HP通信7
2012年
「HP通信3」は08年1月より再開しました。
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「HP通信2→2006年」
「HP通信3→2008年」
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「HP通信5→2010年」
「HP通信6→2011年」

 HP通信NO.309/ 2012.12.21
 
 先週の14日金曜日から奈良に行っておりました。
16日の日曜日が新作「ラブ・ストーリー」の初演、本番でした。

 金曜日は少し早く家を出て、3時過ぎには奈良の東大寺におりました。
東大寺には既に何度も足を運んでいるのですが、今回、ホテルも近かったこともあり、
散歩を兼ねて行きました。なにせ「鹿ちゃん」に会いたくなったのです。

     

 東大寺はいつものことながら修学旅行の生徒も含め観光客で一杯。
外国の旅行者も多くみかけました。
「鹿ちゃん」いや「お鹿さま」へ「鹿せんべい」を上げるのを楽しみに行ったようなものです。
よくよく見ると鹿は何とも可愛いものですね。
 上の鹿は角がありませんので「メス」。オスは角があります。(今の季節は角が切られていますが)

「鹿せんべい」をあげるのはとても「技術(?)」がいるものなのです。
頭のいい鹿は「鹿せんべい」売り場の傍に待機していて、「鹿せんべい」を手にするやいなやスリスリ近寄ってきます。
 そしてまたたく間に鹿に取り巻かれてしまいます。そこで「うろたえたらダメ」。
即、せんべいを鹿にやるか、知らんぷりして少し歩いて、鹿をフェイントして鹿が少ないところで上げるか、です。
 ボサーっとしていると鹿に囲まれて(あっという間に10頭くらい)、お尻や足など「かじられてしまいます」。
とはいいながら、実は私もこうした失敗を重ねて、ようやくにコツを知ったわけです。
 これが楽しくて、10枚一束の「鹿せんべい」150円をおおよそ20束くらいは買ったでしょうか。
それでようやく「鹿せんべい」の上げ方も達人(?)並になり「鹿ちゃん」たちと仲良くなれました。

 その後、近くの春日大社へ。春日大社は初めてです。

     

 春日大社へは巨木に囲まれたまるで原始林のような趣きの参道を歩きます。
鹿はみな野生です。あちらこちらに散らばっていました。
 子鹿の世話をしている母鹿の姿も何とも麗しい光景でした。
鹿の鳴き声も「キーン」と高音で物悲しいような切ない声が林の中に響いていました。
 私は神社などに参拝するのが好きで行く先々でこうした社(やしろ)に赴くのですが、
ここ春日大社はとりわけ「気に満ちて」いて、古色粛然としたたたずまいが印象的でした。

 鹿は春日大社内の「鹿野苑(ろくやえん)」を寝床にしています。
夕暮れ近く、東大寺の前を通って帰る時、鹿が横断歩道を渡り春日大社に向かうのを見ました。
 集団で横断歩道を渡るのです。信号が赤でも青でも「みんなで渡ればこわくナイ」とはこのこと。
車も慣れたもので、鹿の横断を見守っていました。

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16日「奈良県合唱連盟50周年記念演奏会」が奈良県立文化会館/国際ホールにて行われました。

 この日初演の曲「ラブ・ストーリー」の楽譜も当日即売され、サイン会も。

              

 指揮は私、ピアノは本多玲子さん。
満員の聴衆でした。
 160名の皆さんの素晴らしい合唱で、この新作は大きな産声をあげました。

    

        打ち上げも賑やか。私のお隣はこの日、同じく委嘱・初演の作曲家・信長貴富氏。

 奈良県合唱連盟理事長・池田光政先生、合唱指導をして下さった当麻礼子先生には本当にお世話になりました。
今回の奈良での演奏会で、今年の私の行事は終わりました。

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 暮れは仙台/利府に滞在します。
この1週間で一年中にたまった書類その他を整理し、片付けなければなりません。
「人間の歴史は掃除の歴史」と誰かが言いましたがその通りです。
このままだと「ゴミ屋敷」になります。

 植物でも雑草をきちんと取り除かないと枯れるそうです。
人の生活もそのようです。
 暮れはそのためにあるのかも、と思えば、これ・また納得。

 仕事もそうですが、一年の締めをきっちりとやりたいものですが・・・・。
「喪中」の葉書の束を見ながら、そろそろ年賀状の準備もしなくてはと思っているこの頃です。

 今回の更新は今年で終わりになります。また来年どうぞ宜しくお願いいたします。

 HP通信NO.308/ 2012.12.11
 
 雪の降る季節となりました。地域によっては大雪とかで、お見舞い申し上げます。もうすっかり冬です。
私は先週末は奈良におりました。
 奈良で初雪を体験しました。

今回は「徒然(つれづれ)風」に書いてみたいと思います。

 先週一週間は天気も良いせいで毎日1時間程散歩をしていました。
ある日の午後、いつものように歩いていましたらご近所の方とバッタリ。
 たまに顔を会わせると「コンニワ」と声をかける程度のお付き合いです。
その方が、私の方に寄ってきてこう言うのです。
「この間、新聞で大宮で歌を作ったことが載っていましたよ。」そしてさらに
「先生は」「詩もかくんですか?」と。「先生」ときました。
ご近所の方はきっと私が「何者なのか」噂をしているのでしょう。
 日中、プ〜ラプ〜ラして、サングラスをかけて、毎日遊んでるようにくらしている人がご近所に居る、
ということは「あぶない奴」なのかどうか見極めなければなりません。
 私の家の前はゴミ収拾場所になっているものですから、ゴミ捨ての時に、ご近所の方と会います。
皆さんご機嫌よく挨拶をかわして下さいます。
〜〜〜〜というところをみると、「怪しい人物」には映ってないとみてヨシなのでしょう。
 しかし、先日の「先生」には驚きました。
少なからずそういう親しみを持って下さっているということは嬉しいことだと思いますケド。

 毎日買い物に行くスーパーのレジ係の方々などもさぞや「コイツは何者?」と思っているに違いありません。
ですから時折怪しい格好で行く事があります。(怪しいといっても、帽子をかぶり、チーフやマフラーを無雑作に巻いて・・・)
「コイツ何者?」と思われるのは結構面白いことです。

 もう10年以上も前のことになりますが、こういうことがありました。
どこか地方に行った帰り、羽田空港にての話です。
 夏はいつものように上下「白・白」を着ます。その時も白・白、靴まで白、それにいつものサングラス。
しかもその時、花束まで手に持って飛行機から降りて出口に向かってましたら、
 どこかで見た事のある人が〜その人「山本寛斎さん」でした〜私の方を容赦ない視線でずーっと見続けていました。
「なんだコイツは?」とでも言うように。
通り過ぎて「背中」にさえ強い視線を感じました。
 あとで、このことを芸能界に詳しい知人に話をしましたら、「寛斎さん」はとても旺盛な好奇心をお持ちの方で、
私の話を聞いて「さもあらん」という反応でした。

 まあ、ご近所の方から「怪しく思われていない」ということのようです。嬉しいことでした。

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 さてさて、8日土曜日は奈良に向かう日でした。
出かける日は私は掃除をするのです。
 洗濯、台所の周りをピカピカに、そしてベットメイキングまで・・・・。
これがいつの間にか習慣になっていました。
 私は元々、そんなこと出来る筈のない人間でした。
しかし「きれい好き」な女房と一緒に何十年も暮らすとどうやら移ってしまうようです。
 それに、いつもホテルでの生活も多いものですから、疲れて我が家に帰った時に、
ヨレヨレのシーツや布団を見ると、余計に疲れがド〜ンと出てしまうのです。
 ですから出かける日は結構忙しいんです。

 この日も朝からパタパタして家事を終え、車で最寄りの駅の東武東上線「高坂駅」へ。
駅前の駐車場に着いたらコートを持って出るのを忘れました。
「この時期、コートがないんじゃコトだ」というので、15分かけてまた来た道を戻りました。
 そして池袋経由で東京で。
その頃にはお昼を過ぎてましたので、昼食の代わりに「キヨスク」で「ゆで卵」を買いました。
 新宿や東京など「遠距離」のターミナル駅には必ず置いてあるこの「ゆで卵」がおいしいのです。
生産者は盛岡市の製造業者。
 ほどほどに塩気が含まれて結構美味しいのです。1ネットに二個。
新宿から中央本線に乗る時はまるで条件反射のようにこれを求め、ビールを飲みます。

 京都には3時半近くに着。
今回は近鉄線を使うのですが、京都に行くと必ずといって良いほど「30番線」のホームにある蕎麦を食べるのです。
 この蕎麦がまた美味しいのです。近鉄線と30番線は駅の端と端。
結構、パタパタとして蕎麦を食べ、近鉄線に乗り込み「橿原神宮駅」へ。

 着いたのは日暮れ近くでした。前回、10月に来た時は「飛鳥」などに足をのばしました。
 そのホテルは「温泉付き」。私は温泉にはあまり興味がありませんが、寒いし、折角だし、というので温泉へ。
ホテル館内ではクリスマスソングが流れていました。私はクリスマスソングが好きではありません。
「音楽的」というのではなく「年末気分」にさせられるのが嫌なのです。
脱衣所に居るとそのクリスマスソングを口笛しヒョイと入ってきた男性がいました。(男湯なのですから男性は当然ですが)
 
まずまず風呂に浸かり、そそくさに出て脱衣所で着替えていると、またヒョイと今度はクリスマスソングを鼻歌に
男性が入ってきました。
 こういう「ヒョットコ」のようなノリって私はできないものですから羨ましくなります。
夕食時、
風も冷たく、外は「寒そう!」でしたので、ホテルの近くの居酒屋に出かけるのはやめ、
ホテル内で食事を済ませ、あとは部屋で一人で焼酎をチビチビ飲んでその日は寝ました。

 翌朝、「橿原神宮前」から二つ前の「近鉄八木西口駅」で降りて、江戸時代の風情の残る街「今井町」に寄りました。
これは奈良県合唱連盟の理事長池田先生から薦められた場所です。
 町内自体が江戸時代の住居の名残そのままになっています。

   

            
          住居の中も見学でき、町のボランテイアガイドさんに写してもらう。

 町を歩いているとチラホラと雪が・・・・・・・。
私にとり、今年の初雪体験でした。
 静かで殆ど人とすれ違うこともなく、何とも風情のある江戸情緒満喫のひとときでした。

 さてさて、これからが今回の目的(仕事)。「筒井駅」で降りて、近くの公民館で「新作・ラブストーリー」の練習。
前回同様、160人の方が集まって下さいました。
 来週16日が本番です。
当日刊行の楽譜も事前に演奏者が手に持っての練習でした。
 皆さんの熱意できっと素晴らしい初演になることと思います。
このご報告は次回のHPの更新でご紹介できるでしょう。


 練習後、京都駅に寄りそこから帰路へ。
自宅には11時ころに着きました。

 ここ数日のことを徒然風に綴ってみました。

 今年も残りわずか。このHPの更新もあと1.2度程度。
師走になると何かと気ぜわしいものです。
 私など、よく忘れ物や落とし物などをするものですから、よくよく注意しないと・・・・。 
皆さまも、どうか事故や身の回りの安全にお気をつけ下さいますよう。

 HP通信NO.307/ 2012.12.1
 
 11月24日はさいたま市民会館おおみや大ホールにて、「さいたま合唱協会おおみやの歌」の発表が行われました。
震災後、一時期、CDでも話題になった宮澤章二先生の詩集「行為の意味」よりの詩、
「心はだれにも見えないけれど心づかいは見える」
「思いはだれにも見えないけれど思いやりは見えるのだ」
をもとに私が詩を書き作曲したものです。

        
<こころ>はだれにも見えない
 けれど<こころづかい>は見えるのだ
 あたたかな<こころ>が満ち
 それが歌になるとき
 歌は街にあふれ
 花や木や鳥たちさえも 
 空に向かってほほえむ
 歌声響いていのちかがやく
  歌声響いていのちかがやく
 そんな街で私は 生きてみたい

<思い>はだれにも見えない
 けれど<思いやり>は見えるのだ
 やさしい<思い>が満ち
 それが歌になるとき
 歌は街にあふれ
 花や木や鳥たちさえも 
 空に向かってほほえむ
 歌声響いていのちかがやく
  歌声響いていのちかがやく
 そんな街で私は 生きてゆこう
              

 宮澤章二先生は大宮で活躍された詩人です。
元大宮市の教育長まで歴任されて、大宮とはご縁の深い方です。
 私も(オーケストラと合唱のための)カンタータ「さいたまさちあり」(詩:宮澤章二)でご一緒させていただきました。
当日は大宮区長の宮澤先生のご次男も出席されて、総勢1.100人の合唱を指揮して
盛大にお披露目をいたしました。

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 今週は仙台/利府に滞在しました。
仙台/利府といつも書きますが「利府」は結構有名になっているようです。
 仙台より北に隣り合わせた小さな町ですが、大きなスタジアムがあり、多種のイヴェントが最近行われています。
先日のNHK杯フィギアスケート大会も利府で行われました。
 幾人の方から「利府」で開催のテレビを観た、とのメールをいただきました。
以前、サッカー・ワールドカップも「利府」で行われましたし、
「EXile」など人気グループのライブも時折行われているようです。
スタジアムは利府の家から結構離れているのですが、「EXile」の公演の時は我が家まで音が聞こえました。
 ドームを開けての公演だったらしく、風に乗って賑やかに音楽や観声など聞こえてきました。

 利府と北隣り合わせが塩釜市です。
塩竃神社には今回も二度、お詣りをしました。

                

 
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 1週間ぶりで鳩山を散歩。

          

 いつもの散歩道、林の小径。木の葉の絨毯です。
足下にはたくさんのドングリが。今のところ頭への直撃はありませんが、時折、ドングリが降ってきます。


          

 歩いて30分のところにある岩殿観音の大銀杏。全長40mはある巨木です。
今年も色づきました。
 あと1週間もすると、地面が黄金の絨毯になります。

 毎年毎年、こうして季節は間違いなくやってくるのですね。
鳩山はまだ秋の景色。
 このような自然に接していると自然とは神の領域なのだと感じます。
これから日々、冬に向かって色どりも変わってきます。
 四季折々、自然が美しい鳩山です。


 今日から12月。
年の瀬の慌ただしさにせかされるように、年内の締め切りのものに拍車をかけなければと思っているところです。


 HP通信NO.306/ 2012.11.21
 

 木枯らしが舞う季節となりました。
外出にはコートが必要になってきましたね。
 皆さんお元気でしょうか。

 17日は新作、男声合唱組曲「イーハトーヴ・ファンタジア」の初演でした。
初演は東京リーダーターフェル。指揮は岩佐義彦氏。この作品は池田規久雄氏の委嘱によるものです。
 とても見事に演奏していただきました。すみだトリフォニー大ホールは満席。

           

 楽譜は当日即売、休憩時間にサイン会をいたしました。

        

 私のこれまでの男声作品は編曲版のものが多かったのですが、今回はオリジナル。
男声合唱の重厚でそして深い味わいの響きを心がけて作りました。
 全5曲で構成されています。
特徴としては宮沢賢治の作詞作曲したものの「作詩だけ」に作曲したものも3曲ほどあります。
 日本の男声合唱団にとって、これからレパートリーにしていただきたいものと思っています。

 この日、サイン会を終えて(残念ながら後半のステージは聴けずに)、4時の新幹線で京都へ。
京都で山陰本線に乗り換えて東舞鶴まで行き、そこから車で若狭高浜町にその日は宿を取りました。

 翌18日は福井県若狭地方の合唱団が集まった「WCA合唱祭」の講師として出席しました。
下がそのポスター。

              


 高浜町の女声合唱団「グラッセス高浜」とはもう10年以上のお付き合いがあります。
かつて「国民文化祭・ふくい」があった時、高浜町で「童謡の祭典」が行われ、
そのプロデユーサーを務めたことがありました。
 青葉山という△おむすびのような山があり、海もあり、漁港もあり、風光明媚なところです。
ですからとてもご縁があります。行く度に「帰ってきたような懐かしさ」を覚えるのも不思議です。

 翌日は京都で、指揮者の箸尾哲男先生と来年のコンサートの打ち合わせなどをして帰ってきました。

 来月はまた京都→奈良。12月の京都・奈良は寒い事でしょうね。

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 最近は会う人ごとに「ちょっと太りましたか?」などと聞かれて、身体はポンポコポンでも気持ちはショボン。
それに抜け毛のシーズン?。
「食欲の秋」ですから食欲多いに結構です、ケド「抜け毛」は落ち葉ではないのですから、ノーモア。

 私は「麺」が大好きなのです。
行く先々で必ず食べます。
 家に居る時はなるべく粗食を心がけていますが、やはりついつい「麺」。「イケメン」ならず「行く麺」です。
それでせっせと歩いているというわけです。

 鳩山はそろそろ冬支度を始めています。
巷でも「年賀状の発売」など、あっという間に今年も年末を迎える準備です。
「喪中」のお葉書も例年のごとく。
 年内にやらねばならぬ仕事を振り返り、ため息まじりで我が身を初冬の日だまりの中に置いています。
ここ鳩山荘は日当りがよく、一日中、ポッカポッカなのです。

 仙台/利府にはここ10日ほど行ってませんので、今週末は仙台に行きます。
新幹線で北上すると紅葉の色彩が楽しみです。

 急に寒くなりました。皆さんもどうか御身大切になさって下さい。

 HP通信NO.305/ 2012.11.12
 

 めっきり朝夕が冷え込む季節となりました。暦の上では「冬」。
今年のあの猛暑の夏がウソのように季節が移り変わっていきます。本当に速いものですね。
 地方にでかけたりする時は着るものに要注意です。
うっかり油断すると大変なことに。

         

 前回更新した日11月3日の夜の写真です。
来年の私の還暦コンサートの役員さんたちとの打ち合わせでした。今回でたしか3回目。
 またこの日、前列左の田中君が中国に栄転するのでその壮行会も行いました。
彼は関西大学混声合唱団「ひびき」の卒業生。現在、東京で「ひびとも会」を結成。
 彼を含めて、彼らの多くは、学生の時からのお付き合いです。
前列女性はコールベルの役員の方々。皆さんのお陰で準備は着々と進められています。

 翌4日は府中の森芸術劇場での府中市民合唱祭に講師として伺いました。
この日は約30団体の演奏を聴き、講評を書きました。

         

 会終了後の懇親会で。上の写真では高校生たちに囲まれています。
とても和やかな会でした。

 この日は府中を後に、市川市に宿泊。
翌日5日はコールベルの練習でしたが、何と、1ケ月半ぶりの練習。
 皆さんとは「久しぶり」の再会。
私の留守中、ピアニストの黒河内先生がしっかりと練習を見て下さっていました。

 相変わらず仙台には1週間に1度くらいのペースで通っています。
母が通院する日はなるべく付き添うようにしています。
 とくに、ここしばらくは「大手術」を受けるか否かでちょっと大変でした。
しかし手術は回避。良くなったということではありませんが、しばし安堵です。
 父の施設にも仙台に行く度に寄っています。
前にも書いたと思いますが、父は若い可愛い看護士さんたちに手厚く親切にされ幸せそうです。
 数ヶ月前の父は、昼夜問わずの徘徊、そして転んで救急車で運ばれたり、という一時期の大変さがウソのように、
今は平安です。母もこの半年以上、大分心身ともにダメージを受けました。
 先週は9日(金)に仙台へ。

         

 上の写真は10日、塩竃神社で。
「七五三」で境内は大賑わいでした。
男の子も女の子も晴れ着を着て、普段は神秘的な趣きの塩竃神社も華やかな彩りであふれていました。

               

 上の写真は私が三歳の時の塩竃神社での写真。今から56年前のものです。
半世紀以上の昔。
 私が生まれた100年前1853年はペリーが浦賀沖に黒船でやってきた年です。
歴史の教科書に乗っている史実が私の生まれるたった100年前。
 そして既に50年以上の月日は経っていますから、ペリー来航は約160年前ということになります。

 七五三で塩竃神社に訪れた子供たちは、おぼろげにでもこの日を覚えていることでしょう。
そうして私のように、50年も過ぎて時の経つ不思議を思うかもしれません。

 塩竃神社は私にとっていつまでも変わらぬ風景と、古びない時間とを感じさせる空間です。

             

 11月11日は山形テレサで「山辺女声合唱団50周年記念演奏会」にお伺いました。
 私の「レモン哀歌」「二度とない人生だから」「今が美しい」「ほほえみ」などを熱唱して下さいました。
写真と隣は指揮者の吉田ユカリ先生、左がピアニストの大沼美紀先生。
 感動的な素晴らしいコンサートでした。

        

 これは山形に着いてお昼に食べた「板そば」。いつも立ち寄る蕎麦屋さんではありませんが、
ここの蕎麦もまた美味しいのです。
 夕方、山形を出る時には、今度はいつも行く蕎麦屋さんで暖かい蕎麦を食べました。
旅に出ると、私はいつもコレです。
 その前日も塩竃神社に行った帰りにいつものラーメン店さんにも寄りました。
普段家では粗食を心がけていますが、外では、迷わず麺三昧。
 おかげで腹はいつまでもひっこみません。
これから寒い冬。今の内に多少の皮下脂肪は蓄えてもよいだろう、とは自身への言い訳?
 困ったことにまたしばらくは旅の空、そして食欲の秋は続くのであった・・・・・?・・・・・・・?・・・・・・・?。


 HP通信NO.304/ 2012.11.03

 
 朝夕めっきり冷え込む季節となってきました。
先日まで仙台に居りましたが、やはり朝夕は寒い!。ストーブがないと風邪を引いてしまいそうです。

 最近は1週間に一度は仙台に行っております。父は只今施設に入っています。
若い女性の看護士さんに囲まれ、万事に優しく面倒をみられ、とっても幸せそうです。
 母も何かと病院にお世話になっています。
通院の時は私もなるべく付き添うようにしています。
 私は一人っ子ですが、実家の近所には母の妹や兄弟、それに従兄弟たちがいますので助けられています。

 相変わらず、各地に出かけたり、仙台にも行く事頻繁なので、自身の仕事は敢えて言うならドンヅマリ。
やはりじっくりと腰を据えて集中しないと、次から次へと締め切りが追いかけてきます。

 先週末は横須賀に行っておりました。

        
           横須賀市合唱連絡協議会主催の第38回「市民合唱のつどい」
     役員の皆さまと会場の玄関で記念撮影。前列、私のお隣が会長の山田茂雄先生です。
                看板は毎年、山田先生のお手製。(10月27日)

 この会には4年続けて講師としてお招きいただいております。
4年も続けて伺いますと、ハテ?昨年はどんなことを話したか、はたまたどんなダジャレを言ったか、などと
考え込んでしまいます。
 10月27日28日、およそ60団体の演奏を聴きました。そしてひとつひとつの団体に講評を書きます。
さぞや大変でしょう、と思われますがコンクールのように審査する訳ではありませんから、
それぞれの合唱を楽しんで聴かせてもらっています。

 記念写真の後、役員の皆さんとの懇親会の前に、山田先生に横須賀の海辺を車でご案内いただきました。

      

    観音崎近く。真っ正面に天気であれば富士山が見えるとの事。夕暮れで写真もうまく撮れませんでしたが、
    とても風光明媚なところ。

 この会はとても和やか。それも山田先生のお人柄に依るものですが、学校の先生が多く運営に携わっておられます。
後進の方をとても大切にされているのが分かります。
 今回、とくに目をひいたのは、中学校のPTAコーラス。
ある学校で音楽指導の先生が授業枠の5時間目に「PTAコーラス」の時間を設け、そこに父兄、OB、OG、先生などが
加わりコーラスを作っているとのことで、これは素晴らしいことだと思いました。

 こうした活動がもっと広がってほしいと思います。
私で何かできないか、ということも考えているところです。
 これをご覧の皆さまの周りで、可能でしたら少しでも輪を広げていって欲しいものです。
私も近くでしたら、ボランテイアでお手伝いするのですけど・・・・・・・。



 11月3日、実は今日「結婚記念日」なのです。今年で35年目。
あの日も今日のように雲一つない秋空でした。
 大変な一日でした。とても忙しく「こんなこと二度としたくないね」などと彼女と冗談をかわしたことを覚えています。

 若い人には「人生これからじゃない」などと言いはすれど、「人生はあっと言う間」、これも実感。
そのどちらの捉え方も正しく、人生というのはそういうものなのだろうと思います。

 彼女を亡くして5年10ケ月が過ぎますが、やはりこうした記念日というのは思い出があり、懐かしいと同時に
辛さがまだまだあります。
 こんな日は一人でいたくないものです。
しかし家内の亡くなった2007年以来、この日は仕事とか友人と一緒だったりして、
一日何もなく家で一人で居るということはありません。
 今日も夕方から私の還暦コンサートの打ち合わせが池袋であります。
初めはきちんと打ち合わせ会。後半は賑やかな宴会になるでしょう。いつも楽しい会です。
 ちなみに来年の11月3日は既に予定が入っています。
来年も多分同じ思いでいることでしょう。



 今日は朝から仕事、そして午後、散歩をしてHPをこのように更新しています。
途中、マノンと会いました。
 Oさんのお宅でお昼ゴハンを食べていました。

           

 マノンが家出をしてちょうど1年になります。
これも大分昔のような昨日のような・・・・・・・。
 初めは、出来たら「戻って欲しい」と思ってはみたものの、今ではこうしてよそのお宅で元気にしている
マノンの姿を見るのも当たり前になりました。
 そして安心感さえ覚えます。

 しかし、私に対しての無愛想は気に入りません。
「マノン」と呼びかけたらせめて「ニャーオ」の一言でも欲しいところです、が、そこは「ネコ」。
「ネコ」はやっぱりワガママなのです。


 HP通信NO.303/ 2012.10.26

 先週19日から宮崎でしたが、ウロウロとしていた台風21号も東の空に去って、飛行機もまったく心配なく、
宮崎は快晴でした。
「晴れ女」の中村禎子先生(指揮者)そして「晴れ男」の私の念力が通じたものとみえます。

 宮崎にはもう何度訪れているでしょう。昨年だけでも2.3回。今年になって5回程です。
コンクールの審査や講習会など、他に、中村禎子先生のご縁によるものです。
 中村先生とは9月のニューヨークにもご一緒いただきました。
また中村先生のお母様の三品千鶴先生の短歌に作曲を依頼されたこともあります。→女声合唱組曲「愛にささぐ」
 もう20年以上にも亘ってご厚誼をいただいています。

 それの最初のきっかけは「民話」の演奏でした。その中の「鬼とおじいさん」は中村先生指揮の「はまゆうコーラス」で、
おかあさんコーラス全国大会で演奏されたこともあります。またニューヨークのカーネギーホールでも
中村先生の指揮で演奏されました。
 今でも中村先生はおっしゃいます。「あのダダダン、ダンダダン」のリズムの難しかった、と。

 作品を通してこのように永年のお付き合いをいただくことは、とても嬉しく光栄なことです。

    此の度はバイオレットコーラス(常任指揮:中村禎子)・30周年記念演奏会で客演指揮をいたしました。

  
          リハーサル風景。宮崎市民プラザ・オルブライトホールにて

 今回の曲目は女声合唱組曲「みすゞのそら」(金子みすゞ詩)。 
実は15周年、20周年の時も招(よ)んでいただきました。
 15周年(1997年)の時はまだ元気だった彼女も同伴しました。
あの時、宮崎の名所を案内して頂いた時のことを昨日のように懐かしく思い出します。

 中村禎子先生はいくつもの団体のご指導をされていますが、宮崎市内では女声合唱団「バイオレットコーラス」
「はまゆうコーラス」を指導されておいでです。
ですので、この二つの合唱団の皆さんとはすっかり顔馴染みです。
 もう皆さんとは20年来のお付き合いになるのですから・・・・・・

 いろいろ逸話も多いのです。
「はまゆう」の団員でもあり、バイオレットの団長を永くされたSさんとこんな話をしたことがありました。
(私が引っ越しをした時)
「先生!、私のバカ息子が埼玉の奥の(本当に遠かった)、何とかという駅からバスで山の方にある大東文化大に入った
んだけど、まさかそんな山奥じゃないでしょ?」
(私)「あの〜、私の家はそこを通り過ぎて、もっと、奥・・・・・・・」
今回そのSさんはコンサートの実行委員長。
 また「はまゆう」の団員のNさんのご家族が埼玉ということで、埼玉に来たついでに、我が家を探しに来られた、
こともありました。その時私は留守で、マノンに会えて喜んで帰られたという話もあります。
 とにかく、その他の方々とも親しく交流を結んでおります。

            
 
              中村禎子先生、とピニストの甲斐磨有美先生。 

コンサート超満員。大盛会でした。

 

         左が宮崎観光ホテル。右が大淀川。ここに来るとこの川縁を歩くのが楽しみです。
             またホテルの部屋から見える景色もとても美しいのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 上では中村先生はじめ、いろいろと書きましたが、いつも思う事ですが「人とはご縁」なのですね。 
中村先生を通してたくさんの方々とたくさんのご縁ができました。 
 その「ご縁(五円)」が強いと「五十縁(円)」などとよく冗談をいうのですが、
人は見えない縁で結ばれています。
 もしその「縁」が見える「スコープ」(眼鏡)などがあったら面白いでしょうね。
きっと様々な色が綾をなし、さぞかし賑々しいことでしょう。 
 例えば、とても良いご縁だったら「ピンクとか青」、ちょっと怪しいご縁だったら「ダーク、黒」とか。 
よく「赤い糸」といいますが、「赤い糸」のご縁もあったりして・・・・・・・・・・。  

 なかなか見えない縁ですが、それを知るひとつの言葉があります。
それは「お陰さま」という言葉。
 誰に対しても心の中で「お陰さま」と言ってみると意外とその人とのご縁が見えるものです。
例えば、若い頃に嫌がらせや、いじめを受けた人に対して「お陰さま」と言ってみる。
 自分の子供に「お陰さま」と言ってみる。
お世話になった人に対する「お陰さま」ではなく、そうではない人にも言ってみると、自分でも気付かない発見が
あるかもしれません。
 例えばマノンにも「お陰さま」と言ってみると、マノンとの関係が本当によく見えて来るものです。

 日常での様々なこと、いろいろとご縁があるのだナ〜、と思って世間を眺めるのも、心の潤いです。

 今週も週末は横須賀。
最近、秋日和が続いているので心地よいですね。
 でも夜は私はもうストーブなど点けているのですよ。
東北人というのは寒さに強いのではなく、寒さに対する警戒心は強いのです。
 ですから、「寒い」とおもったら即ストーブを点けてしまうのです。


 秋日和の日、散策が楽しいこの頃となりました。
夏が猛暑で外を歩けなかった分、只今、一日最低、約8.000歩は歩くようにしています。
 食欲の秋!。
何とかオナカポンポコポンを鎮めないと・・・・・・・!。


 HP通信NO.302/ 2012.10.18

 秋も深まってきました。
落ち葉を踏む音が「シャカ シャカ」と、まるでポテトチップをかじるような何ともくすぐったいような音が、
葉を踏む足の下から聞こえてきます。
 そんな季節になりました。
皆さんはいかがお過ごしでしょう。


 先週末は奈良におりました。 
14日がリハーサルなので、13日は奈良泊まりということになっていました。
 その日の朝、どうせ行くのなら「飛鳥」まで行ってみたいと思い立ち早めに家を出ました。
京都・近鉄線を乗り継いで「橿原神宮前」下車。一旦ホテルに荷物を置いてから、そこから二駅先の「飛鳥」へ。
 その時には4時半近くになっていました。やや黄昏時。 
駅前でレンタル自転車を借りました。 
 5時、閉店とかで、私がセカセカと「ここと、ここを見たいのだが・・・・」と言うと、
オバサン「そんなに急がんと、事故起こさんように、気〜つけてな〜」と送り出してくれました。
 自転車を返すのは6時でもよいから、と。 

 飛鳥は昔から憧れていました。
いさんで自転車をこいだものの、自転車は「オバチャリ」、さらにタイヤの空気が入ってない様子で、
 颯爽とした格好良さは、まったくなく「ヒーコラヒーコラ」こいだのでありました。 
まず駅近くの「高松塚古墳」へ。
 壁画で有名なところです。 
資料館などありましたが何しろ時間が時間だけに既に閉まっていました。

 私の目的はただひとつ、「二上山(ふたかみやま)」に沈む夕陽を見ることでした。
そして「橘寺(たちばなでら)」から憧れの風景を目にすることができました。  

      

                     二上山に沈む夕陽。(10.13)

 古来の人々にとって、二上山(雄岳、雌岳)の間に陽が沈む様は、神聖なものとして崇められていました。
そんな景色を何と、聖徳太子が生まれた「橘寺」の門前からこの風景を眺めたのです。
 おそらく、古来の人々が見た風景と同じものでしょう。
キンモクセイが香り、稲刈りをした後の青々しい匂い、そしてどこか遠くで焼き畑をやっているのか、
その匂いもしました。
 日本の古都「飛鳥の匂い」をかいだ思いでした。

 もう少し頑張れば「石舞台」まで行けたのですが、黄昏も深くなり、足もとも暗くなったので駅へ戻りました。
時間は6時近くになっていましたが、レンタルサイクルのオバサン待っていてくれました。

 翌朝、ホテル近くの「橿原(かしはら)神宮」を散策。
神社と違って格式が違います。広い敷地でした。
 祭神は「神武天皇」。日本で最初の皇居のあったとされる場所です。
その日、日曜日でしたので、結婚式や七五三の人たちで賑わっていました。

 今回の奈良は12月16日に初演される新作・女声合唱組曲「ラブ・ストーリー」の初練習のためでした。
初演は私が指揮いたします。

          

        練習には160人の方が参加。4時間の練習で全体を通すまでになりました。
 この合唱指導は左、当麻礼子先生、ピアノの本多玲子先生、右は奈良県合唱連盟理事長の池田光政先生と一緒に。


 皆さんとてもよく練習して下さっていて、楽しい練習でした。
本番が楽しみです。

 この日、練習が終わって京都6時すぎの新幹線で帰宅。
家には10時半着。

 念願の「飛鳥」の風景も見れて、ちょっとした旅行気分も味わいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 奈良から帰って翌日仙台へ。
母の病院へ付き添い、入院中の父の所にも見舞いにいきました。
 元気そうで安心しました。

 明日から宮崎。目下台風21号が接近して明日の雲行きがちょっと心配です。
宮崎の中村禎子先生は自他ともに認める「晴れ女」そして私も「晴れ男」。
 何とか無事に飛行機は飛んでくれることでしょう。


            

  マノンの居候先のOさんとマノン。Oさんのご主人もやさしくマノンに接して下さっています。
この日、Oさん宅の前でマノンがくつろいでいました。
 マノンのお尻の後ろに電子香取り線香が置いてあります。 
こういう細かな気遣いをして下さっています。
 マノンは本当に幸せなネコです。

 私は散歩の時はいつもこの前を通ります。
Oさんのお話によると、私の留守の時にもマノンは我が家にも立ち寄っているとか・・・・・。

 新作「ラブ・ストーリー」の中で「ネコ物語」という作品があります。
これは私の詩によるものですが、内容はおじいさんがノラ猫を拾って行き、
「またひとつ、新しい物語が始まる・・・・・」というものです。
マノンにとっても新しい物語を生きているわけです。

 マノンの顔、穏やかで良い表情をしているでしょう?。
こうしてたまにでもマノンのこうした顔を見るのは私にとり、心が和み嬉しいことです。


 朝夕はさすがにやや冷えます。
体調など皆さんどうかお気をつけて下さい。

 


 HP通信NO.301/ 2012.10.9

 前回の更新よりだいぶ日数が経ってしまいました。 
「何かあったの?」というお電話やメールを多くいただきました。 
ご心配をおかけしました。
 9月27日より仙台→札幌→小樽→札幌→仙台と歩いてきました。10月3日、仙台から帰る日、母が体調が悪そうでした。
そこでしばらく仙台/利府の家に留まることにしました。
 そうして母の病院に付き添ったり、7日、塩釜市の混声合唱団「潮」の演奏会にお邪魔をし、
昨日8日に帰宅したという次第です。12日間留守をしたことになります。


 【ニューヨーク帰国報告 その2】を書かねばならないのですが、今回は私が撮った写真は少なく、
同行したカメラマンの方にお任せきりにしていました。ですので、それら写真が手元に届いたらここでご紹介する、
 ということにさせていただきたいと思います。

 しかし、ここで今回のニューヨークでいくつか感じたことを書きたいと思います。

<まず食事!。>
 ずーっとパンづくめ。温かなスープなどナシ。野菜もナシ。
アメリカの人たち(アメリカというよりニューヨークの人たち)には食事の栄養バランスなどどうでもよいかのようです。
 それは昨年のウイーンでも感じました。温かなものは滞在期間中、ホテルなどでは殆ど口にできませんでした。 
 
 日本は健康保険のシステムがあり、すぐ病院に駆け込み、検査の果てに「要注意事項」がたくさん付けられます。
アメリカではそんな習慣がない模様です。

 身体が大きく、太った人も結構居て、エレベーターに日本人なら10人は入るところ3.4人で一杯!、なんてことも
目のあたりにしました。
 アメリカ人をみていると「食事のバランスなどそんな気にしなくとも生きてられるんだ」という気になります。

<それとチップ!。>
 外国ではチップは当たり前。日本がいかに「お客様本意」のサービスなのかを改めて感じました。
 日本ではチップどころか「ポイントで還元!」などという事が今や当たり前。
「ポイントカード」がないと店員さんから逆にカードを作ることを勧められたりして・・・・・・・・・。
 何と、サービスの行き届いた国民性かと関心させられます。
日本には昔から「心づけ」というもの(習慣)がありました。いわゆる「チップ」です。
 それは日本人の「思いやる」「感謝の気持ちとして」の行為でした。

 私はタクシーに乗ったときや、ホテルのボーイさんなどに時々「心づけ」をいたします。
「心づけ」する方も、いただく方もそこにホンワカとした情緒が生まれます。
それが日本流なのですね。
「ポイントカード」も結構ですが、面倒くさがりやの私は殆ど持っていません。

<それと言葉!。>
 私のように英語に不堪能な人間には、アメリカの人たち(ここではニューヨークの人たちと言ったほうがよいのかも)
「英語を話さざる者は人にあらず」とでもいうかのような態度に何度もぶち当たりました。
それでも一人、ニューヨークの街を歩き、電車に乗って無事にホテルまでたどり着いたのですから、
今思えば冷や汗ものでしたが、良い経験になりました。
 私は日本でも知らない街に行くとよく一人で歩きます。
ニューヨークも同じ感覚で歩きました。
 言葉には随分苦労しましたけど。

 成田に帰ってすぐ日本蕎麦店に直行!。
私が「ざる蕎麦ひとつ」と注文すると、即店員さんが「ざる蕎麦ひとつで宜しかったでしょうか」と・・・・・。
「??????」と普通なら思うところ、そんな言葉さえ私には懐かしい「日本語」に出会えて懐かしかったです。

<それと街の賑やかさ!。>
 ニューヨークは何とも賑やかな街です。街を歩いていて、車のクラクションにはすっかり慣れっこに。
パトカーなども頻繁にサイレンを鳴らして走っています。
 東京では最近みかけなくなった光景ですが、タバコを吸いながら歩いている人も随分いました。
印象としては「大阪」の街と似ていますね。

 9月14日に成田から仙台へ。そして翌日札幌に行きました。
札幌の街の何と静かなこと。ニューヨークの喧噪がまだ頭にあったので車も人も整然と動いている様子が、
まるで異次元に居るようでした。

 そして鳩山に帰宅したのが9月19日。
ニューヨークも暑かった!。北海道も記録的な猛暑とのことで、9月中旬でも汗ばむ陽気でした。



 はじめに書きましたように、9月27日からは仙台→小樽。コンクールの審査でした。

        

                    小樽の運河、蔵のある景色

 小樽は初めてでした。ホテルは駅が見える部屋。旧い駅舎の夜の景色にずっーっと見入っていました。

 翌10月1日は「作曲家/鈴木憲夫氏をお迎えしてのレクチャーコンサート」に出席しました。
そこで歌曲(館圭子先生、真部恵子先生の独唱)、3つの合唱団(指揮:山口哲則先生、山出睦子先生、真部恵子先生)
によって合唱作品が演奏されました。
 合間に私がお話をするという構成でした。最後は私の指揮で合同での演奏。
終始とても和やかで、楽しい会でした。

       

             10月1日、夜、札幌市南区の「札幌バプテスト教会」にて

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 翌日札幌から仙台空港へ。最近は仙台空港より発着する便がある場合にはなるべく仙台空港を利用しています。
仙台/利府より空港まで車で30分ほどなのです。
 鳩山から羽田空港まで2時間半。それを思うと仙台空港は便利です。

 そして3日に鳩山に帰ろうとして玄関まで出かかった時に、母の体調不良を知り、
そのままずーっと利府に居ることになったわけです。
 しかし、きちんと仕事をしました。来春出版の原稿をこの1週間でほぼ完成させました。

       

                 居候先のOさんのお宅の前のマノン。(9.26)

 昨年もそうでしたが今年も殆ど留守がち。これまで私をずーっとこのようにして待ってくれていたのです。
よく一人で(一匹で)留守番をしてくれたものと思います。
 しかし今となっては、Oさんのお宅で可愛がられ、こうして時々会うことができて私は良かったと思っています。


 10月の中頃よりまたあちらこちらに参ります。
季節の移り変わり。
 こういう時期、念のためにいろいろな薬を持っていきます。

 互いに体調には気をつけたいものですね。


 HP通信NO.300/ 2012.9.21

             【ニューヨーク帰国報告 その1 】 

 無事にニュヨークから帰って参りました。 
「9.11日米合同追悼コンサート」は大成功!。
同行した30人の皆さんも事故もなく、楽しく充実した思いを抱いて帰国しました。 

               
          サルベーション アーミー劇場前で、私が出ているポスターの前で。本番の日11日。 

 
                    当日のプログラム

      


           
          ステージから見た劇場内。1920年に建てられたとても響きの良いホール。

 当夜演奏されたのは
・Ave Maria
・マザーテレサ 愛のことば
・仏教讃歌→指揮は中村禎子先生
・般若心経

 仏教讃歌以外は自作、そして自分で指揮。
この模様は共同通信でも紹介されたようです。

 ニューヨークの人々にとって「仏教讃歌」そして「般若心経」は、耳慣れない音楽だったようですが、
とても感動した、との感想を多くいただきました。
 アメリカ側からの演奏はBig Appleという人気の男声合唱団で、場内を湧かせました。
アンサンブル、そして声が素晴らしく、日本ではなかなか聴く事ができない演奏でした。

 
 演奏終了後、ニューヨークの「絶景なる夜景」を見てあまりの素晴らしさに唖然。
いずれ、同行したカメラマンによる写真をここでご紹介したいと思います。
 アメリカでは公然と酒を飲んではいけない法律だとか、
バスでこっそりビールで乾杯。
 思い思いの感動を胸にして宿に向かいました。

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               [ ニューヨークでの想い出の写真 ]

               
 ちょっと木陰になりましたが、ニューヨークのビルの谷間から見る空は何とも果てない広がりを感じさせます。


      
                  セントラルパークにて記念撮影(以上、9日のリハーサルの後で)

 コンサート翌日は皆さんナイヤガラの滝へ観光。
今回朗読をして下さった女優の人村朱美さんと、宿のあるニュージャー州からニューヨークへと電車で移動。
 人村さんは英語が堪能なので、安心して電車に乗りました。

             

               
                   電車内、人村さん撮影。


 ニューヨークのペンシルバニア駅に着き、そこからタクシーでメトロポリタン美術館へ。

          


                

 フェルメールの絵をバックに。何とも贅沢なシーンです。美術館ではフラッシュをたかなければ撮影OK。
昨年のウイーンの美術館でもそうでした。
 監視員の人にフラッシュにならないようにセッテイングまでしてもらいました。とても親切でした。
ニューヨークの人はどちらかと言えば、ぶっきらぼう。
 そしてこちらが英語が分からないとまるで相手にしてくれない。ですがたまに、とても親切な人にも出会いました。
人村さんとはこの絵の前でお別れ。
   
        
          ゴヤの作品の部屋。            レンブラントの作品の部屋。
   
 
                       日本の展示室の入り口

                
 奥の屏風は俵屋宗達作。その手前に現代アート作品が展示されてあります。
この展示の仕方もユニーク。
 尾形光琳の作品など、たくさんありました。
日本の展示室が充実していると以前聞いていましたので、是非観てみたいと思っていました。


 ミュージアムショップでしばしお土産の買い物をし、ペンシルバニア駅までプラプラと歩きました。

           
   セントラルパークを縦に突き切り、碁盤の目のようになっている街を下へ下へ。

 約3時間、途中、食事をしてペンシルバニア駅にやっとのことで着きました。
右往左往して道に迷いながらも、何とか、着た逆のコースでホテルまで無事にたどり着きました。


              【ニューヨーク帰国報告 その1】次回続く。




 HP通信NO.299/ 2012.9.7

 明日8日よりニューヨークに行って参ります。
以前に何度かここでもご案内した「9.11追悼コンサート」のためです。 

            

 追悼のセレモニーの後、アメリカ側の演奏、ついで日本、そして合同での演奏、ということになります。
日本側から25名、アメリカ在住の日本人5人参加、計30人の合唱で
・Ave Maria ・マザーテレサ愛のことば ・仏教讃歌 ・般若心経を演奏いたします。
14日帰国ですが、私はすぐ仙台→札幌→仙台→鳩山で20日頃帰宅します。
 およそ2週間留守にいたします。
その間、メール、またBell musicaなどは機能しませんので、あしからずご了承下さい。

 ニューヨークでのもようを楽しくここでまたご紹介させていただけるような旅にしたいと思っています。
それでは元気に行って参ります!!。
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HP通信NO.298/ 2012.9.2


 8月24〜26日は東京(文京シビック大ホール)で「おかあさんコーラス全国大会」が催されました。  

              

 今回、私はとくに関係はなかったのですが、親しくしている合唱団や指揮者の方など、
多く出演されるので応援に参りました。
 私の作品も幾団体かの皆さんが演奏して下さいました。
連日、超満員、そして凄い熱気でした。
 演奏はやはり全国大会に出場するだけあって、どの団体も力量を感じさせました。
たしか前回のこのホームページで「おかあさんコーラスは世界に誇れる日本の文化のひとつ」と書きましたが、
 おそらく外国の方がご覧になったら驚くことでしょう。
さまざまなコスチュームに身を包み、パフォーマンスあり、踊りあり、しかも歌もレヴェルも高い、とあっては
 見慣れている私たちでさえ、盛大な拍手を贈りたくなります。

 今年の大会は終わりました。また来年、どんな歌を、パフォーマンスを見せてくれるでしょう。
地方の大会ではよく講評に招(よ)ばれますので、楽しみです。
                    

 8月内の締め切り「男声合唱版<永久ニ(トコシナニ)>」(初演/2013年3月四国・高知にて)も終わり、
次は「永久ニ」の管弦楽版です。これは来年11月・京都で初演です。
 本来、昨年には完成しているはずのものでしたが延び延びになっていました。
久々の管弦楽の着手に心が踊り喜んでおります。
 そもそも私はヴァイオリンから音楽を始め、子供の頃からオーケストラに親しんでいました。
中学の頃、ヴァイオリンのソロの曲を作り、また弦楽四重奏の作曲の真似事などをしていました。
 18歳・20歳の時には独学でオーケストラの作曲したりしています。
そして24歳の時に「オーケストラのためのシンフォニック’77」を作曲しました。

 合唱曲を本格的に作り始めたのは30歳を過ぎてからです。
以来、合唱曲の作曲が大半になってしまいました。
 ですから、たまに器楽の曲などの依頼があると嬉しくなってしまいます。

 そんなわけでの「永久ニ」の管弦楽版。
偶然にも先日まで男声合唱版を手がけ、このところずーっと頭の中では「永久ニ」が鳴りっぱなしです。
 しばらく管弦楽から離れているので、しばし「管弦楽法の復習!」。
しかし不思議ときちんと覚えているものです。
 若い頃に夢中になって研鑽したものは忘れないものですね。

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 私の職業について記載を求められると私は「音楽家/作曲・指揮」と書きます。
作曲といっても、歌曲、合唱(女声・混声・男声)また器楽作品などと、いろいろとジャンルも幅広くあります。
 また上で書いたように、混声版から男声版に編曲することもあれば、またそれを管弦楽版にしたり、
昨年上梓した男声合唱曲「関白宣言」のように編曲作品もあります。
 指揮も、最近はオーケストラの指揮からは遠ざかっているものの、
子供の合唱からシニアコーラスまで実に様々な団体を指揮しています。
 その他にコンクールの審査、合唱祭、講習会などでの講師などなど。
さらに、求められれば演奏会のためにプログラムの原稿を書いたりと、結構、
 多種多様なことをしております。

 このようにいろいろと求められ「生かされていること」は嬉しく、幸せなことだと思っています。
この他に「音楽ほほえみ基金」もやっています。 
 いわゆる肩書きですが「音楽家/作曲・指揮」の他に書きようがありません。
一般の方に私の生活を説明するのは難しいです。
 作曲と指揮だけしているわけではありませんから・・・・・・・。
まずとりあえずは管弦楽版に専念し、この次の仕事は作曲です。すぐに締め切りが待っております。

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 8月31は予定通り、仕事も済んだので一日だけ仙台/利府に行ってきました。
先月、父親が入院したのでその見舞い、そして独り暮らしの母の「食」が細そうだったので、
一緒に食事をして帰ってきました。
 家内の墓参り、そして塩竃神社にニューヨーク公演の成功祈願もしてきました。
昨日夕方帰って、明日また仙台/利府に行きます。

 まもなくニューヨーク。
実はこの春に「聞くだけで英語が話せる」という「スピードラーンニング」を購入しました。
 が、そのまま封も開けずにピアノの上に放置。
「今からやっても駄目だろう」とは思いつつ、先日から聞きだしました。
でも聞いていると眠くなるのです。・・・・・・それでも効果はあるのだろうか・・・・・・・・・

 今回、ニューヨークへ同行される皆さんは、ミュージカル鑑賞やナイヤガラの滝の観光などと多忙です。
私は、どれにも参加せずにひとり、ニューヨークの街を歩こうと思っています。
 もちろん、演奏に集中するためもあります。
また年内刊行の新刊の校正の仕事を持っていくつもりです。
 はたしてニューヨークでは仕事ができるか、遊び回るか、それは行っての成り行き!・・・・・・・。



 少しずつ蝉の声も遠のいてきました。
秋の虫も啼きだしました。
 よく聴くと「蝉」と「虫」と、そして「鳥」の啼き声が絶妙なアンサンブルを作っています。
「晩夏の音の風景」です。

          

           居候先のOさん宅の駐車場で「避暑」するマノン。(8.30写す)

 HP通信NO.297/ 2012.8.24

 前回の更新からあっという間に10日が過ぎました。 
家に居る時は殆ど南国の島の住人のような「裸同然」の姿で、今月締め切りのものに取り組んでいました。
 とはいっても、家にいたのはこの10日でわずか3日。
18日からは宮崎へ。
<9.11ニューヨーク日米合同追悼コンサート>の宮崎から参加の皆さんとの練習のために伺いました。 
 今回はピアニストの山本晴美さんも同行して下さいました。

                  

          

 ニューヨーク行きまであと3週間あまり。
コンサートの本番はともかくも、旅については殆ど頭の中にはなく、旅の準備もまったく・・・・です。
 これから準備です。何を着ようか、何を持っていかないといけないか、などと考えるだけで頭がツンツンと痛くなります。

 19日は宮崎から帰って市川泊まり、翌日、コールベルの練習の後、そのまま仙台へ。
そして本日、ほぼ1週間ぶりに鳩山に帰ってきました。
 鳩山の何と暑いこと!。
最寄りの駅は東武東上線の高坂駅なのですが、駅に降り立った途端、肌が焼かれるような強い陽射しに驚きました。

 久しぶりの鳩山はやはり心が休まるものです。
車で帰る途中、マノンの居候先を覗いてみましたが、マノンは見当たらず。
 この暑い中、どこか涼しいところをみつけてゴロ寝でもしているのでしょう。

 昨年のこんな暑い日でも、マノンは家でひとりで何日も留守をしていたのです。
何ともいじらしく、可哀想な生活をしていたことと思います。
 今は我が家の近くのやさしいOさんご夫婦のもとで幸せに暮らしているマノンです。
いつもそこで会えますので寂しい感じはしません。
 先日も家を出る時に、駐車場に遊びにきておりました。

                     
                    

 仙台では秋の虫が啼き始めました。
例年でしたらもっと朝夕は涼しいのですが、今年は熱帯夜とまで行かなくとも寝苦しい夜が続いています。

 仙台/利府に行きますといつも塩竃神社まで歩いて参拝するのですが、今回は連日の猛暑でさすがに歩けませんでした。
塩竃神社の帰りにはいつものラーメン店さん「来々軒」でラーメンを。
 10日程前に塩竃神社→「来々軒」に行きましたらそこの社長さんから声をかけられました。
「作曲家の鈴木憲夫先生ですか?」と・・・・。突然のことで驚きました。
そうしたら市内の合唱団で私の曲をいろいろ歌って下さっているそうです。
 合唱団のメンバーが以前、私がこのHPで紹介したのをご覧になったとのことです。
私は子供のころから食べています。鰹風味のあっさりスープのラーメンです。
 仙石線/本塩釜駅近く、壱番館の向かいにあるお店です。
何とも嬉しい不思議なご縁です。

 これまでも「人の縁とは不思議」と思わされるようなたくさんの経験をしてきました。
それも全て私の仕事を通してです。それはある意味でとても幸せなことだと私は思っています。

 さてこれから今月後半は比較的家に居て仕事をすることにしています。
暑い時はクーラーなどなるべく使わず「裸で」・・・・・というわけには皆さんいかないでしょうが、
 結構、イイものですよ。私はそのスタイルが気に入っています。

 というわけで、今回は近況報告になりました。
蝉はいつまで啼くでしょう。
 秋の虫はいつ頃から啼き始めるのでしょう。

 こんな天候ですから皆さん、くれぐれもご油断なきよう。


 HP通信NO.296/ 2012.8.14

 立秋を過ぎて涼しさが戻ってきたと思ったら、相変わらずの猛暑。
さすがに日中、外はうかつに歩けません。

 昔から馴染みの「日射病」という言葉はあまり聞かれなくなり、「熱中症」という言葉を最近よく聞きます。
ちょっと気になって調べてみましたら「熱中症」とは「日射病」「熱射病」の総称だそうです。

 昨年、ウイーンの街を歩いていて、それらしい症状になったことがありました。
ウイーンも記録的な猛暑でした。暑い中歩いてはカフェでビールなどを飲んだりしたのがいけなかったようで、
 軽いめまい、吐き気、などがしました。自分でも驚きました。初めての経験でした。

 昨年のそのことを身体は記憶しているのでしょうか。暑い中を歩いたりすると何となく、昨年の経験が思い出されます。
ですので、今年は用心をして猛暑の時は比較的歩かないでいます。
 早く、散歩ができる季節になればいいナ〜と思っているところです。

              
                        いつもの散歩道。

   

          
                       鳩山荘「アマテラス」
       

 先週も仙台/利府。
9日はこの11月初演の男声合唱組曲「イーハトーヴ・ファンタジア」の練習を聴き、
10日は大宮で埼玉県のNHKコンクールの審査。

 コンクールでは審査員の方々とはみな親しく、顔なじみです。
どこかのコンクールでご一緒し、また何年後かにどこかで会う、ということを繰り返しています。
 今月のはじめ、石川県でのNHKコンクールでは作曲家の高嶋みどりさんとご一緒しました。
彼女とは指揮の山田一雄先生の同門。そんな関係で互いに無名の頃からのお付き合いになります。
 ここ15.6年、あちらこちらのコンクールでよく審査をご一緒させていただくようになりました。
お会いする度に面白いのです。「ウチの子供は今、幼稚園で・・・」「今度塾に行くことになって・・・・」
「今度中学のお受験!なの」・・・・そして先日お会いした時は「今浪人なの!」・・・・・・・・・と、
歳も私とほぼ同じ。このようなお付き合いもまたご縁を感じます。
 今度お目にかかる時ははたしてどんな「物語」が待っているか楽しみです。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さてさてオリンピックも終わりました。賑やかな17日間でした。
スポーツファンならずも、ついついテレビを観て応援してしまいました。スポーツというのはさわやかですね。
 日本は「スポーツ王国」だと思います。
「スポーツ王国」と言ってはみても「国」はどのような支援をしているか知りません。多分、何もしないのでしょう。
しかし選手を育てる仕組みもあって(仕組みも作って)、国民の支持も多くあって、音楽とは比べものになりません。

 以前、池田満寿夫さんと対談した時のことを思い出します。
「日本で芸術やるには自分で勝手に大きくなるしかないんだよ」と池田氏。
「外国で評価を得ると日本で初めて認められる、それが日本の文化程度ですよ」とも。
 
 若い頃一緒に音楽をやった友人が、仙台からヨーロッパへ留学、そして現在、ドイツのオーケストラで活躍をしています。
その彼が一時帰国した時に私にこう言いました。
「ヨーロッパと日本では音楽文化は<大人と子供だよ>」と。
 これまでに「チェコ(スメタナホール)」「ウイーン(楽友会ホール、ウイーンオペラ座)」で公演した時には、満員近くの聴衆でした。
それだけ関心があるのです。音楽を楽しみとしているのです。

 スポーツ文化と音楽文化とは比べものになりませんが、
ただ、ただです、ひとつだけ日本が世界に誇れる音楽文化があります。
 それは「おかあさんコーラス」。大変な団体数です。大隆盛です。
外国にはありません。
 上で書いた海外での公演は「おかあさんコーラス」も含まれています。大変レヴェルが高いとの評価を常に得ています。
全体的に日本の合唱文化は世界に通用するものでしょう。

 NHKの学校音楽コンクールや合唱連盟のコンクールも、これからいよいよ大詰めです。
私もあと何回かは審査を務める予定になっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今年の蝉はややおとなしいですね。
頭がクラクラするくらい蝉の声が賑やかな年もあります。
 間もなくすると今度は虫の声。
ここ鳩山の晩夏、初秋が楽しみです。

 皆さまも残暑などどうかご油断なきよう。

 HP通信NO.296/ 2012.8.5

 暑中お見舞い申し上げます。

 今年は例年になく猛暑なのか、加齢のせいで猛暑と感じるのか、一体どちらなのでしょう。
昨年は暑い中、汗をかきかき1時間は歩いたものですが・・・・。

 7月28日から宮崎に行っておりました。

        

 この10月に演奏会を控えているバイオレットコーラスの皆さんです。創立30周年の記念演奏会。
今回は私が客演指揮をし「みすゞのそら」を演奏します。
 常任指揮は中村禎子先生。上の写真を撮って下さいました。
7月15日にも「レインボーコーラス」の客演で宮崎に伺いました。それも中村先生の指揮するコーラス団体です。

 再来週もまた宮崎に行きます。これはニューヨーク公演の練習です。
中村先生を中心に宮崎の方も集まって下さいました。
 宮崎=中村先生とご縁の深さを感じます。

   

 宮崎から帰って中2日おいてコンクールの審査のために金沢へ。
1泊だけで帰って参りました。 
 明日からまた仙台/利府に。
本当にあっちこっちと旅の空の下です。

  

         鳩山荘のテラス、ここを「アマテラス」と命名。清々しい風が気持ちよいところです。

 窓を空けるとよく蜂などが入ってきます。しかも大きいヤツ。最近、妙に多いな、と思ってましたら、
二階の雨樋の中に巣を作ってました。殺虫剤をかけたら出てくるわ出てくるわ!。
 それだけ自然が一杯ということです。



 オリンピックも中盤になりました。とくに熱心な応援団ではありませんが、やはり日本の選手が勝つのは嬉しいものですね。
同じ競技を何度も見てますと、俄(にわか)評論家になります。
 日本の柔道、今回はあまりフルイませんでしたが、どのコーチもかつてのメダリストばかりで、選手にはきっと大いなる
プレッシャーを感じたことでしょう。みな一生懸命なのですが、どこか空回りしてない?、と問いたくなります。
 私の恩師がボクシングの試合を例えて語った言葉を思い出します。
「セコンドが優秀であってもセコンドがチャンピオンになれるわけではない。戦うのはボクサーである。」
つまりリングの脇にいてボクサーに指示を出すセコンドは「次はボデイを打て、フックを狙え」などとたくさんの指示は出すけれど、
かといってセコンドが戦えば勝つか、というとそうではない、あくまで戦う選手が主なのだ・・・・というような意味です。
 これは私の恩師、伊福部昭先生のお言葉です。
ゼミの中で、ある生徒が先生に作品を見せた時、その生徒が「○△先生からこういわれたので直した・・・・」というようなことが
あって、それに対しての先生のお言葉が上のものでした。
 なぜか、今回の柔道を見てそんなことを思い出していました。


 個人競技ではさほどではありませんが、団体競技となると応援合戦も一段と激しさをましてきます。
オリンピックではそれほどでもないと思いますが、サッカーのワールドカップなど凄まじいものです。
 サポーター同士の衝突などまるで戦争です。
そういう集団心理というのはとてもコワイものだと思います。
 サポーターがそれぞれに興奮して国旗をもっている姿はかつての「ナチス」や「日本の軍国時代」そして北朝鮮の姿と重なります。
スポーツだからいいじゃないの、とは私には思えないのです。集団心理について言えば同じことです。
 ちょっと考え過ぎと言われそうですが、こういうのは考え過ぎでちょうどいいんじゃないの?とは私の開き直り?。

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 8月はあっという間に過ぎるものですね。
ですので、8月は普段読まない長編ものを読んだり、何か目標を持ったりするものなのですけど、
今年は仕事で手一杯。
 最近あまり歩いていないので少々運動不足。朝夕の涼しい時に少しでも歩こうと意を決しているところです。

 皆さまもどうか御身大切になさって下さい。

 マノン?・・・・・先日も会いに行きましたら暑さでウダっていました。(写真は以前のもの)

                  



 HP通信NO.295/ 2012.7.27

 暑中お見舞い申し上げます。
今月20日から、全日本合唱連盟の「おかあさんカンタートinやまがた」で山形市に参りました。
前日まで東京は猛暑。20日になって急に気温も下がりました。山形も少し涼しい気候でした。
「おかあさんカンタート」には全国から受講に来られます。いつも大盛況の催しものです。
私は今回を含めて4回、この催しものの講師をお引き受けしてきました。
 開催地「大分市」「帯広市」「岐阜市」そして「山形市」。それぞれに楽しく思い出があります。

 山形にはもう何度も訪れていますので、おいしい日本蕎麦屋もおいしいラーメン店も知っています。
到着して早速、駅前の日本蕎麦屋へ駆け込みました。

        
               モデル合唱団が演奏をし、それについての公開レッスン。


         
   
                   1日目(21日)を終え、ザ・パーテイで

 上左の写真は一緒に講師を務められた辻秀幸先生、左端岸信介先生と。左お二人目が中国支部長の下平先生。
辻先生と一緒に写真に映ると私も少しは「痩せて見えるかしら」と思いお願いしたところ、
 何と!辻先生、ちょっと後ろに身を引きました。(ご覧になればお分かりのようにちょっと後ろです)
「遠近法でちょうど良いかと思って・・・・」と辻先生。「さすが!撮られ慣れてる!」と妙に関心。

 右上写真は千葉/市川から参加のコール・ベルの面々。
会場は「花笠音頭」一色。(後ろでは踊っています。)

 この「おかあさんカンタート」の特徴は講習したものを最後に演奏会形式でご披露すること。
私の講座の曲は「二度とない人生だから」より4曲。それと「茜の空に」でした。
 総勢150名以上の方々によって素晴らしく演奏されました。
今回の講師は他に長谷川冴子先生。

 終始和やかな楽しい会でした。

          

 今回は沖縄で作ったオリジナルTシャツを着て・・・・・・・。
皆さんには大受けでした。(山形駅内で)

 
22日の夕方解散。その後、仙山線で仙台へ。仙台/利府へは3日滞在。25日に帰宅しました。

 連日の猛暑。しかも熱帯夜。さすがクーラー嫌いな私でも寝室に少しクーラーを入れました。 

 今月は家に居る時間が少ない中、今月締め切りのものを抱えて旅の空の下でも仕事をしていました。
この2日間で今月末の約束のものを仕上げることができ、今ホっとしているところです。


 明日からまた宮崎。宮崎もきっと暑いことでしょう。
 
 
   

 蝉もまだちょっと弱々しい感じですが、一日中啼いています。
その蝉の声を聞く度に沖縄の蝉のことを思い出します。
 私はどちらかという感傷的な部類に入ると思います。
当分あの沖縄の蝉のことは忘れられそうにありません。

 8月締め切りのものもこれからです。
只今のやっているのは「永久ニ」の男声版。
 来年3月に「全四国男声合唱フェステイバル」で初演されます。
男声版の後は「永久ニ(トコシナニ)」の管弦楽版編曲。
 当分「永久ニ」づくめです。 

 暑い夏!。
どうか皆さん、御身大切になさって下さい。

 HP通信NO.294/ 2012.7.18 

 関東もようやく梅雨明けになりました。
今月は9日より12日まで沖縄、14日からは宮崎、昨日17日帰宅しました。
 天候も不順な時節ながら、何とか「晴れ男」の気合いで快適に旅の空の下におりました。
沖縄は今回が初めてです。
 合唱講座のために伺いましたが、2日ほど余分に沖縄に滞在してあちらこちらを観て回りました。

  

 上「ひめゆりの塔」は是非、行ってみたいところでした。
手前のくぼんだところは自然洞窟になっていて、奥は深い暗闇の地です。
 そこが少女たちの終焉の地になりました。
お花が供えられています。私も献花しました。
「祈念館」には様々な資料がありました。
まだ平和な時代のスナップ写真からは、少女たちの笑い声さえ聞こえてきそうでした。
「箸がころがっても笑う」という年頃です。みんな美しい少女ばかりでした。
ある一室には少女たち一人一人の写真が四方の壁に一杯に展示されていました。
 そして「ひめゆり隊」の最後の様子も克明に伝える資料もありました。 
私は思い出すと今でも涙が出ます。

 私が「祈念館」で観ていると、修学旅行の高校生が入ってきました。
ガイドは「ひめゆり隊」の生き残りという老婦人。ちょっと様子を見ていましたら、
 ある写真の前で立ち止まり「これワタシです」と。
学生たちは「エーッ」と驚きの声が上がりましたが、その後、ガイドさんは説明するでもなく、
 トボトボと修学旅行生たちから離れていきました。
もう「話疲れている」とでもいうかのように。
 それとも高校生たちには通じない、という諦めからか。そんな風にも見えました。


 その後、「沖縄平和記念資料館」にも寄りました。
凄まじい展示です。
 この資料館を作った沖縄の人たちの「思い」が伝わる資料館でした。
日本人なら一度は沖縄を訪れないといけないようです。
 そう感じました。
私は広島や長崎、そして鹿児島知覧(特攻隊の基地のあった場所)など、戦争の傷跡の場所を訪れたことはあります。
 が、沖縄は違いました。
思いは様々に尽きません。
 私はこの秋から「レクイエム(仮題)」を作る計画をしております。

今回の沖縄での経験は得難いものでした。それが結実できるものにしたいと思っているところです。


                      
                     首里城の門にあったシーサー。

 
 
 14日、宮崎には「レインボーコーラスみやざき」の客演指揮で伺いました。


                  

 上がプログラムですが、7月16日というのに意味があります。
虹ですから「7(ナナ)16(イロ)」。おまけに開演時間が2時(ニジ)です。
 私はこの演奏会で「ほほえみ」「二度とない人生だから」などを指揮しました。
会場は530席のところ何と「528席」のお客様で大盛会。

 平均年齢74歳。
本当に素晴らしい感動的な演奏会となりました。

                
            当日は雨の予報。しかしこんな夏空。宿泊の宮崎観光ホテル前。右手が大淀川。

         
       演奏会の前日、ニューヨークに一緒に行かれる皆さまと一緒に。私のすぐ後ろが指揮者の中村禎子先生。


            
                  演奏会の打ち上げ二次会で中村禎子先生と。

  

 蝉が啼き始めました。まだ弱々しい感じです。
沖縄の蝉の凄まじさを思い出します。
「ミン!ミン!ミン!」とまるで怒ってでもいるかのような、ひとつひとつ何かを吐き出すような啼き声でした。
沖縄の自然が、沖縄の精霊が、蝉を遣って沖縄を訪れる人々に「忘れるな!忘れるな!」とでも言っているかのようでした。
 しばらくは沖縄の蝉の声が耳から離れない気がします。イヤずーっと忘れないとも思います。

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 沖縄、宮崎でおいしいものをたくさん食べて、ややオナカ周りが気になってきました。
今後の予定は明後日から山形〜仙台です。



 さてさて前回のクイズの正解です。
梅雨が始まった時に歌う歌とは?
「ハッピバースデイー つ〜ゆ〜」でした。
多数の応募があった場合は抽選で5名の方にご希望の楽譜を進呈、ということにしましたが、
 正解は9名の方でしたので、今回は全員の方に楽譜を差し上げることにしました。

 また気が向きましたらまたこんなクイズ出しましょうね。

 
              

 本格的な夏を迎えます。
熱中症などの対策を万全にして下さいますよう。

     

 HP通信NO.293/ 2012.7.8  

 気がつけば今年の半分が終わっていました。
「何とマア早いことか」などという感想を言うのはもう止めましょう。
言うだに疲れます。 

 梅雨空の合間からたまに青空がのぞくと嬉しくなります。
そういう時は洗濯をしたり、布団を干したり、とまさに主婦感覚。 
 主婦の方々のご苦労、さらに仕事をお持ちの女性の方々のご苦労、今の私には実感です。
今日も午後になってわずかに陽がさしてきたのでさっき布団を干したところです。

 ここ鳩山町はこの1週間、町長選挙で大賑わいでした。
現役、新人の2人が立候補。一騎打ちの激戦模様。
 この小さな町に一日中、選挙カーでの連呼が飛び交いました。
選挙戦も後半になるとマイクの音量のこれまた高い!こと。
 本日選挙日。久しぶりに静かな一日です。

 今週、仙台にちょっとだけでも帰ろうとしましたが、やや疲労気味のため、母からは来るなと。
お陰さまで仕事も進みました。

 

 10日ほど前に仙台に行きました折に、恩師の藤倉庵主さまと久々に電話でお話をしました。
一昨年まで宇治市にお住まいだったのですが、現在、仙台のマンションで庵を結んでおいでです。
 何とも不思議なご縁です。
このHPでも何度かご紹介しています。(→談話室内「慈眼視衆生」)
 その折「ちょうどノリオさんにお手紙を書こうとしていたところだったんですよ」ということでした。

 以前、古代中国の思想家荘子(B.C.3世紀頃)のことを、私が先生に紹介したことがありました。(私は忘れていましたが・・・・)
先生は最近、荘子を読み始め、それが仏教の教義と何と奥深いところでつながっていたかを発見し大変喜んでおいででした。
 私にとって藤倉先生はまさに「恩師」なのですが、藤倉先生は私のことを「師匠」ともいいます。畏れ多い事です。
ですから何とも不思議なご縁をいただいていることになります。

 2年程前、先生が鳩山に2.3日滞在された事がありました。
先生は鳩山の静かさが気に入られ、宇治を引っ越すきっかけを思ったらしいのです。
 ご自分の庵は宇治川のすぐそばで、毎日その川の流れを耳にしていると、その激しい川の流れと今の自分の生活では違和感を
感じるようになった、ということのがその理由でした。
 そしてその後、仙台へ転居。
先生は今でも好奇心旺盛に勉学・修行をされています。現在78歳。

 先生が私によくこのようなことをお話なさいます。
「ノリオさんは作曲という世界で修行を積んでいて、そして広い視野から仏教などを見ている、私の修行の節目節目で
いろいろなお話の中でいつもアドヴァイスをもらっている」ということなのですが、先生から「師匠」と
 言われるのはやはり、畏れ多いことには違いありません。
本当に不思議なご縁をいただいています。

 私には藤倉先生を初め、恩師、そして師匠と慕う先生方がたくさんいます。
そして人だけではなく東洋思想などの「言葉」やさらに「字」など、座右の銘というのがたくさんあります。

 私の常に思うところですが、人には「師」が必要だと思います。(言葉も含めて)
人の傲慢やわがままな、それを基準とした判断はやはり独りよがりな判断となります。
 ですが、その折々に「師」や「言葉」などが自身の中で反芻するとしたら、判断の質も大いに違ってくるものとなります。
「こんな時、あの先生だったら何て言ってくれるかナ?」とか
「この言葉で言っているように、慌てずじっくり考えてみようか。」など。

 ちなみに私が40歳を少し過ぎた頃、ある居酒屋のトイレに貼ってあった「親父の小言」という中から、
大いに衝撃を受ける言葉を見つけました。

「人には馬鹿にされていろ!」
 何とも単純で、凄い言葉だとは思いませんか?

 私は「菜根譚」などもよく愛読して気に入った言葉は書いて部屋中に貼って覚えた、なんてこともよくありました。


 藤倉先生との話から「師」ということについて、ついつい思うままに書いてしまいました。

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  先日、コールベルの練習が終わって、幾人かのメンバーとお昼をご一緒しました。
その折に「今年は梅雨が始まった日に歌う歌を歌わなかったね」といいましたら、即「♪〜♪〜♪」と歌声が。
 このホームページでも毎年書いていることです。
珍しくクイズ、と行きましょうか?
 「何という歌でしょう?」その歌の「歌いだし」をメール下さった方にご希望の楽譜などをプレゼントいたしましょう。
 締め切りは次の更新まで。ただし正解者が多い場合は抽選で5人の方にプレゼント、とさせていただきます。(メールはこの下に)


 梅雨明けが待ち遠しいですね。
私は夏が大好きなのです。
 今年の夏も家にはあまり居ませんが、何とか、合間をみつけ仕事に励もうと思っているところです。



                  <ニューヨークでの追悼コンサート>参加者募集中です。


                        クイックすると詳しい内容が見れます。

 上のパンフレットは主にこれまでチェコ、ウイーンなどのツアーに参加された方々にご案内を差し上げています。
資料ご請求など興味のおありの方はこちらまで→エムセック担当/丸尾 maruo@mcec-inter.com
             

 


 HP通信NO.292/ 2012.6.30    

 先日、約束のものようやく完成。「さいたま合唱協会おおみやの歌」。本来なら5月の連休くらいに完成予定だったものでしたが、
随分と締め切りを過ぎてしまいました。
 今回は作詩・作曲。やはり作詩の部分で大幅に時間を取られました。
作曲を依頼される時に、詩(テキスト)も同時に頼まれることが多いのですが、これまでの経験でそのテキスト創りが
 如何に大変か身に沁みておりますので、なるべくテキストには関わらないようにしていました。
が、今回は「成り行き」でしかたなく・・・・・・。
 締め切りが遅れるということは、次の締め切り(6月中/今日は何日?)もあるわけで、さっそく、
一息つく間もなく次の仕事に取りかかっています。
 とはいいながら、3日前から仙台へ。父親の介護についてはいろいろな方のお力をお借りしていますが、
介護下さる方々の打ち合わせやお願いのために仙台に通っている、という言い方が最近は合っています。
 本日帰宅。そんな訳でこのHPもちょっと間が空いてしまいました。


              

 2週間前のこと、発熱でしばしダウン。微熱があり、もしやこれ以上熱で寝込むことがあってはと案じ、
インスタン食品などをたくさん買い込みました。
 しかし、翌日にはあっさりと熱も下がり、近くの医院で診察を受けたら、感染症胃腸炎というものでした。
普段はあまり食べないインスタント食品をどうしたものか、とそれらを眺めつつ、
 以前、地震の時に備えた食品を食べるのに、半年もかかったことを思い出しました。
これまでの独り暮らしの経験で、体調の非常時の際の備えは万全、と自己評価。
 こんなことを書くと、このHPをしばしば見る母親の心配が目に見えるようですが・・・・・・・。 

 

 電車内では時折優先席に座ることがあります。
優先席は比較的、席が空いているケースが多いのです。もちろん、お年寄りなどには席を譲ります。
 しかし「席を譲るには却って失礼カナ?」などと思うことも、実はよくあることです。
ですが最近、ちょっと違った気配りをするようになりました。
「この人、もしかして私と同じくらいの歳?」と、自身と比較している自分がいることです。
私もそれなりに結構、歳に見えるのだろう、ということです。
 それにあえて対抗したつもりはありませんが、この夏に向け、少し若作りに見える「度付きサングラス」を新調しました。

                


 今回は近況報告程度の内容となりました。
7月は毎週のようにあちらこちらに出歩く事になります。家に居るのは大体7日くらい。
 その間に、少しでも仕事がすすめられればと思っています。
梅雨開けが待ち遠しいですね。
 7月の初めは沖縄それから宮崎。夏の空でしょうね、きっと。
今から楽しみです。

  

                  <ニューヨークでの追悼コンサート>参加者募集中です。


                        クイックすると詳しい内容が見れます。

 上のパンフレットは主にこれまでチェコ、ウイーンなどのツアーに参加された方々にご案内を差し上げています。
資料ご請求など興味のおありの方はこちらまで→エムセック担当/丸尾 maruo@mcec-inter.com
             

 


 HP通信NO.291/ 2012.6.19      

 9日、記念番号「240.000」が出ました。ゲットされたのは福井の斉藤厚一さん。斉藤さんとは旧くからお付き合い頂いており、
「福井コールアカデミー」「ゴールデンエイジ・ふくい」の団長さんです。私が常日頃から「観音様」と称している方です。
「観音様」というのはあの手に持っている錫杖(しゃくじょう)をふるって、困っている人の前に現れ、助けてくれる、
という仏さまのことです。斉藤さんはそういう方です。此の度ゲットしていただき嬉しいです。
 今年も福井で私のいくつかの作品を演奏していただく機会があるようです。
斉藤さんとはこれからもまた幾度もお目にかかることでしょう。
 次は「250.000番」です。一日大体50件ほどのアクセスのようですから、この分でいくとあと200日後くらいでしょうか。

   

 先週も仙台/利府におりました。やはり梅雨。仙台の梅雨はちょっと肌寒い感じです。
東北の人は寒がりです。利府ではストーブを点けたりしています。
 寒がり、というより寒さに敏感なのです。すぐストーブを点けます。私もその習性があり、今も鳩山でもそうです。

 先週の末からは高知へ。
高知市民合唱団、ユングコーラスの皆さまにお招(よ)びいただきました。
 高知空港のことを「高知龍馬空港」というのを皆さんはご存知でしたか?
龍馬さんは今でも高知で大活躍。
 以前(8年前)高知に行きました時に談話室内/15.土佐・ミニお遍路の旅/を宜しかったらご覧ください→ 
「日航ホテル高知」に宿泊しました。
その折に「モーニングコール」は「龍馬の声で起こします。」というのがありました。
今回も同じホテルだったので果たして今でもやっているか、と、とても期待をして行きました。
「やっていました!」今回もさわやかな青年の声で、
『わしゃ〜坂本龍馬じゃが、早よう起きんと、日本の夜明けに間に合わんぜよ』・・・・と。

 このことは高知市民の方はあまりご存知ないよう。
合唱団の皆さんにお話したら皆さん「エーッ!」(笑)と。
 他の地域でもこんなホテルのサービスがあればいいのに、と思ってしまいます。
たとえば仙台なら「伊達政宗」の声で『寝坊なぞしておったら、戦国時代では生きていけんぞ〜』とか。
 岩手だったら「宮澤賢治」の声で『はやぐ起きてハア、一緒に森さ行って、鳥っこたちに声、聞くべ〜』とか。
こんなのが日本中至るところで聞けたら、旅人としては楽しいな、と思います。
 

     

  高知市民合唱団、二段目、私のお隣が指揮者の谷村先生。 ユングコーラス。後方、右から7番目の方が指揮者の安田先生

 16日、昼過ぎに高知龍馬空港に到着。ユングコーラスの練習に立ち会い、夜は「はりまや橋」付近の居酒屋さんで
かつおをはじめとする郷土料理満載のご接待をいただきました。
 食べるのに夢中でその写真をうっかり撮り忘れてしまいました。

 翌17日、100%雨の予報が「晴れ男」の面目躍如、晴れ〜となりました。
高知市民合唱団では来月のコンサートに向けて「永久ニ」を練習。
 完成度の高い演奏で、終始和やかな楽しい練習となりました。

 飛行場に向かう前に私の希望で、33番札所「雪渓寺」(せっけいじ)に寄ってもらいました。
車でご案内いただいたのは中内さん、団長の宮地さん。
              

 このお寺には格別な思いがあります。上右の写真は「山本玄峰老師」の銅像。
「山本玄峰老師」とは昭和の傑僧、また白隠禅師の再来とも言われたお坊さんです。私はどういう訳かその存在を知り、
その数々の業績、そして数多い逸話などに引き寄せられていました。
 書けばキリがありませんが、玄峰老師は20代初めの頃失明し、「目が見える事を発願」し四国八十八ヶ所の巡礼を、
7巡したと言います。そしてこの雪渓寺の門前で行き倒れ、当時の住職に助けられました。
 やがて住職の養子になり、お坊さん生活をスタートしたのがこの雪渓寺でした。
その人物に心引かれている私は、その場に立って、遠い昔の「玄峰老師」の姿に思いを馳せたのでした。

 その後、空港へ向かう途中の32番「禅師峰寺」(ぜんじぶじ)へもご案内いただきました。

                
 
   

 上のような看板も見かけました。
雪渓寺でお遍路さんの姿も見かけました。
 お遍路さんをお世話する施設のあるお寺もありますが、上のような看板のようなサービスもあるようです。
思わず「ふっふっふっ」と小笑いが漏れました。
                      

 高知から市川泊まりで18日はコールベルの練習を終え、帰宅。
高知ではたくさんご接待をいただき、皆さんのお暖かな心遣いをいただいた楽しい高知での2日間でした。
 土佐弁もたくさん聞かせて頂きました。
土佐弁って気持ち良いですね。
 こういう方言を持っている高知の人が羨ましいです。
東北人は自身の土地の方言を恥ずかしがる傾向があります。
 デモ実はそれが個性なのですね。
私もイントネーションがかなり「なまってるよ」とよく言われます。
 つまり癖です。その癖がつまりは「個性」ということです。

癖のない人はいませんから、それが自分の個性だと思えれば、方言もまた大いなる「個性」

 梅雨はたしかに鬱陶しいですが、お百姓さんからすれば恵みの雨。
日本は農耕民族なのですから、
 みなで、天を仰いで雨に感謝を捧げましょう。



                  <ニューヨークでの追悼コンサート>参加者募集中です。


                        クイックすると詳しい内容が見れます。

 上のパンフレットは主にこれまでチェコ、ウイーンなどのツアーに参加された方々にご案内を差し上げています。
資料ご請求など興味のおありの方はこちらまで→エムセック担当/丸尾 maruo@mcec-inter.com
             

 


 HP通信NO.290/ 2012.6.8
     
          
 
 我が家の玄関に紫陽花が咲き出しました。
これからもっと鮮やかに、花を見せてくれる事でしょう。


 下の写真は我が家の下の池の睡蓮です。
水上に咲く可憐な花です。よ〜くよく見ると、睡蓮というのは珠玉の花とでも言えるほど造形美が素晴らしいですね。

   

  

 つい一ケ月ほど前のこと。
仙台に向かう新幹線でのことでした。
 私の座る後ろ席に親子連れがおりました。子供は男の子で幼稚園くらい。もちろん若い母親です。
その子供が背もたれについているテーブルをおろし、ガタガタと叩いて遊び始めました。
 前に座る私には背中に相当の衝撃を感じます。
しばらく様子をみてましたが、止む様子もなく、私は席をおもむろに立って、
「ソレ、ヤメテ」とジェスチャーをまじえ注意をしました。
 突然のことで子供も母親も唖然として私を見つめました。サングラスをかけたコワイオジサンが・・・・と思ったことでしょう。
やや厳しい口調になったかもしれません。
 その後、後ろ席は静かになりました。子供は気配からするとシュンとなったようでした。
そして約1時間後、仙台で降りようとするときにその母親と目が合いました。
 何とコワイ目!、むしろ殺気を含んだ目で私を睨んでいました。
たんに注意したことが、その親子にとっては物事の善し悪しはともかく、スゴイショックを受けたことだったかもしれません。
 もっとヤンワリに注意すれば良かったカナ、と私なりに反省。

 私の子供の時代には、町内に必ず一人か二人「ガンコじじい」という存在がおりました。
こういう想い出があります。
 たしか小学校4年くらいの時、駄菓子店に入りました。その時家で飼っていた犬も一緒でした。
そうしたら店のオジさん「店に犬を連れて来るな」と私の頭をゲンコツしました。とても痛かった。
 家に帰ってその理不尽さを私が訴えると、親は「それは当たり前」と言ってさらに叱られました。
そのように「偏屈・頑固じじい」は、昔よく居たように思います。 
 最近は、すれ違いざまに肩がぶつかったとかで殺人が起きるご時世です。
子供を叱りつける「町内のガンコじじい」はもちろん、「年寄りの小言」さえ今や、
 天然記念物的存在になりつつあるかもしれません。

 余談ですが、小学校時代、私はよく先生から「叱られました。」
何事かあると「ノリオ君!」と言っては厚紙でできた出席簿で頭を叩かれたり、廊下に立たされたりしました。
 それを親に訴えても「お前がワルイ」「先生の方が正しい」との一点張りで抗議は一切却下。
いくつか覚えているのは、放課後の掃除で私が班長をしていて、「男は机を後ろに、女子は床拭き」などとしたことが
 女子の「待遇不当!」との讒言(ざんげん)、中傷が元で先生からゴツン。
校舎内の池で飼われていた鴨に昼食のパンを隠れてやっていた事も、規則を守らない、とこれもまた女子からの告げ口でゴツン。
 上で書いたのは、今でも理不尽に覚えている事柄ですが、他にもたくさん悪いことをしたのでしょう。
昔のほとんどの家庭はそうだったと思いますが、先生に叩かれれば「叩かれる事をしたオマエがワルイ」と。
 今からおよそ50年前の話です。

「今の若いヤツは」という「年寄りの小言」は、私の若い頃、よく聞きされました。
それがだんだん聞かれなくなったということは、どういうことなのか。 
 大いに考察の余地がありそうです。


 ところで更に余談ですが、小学校の時のその「I先生」とは20年くらい前から年賀状を含めて文通があり、
私の活躍を喜んでお便りなども時折頂戴してました。
 I先生は退職後(先生は音楽が副専科)合唱をおやりになっていて、3年程前、仙台で行われた合唱講習会に参加されたのでした。
終演後、控え室に来られ、何十年ぶりかの再会を果たしました。
 その折の会話。
 I先生「ノリオ君、昔と変わらないわね」
 私「・・・???・・・???・・・」
つい言葉に詰まってしまいました。
 まアお世辞でも「立派になったわね」くらいはあってもよさそう!。
「昔と変わらない」とはどういうことなのか、今もって不解答・・・???・・・。

 上で、I先生から「よく叱られた」と書きましたが、実は先生から「可愛がられた」と思います。
私の頭をコッツンとする時は怒った顔ではありませんでした。今、思い出します。
 慈愛の表情だったような。

 今は人から叱られることもなくなりました。親からも。思えば寂しいことです。
人さまを叱ることもありません。
 人を叱り、叱られる、そんな誰でも経験のある「時代」が懐かしく感じられます。

余談から余談へと、つい書き散らしてしまいました。

  

                 <ひなたぼっこに、日ごと訪れるマノン>

            


       

 天気の良い日は午後から夕方まで、家の傍にいるマノンです。
そして夕方、Oさんの居候先の住まいへと帰っていきます。
 家に入って泊まっていく気配はありません。
夜になっても帰らないと、Oさんのお宅に私と散歩しながら帰ります。
 
 私の家のお向かいさんがそれを見て、先日こういいました。
「いいわね、マノン。自由で。」
 本当にそうですね。

  『自由猫マノン』



                  <ニューヨークでの追悼コンサート>参加者募集中です。


                        クイックすると詳しい内容が見れます。

 上のパンフレットは主にこれまでチェコ、ウイーンなどのツアーに参加された方々にご案内を差し上げています。
資料ご請求など興味のおありの方はこちらまで→エムセック担当/丸尾 maruo@mcec-inter.com
             

 


 HP通信NO.289/ 2012.5.28

 新緑の本当に麗しい季節になりました。
ですが九州の方とのメールで「梅雨入り前に雨も多くなり、紫陽花が咲き、心和ましてくれています。」
というお便りをいただいたりしています。
「春よ来い!」と言ったのはつい先頃のこと。
「今度は梅雨か〜」という時節なのですね。

 19日(土)は名古屋で「名古屋ビクトリア合唱団」の演奏会を聴きました。(三井住友海上/しらかわホール)
下写真(中央)の当間修一先生の指揮で私の「永久ニ(トコシナニ)」が演奏されました。
 当間先生にはこれまでに幾度も「永久ニ」を演奏していただいています。
名演奏でした。合唱団のレヴェルは高く、いつもながら当間先生の合唱創りには感服です。
(写真右は作曲家の千原英喜先生。千原先生の作品も演奏されました。)

                    
       
 名古屋の翌日は福井若狭・高浜町へ。
当地の女声合唱団「グラッセス高浜」の皆さんの練習場を訪れました。
 2005年の福井/国民文化祭の「童謡コンサート」のプロデユーサーを務めたご縁で、
「グラッセス高浜」の演奏会では昨年も客演指揮をし、この11月には福井・若狭地方の合唱団が集う合唱祭に招かれています。
下の写真は21日、帰路に向かう小浜線/高浜駅の前で。(ピアニストの新谷先生に写してもらう。)

                  

  

 最近、「東北大震災チャリテイ」と銘打ったコンサートのご案内をいただくことがあります。     
その「志」は東北人の私としては大感謝です。
 これまで国内外からはたしてどのくらいの「支援金」が集まったでしょうか。
それがどのように配分され、そして復興の力になっているか、残念ながら私たちは知りません。

 現地からの情報ですと、まだ多くの地域で残骸が処理されずにいるとか、また避難生活をされている方への援助も、
今後の見通しが立たないというのが現状のようです。
 多くの「志」が具体的に有益に活用されるよう願います。

「音楽ほほえみ基金」では昨年、図書券や金券など、皆さまから多くの篤志をいただきました。
それも確実に現地の方々に届くように、ボランテイア団体の協力を得て実施したことでした。
 お陰さまで大きな成果を得ました。持続しなければ、という気持ちはあるのですが、何せ、ほとんど私一人での仕事になります。
それで今は残念ながら中断しているところです。

「支援」と一口に言ってもそれがどのような具体性を持つものなのか、それも含めて考えて「篤志」を寄せてもらいたいものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 このところ、仙台/利府とは頻繁に往来しています。
今月は4回程。利府宅に仕事場はあるものの、いつも何か落ち着きません。
 ですが、なるべくピアノに向かうようにしています。

 父が無断で外に出て、転んで怪我をし救急車で運ばれたりなどなど・・・・・・、いつも問題を起こしてくれます。
母は元気なのですが、父の世話で大分疲労が溜まっている様子。
ただ、ケアマネージャーさんなど介護関係の方々には本当にお世話になっています。
 政治には辛口な私ですが、介護に関しては、感謝することしきりです。

 今抱えている仕事を終えるとまた次の仕事が待っています。そしてまた次と・・・・・・・・・・。
たまにはどこかでノンビリなどと、「毎日、ノンビリと遊んでいるような生活なのに」、
 そんなウカツなことを考えているワタシであります。

 ところで今朝からホトトギスが啼きだしました。
鳩山のホトトギスは「ホットトギッチュ」と啼くんです。

                               


                 <ニューヨークでの追悼コンサート>参加者募集中です。


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 HP通信NO.288/ 2012.5.18

 2週間前の連休より未だ連休ボケ(?)延長上のような生活です。
とは言っても、連休であろうが普通の日であろうがそれが私の「普段の生活」ですので、さほど言うに及ばずなのですけど・・・・。

 連休中はたくさんの本を図書館から借り入れました。
本を読んでは、合間に仕事をするような、そして散歩をし、またその合間に仕事をするような生活です。
 が、読書三昧に見えて、実は仕事が中心なのです。
常に作曲のことを考え、また忘れるために、読書や散策もするのです。
 作曲がまとまると、後は一日中、ピアノや机に向かいっきりということになります。
そうなると「仕上げ」です。
 ですが、今はまだ連休延長気分で、比較的ノンビリペース。
(ココで姿勢を糺し神妙に)『締め切りが遅れております「O関係」の皆さまには、謹んで、決して遊んでいる訳ではなく、
これでも勤勉に作曲していますので、もうしばらくのご猶予を頂戴致したくお願い申し上げます。』(汗)


                  

 左の写真は以前ご紹介した「豆苗」です。右はその何度目かの収穫後、太陽に向けて角度を変えてやりましたら、
「芽」の方向が太陽の方に向き始めました。

 上の写真のような光景は自然の中ではごく普通の当たり前のことです。
皆、どの植物も太陽崇拝しています。
 私など歩いております時も、太陽に育まれた「いちイキモノ」気分になりウキウキと嬉しい気分がみなぎってきます。
樹々や道ばたの植物と同じキモチ(?)になるって、なっているつもりって、自然満喫そのものですね。

 

「マノン帰ってますか?」
「マノン行ってますか?」 

 最近こんな会話をマノンの居候先のOさんと電話で話します。
何せ、猫は気紛れ。マノンは自分の行きたいところに。
 しばらく家に寄らなくなったナ〜と思ったら、一昨日のように、午後から夕方まで、こうして我が家のテラスにいました。 


                  

                

 Oさんは時折、マノンを我が家まで連れてきて下さっています。
優しい「Oさんご夫婦」に可愛がってもらい、マノンは本当に幸せモノです。

 普通、家出したネコは元の家に戻らないと聞きます。
マノンは我が家のこと、どう思っているのでしょう。
 デモそれが<謎>だからネコって、マノンって面白いのですね。
                               

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 HP通信NO.287/ 2012.5.8

 この大型連休は皆さまいかがお過ごしでしたでしょうか。
私はひとり鳩山で過ごしました。仕事もまずまずに、家の事も掃除や庭いじりなど、
 本来無精者なのですが、そんな作業は良い気休めになりました。
下の写真は私が刈り込んだ植木です。全面、赤色の葉っぱに覆われていました。
 わざとてっぺんだけ残し、ちょっとアートな雰囲気に。
植木はきっと「もっときちんとヤレ!」と怒っているかもしれません。

       

 一軒家に住むというのは大変なことなのです。
雑草も生えてきますし、庭木の手入れなど手間のかかることが多いです。今回、初めて除草剤をまきました。
 これまでは、マノンが庭でよく遊んでいたので、除草剤はまけませんでした。
効果覿面。除草剤とはホント凄い毒薬なのですね。


 先日、近所でスーパーで買った「豆苗」を食べた後に水に浸していたらこんなに大きく。

                   

 ただいま、四度目の収穫を楽しみにしているところです。
私は植物を育てた、という経験がありませんので、こんなことでも、私には大興奮です。

 

 今回の連休はあまり天気がよくありませんでした。天気の良い日は1時間以上歩き、悪い日は映画館などにも行きました。
またトレーニングジムが近所にあることを最近になって知り、通い始めています。
 歩くだけではなく、筋力トレーニングもあります。
もうそろそろ「老齢化」している身体にムチを当てようと思っているところです。

 下の写真は来年の私の還暦コンサートに向け、皆さんが会合を持ってくれました。第二階目の会合です。
既に昨年から少しずつ準備が進められています。
 いずれ改めてご案内いたしますが、来年5月18日、浜離宮ホールで開催されます。

            



 マノンは最近はご無沙汰ぎみ。雨の続いたこともあるのでしょう。
ノラ猫が大分増えたという情報もあります。
 マノンは他のネコへの警戒心が強く、居候先のOさんのお話では家の周りをあまり離れないとのこと。
気弱なのか優しいのか。・・・・・・(やっぱり気弱なのでしょうね)

                

 私の留守の時に家に立ち入った形跡は時折あるのですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 新緑の美しい季節です。
雨で緑がより鮮やかに、陽の光を浴びると嬉しそうにしています。

 良い季節になりましたね。
それでは今回はこの辺で。
                               

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 HP通信NO.286/ 2012.4.28

 本日から大型連休。さぞや皆さん賑々しく予定を立てておいでのことでしょう。
私は例年、この時期はひっそりと家で静かに仕事をすることにしております。
 皆さんが働いている時に遊び、皆さんがお休みの時に働きます。
自由業ですから、その点、気軽なものです。
 家内が元気で居る頃は、この時期、家中の「窓ふき」をさせられました。
いつも「イヤイヤ」ながらしたものですが、今となっては懐かしい想い出です。 
 今週も仙台に行っておりました。
桜本番の季節になっていました。

   

                     塩竈神社の桜。(4.26写す)
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 前回は政治家やテレビの悪口を言いました。
「テレビはストレス」ということについては同感の旨のお便りをいくつかいただきました。
 作り手(テレビ制作者)が観る者(一般大衆)をバカにしているとしか思えないテレビの現状です。
「テレビ時代」に入った今から50年も昔に大宅壮一さんは言いました。「一億総白痴化」と。
 テレビに関しては惰性が加速して異常な世界ですが、反面、日本は凄いな!というジャンルもあります。
「文学」です。文学の世界では次から次へと新人が登場して常に新しい世界を見せてくれています。
 もちろん、中には読み捨てのものもありますが・・・。
日本は「文学の国」なのですね。つくづく感心したり、その隆盛を羨ましくも思ったりします。
 音楽(クラシック)には無関心な国ですから・・・・・・。
次から次へと話題作が目の前にあるというのは「本好き」な人間としては嬉しいことです。
                                              


 4月21日は熊本市で春日信子先生のソプラノリサイタルを聴きました。
私の歌曲「二度とない人生だから」全曲を演奏していただきました。
 合唱としてはお馴染みの曲ですが、歌曲として全曲を聴いたのは初めてでした。
春日先生とは昨年ウイーン(ウイーンオペラ座)にご一緒しました。
 素晴らしい歌声と、合唱とは違った音楽的センス溢れる表現に感動をしました。

               
      左から当日「坂村真民」さんのお話をされた陶芸家の井上泰秋先生と中央が春日信子先生。



                     <マノンの里帰り>

   
                      居間のソファーで。(4/14写す)

 4月14日は威(たけ)(昔の生徒)が泊まりがけで遊び来ました。
以前ここでも何度かご紹介していますが彼は大のネコ好き人間です。一晩中、マノンと遊んでくれます。
 今回、威君が来るというので居候先のOさん宅より連れ帰りました。案の定一晩マノンと遊んでくれました。
「ネコは家につく」と一般に言われますが、マノンをみてると「人につく」ように思えてしまいます。
上の写真はご覧のように穏やかな顔です。
 この傍で私と威君が談笑しながら酒を飲んでいます。

この翌日はOさんのお宅に戻って行きましたが、それから頻繁に家を覗きにきました。
「威おにいちゃんはまだ居るのかナ?」とでもいうように・・・・・・・・。

 ずーっと留守番ばかりさせて、寂しい思いばかりさせて、マノンには本当に申し訳ないことです。
結果→家出なのですが、久しぶりの団らんにマノンも楽しそうでした。

 やはり上の写真のようなマノンを見ると私の心も穏やかな心持ちになります。
この更新をしている間も、マノンがやってきました。
今日は天気が良いのでテラスでひなたぼっこしています。

 良い気候になりました。鳩山では「八重桜」が咲いています。
毎日、散策をしながら、この連休中、しっかりと仕事をしようと思っているところです。
 どうか良い連休をお過ごしになりますように。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
             

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 HP通信NO.285/ 2012.4.17

 前回更新(4月6日)からこの10日の間、桜の満開季節でした。鳩山も春爛漫でした。
11日から仙台へ。
 新幹線の窓から桜前線を探していました。
すると宇都宮あたりでうっすらと咲き始めようとする桜を見ました。
 15日は帰路でしたが、桜前線は那須塩原まできておりました。
東北の春本番はこれからです。

 この1週間は大きな事件がありました。「北朝鮮のミサイル」事件です。
事件そのものより日本の政治家の対応にいつもながら感じることがありました。
 まず政治家が使うとても不自然な<敬語>です。
「国民の皆様に<ご議論>いただく」とか「〜〜を<おはかりする>」など〜(多数)〜とても不自然な敬語の、
多い事!。
 しかしそれでやっていることは「丁寧」か、というとそうではありません、ですから尚のこと、
これら政治家の使う敬語が「不自然」に聞こえてしまうのです。
 ミサイル発射後の事実確認、原発事故も含め、危機管理、有事意識、リーダーシップの有無など。
政治家には常に肩すかしをくらっている印象です。
 私たちは政治家・官僚を「優秀」と思っていますが、もしかしたら「そうでない」のかもしれません。
国が大きくなり、機構も複雑になり、規制や法律も複雑になると国は滅びる、と歴史が訓(おし)えてくれています。
 かつてのローマがそうでした。紀元前中国の戦国時代の秦もそうでした。

 仙台/利府に滞在時には、必ずといっていいくらい塩竃神社まで散歩します。
私の子供時代から変わらぬ風景があります。七五三もここでした。その写真もあります。
 歴史を感じさせる石段を歩いて、先日ふと思いました。
これから50年後もここは同じ風景なのだろうナ、と。
 さて日本は50年先、どうなっているでしょう。

 利府に居りますと、一日中、テレビがかかっています。〜両親は観ているのやら、ただの BGMなのか
ミサイル事件など一日中報道されていました。かといって同じことの繰り返し。
 私はテレビはあまり観ませんのでこういう状況は苦手です。 
以前にもここでさんざんテレビの悪口を言いました。
「現代人のストレスの要因はテレビがかなりの部分、かかわっている」と。
テレビは人を阿呆にします。そして苛つかせ、ストレスを募らせます。 
 とくにCMの音の大きさ。
皆さ〜ん!。なるべくテレビは観ないようにしましょう。  
               
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 マノンは最近あまり帰ってきません。イヤ帰って来れないようなのです。
ご近所のネコ情報によりますと、我が家の近辺には「ヒーマン」というマノンの宿敵・ボス猫がいまして、
マノンを待ち伏せているらしいのです。
 それで、マノンは我が家に近づけないでいる、とのことでした。
前回マノンの写真は好評でした。
 またお目にかけることが出来ればいいのですが・・・・・・・・・。


             
                        桜の道(4.17散歩の途中で写す)

今回はこの辺で失礼します。
                                                    

                  


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 HP通信NO.284/ 2012.4.6

 昨年の今頃は仙台におりました。新幹線がまだ不通でしたので高速バスでの仙台入りでした。
あれから1年。あの時、桜はきっと咲き始めた頃だったのでしょうが、桜に目をやるゆとりなどありませんでした。
 今年、ようやく桜が咲き始めました。
毎日毎日、散歩をしながら桜の花を待ちこがれていました。
 こうして桜の花に目を奪われるということは「平和」ということなのでしょうね。

 鳩山に住んで5年半になります。
引っ越して早々、家内が亡くなりました。
 その年もきっと桜は咲いたはずですが、よく覚えていません。
鳩山はこんなに春満載の場所なのに、見えてなかった、とも言えます。
 見ているのに見えていない、何やら禅問答のようになってきました。
実際、般若心経に作曲したり私には馴染みのあることですが、
 やはり何かに囚(とら)われていると見えるものも見えない、と般若心経でも言っています。

 そう考えると、自然界などまさにそうですね。
当たり前にある木々や草花ですが、
 今ちょうど春、桜が咲き出すと、人は初めてそこの桜に気付きます。
桜からすれば「ずっとワタシはワタシ」なのですが、一年の内、たったの1週間くらいが桜の出番。
 ですから私など「桜はエライ」と思っているんです。
ほぼ一年中、目立たずともサクラはサクラであり続けているのですから・・・・。

 
                 まだ1分2分咲き、といったところ。4/5写す


                
                    我が家の満開のモクレン

 先日は台風でした。
暴風雨でした。窓の外を見ると、木々が狂おしいほどの形相で激しく揺れていました。雷まで鳴って・・・・。
 しかし翌日は打って変わってうららかな日。
天と地の間に春の陽気が立っていました。
 木々や草花に意思はないのですね。自然は調和し、時期になれば花も咲く。
調和=ハーモニーですね、まさに。

 引っ越し以前は埼京線/与野本町駅から徒歩数分のところに住んでいました。
とても便利の良いよころでした。
 しかし、家内の亡き後、あそこで独りで住んでいたら今の私はどうなっていたことだろう、と時折思うのです。
自然から学び、癒されるということはなかったと思います。   

                                                    

                  <気まぐれマノン放浪記>

 一昨日、夕方から夜まで珍しくマノンが我が家におりました。
いつものように出たり入ったり。
 普段でしたら2.30分程度で帰ってしまうのですが、その日は、ずーっとテラスで「考え事」でもしているような・・・。
そんなバカな!。ネコが考え事をしているなんて・・・・。
 しかし「考えてる風」でした。
夜になったので、居候先のOさんに「場合によって今晩泊まっていくかも・・・」と電話をしたり。

「ネコがうらやましい」ですね。
家を出る時も「身ひとつ」「どこで寝るにも自由」「今日は何食べようか」などと考えもせず、
それでいて丸々と肥えています。
 その日は結局、夜、Oさん宅に戻って行きました。

 そして昨日、散歩の帰り道、マノンと道でバッタリ出くわしました。
マノンは私の留守に家にいった様子。私が居なかったので帰路の途中だったようです。
「どうしたマノン、一緒に来るか?」とワタシ。
しばし「他人行儀」な顔をしていたものの、放っておいたらいつの間にか私に付いて家まで。
 その時に撮った写真が下のものです。(4/5写す)

  

                 オナカの皮がたるんでます。マノン5歳の春。




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 4月は例年、家に居る時間が比較的多くなっています。 
ちょうど新年度で「合唱祭」などの行事、またコンサートも少ない関係でしょうか。
 家に居て、作曲、他に編曲など日々勤勉に、そして食事もマメに作り、散歩もし、穏やかな生活をしています。
来週はまた仙台。
 今の時期、桜の前線を新幹線の窓から探すのも楽しみのひとつです。
さてさて桜前線は今どこいらかナ?



 HP通信NO.283/ 2012.3.27

 先週17.18日は静岡でのおかあさんコーラス大会の講師として招かれました。
静岡は気候が穏やかなところです。その日雨でしたが、暖かな日でした。
 19日は静岡から千葉・市川でのコールベルの練習に。 
                     
          

 今月9日、横浜市で開催された「第4回国際シニア合唱祭/ゴールデンウエーブin横浜」に参加をし「横浜市長賞」をいただきました。表彰状を囲んで記念撮影。(写真→鈴木が写す)
 現在、19人。来年5月、私の還暦コンサートに向けて動き始めたところです。とても「和気あいあい」で楽しい練習。
そしてメンバーも皆さんもとても良い人たちばっかりです。
只今、「団員募集中」です。詳しくはこちら。→コールベル・ホームページ


   
                    < 春の鳩山 >

 朝起きて、空が晴れているとついつい嬉しくなって「ハレルヤ!」と言って起きます。
晴れの日は家の中が一日中、太陽の陽射しでポッカポカでまるでサンルームのよう。


 我が家に咲いた「白モクレン」の花。
白モクレンはきれいなのですけど、花はすぐ落ちて茶色に変色。掃除が大変なんです。
 また葉もこれが大きな葉で、これまた掃除が大変。    

               

                      <桜子の蕾み>
 一年中、この桜の枝の前を通る度に私は声をかけます。散歩道にあります。
名前は「小枝桜子」。
 まだ小さなつぼみです。少しずつ膨らんで来るのが楽しみです。

           


                      <鳩山 春の散歩みち>

      

 「トロッコ公園」という名称になっていますが、トロッコは実際のものでなく、実物大に復元されているもの。
 この駅名が「銀河ステーション」。途中、「白鳥の停車場」「鷲の停車場」などがあります。

        
         この「林の小径」は峯沿いの道です。この峯に沿った道が約2Km続きます。


                   しばらく行くと「風吹く丘」です。
         「風吹く丘」とは私の命名。見晴らしがよく、気持ちの良いところです。
          


     
  この土のモコモコは何だか分かりますか?     風の吹く丘から見渡す。鳩山ニュータウン。中央に見える
  モグラです。                  建物がショッピングなど出来る場所。毎日そこまで歩きます。


 散歩の行き帰りはマノンがお世話になっているOさん宅を通ります。左の青いシートの中でいつもマノンは寝ています。

   「あっ、いたいた・・寝てます。」 
                     

       3月24日の朝、起きたら、何とマノンが私の寝室のいつもの所で寝ているではありませんか。

        

      驚いてすぐ写真を。近寄ってみたら耳に血がついていました。ケンカをしたのでしょう。
      我が家は緊急避難所か?

          その後も相変わらず、出たり入ったりでこぜわしいマノンでした。

 昨年から取りかかっていた作品/男声合唱組曲を先日ようやく全曲完成させました。
初演は11月。演奏は東京リーダーターフェルです。

 さてさてまた新しいものに取り組みます。
締め切りは4月中。

 これから仙台です。



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 HP通信NO.282/ 2012.3.17

  今年の春の訪れは「三歩進んで、四歩下がる」とでも言うような足取り。
でも確実に春は来ています。
 我が家の「白もくれん」の大きな蕾みもほころびかけています。今日か明日が開花というところ。

 前回7日の更新の後、9日は横浜市で開催された「第4回国際シニア合唱祭/ゴールデンウエーブin横浜」に
私が指揮するコールベルが参加しました。
 コールベルもいつの間にかシニアの仲間入り。結成してから17年が過ぎました。
当日、私の作品「今が美しい」と「ことわざうたより<ネコ>」を演奏しました。
 そして何と!全体の2位に当たる横浜市長賞をいただきました。
光栄なことです。

 11日は所沢市での合唱講習会に講師として招かれました。
参加者約170名。
 皆さんとても熱心で、レヴェルの高いコーラスでした。
講習曲目は合唱曲集「ほほえみ」より数曲。

              
     終了後のお茶会で、左、ピアニストの赤星裕子さん、右、合唱指導の田中豊輝先生

 12日からは仙台に2泊。
15日からは鹿児島。
「田丸寛先生のお別れ会」に出席しました。

                 
                      会場受付で。

 400席以上の会場は田丸先生を慕う人たちであふれるほどでした。
田丸先生の関係する7団体(合同も含めて)の演奏があり、京都の箸尾哲男先生と私とで先生の想い出を語りました。
 笑える話がたくさんあるのです。
先生のお人柄が伝わるような楽しく心温まる会でした。

 鹿児島には一泊だけして、翌日、小雨の中、鹿児島市内をバスで過ぎたときに、急に寂しさがこみ上げました。
「寂しさ」はしようがありません。しかし忘れるがいいのです。忘れるとは「心」を「亡くす」と書きます。
その時の心を亡くすということです。
 寂しさや悲しさや悔しさは心に刻まれます。はじめ傷のように。ですが、次第に心の襞(ひだ)になります。
ですから忘れるがいいのです。
 しかし楽しいことはなるべく忘れずにいたいものです。
いや「常に」忘れずにいたいものです。
 そのくらいの「心持ち」でちょうどよいのかもしれません。

 鹿児島へは我が家から片道7時間。
大移動です。それも鳩山から羽田まで約2時間半かかります。
「やっと羽田に着いた」と思いきや帰るのに「これからまだ2時間半」・・・・・。
もう大分慣れたとは言え、やはり疲れます。
 たとえマノンでも「お帰りニャさ〜い!」と待っていてくれれば多少とも違うと思うのですが・・・・・・。



        ニューヨークでの追悼コンサートについてのパンフレットができました。

                    クイックすると詳しい内容が見れます。

 上のパンフレットは主にこれまでチェコ、ウイーンなどのツアーに参加された方々にご案内を差し上げています。
資料ご請求など興味のおありの方はこちらまで→エムセック担当/丸尾 maruo@mcec-inter.com
             

 先週、やっと締め切りのもの、半分ですが、お渡ししました。あともう少しです。 
池田規久雄氏委嘱の東京リーダーターフェル初演、男声合唱組曲です。初演は11月。

 今年に入ってから仙台/利府と行ったり来たり、家に落ち着いて居ることができず、作曲の時間もあまりありません。
しかし新幹線などでの移動中は、頭の中で考えているんです。
 まだしばらくは締め切りに追われる日々が続きそうです。

 今日これから静岡です。



 HP通信NO.281/ 2012.3.7

 2月29日は大雪でした。下の写真は私の部屋から写したもの。

 

 大雪ではありましたが、翌日には雪も消えました。
3月に入ってからは仙台/利府へ。
 そこでもまた大雪でした。
「〜梅は咲いたか〜桜はまだかいな〜」という端唄がありますが、普通ならそんな時期。
しかし梅が咲く間もない、といった今日この頃です。

 利府では両親は元気にしておりますが、父の介護で母もかなり疲れているようです。
利府に行きますと夕食はほとんど私が作ります。
 先日は私のオリジナルでよく作る料理を食べさせました。

             
                    カキのコロコロ炒め
     少量のマーガリンでカキを炒めます。そこに日本酒を入れ、軽く醤油をさして出来上がり。
   簡単料理です。ですが、最後にパルメザンチーズを適当にふりかけ、小ネギを乗せれば風味も倍増。

 これは両親にも好評でした。
最近そういえば「きちんと食事をしているの?」と母は言わなくなりました。
 それはそうでしょ。
自称「料理研究家」としては、いつも健康的な食事を作っている様子を、母は目の前にしているのですから。

 4日は仙台から宇都宮へ。栃木県おかあさんコーラス大会に選考員として伺いました。
終了後、市川へ、そして市川泊。
 翌日はコールベルの練習。 今週末、ひとつ本番がありますのでその最後の練習でした。
いつものように和気あいあいとした楽しい練習です。
 先日は私は「ワタシは何ケ国も話せるのだ」と自慢しました。つまり「東北弁、関西弁、九州弁」などなど。
そうしたらメンバーから一言。「先生!標準語は話せるんですか?」と。
「・〜・?・〜・?・・〜。」



        ニューヨークでの追悼コンサートについてのパンフレットができました。

                    クイックすると詳しい内容が見れます。

 上のパンフレットは主にこれまでチェコ、ウイーンなどのツアーに参加された方々にご案内を差し上げています。
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                     マノンの最近。 

                  
                                  3月6日写す

 マノンは毎日のように家に遊びにきます。それも時には数回。今はOさんのお宅の居候猫。
今朝も早く、私の寝室のサッシを開けて入ってきました。
 また散歩の途中でOさんのお宅でマノンに声をかけます。

 頭の良いネコなんですね。
普通「家出」したら戻らない、なんて聞きます。

 こうして元気でたまにでも会うことができ、私は嬉しく思っています。
考えてみると私は月に10日くらいしか家に居ないのに、よくもマア、5年もずーっと独りで留守番をしていたものです。
 今、Oさんご夫婦に可愛がられて、マノンにとって平安な日々なことでしょう。

 ここ2.3日の暖かさのせいか、我が家の「モクレンの蕾み」も近所の「梅の蕾み」も少し膨らんできました。
さてそろそろ花の季節!
「あんまり寄り道せず、春よ、は〜やく来い!」


 HP通信NO.280/ 2012.2.27

 
23日から鹿児島でした。急に初夏にでもなったかのような天候で驚きました。半袖姿で歩いている人もいたくらいでした。
25日「コール明和〜故田丸寛先生と歩いた道〜」のコンサートで客演指揮をしました。

 田丸先生は享年61歳という若さ。本当に口惜しいくらい悔やまれます。
このコンサートでは急遽、女声合唱曲「般若心経」を演奏しました。
 この日のプログラムは田丸先生最後の企画のもの。さすが田丸先生と思わせるほど楽しいステージの数々でした。
しかし「般若心経」が演奏されることなど、先生には思いもよらないことだったに違いありません。
                     
                23日はまず田丸先生いきつけの居酒屋で一杯。
      
                          
                      1ケ月前に入れたボトル。

 コンサートは大盛会でした。
追悼ステージの意味もありましたので、先生を慕い、弔いをしたいという方々で超満員でした。
 演奏の「コール明和」の方々も感無量の思いで歌われたと思います。
楽しい笑いもあり、そして感動的な演奏会になりました。
 それも田丸先生のお人柄、そしてこれまで築いてこられた絆の深さ、大きさを思いました。

また来月、「お別れ会」で鹿児島に参ります。

             
        打ち上げ会場で。向かって右、猪俣裕子先生(コール明和の元ピアニストで新指揮者)
                向かって左が新ピアニストの野村由美さん。



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                     久々にマノン登場! 

                 

 私が家にいる時は日に3.4回も出たり入ったりします。上の写真は先日、久しぶりに撮った写真です。
この数日間、留守でしたが、何度か出入りした形跡があります。
 また今朝、しかも早朝に私の寝室にマノンが入り込んだ様子もあり、思わず、笑いがこぼれてしまいました。
それもひっそりと入り、帰った模様。「やっと帰ったナ」と、もしかして心配で見に来てくれたのかナ?と。

 鹿児島では「梅」がまだでした。普通はこの時期、咲いています。
開花が遅れているようです。

 26日東京に着いたら「寒い!」。
さっそく鹿児島の暖かさ、そしてたくさんの美人に囲まれた日々が懐かしくなりました。


 HP通信NO.279/ 2012.2.17

 
仙台は相変わらずまだまだ寒い日が続いています。先週は仙台空港から伊丹空港へ行ったのですが、仙台空港近辺はまだ
大震災の爪痕が痛々しく残っています。
 これまで利用していた民間の駐車場はまだ復興ならず荒れ地になっていました。
聞くところによると、そこの従業員は津波に飲み込まれたとのこと。
 空港近辺の民間の駐車場は今のところ2つ.3つの営業にとどまっています。
昔ながらの賑わいになるのは果たしていつになることやら。

 11日は、伊丹から京都まで高速バスで。その夜はわざわざ高松からお出でになった高松混声合唱団の指揮者・中尾先生と
団長の西池さんと新作について打ち合わせをしました。
 翌12日、京都山科東部会館で「コールやましな」の演奏会当日。
超満員で立ち見も出る程の盛況ぶりでした。
 私は「永訣の朝」を客演指揮。その日、混声版「レモン哀歌」が初演されました。指揮は箸尾哲男先生。
そもそも女声として作られましたが、混声作品となるとまた趣きも違います。
 それぞれ素晴らしい演奏でした。
                     

      

       コールやましなの皆さんと。私の右隣が箸尾哲男先生、その反対側の左隣がピアノの山口梨紗さん。



NEW! 新刊案内
2012年3月新刊混声合唱曲「レモン哀歌」カワイ出版
             高村光太郎詩

2010年女声版として完成。「こールやましな」の委嘱で混声版に。
「智恵子抄」の中の有名な詩。
「そんなにも あなたは レモンを待っていた〜」で始まるこの詩は
光太郎と智恵子の哀切な物語です。
静かな感動を呼ぶ作品となっています。

                 32ページ。定価1.400円+税
中級


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 今年の6月に高松混声合唱団が「永訣の朝」を演奏します。
私の左横が指揮者の中尾英雄先生、右端が団長の西池さん。総勢5名の方がわざわざ高松からお出で下さいました。 

              


 前回の更新の折〜タレントさんが20も30も歳下の人と結婚していて〜、の話題に触れ、
「私など、若い子から見れば、オジサン、またはオジイサンと見えることでしょう」などと書きましたら、
いつもこのホームページを覗いている83歳の母が私にこう申しました。
「そんな消極的なことを言わずに、私も頑張るぞ〜くらいの気持ちを持ちなさい」と。
ナカナカ手厳しいことを・・・・・・。
そこで先日のコンサートで私より20、30下の女の子と「積極的」に写真を撮った次第。

               


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 最近マノンのことはあまり書いていませんが、マノンは元気です。
居候先のOさんのお宅で元気にしております。
 Oさんのお話によると、近所ではボスネコ的頭角を表しつつある、という、まあ何とも
たくましいことです。
 我が家にもヒョコっと帰ってきています。昨日は2回ほど顔を見せました。
いつもそそくさと、写真を撮るチャンスがないくらいにエサを食べては帰っていきます。

 私の留守中にも家の中に入ってきているようです。ちょっとだけ(1cmくらい)窓を開けておくのですが、
マノンはいつも自分で開けて入ります。

 別にエサが欲しいわけではないと思うのですが、私が「居るかどうか」様子を見にやってくるようです。
「あっ今日は家にいたのね・・・・」と。
 私の方からもOさんのお宅に行って、「ヤア元気にしてるか?」と声をかけます。
すると「ニャオ」といって、私の手にじゃれたり、ガブリとかみつきます。
 今は妙なる「男同士」の付き合いをしています。
そのうち、元気なマノンの姿をご覧にいれましょうね。

 只今は青色申告の時期。
作曲は常に頭にあり、そんな中、また来週は鹿児島です。
 仙台の両親はまずまず元気にしておりますが、またすぐ仙台にも行かねばなりません。

 今の作曲を終えないと次の締め切りも待っているという「火だるま」状態。
明るくウキウキする春を迎えたいものです。


 HP通信NO.278/ 2012.2.7

 
先月末より今月はじめまで仙台におりました。父も無事に退院しました。
とは言っても、一筋ならぬ退院物語があり只今は自宅にて療養をしております。
 入院中は点滴などの管を自らはずし、多いに看護士さんや医師を困らせた父です。
さすが自宅では静かになりましたが、相変わらず母を手こずらせています。

 老人介護のサービスは数年前より受けていましたが、今回改めて、そのシステムの手厚さには驚きました。
自宅には急遽ベットの手すり、廊下の手すりなどが付き(レンタルですが)、その手際さに驚きました。
 老人介護のシステムが開始した頃、家内の親のことで随分と調べたりしたものですが、あれから10年あまり、
介護のシステムが随分と充実してきていることに再々驚いた次第です。

 日本という国はこういうシステム作りがうまいのですね。多くの企業が参画し、内容もこと細やかなに充実しています。
とりあえずは、今後、その介護サービスを通して、両親の生活を見守りたいと思っているところです。
                     
             ニューヨークでの追悼コンサートについてのパンフレットができました。

     

 上のパンフレットは主にこれまでチェコ、ウイーンなどのツアーに参加された方々にご案内を差し上げています。
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 プログラムの内容は
・第一部/メモリアル・サービス「司教による追悼」「殉教者家族によるスピーチ」
・第二部/追悼コンサート「アメリカ側の演奏」「日本側の演奏」「日米合同演奏」他

☆日本側演奏曲目「般若心経」「仏教讃歌」「アヴェ・マリア」「マザーテレサ 愛のことば全曲」
 今回は合唱団単位の参加者ではなく、個人参加が多いと思います。
練習は出来うる範囲で国内、また現地アメリカにて集中練習を行う予定です。

 私は常々思っていることですが
「人は祈ることによって、より自身が透明になっていく自分を発見できるのでは」と思っています。
「般若心経」をアメリカで響かす「この祈りの行脚の旅」にご一緒しませんか?

 私にとって初めてのアメリカです。楽しいことがたくさ〜んありそうで楽しみです。

             

 最近、幾人かのタレントさんが2〜30歳年下の女性と結婚する、ということが話題になっているようです。
それを面白がって「先生もどうですか?」などと茶飲み話のような話題が多くなってきました。
 たしかに「それも良いかナ」などと考えなくもありませんが、私は良いとしても20も30も年下の女性からみれば
私は明らかに「オジサン」そして場合によっては「おじいさん」・・・・・・・・・。

 家内が亡くなり5年が過ぎ、独り暮らしに慣れて来ると再婚など鬱陶しくなるのも事実です。
母なども「誰かいないの?」「誰もいないの?」と半ば真剣に半ば諦め気味に私に話します。
 考えれば楽しくもあります。しかし山の中にいて、いつも仕事の締め切りに追われ、家を何日も留守にするような
今の生活では、当分、結婚には難しい「お年頃」(?)と言えるかもしれません。

 今週も仙台へ。そして仙台空港から伊丹へ。京都でのコンサートもあります。
次回の更新ではそのコンサートなどをご紹介しましょう。

時節柄御身大切になさって下さい。


 HP通信NO.277/ 2012.1.28

 
前回の更新より大分間が空いてしまいました。
今月は3回、仙台/利府に行っておりました。
 父のことではお見舞いのメールも頂戴し御礼を申し上げます。今は生命に関わるほどの症状ではありません、が、
ただ、認知もすすみ病院でじっとしていない状況の中で、母のストレスも一段と高じています。
 なるべく仕事の合間を縫って利府に帰るようにしています。
合間と言っても私の仕事はじっくりと腰を落ち着けて取り組まねばならぬものですから、
作曲する時間が思うままに取れずに、さながらお尻に火がついたカチカチ山のタヌキです。
 全身に火の手が回らぬよう、何とか苦慮しているところです。
                      

 22日から26日まで旅の空に下にいました。
22日は大阪で「大阪府立大学混声合唱団EWA CHOR」のコンサートに伺いました。
そこでは学生指揮による「永訣の朝」、当間修一先生による「永久ニ」が演奏されました。

               
       楽屋で。当間修一先生、そしてピアニストの木下亜子さん、沖田明子さんと。

 当夜、私の2作品が演奏されました。私の記憶では女声では何度かあっても、混声作品では初めてかナ?、と。
演奏はとてもレヴェルの高いものでした。当間先生が技術顧問ということで関わっておられるとのこと。
「永訣の朝」は学生指揮でしたがとても純度の高い素晴らしい演奏でした。
「永久ニ」は当間先生に何度も指揮して頂いています。
先生の指揮は「安心して聴ける」という言い方はちょっとおかしいのですが、その他の言い方が見つかりません。
 楽しいステージもあり、とても充実した演奏会でした。

 24日は京都で来月客演指揮する「コールやましな」の練習にも立ち会いました。
そのコンサートでは混声版「レモン哀歌」(箸尾哲男先生指揮)が初演されます。
 練習後、か〜るく一杯(1時間くらいで失礼といいながら)ついつい楽しい時間をたっぷり過ごしてしまいました。
関西では仕事の打ち合わせや友人と会ったり、結構、ヒマのない関西滞在でした。

 25日には九州新幹線で鹿児島に。その日は大雪の日だったようで、途中、姫路や福山では吹雪いていました。
さすがに細長〜い日本です。天候様々な風景を車窓から眺めることができました。

        

   左が自由席、右が指定席です。指定席はゆったりとしています。他の新幹線ではあまり見かけません。
          九州新幹線の座席は木目の落ち着いた雰囲気。そしてきれいです。
      

 25日は夕方近くに鹿児島に着きました。
駅に着いてやや感傷的な気分に。「田丸先生はもういないんだ」と。(昨年12月に亡くなったことはここでもご紹介しました。)
 
夜は来月客演指揮するコール明和の皆さんと打ち合わせ。 
来月2月25日はそもそもコンサートにゲストとして招かれていました。「民話」が演奏されます。
 しかし田丸先生のご逝去で私に指揮を託されました。
打ち合わせで田丸先生追悼のステージでは「般若心経」をすることが決まりました。
 田丸先生の葬儀、告別式など行われなかったので(ご家族の意思で)皆さん、どこにその悲しみの場を持っていけばいいのか
途方にくれています。

 その後、田丸先生の馴染みの店に出かけました。先生が毎晩のように通った居酒屋です。
私も何度も先生と一緒に楽しく飲んだ店です。
 ママさんに田丸先生のボトルを出してもらい、それを空にしました。
そして新しいボトルを入れ、それに「田丸寛」と書きました。
「田丸先生の知り合いが来たらコレおごってやって」とママさんに話しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回は新幹線で鹿児島まで行きました。帰りは飛行機でしたが、日本の半分を歩いたことになります。
連日、いろいろな人に会いました。普段、夜は9時か10時には寝るのですが、連夜、12時近くまで快飲。
 今回はどうしたことかそういうスケジュールが続きました。
旅では夜は早めにゆっくり寝ることを心がけているのに・・・・・・。
 今回は体力ダウンをしっかり自覚。

 羽田から東京→仙台と行くつもりでもいましたが、さすがに断念。
仙台にはまた来週行く事にしています。

 またしばらくは寒そうですね。
私の旅行カバンには幾種もの「薬」が常備されています。
 ちょっとでもノドが痛くなったら・・・・くしゃみひとつでも・・・・それに寝る時は首にタオルを巻き、
ホテルの風呂は熱湯をいれて満杯に、濡れマスクをし、・・・・・・・・・とにかく、
出来る範囲で万全の体制です。

どうか皆様も御身大切になさって下さい。

 HP通信NO.276/ 2012.1.13
 
         
                  2012年1月1日/松島から昇る初日の出。
    
 
New!  新刊案内!2012年2月1日発行
    女声合唱曲「今が美しい」カワイ出版!
                      8ぺージ 定価(本体700+税)

約4分の小品です。
永年懇意にしていただいている宮崎の中村禎子先生の古稀のお祝いに作曲したもの。
詩は村田さち子先生。
「〜〜〜
あなたが そばにいる それだけで 今が美しい あざやかな 今が〜」
アンコールピースにはうってつけの小品です。

初級程度



 3日に一旦鳩山に帰宅したのでしたが、父が緊急入院したもので6日はまた仙台/利府へ。
何とか容態は安定したので11日に帰宅しました、が、その間ずーっと病院におりました。
 来週はまた仙台に行きます。 
病名は「動脈瘤乖離」、とりあえず生命の危険はないものの絶対安静。しかも認知症がさらに悪化したこともあって、
目が離せない状況です。
 完全看護なので、ただベットの傍に居るだけなのですがそれだけでも疲れるものです。
それに病院は賑やか。一日中、各計器の器械音がします。


 1月12日は亡き家内の5周忌。5年になります。
つい昨日の出来事のような遠い昔のような・・・・。ただはっきり言えるのは、随分と辛さや悲しみも薄らいできました。
 やはり辛さや悲しみの癒しというのは、年月によってでしか埋められないものだとつくづく思います。
今も相変わらず忙しくしていると家内の言葉が甦ってきます。
「お父ちゃん、何もかもひとりで大変ね。家事は上手に手を抜いてね」と。(いつも私のことをお父ちゃんと呼んでいました。)
 
 仕事も新たな締め切りのものが目の前にあります。
疲労も大分溜まっている様子なので、本日13日は昼近くまでベットの中。なるべく休養をとるようにしてはいます。
 
 人間の歴史は「掃除の歴史」とか。(誰が言ったのだったか?)本当にそうですね。
雑用・雑事も放っておくと日に日に増えていきます。
うまく風通しをしないと、植物も枯れます。
 人心もそうです。
うまい具合に「心に」日干しをし、風通しをよくし、「心」が枯れないように。
「身体」には適度な運動をし、そして深呼吸をし、「身体」が固まらないように。
せめてそう心がけなければと思っているところです。


 今年の9月にはニューヨークで「9.11日米合同追悼チャリテイーコンサート」が行われます。
私は日本側の音楽監督として、「般若心経」などを指揮することになっています。
合唱は日本から参加者を募るかたちとなります。近いうちに詳細をご案内するようにいたします。

今回の更新は以上近況報告まで。


 HP通信NO.275/ 2012.1.3
 
 新年あけましておめでとうございます。

                   

   

                      松島から昇る初日の出。

 昨年は年末ぎりぎりに新作を仕上げ(ホっと胸をなでおろし)29日に仙台/利府へ。
年越しは松島のホテルで両親と過ごしました。

 昨年はいろいろなことがありました。そしてあっという間に一年が過ぎたというのが実感です。
時の流れを速く感じるというのは歳相応と言えなくもありませんが、やはり大震災という騒然とした落ち着かない日々の
せいもあったかもしれません。本当に、昨年は一年が速かったです。
 私事では、NHKの課題曲の作曲、それに絡んで講習会など、またウイーンへの演奏旅行など・・など・・・。
家に居る時間も少ない年でした。

 さてさて一年がまた始まりました。
やはり家族を初めとして、知人友人、皆の「無病息災」を祈るのみです。

 皆さんにとって本年が健康で良き年でありますようにお祈り申し上げます。
   

 鳩山には本日帰宅しましたが、マノンはOさんのお宅の庭のいつものところで寝ていました。
声をかけたら、寝ていたのでしたがパっと目を開けて「やあ今帰ったの?」とでも言う表情をしました。
 留守の時でも、マノンがいつでも家の中に入れるようにしかけがしてあります。
マノンは何度か家に帰っていたようです。

 マノンにとっても今年はどんな年でしょう。 
とにかく、みんな無事で良い年にありますように。  

 まずは新年のご挨拶まで。
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