笑い話ではありますが、片付けをし始めるとその気持ちよく分かります。 ガラス拭きもそうです。 「きれいになったな」と思っても、角度を変えるとまた気になり、拭いても拭いてもキリがないという経験をお持ちではないですか?。 ですから「適当に」という言葉が生きてきます。 適当にという言葉は「手を抜く」とは違います。 今やれることをやって、いずれまたその気になった時にやれば良いのだ、といういわば開き直りに近いことです。 イヤ、チョイと違う。 「中道」ということかな?。ブッタの教えです。 たとえばギターのような弦楽器。弦を緩めれば音は鳴らず、張りつめれば切れてしまう。 秤(はかり)でいうところの真ん中でもありません。 あっちに行けばこうなる、こっちに行けばこうなる、と分かったゆえに自分が立つべき位置を知る、とでも言えるでしょうか。 私は「腑に落ちる」ことを自身での目安にしています。 考えれば結果は出ます、が、それで良しとはせずに、やはり「腑に落ちる」ところで「良しとする」、 今回の部屋の模様替えもそうです。永いことずーっと考えて来たことでした。 ですから私なりに「腑に落ちる」結果が今回の家の片付けに至った次第です。 ここしばらくは家におります。 次の仕事に早速とりかかります。 昨年から待っていただいた仕事もようやく開始。 「京都のH先生!、これから始めますからネ〜」。 気がついたら庭に紫陽花が咲いていました。 気がついたら蝉が啼く、という季節ももうすぐ。 皆さん、体調宜しくお過ごし下さいますよう。 |
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HP通信NO.325/ 2013.6.12 この10日間は部屋の模様替えの件でおおわらわでした。 まずピアノを業者さんに引き取ってもらいました。さすがにピアノには愛着があるものです。しかもそれは亡き家内のものでした。 その愛着ゆえに、考えもまとまらなかったものですから、ピアノ搬出でようやく部屋もスッキリしました。 また粗大ゴミの引き受け業者に連絡、カーテンの取り付けの打ち合わせ、新しい家具を2.3点購入。 ついでに台所の換気扇の掃除まで業者さんにお願いすることに。 その間、8月新刊予定の混声合唱曲集(編曲集)「関白宣言」を脱稿しました。 明日13日、アルバイト3人に来てもらい片付けを手伝ってもらいます。それでやっと落ち着く事になるでしょう。 9日からは四国・高知市に行ってきました。 高知市民合唱団(指揮:谷村泰久先生)ではよく私の作品を取り上げて下さっています。 7月に行われるコンサートでも「地球ばんざい」が演奏されます。今回はその練習でした。 とても良い合唱団です。普段からの谷村先生のご指導ぶりが伺えます。 練習は和気あいあい。楽しい時間でした。 私の(向かって)右が谷村先生、左がピアニストの父田由美さん。 谷村先生のお隣が若き団長の宮地さん。 10日はレンタカーで室戸岬まで行ってきました。 これまで四国に行くと、必ずといっていいほど近くの巡礼の寺を訪ねて歩いています。 殆どが街にほど近いところばかりでした。 今回は「巡礼の道」を見たくなりました。 高知市内から国道55線をまっすぐ、室戸岬の最先端まで車でほぼ2時間。 この日、あいにくの小雨の天気。 どんよりした空で心なしか海も荒れている感じでした。 まず室戸岬の最先端を通り過ぎ(反対側に)、今度は戻るように車を走らせました。 それは巡礼の道筋を歩きたかったからです。 空海が修行したとされる洞窟も見ました。 岬の先端にある「最御崎寺(ほつみさきじ)」 室戸岬最先端の山を登ったところにあるお寺 室戸岬には札所「24番、最御崎寺」「25番、金剛頂寺(こんごうちょうじ)」「26番、津照寺(しんしょうじ)」 そして難所の「27番、神峯寺(かのみねじ)」があります。今回みな回りました。 「25番の金剛頂寺」で。 バスで来たお遍路さん集団と偶然、はち合わせになった。 歩きでお遍路さんをしている人を数人見かけました。 どんな思いがあって歩いているのだろう、と。 車で移動するだけでも大変なのに、と今回つくづく思いました。 「27番、神峯寺」は八十八カ所のお寺の中でもとくに過酷なのではないかと思いました。 車一台くらいしか通れない細いクネクネした急な坂道を4Kmも登って行きます。 自分で運転しても頂上近くの駐車場に降り立って、クラッとしたくらい、軽い車酔いになったほどです。 これを歩いて登るとは・・・・、気が遠くなる思いがします。 弘法大師(空海)が四国霊場を作ったと言われますが、実際は江戸時代になってからその形ができたということです。 もちろん弘法大師に縁のある寺もありますが、八十八カ所の巡礼というスタイルは日本人の思想の深いところで 永い時間の間、次第に形作られ、ある時期に成立したものなのでしょう。 四国は「死国」とも言われ、その昔、不治の病を抱えながら行き倒れになる、ということもあったそうです。 お遍路さんの思いがひとつひとつのお寺、そして道ばたに込められているような気がしました。 四国全県にまたがってお寺が点在しています。街中にあるお寺もあれば、上の「神峯寺」のような難所もあります。 そして比較的、密集しているお寺もあれば、室戸岬の徳島県側にある「23番、薬王寺」から今回訪れた 「24番、最御崎寺(ほつみさきじ)」までおよそ80Kmも離れているところもあります。 「何故なんだろう」という疑問が次々と起こってきます。 何故このように過酷なまでの道を人は歩くのだろうか。歩かねばならないのか。 何故このように人は巡礼に魅せられるのか。その先に何を見るのだろうか。 何故、何故という言葉が湧いてきます。 今回、わずかな時間でしたが室戸岬に行くことができ、得難い経験をしました。 午前10時に高知市を出発して帰ったのが5時すぎ。 普段、長距離を運転したことのない私にとっては疲れました。 しかし、たくさんのシーンが目に焼き付いて興奮もしました。 夜、高知市内の「ひろめ市場」に行きました。 広々として開放的。 高知の人にとっては昼間から酒が飲めるところらしいです。 高知といえばカツオのたたき。 他にウツボのたたきなど海の幸の豊富なこと!。 カツオをニンニクスライスしたもので食べると、これまた絶品。 「翌日、ニンニクの匂いが気にならないか」と聞いたら、高知の人はニンニクの匂いには「寛容」ということでした。 高知でよくお世話になるホテルでは「モーニングコールを坂本龍馬の声で」というのがあります。 今回も聞きました。 まず鶏が「コケッコッコ〜」と啼きます。続いて波の音がして爽やかな青年の声が聞こえてきます。 「わしゃあ坂本龍馬じゃが、早よう起きんと日本の夜明けに間に合わんぜよ!」と。 いつもながら笑ってしまいます。 仕事とはいいながら、自分の作品を指揮したり、話したりすることは楽しいことです。 しかもおいしいものを食べ、おいしい酒も飲めるとは、何と、私は幸せなんだろう、と思います。 ついでに言うと「いつも美人に囲まれて・・・・・・・・・・」 |
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HP通信NO.324/ 2013.6.1 還暦コンサートの後「お疲れ出ていませんか?」というお気遣いを方々よりいただき、重ね重ね嬉しく感謝しているところです。 私は元気です。 どの本番でもそうなのですが終わったあとはやはり興奮するものです。 それで困るのが不眠。 今回はとくに還暦、さらに、家内の七回忌にちなむステージもあったものですから、若干その興奮が尾を引きました。 その後1週間は何やら雑用で明け暮れました。礼状など7.80通をほぼ2.3日で書きました。 主催のコールベルの皆さん、とりわけ団長の山津さんにも後々の事務処理などたくさんの労をおかけしました。 関係者が多かっただけに本当にご苦労なことでした。 今回の還暦コンサートを振り返る時、私にとって言葉に代え難い、本当に深い意義のあるものだったと改めて思います。 終わって1週間ほどした夜、いつものように寝酒をしているとふと心に湧くものがありました。 「まだまだなのだ」と。 これまでの仕事、そしてこれからの仕事、と巡りくるものがありました。 やはり大きな区切りがついた、ということなのでしょう。 我が家は、6年前引っ越しして以来、「まあ取りあえず〜」というままの雑然とした状態でした。(ある部屋は未だに物置状態) 仕事場も2mを越えるグランドピアノが部屋の大半を占めかなり窮屈でした。 そのグランドピアノは家内が使っていたものでいわば「形見」です。 今、そのピアノを処分してもっと広々した空間を作ろうと考えています。 これからより集中して仕事に向かうために、やっと家の一大改革を決心したというところです。 改装ではなく、家具などの位置替えなどが主ですが、それでも私にとりましては大事(おおごと)です。 先月約束の締め切りも遅れている中、目下奮闘中。 先週から仙台/利府に行っておりました。 父の入院先の病院にもご無沙汰していました。 そして塩竃神社に60歳の「厄よけお祓い」をしてもらってきました。 5月31日は仙台から山形へ。 仙山線は緑に包まれ、太陽を受けてキラキラと輝いていました。 「ラブ・ストーリー」の5曲目「永遠の一日」の舞台である山寺を遠くに見つつ山形市に。 夜は山形市の女声コーラス「やまのべ女声合唱団」(指揮:吉田ユカリ先生)の練習場にお邪魔いたしました。 曲目は「ラブ・ストーリー」より「五月の森で」「ネコ物語」。 吉田先生のご指導はいつもながら素晴らしく、コーラスも美しい声を響かせてくれていました。 先日の還暦コンサートには吉田先生はじめ団員の方も来て下さいました。 いつも私の作品を取り上げて下さっています。 昨年11月に行われた演奏会が県の芸術祭・優秀賞を受賞しました。私の隣の表彰状がそれです。 そのコンサートには私も応援に駆けつけました。 上の練習の後、山辺町から車で20数分の山形市内の居酒屋で飲み会。 13.4人の方々と12時近くまで盛り上がりました。 マア皆さん、若い!。そして元気!。 そして本日午後、鳩山に帰宅しました。 明日からまたコンクールの審査、そしてコールベル、と家を空けます。 まずはコンサート後の近況報告まで。 |
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HP通信NO.323/ 2013.5.22 18日の「還暦記念コンサート」は無事に大盛況の内に幕を閉じました。 会場は超満員。全国各地遠方より多くの方が来て下さいました。 「還暦コンサート」のお話があったのは今から3.4年も前のことです。 鹿児島で活躍されていた指揮者の田丸寛先生の還暦のお祝いに京都の箸尾先生と出かけたことがありました。 その折に「今度は鈴木だ〜」と気炎を上げたのが田丸先生でした。 が、その「言い出しっぺ」の田丸先生は一昨年胃がんのためにお亡くなりになりました。 「鈴木はきっとイヤ〜ンイヤ〜ンするだろうからまず会場を取らないと」と、 今回実行委員長をされたコールベルの代表の山津さんに話されたそうです。 案の定、私は「イヤ〜ンイヤ〜ン」をしました。 申し出はとても嬉しく光栄なものでしたが、私は自分のこととなると腰が引けてしまう性分なのです。 「お気持ちだけで嬉しい」と。しかし私の周りで準備はどんどん進んでいきました。会場は1年半前に予約。 コールベルの皆さんはじめ役員の方々にはたくさんのご苦労をおかけしました。 感謝の言葉をいくら言ってもいい足りないくらいです。 プログラム それと「還暦コンサート」に躊躇した理由は他にもあります。 亡き家内も私と同じ歳なので、もし元気でいれば一緒に還暦を迎えたはずです。 そんなことも頭をよぎり、きっと本番、「ヨレヨレ」になってしまいそう、と自信がありませんでした。 さてさて本番!。 コールベルはじめ出演者の皆さん、私が「どこかで泣くだろう」と半ば内心期待していたようです。 「永遠の一日」(ラブ・ストーリより/鈴木憲夫詩)など亡き妻との思い出を綴った作品です。聴衆の多くの方は涙されていたようです。 しかし私は泣きませんでした。 これが2.3年前だったら・・・・・・多分泣いていたかもしれません。 私の内で「悲しみの質」というものが変わってきました。 「永遠の一日」など妻との思い出を綴ったものですが、単に思い出としてではなく、これを聴き、観る人に、妻と私という人間が まるで物語のようにそこに「存在していた」ことを伝えたいと思うようになりました。 ですから本番、メソ〜メソ〜などしていられなかったのです。 このような大きな催しものではやはり家内がいない、ということは大変なことでした。 たとえば今回、多くの方にご挨拶ができませんでした。家内がいたら任せていた部分です。 そんなこともこの「還暦コンサート」の話があった時にすぐに頭に浮んだことです。 本番前、コールベルの皆さんと コンサートは終始和やかに進められました。 プログラムの冒頭にご挨拶で次のように書きました。 「私がオギャーと産声を上げてから今年の誕生日で六十歳、還暦を迎えることになりました。こうして元気な身体でいられるのは 両親のおかげです。また人生の大半を一緒に過ごし見守ってくれた亡き美智子のおかげです。 そして人として育ててくれた世間の皆さまのおかげです。時に頭を叩かれたのもおかげさまです。〜〜〜〜〜(略) このコンサートが私のみならず、集まって下さった皆さんの心に、人との出会いの喜びで讃歌に溢れる事を、共に感謝し 喜び合いたいと思います。」 まさにそのようなコンサートでした。 最後に220名をゆうに越える皆さんと会場の方々と「ほほえみ」「二度とない人生だから」を合同で演奏しました。 浜離宮朝日ホール一杯にまさに「人との出会いの喜びで讃歌溢れる」演奏で感無量でした。 こうしてコンサートは幕を閉じました。 コールベルはじめ出演者の多くの皆さんに支えられ、本当にお陰さまでした。 感謝の言葉も言い尽くせないほどです。 このコンサートのために私から記念のオリジナル手ぬぐいを関係者の皆さまにお配りしました。 このコンサートに仙台から母、それと家内の姉が来てくれました。 それも嬉しいことでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
打ち上げは汐留のLIONで盛大に行われました。 参加者は170人以上。 私の左隣から京都から駆けつけてくれた箸尾哲男先生と 左から学生時代からの友人盛岡から澤口さん 鹿児島の女声コーラス明和の指揮者猪俣裕子先生。 永年カワイ編集で私の担当だった松野さん 歌曲のステージでソプラノソロをして下さった 左、宮崎から中村禎子先生、右、山形から吉田ユカリ先生 佐藤容子さんとピアノの前田拓郎さん よのコーラスの大沼宙子先生 右はじが諏訪合唱団の指揮者宮下荘治朗先生 左はじがピアノの安藤美季さん 市川男声合唱団指揮者の田中安茂先生 ひびとも指揮者の伊澤俊雄さん 170人以上の方たち全員をご紹介できないのが残念です。 当日ご来場できなかった方々からもたくさんの応援メッセージを頂戴しました。 本当におかげさまです。 プログラム冒頭に次のようなことも書きました。 「還暦がひとつの大きな節と言えるなら、私はこうした素晴らしい仲間たちとの絆を誇りとし、 これからもまた生きて行けます。」 改めてこのコンサートに関わって下さった多くの皆さまに感謝申し上げます。 |
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HP通信NO.322/ 2013.5.12 5月3日に60歳の誕生日を迎えました。 メールやお便りやファックスなど、多くの方からお祝いメッセージを頂戴しました。 さらにお祝いの品を送って下さった方もあって皆さまのお気持ちに心から感謝!です。 とても幸せなことだと思っています。 ちなみに母には「お陰さまで還暦を迎えました」と電話をしました。 さてさて誕生日の日、早速、映画館に出かけました。 還暦=つまりシニアの仲間入り。 シニアになると1.000円で映画が観れること、皆さんご承知のことと思います。 この日勇んで出かけたのには理由があります。チケット売り場で「シニア」と言ってどんな反応があるか興味津々だったのです。 免許証などで「年齢確認」を求められるか、それともスンナリ何も言われずに通るか・・・・・・・。 結果!・・・・・「何か年齢の確認できるものをお見せ下さい」と言われました。 「ヤッタ〜!」見事シニア・デビューを白星で飾りました。 これからも映画館に行く度に楽しみです。「シニア」と言っていつまで「年齢確認」を求められるか。 それがなくなったら「歳相応」とカンネンします。 連休中は勤勉に仕事をしていました。 またよく歩きもしました。 前回のHPでタヌキの話を致しましたが、またまたタヌキと遭遇。 と言っても、いささか事情ありのお話です。 このタヌキ、道ばたから動かずにじっとしていました。 はじめ、交通事故カナ?と思ってましたらそうでもなさそう。 寝返りをしたり、身繕いをしたり、上の写真のように地面に鼻をつけて何やら匂いを嗅いでいたり。 そして不思議なことに私が傍に行っても逃げようとしないのです。 一旦、その場を通り過ぎたものの、気になって帰りもまた同じ道を通りました。 そうしたらまだ居ました。 家に帰ってからもどういうわけか気になって、今度は車で見に出かけました。 やはり変わらずにそこにいます。 よく見ると大分歳を取ったメスタヌキ。それとも病気なのか何とも弱々しい様子でした。 人が傍に寄っても逃げないというこの不思議。そこで私なりにこんな物語を考えました。 この場所でオスタヌキ(つれあい)を亡くしたのです。交通事故で。 地面に鼻をつけてオスタヌキの面影を偲んでいたのかもしれません。 多分、このメスタヌキは自分の死期を悟っていたかもしれず、 死ぬ時はこの場所で、と覚悟の上で、車が通っても人が来ても動こうとせずに居たのだと思います。 翌日、昼前にもう一度見に行きましたが、その時にはもう居ませんでした。 きっとそのまま死んで町役場の人のお世話になったのでしょう。 あのタヌキの様子を見てると、自然とそんな物語を想像しました。 タヌキは家族の情愛が深い動物です。 私の想像ではなく実は本当の話だったかもしれません。 ほんの行きがかりのワンシーンだったのですが、なぜか心にほのかに湿るものを感じました。 今週も仙台/利府に行っていました。 いつもの父の見舞い。そして家内の墓に還暦の報告をしてきました。 家内も私と同じ歳でしたので共に還暦を迎えたことになりますが、死んだ人間は死んだ時のままの歳です。 今生きている私というのは、私なりの時間が流れているということです。 そんな当たり前の事ですが、人を亡くして時間を経ると、それがよく分かるようになるもののようです。 また今回もいつものように塩竃神社に行きました。 天然記念物の「塩釜桜」(八重桜) 塩竃神社ではいつものように両親の健康祈願。 そして一週間後に控えた「還暦コンサート」の成功を祈願してきました。 この次のこのホームページでは「還暦コンサート」のご報告をすることになろうかと思います。 チケットが早々と売り切れて、コンサートに来れない方々からも「ご成功を」というお便りやメールを多数頂戴しています。 楽しいコンサートになるはずです。 私のそういう予感は外れたことがありません。 皆さん私の健康にも気遣って下さり感謝の一言です。 それでは次回の更新で、コンサートの成功をご報告できるようにしたいと思います。 |
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HP通信NO.321/ 2013.5.1
パソコンの容量の関係で新しいアドレスとなりました。 以後、このアドレスでどうぞ宜しくお願いいたします。 連休になりました。 連休は家で仕事です。少し肌寒い日が続いていますが、散歩には相変わらず出かけています。 昨日、いつもの散歩道でタヌキを見かけました。 コロコロと太ったオス(?)タヌキ、そして傍らにその子供なのか連れ合いがおりました。 はじめ犬カナ?まさかネコ?と思っていましたが、私と目を合わすとそそくさに立ち去りました。その時間わずか3秒ほど。 鳩山にはタヌキがたくさんいるのです。 私の家に来た事もあります。タヌキというのは夫婦仲が良いらしいです。 そのときも二匹、夫婦だったのでしょうか。 昔話の中にキツネやタヌキが人をたぶらかす、というお話がよく出てきます。 以前、「民話」というテーマで私自身が詩を書いて作品にしたことがありました。 そのためにたくさんの民話を読みましたが、動物や人がだまし合うという話もかなりあって面白かったものです。 その作品の中で2曲目「動物たち」という中では次のような詩を書きました。 「ヒトをだますキツネは悪いゾ、キツネをだますタヌキは悪いゾ、タヌキをだますヒトも悪いゾ〜」というものでしたが、 キツネやタヌキがだまし合う、という話はどちらかというとみな愛らしいものです。 しかし「ヒト」となると、キツネやタヌキよりよっぽど悪賢い!。 「キツネ七化け、タヌキ八化け」と言われますが「ヒトは十化け」かも。 鳩山町の道路には「動物注意」の標識があります。その絵がこれまた「タヌキ」。 時折、可哀想に交通事故に遭ったタヌキを見る事があります。タヌキは夜行性ですから夜、事故に遭うのでしょう。 タヌキがこうして事故に遭うと、その連れ合いはしばらくそばを離れないということを聞いたことがあります。 動物は全般に夫婦仲が良いのです。 夕暮れ時期に外の景色を見ると鳥たちが次第次第に巣に帰っていきます。その光景が私は好きです。 そのとき一羽ということはなく必ず二羽が一緒です。 これから巣に戻って「一家団欒」をするのかと想像すると、何となく顔がほころんできます。 動物の本能としてオス・メスはいつも一緒なのですね。 人間界には独身が多くいますが、動物界の中では人間だけ例外?、ということになるのでしょうか。 散歩をしている時、鳥はもちろん虫さえも連れ合い(?)と飛んでいるのを見て羨ましくなります。 「イイナ〜」と・・・・・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 先週は仙台でしたが仙台は桜が満開の季節でした。 下写真は塩竃神社で(4月24日)。普通の日にも関わらず花見の人で結構人がいました。 桜前線は今頃どこにあるのでしょうか。 私は子供の頃からこの変わらぬ風景を見ています。 昔々、子供の頃、この木の下で写真を撮ったことも覚えています。 こういう変わらぬ風景が自身の内にあるということは「宝もの」と言うべきものかもしれません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 久しぶりにマノンの登場です。相変わらず太めのマノンです。現在6Kg。 この日もOさんのお宅の駐車場にいました。 マノンに会うと自然と笑みがこぼれます。「やあマノン!元気してるか〜」と語りかけます。 元気そうです。温かな日和になりマノンにも楽しい季節がやってきました。 連休も含め、当分は家でじっと仕事です。 毎日せっせと歩き、来たる還暦コンサートのステージではスッキリした姿で登場したいものと思っているところです。 それではごきげんよう。 |
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HP通信NO.320/ 2013.4.21
チューリップがきれいです。今の時期、ハナミズキもきれいに咲いています。 目に楽しい春の鳩山です。 この1週間は比較的ゆっくり過ごしました。とは言っても、コンサートの進行表やプログラムについての打ち合わせなど、 ちょうどコンサート1ケ月前ですので、雑用が集中しました。 14日は(上写真)今西三典先生の指揮する「女声コーラスすずらん」の演奏会を聴きました。 12日に留守電に今西先生から14日のコンサートについての打診が入っていました。 しかし私には何の事なのか首をかしげておりましたら、先生によると以前に私のところに案内状を送ったそうです。 「いや届いていません」と私。急遽、前日ファックスでご案内をいただき14日、越谷中央市民会館へ。 少人数のコーラスではありましたが、さすが発声の大御所。皆さんよい声で歌っておられました。 今西先生は御歳86歳。私の父とほぼ同じ年齢です。 奥様もお元気で、こうしてお二人でお元気で居られることは素晴らしいことです。 この日、演奏会を途中で失礼をして池袋に。 コンサート打合会。池袋の居酒屋で。 多分、こうして打ち合わせで集まるのは最後でしょう。あとしばらくはそれぞれ個々に、本番まで宜しくお願いします。 この1週間はさほど外にでかける用事がなかったものですから、朝はゆっくり。たっぷりの「朝寝」。 二日前の夜などは、ちょっと思いついて6年前のチェコの演奏旅行のDVDを観てましたら止まらずに夜中2時まで観てしまいました。 あのときどんな服装だったのかな〜、というちょっと軽い思いつきで観初めたのでした。 そこには今は亡き鹿児島の田丸寛先生、今月亡くなられた潮千代子先生がお元気な姿で指揮をされていました。 総勢120人。思わず懐かしさと、人の世の憂いを思い、普段より酒量がオーバー。それと一日2.3本のタバコもかなりオーバー。 最近では珍しく不摂生をしました。 春とはいいながら寒気が戻ったり、初夏になったり、不安定な気候のこの頃です。 久しぶりの鳩山ですので散歩を楽しみにしていましたが、今回はあなり散歩できずに残念でした。 本日、これから市川泊まりで明日コールベルの練習。その後仙台/利府に参ります。 仙台の桜はもう散ったでしょうか? |
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HP通信NO.319/ 2013.4.13 鳩山は今八重桜のシーズンです。 いつもの散歩コースのアーチ八重桜小径です。 1週間ほど留守をしたらこんなに見事に咲いていました。 気ぜわしくしていると、こんな風景にも気付かずにいました。 先週の4日から11日まで、仙台/利府→福井/越前市→利府、と1週間旅の空の下にいました。 仙台はその頃は桜はまだでしたが、今頃は咲いていることでしょう。 越前市では合唱団「武生」の演奏会で客演指揮をしてきました。 7日はあいにくの雨。越前市は桜満開でした。 でも前日からの風と雨で、折角満開に咲いた桜も「見頃」を逃してしまった感じ。 普段、「晴れ男」を自認する私でしたが、せめてコンサート前に小降りになったのが幸いというところ。 満員の聴衆でとても楽しく、充実したコンサートでした。 先月、練習にお邪魔してこのHPでもご紹介しましたが、指揮者の岩端るみ子先生がとにかく素晴らしいのです。 前回「ご指導を」と請われ練習を聴かせて頂きましたが、私が口をはさむ余地がないほど歌い込まれていました。 岩端先生の音楽性、そしてご指導に感嘆してしまいました。 そういうわけでコンサートは大成功。 前列右が岩端先生。 打ち上げでは和気あいあい。先生の囲んでの合唱団の人たちの仲の良さ、温かさが伝わってきました。 本番7日の午前、武生の郊外の和紙の里「パピルス館」へご案内いただきました。 そして絶品の越前蕎麦を堪能。 老舗の「森六」というお蕎麦店さん。 ご案内下さったのは、右、福井市の男声合唱団「ゴールデンエイジふくい」の指揮者田中幸一先生、私のお隣がその団長さんの 斉藤厚一さんとそのご夫人。 「ゴールデンエイジふくい」では2年前男声版「二度とない人生だから」を初演していただきました。 来月のコンサートでは「二度とない人生だから」が再度演奏される予定です。 斉藤さんはこのHPでも記念番号「24万」「25万」をゲットされた方です。 私は密かにこの方を「観音様」と呼んでいます。 「音楽ほほえみ基金」で6月頃からスタートする「東北の子供たちへの<うたごえ支援プロジェクト>」では斉藤さんに 監査をお願いしています。近いうちにここでその詳細をご案内させていただきます。 越前市では素晴らしい合唱団の演奏会にお邪魔し、そして上のようにおいしい越前蕎麦をいただきました。 越前市での楽しい3日間でした。 が、が、しかしです。 飛行機は小型機。仙台空港から利府まで高速を使って約2.30分ですので、仙台空港を利用する時はすこぶる便利なのです。 が、この日8日。強風のために着陸は2度トライ。「想像を絶する」悪戦苦闘ですっかり具合が悪くなってしまいました。 これまで飛行機に乗ってこんな経験は初めてでした。 仙台空港に降りても歩く事おぼつかず。車で利府に帰るも運転もままならず、途中のコンビニの駐車場で2時間も休みました。 これからも飛行機で旅する予定が入っています。 ちょっと飛行機が怖くなりました。 しかしそうは言ってられません。あんな経験は二度としたくないものです。 思い出すとまた具合が悪くなりそう・・・・・・・・・。 訃報のお知らせ。 6年前にチェコでの演奏旅行にご一緒された指揮者の潮千代子先生がお亡くなりになりました。 12日のお通夜、13日(本日)の告別式に出席してきました。 チェコでのお写真。 チェコに同行された皆さんもこのHPをご覧になっていると思いますので、ご冥福を祈って下さると嬉しいです。 潮先生とは家族ぐるみのご厚誼を賜り、亡き家内はまるで姉のように慕っていました。また潮先生も家内を可愛がってくれました。 「潮先生!たくさんの思い出をありがとうございました。」と弔辞を述べました。 還暦コンサートの準備も皆さんのお陰で進んでいます。しかしチケットは残念ながら完売。 後日ここでご報告をいたします。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この1週間は久しぶりに家にいますので、しばし溜まっていた仕事に精を出すことにします。 鳩山の自然を歩く事も久しぶりに楽しみです。 それに昼寝も・・・。 うぐいすも上手に発声練習をしています。 ←クリックすると拡大に。 |
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HP通信NO.318/ 2013.4.3 東京は桜が満開。春爛漫の季節となりました。 例年より早い桜の開花です。 ずーっと待ちわびていた桜ですが、ここ1週間程前から鼻炎からなのか風邪なのか、体調がぐづついて ゆっくり風景を見る余裕がなく過ごしていました。 5月の還暦コンサートに向け、先週はさいたま市の「よのコーラス」諏訪市の「諏訪合唱団」の練習に立ち会いました。 皆さんとても熱心に取り組んで下さっており、嬉しく楽しい練習でした。 「よのコーラス」(指揮:大沼宙子先生)さんとはもう35年以上も前からのお付き合い。 今回の曲目は「女声合唱版/永訣の朝」と「茜の空に」です。 いずれも「よのコーラス」さんの初演によるものです。(練習の写真をうっかり撮り忘れてしまいました) 練習場所は昔私が住んでいた旧与野市。 桜が満開で、昔はその桜の道を通って買い物などをしたことが懐かしく思い出されました。 「よのコーラス」の練習が3月28日。 諏訪合唱団は3月30日。 新宿から中央本線で松本行きの電車に乗ると、甲府あたりは桜満開でした。 上諏訪はまだ肌寒くて桜も咲き始めたばかり。 曲目は混声版「マザーテレサ 愛のことば」全曲(指揮:宮下荘治朗先生)。 諏訪合唱団とももうかれこれ20年近くのお付き合いです。 「永久ニ」を委嘱・初演してくれました。 「永久ニ」の作曲には時間もかかり、それだけ苦労をした作品です。 ひとつの作品を皆さんと共に創り上げたという感慨があります。 練習後の懇親会 私の横が宮下先生、私の後ろに背後霊のように覗いている人が団長の岡野貞夫さん、そして副団長の浜孝子さん。 上左端がピアニストの安藤美季さん。 皆さんと会うとやはり「永久ニ」の思い出話。団長の岡野さんとは「永久ニ」を作った時の「戦友」のようなものです。 飲み友達でもありますが、最近は二人とも酒に弱くなり昔ほどの勢いはなし。 この賑やかな宴を終えて私はまっすぐホテルで就寝という、誠におとなしい久しぶりの諏訪の夜でした。 翌日は市川へ宿泊。その夜はコンサートの打ち合わせ。翌朝、コールベルの練習に出て帰宅しました。 そんなわけで、気温の変化の多かった1週間、あちらこちらに出かけていましたので、 体調もなかなか正常に戻らない中での1週間でした。 本日からはほぼ正常に体調も戻り、静かにゆっくり休養をとりながら家で仕事をしています。 しかし今日は何という寒さ。家中のストーブを点けています。 明後日からまた仙台。そして福井/越前市へと向かいます。 新幹線で東北を北上しますと桜前線が目に見えます。この時期それが楽しみでもあります。 ←クリックすると拡大に。 チケット残り少ないようです。 |
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HP通信NO.317/ 2013.3.24 玄関脇に咲いた真っ白なモクレンの花を後ろ目に、家を出てから1週間留守をして昨日帰宅してみれば、モクレンは散り、 桜が咲いていました。この時期の1週間というのは季節の移り変わりが目に見えるのですね。 鶯も先日まで発声練習してました。今朝聞こえてきた声は、ようやく「・・・らしい」啼き方でした。 みんな春を喜んでいます。 17日から市川→仙台→(小松空港)福井市→越前市→仙台と泊まり歩き、1週間留守をしました。 福井市では男声合唱「二度とない人生だから」を委嘱・初演をしてくれた「ゴールデンエイジふくい」の 練習場へお邪魔しました。(指揮者:田中幸一先生) 初演は一昨年前、ですが、今でも熱心に取り組んでいらっしゃいます。 60歳以上の団員で常時6.70人くらいはいらっしゃいます。 (練習風景の写真を取り忘れました) その後、越前市へ(旧武生市)。 合唱団「武生」の皆さんと懇談会。 武生には初めて伺いました。来月4月7日のコンサートで客演をしますので今回はその練習でした。 練習前夜、皆さんと和気あいあいと楽しくお食事会。左から二人目が指揮者の岩端るみ子先生です。 練習風景。曲目は「朝に」「ほほえみ」「未来への決意/決意」「二度とない人生だから」 市民合唱団として40年の実績。素晴らしいコーラスでした。 今回、指導に招ばれたといっても、岩端先生の音楽作りにただただ感心してきました。 来月の本番が楽しみです。 仙台空港と小松空港には便があって、私にはとても便利です。 仙台/利府の家から空港まで車で25分程度。 鳩山から羽田まで2時間半はかかるものですから、仙台空港が使えると便利なのです。 ちなみに仙台〜小松間の飛行機は、太平洋から日本を横断して日本海に出ます。 さてクイズです!。日本を横断するのに大体どのくらいの時間がかかると思いますか? 答えは一番最後に。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ たった1週間ですけど、久しぶり鳩山に帰るとホっとします。 やはり静かです。 ・・・余談ですが・・・・、 先日、トイレに足の永い豆粒のような胴体のクモを見つけました。 ペーパーでそっと包み、外の庭木に移してあげようと思いましたら、風に吹かれてどっかに飛んでいってしまいました。 そして本日、また同じクモを見ました。きっと「つがい(夫婦)」だったかもしれません。 ひとりじゃ寂しいだろうな、と思って、やはり前回と同じく、庭木に移してあげようかと思いましたら、 風でフワ〜と飛んでいってしまいました。 親切心でやったことでしたが、クモにとっては余計な大迷惑もいいところ。 デモ、風の向こうで偶然そのクモの夫婦が出会ったとしたら、まさに<ラブ・ストーリー!>。 今朝も風呂場でてんとう虫を見つけました。風呂桶に溺れそうなのを助けてやりました。 「鶴の恩返し」という民話があります。 クモやてんとう虫がある日、人の姿を借りて家にやってきて・・・なんてあり得ないことですが、 春の陽気に踊らされて、ついそんな民話のような世界を空想してみたりしました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <久しぶりの里帰り> 先日、久しぶりにマノンが帰ってきました。しばらくテラスでゴロゴロしてましたが、気がついたらまたどこかに。 もしかして、私が留守の時もこうして家に来ているかもしれません。 今でもOさん宅の庭で居候しているマノンにとっては良い季節になりました。 もうすぐ、虫なども出て来るでしょうから、マノンにとっては楽しい季節にもなります。 還暦のコンサートも皆さん準備に余念がありません。 一生懸命にやって下さっています。 チケットの残りが少ない事で、係の人が頭を悩ましています。 桜が散るとゴールデンウイーク、5月18日のコンサートなどすぐにやってきそうです。 上のクイズの正解→約25分 ←クリックすると拡大に。 チケット残り少ないようです。 |
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HP通信NO.316/ 2013.3.10
鳩山では梅がちらほらと咲き始めました。 三寒四温というくらいですから、本格的な春までには幾度か峠を越さなくてはならないでしょうが このところ春爛漫を思わせる陽気です。 2日から高知市に行ってきました。わずか2日間の日程でしたが、目一杯に南国土佐を満喫してきました。 メインは3日の「全四国男声合唱団フェステイバルでの<永久ニ>」の男声合唱版の初演。 到着した日、その実行委員長の中内惠一さんのご指導する合唱団で、私の作品を2時間あまり指導しました。 |
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HP通信NO.315/ 2013.3.1 3月になりました。陽気が春めいてはきましたが、はたしてスンナリと<春!>になるかどうか。 2月締め切りのものを終え、少し気持ちが楽になっているところです。 我が家<鳩山荘>から見える景色です。 裸木をよく見ると、うっすらとピンクの蕾みが見えます。 春が静かにもうすぐそこまで来ています。 家に居る時はちょっと忙しい時でも歩いています。 最近、近所に「台湾料理店」ができました。 近所といっても車で15分程度。 そこまでよく歩いていきます。歩くこと50分、バスもある区間使いますので家を出てから1時間はかかります。 食事をしてからまた10分ほど歩くと東部東上線「高坂駅」です。 駅前の接骨院でマッサージを受けて、バスで鳩山ニュータウンへ。 ニュータウン中央でバスを降りて、SEIYUで買い物をしてまた20分ほど歩いて我が家へ帰ります。 家を1時頃に出ると帰宅は4時頃。歩数にして約1万歩、歩くことになります。 行きも帰りも下の<林の小径>道を通ります。 この小径は四季折々表情が異なります。 今はドングリの実を踏みしめながら歩いています。 夏はうっそうとして涼しい小径です。(この写真は12月頃) 私の大好きな散歩道です。 この鳩山町に住んで6年になります。これまで外食は殆どせず、こまめに家で食事を作っていました。 しかし、最近は上に書いた「台湾料理店」に週に1.2度は食事をすることになったり、 また歩いて40分ほどのおいしい「蕎麦屋」に行ったりで、外食が多くなりました。 昼に食べるとその日の食事はそれで終わり。 朝はオリジナルジュースを作り、(小松菜、セロリ、リンゴ、ブルーベリー、キャベツ、スキムミルク) それにヨーグルトにスープが朝食です。 ですから食事らしい食事は一日に1回。 外食しない日は家で何やら作ります。 私は昔はいろいろな料理を作ったものです。が、料理というのは作らないと忘れていくもののようです。 最近の料理は味気ないものばかり。 よく作るトマト料理などは、玉ねぎを炒めて、トマトホイールを加え、マカロニなどをただ入れるだけ。 チーズや生クリームやバターなど入れればたしかに美味しくなりますが、 家では「おいしい料理」ではなく「素材を活かした料理」が主になってきました。 味気ない、といってもそれなりに自分では美味しく食べているつもりですが・・・・・。 「味気ない」とは「情緒」がないということです。 美味しいものを作る工夫、美味しいものを食べる喜び。それが料理の持つ「情緒」です。 日本の料理はその「情緒」に溢れています。料理は文化ですから日本の文化も「情緒」溢れたものと言えます。 私はそれほど外国に行っている訳ではありませんが、外国では「味気ない」料理によく出会います。 これはおそらく日本人特有の感覚なのかもしれませんが「味気なさ」と「情緒のなさ」とを 日本人は同一のものとして捉えているかもしれません。 旅先ではよく美味しいものをいただきます。 仙台/利府では叔母が美味しい料理を作ってくれます。 故に尚更「情緒」や「味わい」が深く深く心に沁みます。 そのうちに一念発起してまた熱心に料理に打ち込む日が来るやも知れません。 独り暮らしに慣れるとは「味気なさ」が当たり前になる事かもしれません。 これはもしかして「愚痴?」。 たまに愚痴めいたことを書きました。 どうか温かなお心で読み過ごしていただきますよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ←クリックすると拡大に。 |
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HP通信NO.314/ 2013.2.19
冬の空を鳥が啼きながら飛んでいます。 「もうすぐ春だよ〜」とでも言っているかのようです。鳥は元気です。 鳩山の冬の空にはいつも太陽がニコニコ顔をだしています。 そんな日は一日中、ポカポカとして家ではストーブが要りません。 よくマノンは元気ですか?と聞かれます。 最近そういえばこのホームページでマノンはご無沙汰でした。 ご覧のように元気です。 毎日のようにマノンのいるOさん宅経由で散歩をしています。 でも会える日と会えない日も。この日たまたま会いました。 私を見て、懐かしそうに駆け寄ってくるなら可愛いものですが、何とも愛想のないマノンです。 よく見るとケンカで受けた傷がところどころに。 相変わらず留守にする機会が多いので、留守中のマノンを気遣うことはなく、 今は新しい環境でこうして元気でいるマノンと時々でも会えるのが楽しみです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今月初めも仙台/利府に行っていました。 利府ではこれまで母一人でしたが、最近、料理の達人の叔母が一緒に暮らしてくれています。 叔母の美味しい手料理を食べるのも嬉しいこの頃です。 利府に行くといつも父の病院に見舞いに行きます。 先日も叔母と母と三人で出かけました。 父は元気にしています。 「翁童=おきなわらべ=」という言葉があります。だんだん子供に還っていくという意味です。 今の父はそろそろ「翁童」。 父の居る施設は病気の治療を行う上に、更に痴呆症の患者も大勢います。 先日も父を囲んで話をしていますと、近くのテーブルで二人の老人が何やら口論をしだしました。 聞くともなしに聞いていると 「バカ」 「ウルサイ、バカ」 「バカとはなんだバカ」 「オマエの方がバカだ」 「オマエの方がもっとバカだ」・・・・・・・・・・・・・だんだんエスカレートしていきました。 そのうちに「○○△△**@@」・・<えっ?今のは何?>、と耳をすませるとまた言いました。 「オマエのカアチャン、デベソ!」とそう言ったのです。 しばらくすると「オマエのトオチャン、デベソ」とも。 それを聞いて吹き出して三人で笑ってしまいました。 老人がです、子供のケンカのように、口合戦です。 帰りしなに、母が父に「お父さんケンカなんかしちゃダメよ」と言うと、父はこう言いました。 「ナ〜ニ、あんなバカとはケンカなんかしないよ」・・・と。 それにも三人で大笑い。家に帰ってそのことを思い出し、大笑いの連続でした。 「翁童」の世界です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 老人が子供に還っていくというのは、ある意味で微笑ましい風景です。 ですが、現在テレビなどを観るとまるで「子供の世界」です。 ある料理を紹介した番組で若いタレントが「美味しい!」ではなく「うんメエ〜!」と。 また違う番組では「チョ〜ヤベエ!」と。 その若いタレントがどうという問題ではなく、それを送り出すテレビ制作者側の問題です。 子供に迎合しているわけです。 そのタレントには本来こう言うべきです。 「それは仲間や内輪で言う言葉、外に対しては<美味しい>とか<素晴らしい>と言って下さい。」と。 上で「翁童」と言いましたが、現代は「大人童=おとなわらべ=」の時代です。 「体罰」の問題もそうです。大人ではない大人が、指導する立場でない人が ある意味で大人に成りきれない人が、今の時代大勢居るということなのでしょう。
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HP通信NO.313/ 2013.2.10 まだまだ寒さ厳しき折、皆さまお元気でお過ごしでしょうか。 昨日9日は、五月に行われる私の還暦コンサートに出演して下さる「ひびとも会合唱団」の練習場にお邪魔をいたしました。 曲目は「地蔵礼讃」。約20分を越える作品です。私が20代の時の大変思い出深い作品です。 この「ひびとも会」は当初、関西大学合唱団「響」の卒業生によって作られました。 今回、指揮をしてくれる伊澤俊雄君は学生時代に「地蔵礼讃」を指揮してくれています。 今は指揮の場を遠ざかっている、谷道明君(学生時代、私の「永訣の朝」や「祈祷天頌」を指揮してくれた彼は現在、名古屋転勤) 団長の田中慎二君(現在中国転勤)らをはじめとするメンバーの多くとは、彼らが学生時代からのお付き合いです。 現在は関西大学の枠を越えて、様々なご縁の糸がたぐり寄せられるように集まった約40人ほどのメンバーで活動しています。 とても熱の入った完成度の高い演奏を聴かせて頂きました。 作者にとりそれはとても嬉しい時間でした。 練習の後も楽しい「宴会」 前列右端が指揮者の伊澤君です。 宴会ではこの曲にまつわるいろいろなお話をしました。 もう30年前の作品です。初演が1982年。出版が1984年です。 当時、私はカワイ出版から「永訣の朝」が出版されたばかりのまだ無名に近い存在でした。 この「地蔵礼讃」は地味な作品です。誰が見ても「売れる作品?」とは思えなかったでしょう。にも関わらず出版されました。 それは当時の出版編集担当者のMさんのお力添えが大だったことによります。 振り返りますとこの作品が出版された当時、日本は大きく変わりつつある時代にあったように思います。 戦後、今の日本では考えられないほどの「文化振興の気概旺盛」の時代でした。 たとえば戦後すぐに行われた「NHKの管弦楽募集」で第1席になった芥川也寸志氏はその賞金で家を買ったそうです。 余談ですが、私の伯父は生まれて初めて仙台市の体育館でクラシックバレエの公演を観たそうです。 次々と大きな文化会館が作られたのもそういう時代です。 しかし高度成長で繁栄しつつも、文化振興への投資や熱意も少しずつ下り坂になっていきます。 それがちょうど1980年頃だと私には思われるのです。 出版社やレコード会社など、たとえ無名でも売れなくても新人を育てて行こうという気概がまだまだあった時代でした。 そういう時代に私が作家としてスタートを切れたことは幸せなことでした。 「終身雇用」という考えがまだあった時代です。それ以後、現代へとつながる「効率優先」の社会へと変わっていきました。 その時代の流れというものを私は肌で感じました。 「地蔵礼讃」はそういう時代に生まれた作品です。 「宴会」を早々と引き上げ、帰りの車中で「地蔵礼讃」に関わる様々な想い出が頭をよぎりました。 上で書いたカワイ編集のMさんとのことです。 彼は「地蔵礼讃」を編集企画で通すために、私に関するレポートを書いてくれました。 「この作品はそんなに売れないだろう、しかし、この作品は〜〜〜」というようにB4版のレポート用紙にびっしり。 それをMさんから見せられ、私は嬉しくなって家に飛ぶようにして帰り、家内に見せました。 するとそれを読んだ家内の目から大粒の涙が溢れ出ました。そして泣きながら私にこう言いました。 「やっとお父ちゃんのことを認めて応援してくれる人が出て来てくれて、嬉しい」と。 もう30年前の出来事です。作品はまるでアルバムのように当時の事を思い出させます。 この夜、久しぶりに作品を聴き、熱心な皆さんと歓談し、嬉しく懐かしさに浸りました。 この作品は5月18日「還暦記念コンサート/鈴木憲夫と仲間たち」東京・浜離宮朝日ホールにて演奏されます。 ←クリックすると拡大に。 桜の季節が過ぎれば五月などすぐです。 いろいろと関係の皆さんが一生懸命に取り組んでくれております。 コンサートに関心をお持ちの方、どうかお出かけ下さい。 |
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HP通信NO.312/ 2013.1.30 27日は四国・高松に行って参りました。今年の初旅です。 来月高知市で行われる「全四国男声合唱フェステイバル」のリハーサルにお邪魔しました。 そこで男声版「永久ニ(トコシナニ)」が初演されます。 今回の練習場所は高松市。 100人以上の皆さんで歌い上げる「永久ニ」は圧巻でした。そもそも「永久ニ」は混声合唱ですが、 男声合唱となるとちょっと別世界です。高知のお近くの方、興味がありましたら是非お出かけ下さい。(コンサート情報に詳細) 練習終了後、全員で記念撮影(携帯で写したものでピンボケでごめんなさい) その日の夜は高松市内で高松混声合唱団の皆さんと懇談しました。 私の真向かいが指揮者の中尾英雄先生。 只今、新作の委嘱を受けています。 「どんな作品がいいでしょね〜」とお話をしながら、おいしいイタリアンをご馳走になりました。 翌28日は帰宅。 高松といえば「讃岐うどん」。もちろん讃岐うどんも食べて帰ってきました。 以前、高松に伺った折にはうどん屋を4軒も「はしご」したことがありました。 そもそも麺類好きの私ですから、「本場・高松のうどん」は店によってどう味が違うのか、 と、好奇心ムキムキで食べ回ったのでした。結果、食べ過ぎで身動きもママならぬほどオナカパンパン状態に。 「好きなものは天敵」とは私の言(げん)。ついつい好きなものとなると食べ過ぎてしまうものですね。 好奇心旺盛もほどほどにしないと上のように身に変じることもあります。 昔は新しいものが出るとすぐに手を出したものでした。 例えば「携帯電話」。登場したての頃は大きなトランシーバのようなものでした。 カバンにいれるとズシンと重かったものです。それにワープロ。初期は小さなテレビ画面付きのものでした。 この他にPCはもとより初期のFAX器などなど・・・・。 このように「新しもの好き」だったのですが、「スマホ」にはまだ手をだしていません。 何やら面倒になってきました。これは単純に言うと加齢のせい? 「便利なものができると、何かを失う」ということを皆さんどう感じられますか? これも私の言。 ワープロができると、つい書く事から遠ざかります。 携帯メールにしてもPCのメールにしても、手紙や葉書はつい面倒なものになります。 「字は人なり」と申します。字から受ける「情感」もまた失われて行く、ということにもなるのでしょう。 最近新聞で目にしましたが、今の子供(小学生?中学生?)は「急須」を知らない子供も多いらしいです。 家でお茶を淹れるという習慣がなくなったということなのでしょうか。 お茶というとペットボトルに入っているもの、という認識のようです。 「急須」を直に火にかける?、ということもあったそうです。 スナホを使っている人とお話すると、必ずといっていいほど話が中断します。 会話の中で「???」の事柄があるとすぐにスマホで「検索」です。 スマホを持っている方が数人いると、それこそ「勉強会」さながらの集いに様変わりです。 次から次へと検索を始めるからです。 会話が会話らしくなくなっていきます。 こういうことって身の回りにたくさんあります。 「便利は何かを忘れさせてしまう」のですね。 それは「進歩か退化か」。 皆さんはどう思われるでしょうね。 1月はややノンビリ。2月にはいろいろ締め切りやら、それに確定申告もあります。 巷ではインフルエンザも流行とか。 人ごみとはあまり縁のない生活を最近送っていますが、デモ、出かける機会が多くなると要注意ですね。 皆さまもどうか風邪やインフルエンザにお気をつけください。 |
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HP通信NO.311/ 2013.1.23
今年も、もう1月半ばを過ぎました。 「すぐに2月か〜」とため息。年初めにして「既に」ため息です。 この調子で行くと今年、きっと数限りないため息をもらすことになるでしょう。 只今の作曲をきちんと終えないと、次々とシワが寄ってきます。雑用も結構多いのです。 各種原稿や、5月コンサートの準備、また「音楽ほほえみ基金」を現在一人でやっているものですから、 その事務やCDなどの発送まで・・・それに言わずもがな、独り暮らしですので家事一般、部屋のホコリやゴミを気にしつつも、 見て見ぬふりをすることもストレスにつながるのです。(掃除をすれば済むのに、なかなかそういかないのが「生きること難し也や」) 今年で60歳、厄年に当たるようです。 |
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HP通信NO.310/ 2013.1.14 1月12日、宮城県宮城郡七ヶ浜町にあるお墓/慈しみの像の前で。 1月12日は家内の命日でした。今年で七回忌になります。 七回忌とは仏教式の数え方で「7年目に入る」という意味で、実際は「まる6年」です。 早いというか長かったというか、気がついたら「七回忌」でした。 この日は亡くなった日と同じような晴天。私の母、叔母、家内の姉と4人でお墓参りをし、 いくつかお経をあげ、七回忌供養としました。 若い頃に妻を亡くした私の友人から当時こう言われたことがあります。 「お正月、ひとつひとつ過ぎると、すこしづつ楽になっていくよ」と。 その通りでした。 悲しみは時間でしか解決できないものとつくづく思います。 男の場合、妻を亡くすと「生存率が約3年」だそうです。 最近妻を亡くした友人から言われました。 「ノリオさん、偉いな〜、もうあれから6年?」と。 また昨年、20歳も上のI先生が奥様を亡くされ、その時に私にお便りを下さいました。 「奥様を亡くされ、どんなに辛かったか、あの時は言葉だけのお悔やみしか言えず、今は我が身に沁みています」と。 人それぞれといいながら、愛する者を亡くした悲しみは一緒です。 今年、私は還暦を迎えます。 還暦記念コンサートも催されます。 その中で家内を追悼するステージも企画しています。家内も私と同じ歳ですから・・・・・・・・。 「60歳」というと嬉しいこともあります。 「映画を1.000円」で観れる事です。 誕生日が過ぎたら早速行きます。 「その時!」チケットを買う「その時!」。 スンナリ「シニアです」と言って買えるか、「身分証をみせて下さい」と言われるか、 実は今からワクワクしているのです。 いずれ「その時!」のことをご報告いたしましょうね。 今日は関東は珍しく雪です。 雪の降る鳩山は普段より静かです。 こんな日は仕事も心なしかはかどるようです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昨年暮れに写したマノン。Oさんのお庭で丸まっていました。 散歩の途中でいつも会います。 こうして元気で居るだけ私には嬉しいことです。 マノン6歳。 |
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HP通信NO.309/ 2013.1.4
新年あけましておめでとうございます。 皆さまにとって良き一年となりますように。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今年もまた新しい暦から始まります。 |
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