HP通信15
2020年
「HP通信3」は08年1月より再開しました。
「HP通信1→2005年」「HP通信10→2015」
「HP通信2→2006年」 「HP通信11→2016」
「HP通信3→2008年」「HP通信12→2017」
「HP通信4→2009年」「HP通信13→2018」
「HP通信5→2010年」
「HP通信14−2019」
「HP通信6→2011年」
「HP通信7→2012年」
「HP通信8→2013年」
「HP通信9→2014年」

レクイエム・日本初演のお知らせ
 4月より延期しておりました「あかり」の定期演奏会が下記の通りに開催されることとなりました。
コロナ感染防止のガイドラインに沿っての開催ですので、入場制限などもあり当日券はありません。
 ご来場下さる方には下記、連絡先にご連絡の上、お出かけ下さい。

 HP通信NO.563/2020.7.30

 ここしばらく「海外公演」のDVDなどを観たりしておりました。
この12.3年の間に、チェコ、ウィーン、ハンガリー、アメリカ、バチカン、などで7度の公演を行いました。
(これらはすべてエムセック・インターナショナルの主催によります)
 これまで私と同行下さった方はおよそ「900人」、参加団体数はのべにして約50団体(個人としての参加者も多数)。 
演奏会の前後には観光もあります。
 それらを懐かしく、とても懐かしく観ておりました。

 あるDVDの最後に私の言葉として次のようなテロップが流れていました。
「人というのは”思い”の生き物なのです。そして”思い”があれば必ず伝わるのです。」 
 これは私の持論というべきものですが、まさにそのことを「体現」した海外公演の記録でありました。 

 海外公演では日本の歌、私の作品も多くプログラムに組み込まれています。
言葉は通じるはずもないのですが、音楽を通しての「心の交流」はたしかに心が震えるほどたくさん感じました。
 まず「拍手」がそれを物語っています。
拍手は聴き手の「心」を表しています。
 それらの感触を言葉で表現することは大変難しい。
参加をされたどの人もその感動は心に刻まれている筈です。

「思い」が人に通じることほど「心に豊かさ」を覚えるものはありません。
「意見」や「主張」ではありません。
「思い」とは「愛」だったり「思いやり」だったり「やさしさ」だったり「その人の温かな心の有り様」です。
そういう「思い」を持てばかならず人に伝わるということです。
 しかし「ない」人は伝えようがない。

 音楽ではそれが如実です。
残念ながら日本での公演で「海外で経験したような心の交流」を感じる瞬間は決してそれほど多くはありません。
 今回のコロナ感染の艱難の時を経て、おそらくどの人の心にも音楽をすることの歓び、
意味を改めて感じ、考えさせてくれるような気がしております。


「やさしき人との出会いは、やさしき心を生み、素晴らしき巡り会いは人のまごころを薫る」。
これは私の詩・曲「めぐりあいの中に」の一節です。
 この歌の世界にあるようなところで私たちは生きたいものですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 2002年に始めたこのホームページで毎回このように「コラム」を書いてきました。
ですが、それは今回の更新で打ち切らせていただきます。
 ホームページでは「新刊情報」や「お知らせ」その他はこれまで通りに適時に掲載いたします。
また出版リストなどの資料も充実していこうと思っております。

 私の独り言のようなコラムに永い事お付き合い下さいまして誠にありがとうございました。
皆さまとはいつかどこかでお会いすることもあろうかと思います。
 その時にはどうかお声をかけてくださいね。

 それでは御機嫌よう。
 お元気で。




HP通信NO.562/2020.7.20



                     
                          鳩山荘 7月9日撮影

 私は7月のはじめに髪をスパッと切りました。
妻から写メールをくれ、とせがまれてもひたすら沈黙を守っておりました。
 それが先日妻が日光に行った時に「お母さんがノリオさんと話をしたいから」とスカイプで話をすることに。
画面が映し出され私の頭を見た義母は即座に「ノリオさんナニ?そのツルツル頭は?」・・・・・(言葉も出ないワタシ)・・・・。
 義母は童女のような人なのです。
面白いもの、びっくりするようなモノにはすぐに飛びつきます。
 さらに「ねえフキ!、今度ノリオさんにかつらを買ってあげたら?それも3つくらい、毎日、今日はこの髪型で決めるぞ、なんて楽しいじゃない」
・・・ここまでくると「ワルノリ」です。
私は話題を変えました。
「お母さん!その後、お身体どうですか、とくに心臓は?」
「大丈夫、元気よ、私の母は心臓の発作で私が18の時に36歳の若さで亡くなってね・・・・・」
そこで私が言いました。
「お母さん、残念でしたね<美人薄命>とならなくて・・・・・」(さっきの仕返し)
そうしたらこう切り返してきました。
「そう、私の場合はね<ブス長命>」
93歳の義母は元気です。
 この分だと「100歳」までは大丈夫でしょう。
そしていつもながら新作の話をします。
「平和という果実」「さくらんぼと麦わら帽子」に続く作品です。
この日もたくさん話をしました。

 こういうご時世ですからなかなか日光にも足を入れられなくなりました。

 相変わらず「不要不急」「県外の往来は遠慮を」と言っている最中なのに「GoToキャンペーン」などと今度は「人の流通を促す」政策。
一体「何が何だか」政治家の考えている事は分かりません。
 政治家の発言の最後に必ず「専門家の意見を伺いまして判断をします」という事が付け加えられます。
「Fukushima50」=福島原発事故を扱った映画=を観て、当時の様子を初めて見て知って驚きました。
「政治家の責任回避」また「専門家の意見」に右往左往させられた現場の人たちの混乱の姿がありありと映し出されました。
今の状況と似てます。

 かつて「松本サリン事件」で被害者であった河野さん宅の物置に農薬などの薬品があったことで
「サリンを作った」犯人として日本中の人から注目を集めたことがありました。
 それはある大学の先生がこう言ったことが発端でした。
「自宅でサリンをつくることは不可能ではありません」と。
 実際にはそんなことはあり得ないとは後から知ることですが、その「専門家」の無責任な発言で世論は犯人・河野さん一辺倒になったことがありました。

 原発事故の時も今回の事でも「どういう専門家なのか」専門家に責任を問うことをしませんし、実際責任を負うこともない。
政治家は「専門家」の意見を元に判断をした、と いわば責任転嫁。
 責任の所在は宙に浮く仕組みになっています。

「GoToキャンペーン」なんてやめて欲しいです。
 岩手県は現在感染者「0」といった奇跡の国です。
私は大変好きな所です。
 友人もおれば、宮澤賢治の国、観光地もたくさんあり、それに盛岡冷麺、わんこ蕎麦などなど魅力ある土地柄です。
現在、感染者「0」の岩手県がこのGoToキャンペーンのせいで感染者が増えたとするなら何とも残念なことです。
 岩手県民にとっては切実この上ないことでしょう。 

「二兎を追うものは一兎も得ず」
こんなことを言っても常に現実の「利」しか見えない人たちにとっては「馬の耳に念仏」ということでしょうが。


 各地で大きな被害がありましたが、この先、どうか災害がないことを祈ります。
そろそろ本格的な夏の到来です。
 空を見上げればはやくもモコモコした「入道雲」が見えます。
もう空は夏です。

HP通信NO.561/2020.7.10

               
                              鳩山荘 7月9日撮影


 鳩山荘のこの景色は私の大好きな場所です。
とくに夕暮れ時、鳥のさえずり、喧噪にも近い蝉の啼き声、陽が落ちる頃になるとヒグラシがカナカナカナとあちらこちらから聞こえてきます。
 雨の降ったあとには、眼下の池に流れる川の水音も聞こえます。
さながら山奥にでもいるような気分にもなります。
 鳥が山に帰っていきます。
小さい鳥も、カラスもカアカアと啼きながら、山の巣に帰っていきます。
 鳥は必ずといってよいほど「つがい」です。
何をか楽しそうにしながら山に帰る姿は見ていて、気持ちがホンワリとしてきます。
 トンボも目の前を横切ります。
そんな夕暮れ時をワインをのみながら、ボンヤリと過ごすのが日課になっています。

 私は最近、眼精疲労が甚だしく目をあけるているのも辛いときがあります。
なるべく目を休ませるように気遣っていますが、このような景色を眺めるのが目に一番良いようです。
 冬になると樹々の葉が落ち、遠くを見渡せる風景が広がります。

 この日もワインに合う軽い食事をしながらワインを飲みました。 
暑い日には「ひとりビアガーデン」。
 コロナの影響で毎日が休日(?)というわけではありませんが、こうした時間を持てる事を幸せに思います。 


 今年も各地で大きな被害がでています。
近年、災害が際立って多い事に気付きます。
 先日も大きな地震がありました。
それらによって被害に遭われる方々に対しては、心からのお見舞いを申し上げます。


 コロナ対策が一日も早く万事万端に好転しますことを祈るのみです。
皆さまにはどうか御身を大切になさって下さいますよう。

                レクイエム日本初演のお知らせ(後日詳細は改めて紹介いたします)
 
混声合唱団「あかり」第10回演奏会  指揮:木野村雅子 その他の詳細は下記のチラシをご覧下さい。

 8月23日(日) 14:00〜16:00
            調布市文化会館たづくり くすのきホール


HP通信NO.560/2020.6.30

 つかの間の梅雨の晴れ間、久しぶりに妻がネギをしょって鳩山に遊びに来ました。
いつも放任主義の夫を気遣い、また庭の雑草刈り、植木の手入れなどを気にしてのことです。
 おかげで草ぼうぼうの庭も植木もすっかりきれいになりました。
妻はとにかくよく働くのです。
 普段怠け者の私もついついつられて手伝ったり、滅多にしない洗車などをしたりしました。
それを見たお向かいの奥さんが顔を出して妻とこんな会話をしてました。
「鈴木さんが働いている姿、ここに来て(約10年)初めて見ました」・・・・・。
二人の会話を聞きながら私は終始苦笑いをしておりました。

 久しぶりに働いたので、たまに映画でも観に行こうということになりました。
観た映画は妻が観るようなタイプの映画ではなく妻は「半分以上」手で目を覆っておりました。
 私もそれほど残酷なシーンがあるとはつゆ思わず「乱暴」にもこういう映画に誘ったことを反省をしました。
どんな映画を観たかはこの文章を読み返せば分かる筈です。

 街は普段の生活に戻りつつあるようにも見受けられますが、実は、そうとは言えない厳しい現実です。
「問題が起きた場合」解決のために肝心なことはその問題の「根本」を識(し)り対処することです。
「無症状の感染者」を放置状態にしている限り、いつまでもこうした不安定な状況は続くことでしょう。
さらに言えば、いずれ具体的にワクチン接種の段になると「感染」しているかの有無が問われる事になるはずです。
 そのとき、どういう対処を私たちはしなければならないのか、そして国はどう対処するのか。
こんな事は「もちろん」国は考えていると思いたい。

 明日から7月。
何事もなければ12日からウィーンオペラ座で公演のはずでした。
 自身の作曲の仕事もそろそろ本腰を入れないと、と思っているこのごろです。
いつもの事ですが、「蝉」が啼きだすと「尻にムチ」という感じで慌てだすのです。
 多分今年もそういう予感が・・・・・・・・・・・・・・。

HP通信NO.559/2020.6.20

                 
                            我が家の紫陽花 (6/19撮影)              

 我が家にもついに「マスク」が届きました。
手もとに取った時、つい「フフッ」と笑いがこぼれました。
 せっかくお上(かみ)から下賜(かし)されたものですから、神棚に飾り、末代までの家宝としたいと思います。
また「50年先の玉手箱」と称し、孫に上げるのも悪くないカナ〜とも。
 50年先にはきっとプレミヤがつくのはないかと。

 TVから流れるニュースは相変わらずです。
汚職や持続化給付金についての政治のずさんさの暴露。
 国を動かす人というのは大体が「頭の良い人」といわれる人たちです。
ですが「頭の良い人」というのは本来「自分本位の考え方」しかできないものです。

 日本の官吏(かんり)はお世辞や皮肉ではなく本当に優秀です。
とくに「税金の徴収」にかけては「天下一品」。
 そうして徴収された税金を政治家や官僚は「蛇口をひねれば湯水が湧くがごとく」に使いたい放題、といった印象です。
海外のことは知りませんが「日本の政治家」はたいへん優遇されていると感じます。
 国会議員が選挙で落選すると、いわゆる「浪人」になっても党から活動資金として「◯◯万円」が支給される。(その人の実績にもよるのでしょうが)
さらに選挙資金もこの度の報道で知りましたが莫大な税金が使われます。
 政治家は自分たちの「都合の良い」仕組みをよくマアしっかりと考えるものです。

 庶民としてはただただ呆然とすることばかりです。

 世の中がちょっとでも明るくなるニュース、
たとえばコロナワクチンの開発、それの一般化、そういう話題が一日も早く出て来る事を期待したいものです。


HP通信NO.558/2020.6.10



               

                         紫陽花や きのうの誠 けふの嘘     子規

 紫陽花に寄せて「きのうの嘘 けふの嘘」とは子規という人は何ともキレの良い句を作る人です。

 私はこのところ中国の古代歴史、とくに「春秋時代」(おおまかに紀元前5.6百年頃)「戦国時代」(おおまかに紀元前3.4百年頃)ばかり読んでいます。
小国が大国に包括されたり、国の中では陰謀、謀反、革命、また戦争での駆け引き、知略の数々、まさに人間模様の俯瞰(ふかん)を観る思いです。
 愚鈍な君主、横暴な君主は家臣に弑(しい)されるという革命は普通であり、名君および名執政の治世においては、一時であれ平安な世を謳歌する、
といった歴史の繰り返しが常に描かれています。
 また「仁」「徳」「義」を行う「執政のあり方」も魅力です。
私は20年前に一通り「宮城谷昌光作品」を読んでいたのでしたが、今、改めて読み返し「人間とは?」を考えさせられています。

 たとえば
「民を裏切る政治、民の声を聞かない政治はやがて滅びる」
「<仁>また<信>のない執政の元での治世は永くはない」などなど・・・・・・。
 昔も今の世も常に同じことを繰り返すのが歴史というもののようです。
しかし時に「範」とすべき人物が現れると「国民にしぜんと正しい秩序がうまれる」ということも歴史には記されています。

 さてさて今の世はどういう世の中なのでしょうか。


 6月になって合唱の練習も再開、という話もチラホラ耳に入ってきます。
まだ当分はマスクをしながらの練習のようですが、それでもひとつ霧が晴れたような気分です。



○ウィキペディアの内容を先日、更新しました。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木憲夫
○YouTubeを久しぶりに観てましたら大体300曲の投稿数がありました。 
    https://www.youtube.com/?gl=JP&hl=ja 検索 「鈴木憲夫」   

 いずれもお時間のある時でもご覧になって下さい。


HP通信NO.557/2020.5.30


  ウィキペディアの内容を先日、更新しました。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木憲夫


  YouTubeを久しぶりに観てましたら大体300曲の投稿数がありました。 
    https://www.youtube.com/?gl=JP&hl=ja 検索 「鈴木憲夫」   

いずれもお時間のある時でもご覧になって下さい。


 徐々に軟禁状態も解除に向かいつつあります。 
が、潜在コロナ患者がまだまだ多数居ることを思うと、それだけ不安を残したままでの再出発。
 素直な疑問ですが、何故、PCR検査、抗体検査がもっと積極的に行われないのだろうと思います。

「疑心暗鬼(ぎしんあんき)」という言葉があります。
「ひとたび疑い始めるとその他の事まで全て疑わしく、疑う心に暗い鬼の気が起きる」ということです。
 それらを取り除くことも政治の役割であるように私は思うのですが。

 まだまだ不安充満の中、私たちで出来ることでそれらを払拭していきたいものです。
どうか、皆さまにはお健やかに、御身大切にお過ごし下さいますよう。

HP通信NO.556/2020.5.20




                             
                               ホトトギス

 今朝、早朝に「ホトトギス」の声を聞きました。
しかしまだ練習中? 
 ウグイスもそうですが、練習中の啼き方というのは何ともほほえましいものがあります。
ホトトギスは例年より少し早い出番。 
 連休中に30度近い日がありましたが「セミ」の声も聞きました。
「ジジジ〜ジジジ〜」と今生まれたばかりの赤ちゃんセミのようでした。
 ところが聞こえたのはその日だけ。
生き物たちもきっと戸惑っているのでしょう。
「アレ?まだ出番じゃないの?」とばかりに。
 まもなく鳩山のホトトギスも練習を終え立派に啼く事でしょう。
鳩山のホトトギスは「ホットトギッチュウ」と啼くんです。 

 先日の日曜、久しぶりに妻と東京駅で落ち合い、妻の住まいのある深川まで歩きました。
私たちは文字通りの「コロナ遠距離夫婦」。
「コロナという荒波をかき分けて」の感動的(?)な再会でした
私が深川の家に行ったのはほぼ2ケ月ぶりです。
 鳩山はただいま感染ゼロの町ですので、互いの行き来も真面目に控えておりました。

 久々に「江戸」の町を歩きました。
普通に歩けば約1時間のコースです。
 日本橋を渡り、江戸橋を渡り、人形町、浜町を通り、新大橋を渡って深川につきました。
日本橋の馴染みの蕎麦屋をめざしたのですけど、日本橋界隈は閑散として静かなものでした。
 人形町は若干人も出ていて、ひととき、下町の風情を楽しみました。
人形町は私は好きな町です。

 鳩山では毎日自然の中を歩いていますが、たまに違った風景の中を歩くというのは良いものです。
新大橋から隅田川を眺めるのもなかなか「乙」なものです。
 隅田川ではカモメが飛んでいます。
朝、カモメの啼き声で目が覚めるのも深川らしい。

 このところ取り組んでいた仕事も一段落をし、これから次の仕事に入るつかの間の息抜きでした。
 
 そういえば「マスク」は私のところにまだ届いていません。
届いたらきっと「クスッ」と笑ってしまうでしょう。
 「そんな程度の支援」といったら不遜ですが、「そんな程度の知恵」と言ってもだれもがうなづくと思われる現実。 
そういう人たちが「憲法改正」をしたりするのです。
 ちょっとイジワルを申しますが、国会議員の先生方はボーナスはどうされるんでしょう。
たしか支給額は「300万くらい(?)」。
 私ごときがモノ申すのはナンですが、まさかスンナリと満額を受け取ったりはしないよね・・・・とは「人のワルい」考えでありましょうか。 
 
 まだまだ窮屈な生活が続きそうですが、それぞれに風景を変えた生活も試みてはいかがでしょうか。
どうかそれぞれに「忙中閑有り」ならず「窮中楽有り」と参りたいものですね。
*「忙中閑有り」=忙しい中でも一息つける余裕をもつこと。
「窮中楽有り」=苦しく窮屈な中にあっても楽しみを作ること。(鈴木造語)


HP通信NO.555/2020.5.10

                              

                        散歩コースにある「天の川ステーション」と「銀河の丘」

 2.3日前の朝「今日はラーメンを食べに行こう」と急に思い立ち、昼時目がけて行ったら何と「閉店」(休業ではなく先月末で店を閉めたという)
その近くの中華店に行ったら「休業」。
 さらにその隣にあるマッサージ店も「休業」(再開は未定)
何とも寂しい思いをしました。
 しかしもっとも残念に思っているのはその経営者でしょう。

「孫子」の兵法に「敵に勝つ為には敵をよく知るべし」とあります。
「コロナ」を敵と見なすなら「コロナ感染」については以前よりかなり知識も増えてきていると思います。
 ですので以前と比べれば、充分に気をつけていれば「感染拡大」も防げる事もある程度分かってきました。
今回自粛の期限は5月6日が一応の目処でした。
 国民はそれに目がけて辛抱してきたと思いますが、 ですがここにきて更に緊急事態の延期。
それはやむおえない、とは承知しつつも、おそらくどの人も「ドーッと疲れが吹き出したのでは」と思います。
 それなのに相変わらずの「自粛」「スティホーム」の言葉の連呼。
リーダーたる人は「みんなで十分に気をつけあって、できる範囲でお店を再開して下さい」と言えないものか、と思ってしまいます。
 組織の下や規制(ある意味で社会の常識も含めて)のもとにあって、人は「自主性、主体性」をなくしてしまう、ということを以前読んだことがあります。
そういう状況だからこそリーダーが必要になるわけです。
 リーダーにはまず「想像力」(こうなればこうなると先を予想する能力)「思いやり」そして「勇気」(決断する勇気)、
さらに「希望を失わせない」姿勢がほしいと私は思います。

 私は子供の頃からボーイスカウトに居りました。
やがて班長になり副隊長になり、大学生の時は隊長になりました。
 ボーイスカウトとは「リーダー意識」を育てるところでもあります。
例えば行軍(あるところからあるところまで歩く)などをします。
 その際、たとえば「あそこまで行ったら休憩」その先の山を超えたら「食事休憩」などと子供たちの体力や心を気遣い鼓舞したものです。
常に「臨機応変」が求められる。
 さまざまな経験の中でたくさんの事を学ばされました。

 余談ではありますが、薩摩では「郷中(ごうちゅう)教育」というのがあります。 
未だに伝統として残っているのだそうです。
 学問の教育だけではなく、主に遊びの中で子供が歳下の子供に教え伝えることです。
たとえば川に飛びこむ時に、大きな葉っぱを口にくわえて飛び込むのだそうです。
 そうすると川にとびこんだ時、その葉っぱが「鼻」をふせいで「水」が入らないようにする、とか、遊びの中で知恵が育まれてきたわけです。
そういう仲間意識、連結意識が「西郷隆盛」やその他の維新のリーダーを多数排出したのだ、と地元の人から聞いたことがあります。

 こういう時期、大阪知事は非常に頑張っておられるようです。
先を見越して、臨機たる対応をしているところは拍手を贈りたい気持ちです。

 このホームページは10日毎の更新です。
さて、あと10日後はどのような情勢になっているでしょうか。

 私のように家にずーっと居る、ということはとくに珍しいことではありませんが、しかし檻(おり)に入れられたような環境はさすがに窮屈です。
TVも非常につまらない!。
 バカ騒ぎ、バカ笑いばかりです。
私流に言わせれば芸能人とは「芸NO人」です。

「コロナ」に対する新薬の情報も嬉しいことです。
 終息に向かってそれが加速するよう祈りたいものです。
健康にとって「ストレスは最大の敵」です。
 どうかなるべくストレスを減らし、悠々として過ごしたいものですが・・・・・・・。

 とにかく皆さんどうかお元気で、毎日を楽しく思えるような生活をして参りましょう。


HP通信NO.554/2020.4.30

                       
                       新しいパラソルとテラスから見える景色(4.30日の鳩山)  

 もうすぐ5月、普通でしたら新緑の薫りの中、晴れ晴れとした気分にもなりましょうが、ただ今は窮屈な日々。
皆まにはいかがお過ごしでしょう。
 私はやっと最近、skypeを覚えました。
離ればなれの妻とは主にskypeや電話での交流です。
 本当に便利なものです。
昔々、テレビ電話など近未来の出来事のように思っていましたが、それが今や現実です。
 子供のころマンガで見た近未来の様々なことが現実化されています。
人類の進歩はすさまじいとつくづく思うのですが、現在進行中の「新型コロナ」の撲滅も近い!と信じたいものです。

 ウィーンの知人からの情報なのですが、彼はウィーンの音楽事務所に務めていますが、補助金が早速出たそうです。
申請はネットでわずか5分程度で、月に12万から72万、それを申請すれば年内は月々に受けられることも可能だそうです。
 日本とは雲泥の差です。
たしか我が国の首相は「こんな助成をする国は日本しかない」などと「のたまって」いましたが、
いつも「自身の手柄をまず全面に出しての<口先ペラ男>(私がつけたあだ名です)の言うことは「味がない」。
 中国の古い言葉にこういうのがあります。
人間は正しく「道」を歩んでないと「語言(ごげん)あじなきを、面目憎(にく)むべし」、つまり「言葉に味がない、人相も悪くなる」という意味です。

「持続化給付金」は本日あたりにやっと詳細が知らされました、が、申請は少し面倒のようです。
 もう1ヶ月も前ですが、ドイツのフリーカメラマンがネットで申請して2日後には申請額満額が口座に入金したとここで報告しましたが、
このような対応がすぐ出来る、という国・国民に羨ましさを感じます。


             REQIEMの楽譜が刊行されました。  

                 
                                  定価1.900円

                 日本初演は延期ですが(期日は未定)決まり次第、ここでご案内をさせていただきます


 鳩山町は現在感染者がいません。
近隣する町に囲まれている状況です。
 毎日、自然の中を歩いていますが、空を眺めてはこんな美しい空の下のどこに「ウイルス」が潜んでいるのかと思ってしまいます。
待ちに待った「ワクチン開発や抗体検査」などの報道がされるようになってきました。
    
「辛抱せよ」としか言えない政治家の無能ぶりにはもう飽き飽きしました。
「リーダーたるもの、道を示さなくては」。 
人というのは「道」が示されれば、我慢のしようもあるというものです。

 どうか皆さまには「グレることなく」もう少しの辛抱を共にいたしましょう。  

               
                                 
                          号外

               今社会の中で私たち「音楽人」は大変弱い立場に居ります。
       後輩、ご同輩の方のために少しでも力になれたらと思い、次のようなことをこれから広めていければと考えております。
        これをご覧下さいまして、ご同意いただけましたら皆さまの周りの方にもお声かけ賜りますようお願い申し上げます。

               音楽ほほえみ基金から
            合唱団各位様へのお願い

 現在の状況は言うまでもなく非常事態のさなか、皆さまも大いに憂い、苦慮されておいでのことと思います。
 指導者の先生はじめピアニスト・ヴォイストレーナーの皆さまにとっても、現在のおかれている状況は精神的
 にも経済的にも「艱難辛苦
(かんなんしんく)の時」を迎えていることは察するにあまりあるものがあります。

 
そこで合唱団各位さまにぜひともお願いがございます。

 団の活動の休止に伴って、指導者の収入が「ゼロ」になる事態も生じてきております。
 特定の企業や団体、組織より「給与支給の背景」を持たず自らの技能を提供することで社会的に独立している「個人事業主」にとり、現況はまさに危機的状況にあります。

 そこで活動休止に伴う指導者への謝金をわずかでも補填、最低保障の確保をお願いしたいと思います。
 その規模は各団体の事情により様々な基準があってしかるべきですが、従来の報酬の30%、ないし50%の
 ご考慮ご拝察をお願いする次第です。

 現段階で長期化になる可能性があり予断をゆるしません。
 一日も早く正常化に戻り、これまで同様、合唱を楽しく存続していくためにも、このような苦難を皆さまと
 共有し、乗り越えて行けるよう、皆様の格段なるご厚情を拝し、お願い申し上げる次第です。

 

                    2020年4月3日
                   音楽ほほえみ基金代表
                      鈴木憲夫
HP通信NO.553/2020.4.20

                   
                            近所の八重桜のアーチ

 家に籠る生活にもそろそろ欠伸(あくび)がでます。
とは言いながら身動きもままなりません。
 ストレスまん延は生活の不自由さから来るものだけではなく、その一因は政治家の「指導力のない」対応ぶりにあります。
今から一ヶ月前にドイツの報道をTVで観ました。
「フリーのカメラマンが休業補償の申請をしたら満額(その時は160万円)しかも申請して2日後に口座に入った」ということです。 
しかも申請はWebで希望申請額を書き込むだけ、というもの。
 
 今の日本は国民を「迷子」にしています。
自分が今どこにいるのか、何をどうすればよいのか分からない。
 感染についてみな「疑心暗鬼」になっているというのに、PCRの検査も進んでいない現状。
韓国では大分前に「ドライブ・スルー」の検査を実施しています。
 日本ではやっと一部で開始したようです。
昨日のニュースでニューヨークでは大規模な「抗体検査」の実施を行うようです。

 ただ「家にじっと籠っていなさい」としか言えない政治家の無能さに、ストレスが増えるばかりです。
リーダーとは「現状」を見、そして次の手段を考え、それがもし失敗したらさらにその次の手を打つ、つまり「想像力」が不可欠なのです。
 それがまったく「伝わらない」、イヤ「無い」から伝わらないのでしょうけど。
さらに「10万円の給付金」について「手を挙げる人にはあげる」とまったく不遜な発言をする人もいます。
 ですから尚のこと不安ストレスが募るのです。 
「10万円の給付金」は我々フリーランスを含め自粛を余儀なくされて休業中の人にとっては、大変「嬉しい」話ではあります。が、国民一人に一律?。
給料の減らない「地方・国家公務員」(もちろん議員も)「大企業」「銀行」「年金受給者」も一律、とは「この国はなんと大雑把で良い国なんだ!!」。
 
「経済産業省の持続化給付金」の制度もただ今検討中とか。(遅すぎる!)
休業に基ずく損失金を保証する制度です。
 個人は上限100万円、企業は200万円。
今月末には詳細がはっきりし、連休明けから申請受付ということです。
問い合わせ先は0570−783−183。
 私もいろいろ勉強しようかと思っているところです。 
申請は主にWebで、方法、また金額の算出などやや面倒のようです。

「不用不急」でない方、と言っても世の中「きちんとしている人、きちんとしてない人、ズボラな人」がいると思いますが、
人によって「不用不急」の基準はさまざま。
「不用不急」を「バカのひとつ覚え」のごとく繰り返す政治家のボキャブラリーのなさにはもう飽きました。

「号外」でお知らせをした中で、真剣にお考え下さり対応して下さっている団体もあれば、そうでない団体もあるようです。 
本当にさまざまです。
 いずれ「持続化給付金」についてここで詳しくお知らせができればと思っております。 

 またしばらくは不自由を余儀なくされる生活が続きますが、どうか互いに辛抱して参りましょう。

号外

               今社会の中で私たち「音楽人」は大変弱い立場に居ります。
       後輩、ご同輩の方のために少しでも力になれたらと思い、次のようなことをこれから広めていければと考えております。
        これをご覧下さいまして、ご同意いただけましたら皆さまの周りの方にもお声かけ賜りますようお願い申し上げます。

               音楽ほほえみ基金から
            合唱団各位様へのお願い

 現在の状況は言うまでもなく非常事態のさなか、皆さまも大いに憂い、苦慮されておいでのことと思います。
 指導者の先生はじめピアニスト・ヴォイストレーナーの皆さまにとっても、現在のおかれている状況は精神的
 にも経済的にも「艱難辛苦
(かんなんしんく)の時」を迎えていることは察するにあまりあるものがあります。

 
そこで合唱団各位さまにぜひともお願いがございます。

 団の活動の休止に伴って、指導者の収入が「ゼロ」になる事態も生じてきております。
 特定の企業や団体、組織より「給与支給の背景」を持たず自らの技能を提供することで社会的に独立している「個人事業主」にとり、現況はまさに危機的状況にあります。

 そこで活動休止に伴う指導者への謝金をわずかでも補填、最低保障の確保をお願いしたいと思います。
 その規模は各団体の事情により様々な基準があってしかるべきですが、従来の報酬の30%、ないし50%の
 ご考慮ご拝察をお願いする次第です。

 現段階で長期化になる可能性があり予断をゆるしません。
 一日も早く正常化に戻り、これまで同様、合唱を楽しく存続していくためにも、このような苦難を皆さまと
 共有し、乗り越えて行けるよう、皆様の格段なるご厚情を拝し、お願い申し上げる次第です。

 

                    2020年4月3日
                   音楽ほほえみ基金代表
                      鈴木憲夫


 HP通信NO.552/2020.4.10

 先日、急遽、上のような告知をおこないました。
さまざまな反応をいただきました。
 私の呼びかけで「背中を押される思い」とか「力を貰った感じ」などといった感想をいただきました。

「音楽人」というのは立場上、社会の中で大変弱い存在です。
「音楽著作権」をみても会員・役員の九割は「演歌・歌謡曲・ポピュラー」関係者。
クラシックなど隅の隅の存在です。
 ですから私は常に言っておりますが「日本は演歌の国」です。

 私はある名曲(誰でも知っている外国の曲)の編曲権を持っています。
とても短い曲ですが、毎年、わずかですが海外からの著作権料として入金があります。
 外国では人が集う「BAR(日本では大衆居酒屋)」でよく生演奏をみかけます。
私の想像ですがその楽曲は多分そうしたところで演奏されるのでしょう。
 それなのに「きちんと使用料」が発生していることに驚きます。
日本ではまず考えられない事です。
 そのように外国では著作権に関するマナーが徹底しているのです。

 日本人の伝統的習性とでも言うのでしょうか「水や空気」は「タダ」。
今でこそ「コンサルタント業」は職種として成り立っていますが、以前はそうではありませんでした。
 証券会社に務める友人が昔、私にこう話したことがあります。
親戚や友人から「ねエ〜、あの株、上がる?」などと気安く聞かれるのには閉口する」と。

 著作権も同じようなものです。
今でこそ法律で庇護を受けてはいますが「コピー文化」は相変わらずです。
 それに「あおりを受けるのは」それを生業をしている人たちです。
昔、小さな音楽出版社が出来てはすぐ倒産する、という憂き目を何度も目にしています。

 日本では真の音楽文化が育たないというのはそういうところにも要因があるのです。
今回の「告知」は「弱い立場にある音楽人」に少しでもお役に立てればという願いが込められています。
 私などが関わる音楽のさまざまなイヴェントが軒並み「延期・中止」となっています。
当初の予想に反して8月まで開催自粛を余儀なくされているところもあります。

 これに関わる人たちの理解を切にお願いするところです。 
とくに若い世代で音楽を志す人たちへの支援もお願いいたします。 

                              
号外

               今社会の中で私たち「音楽人」は大変弱い立場に居ります。
       後輩、ご同輩の方のために少しでも力になれたらと思い、次のようなことをこれから広めていければと考えております。
        これをご覧下さいまして、ご同意いただけましたら皆さまの周りの方にもお声かけ賜りますようお願い申し上げます。

               音楽ほほえみ基金から
            合唱団各位様へのお願い

 現在の状況は言うまでもなく非常事態のさなか、皆さまも大いに憂い、苦慮されておいでのことと思います。
 指導者の先生はじめピアニスト・ヴォイストレーナーの皆さまにとっても、現在のおかれている状況は精神的
 にも経済的にも「艱難辛苦
(かんなんしんく)の時」を迎えていることは察するにあまりあるものがあります。

 
そこで合唱団各位さまにぜひともお願いがございます。

 団の活動の休止に伴って、指導者の収入が「ゼロ」になる事態も生じてきております。
 特定の企業や団体、組織より「給与支給の背景」を持たず自らの技能を提供することで社会的に独立している「個人事業主」にとり、現況はまさに危機的状況にあります。

 そこで活動休止に伴う指導者への謝金をわずかでも補填、最低保障の確保をお願いしたいと思います。
 その規模は各団体の事情により様々な基準があってしかるべきですが、従来の報酬の30%、ないし50%の
 ご考慮ご拝察をお願いする次第です。

 現段階で長期化になる可能性があり予断をゆるしません。
 一日も早く正常化に戻り、これまで同様、合唱を楽しく存続していくためにも、このような苦難を皆さまと
 共有し、乗り越えて行けるよう、皆様の格段なるご厚情を拝し、お願い申し上げる次第です。

 

                    2020年4月3日
                   音楽ほほえみ基金代表
                      鈴木憲夫


 HP通信NO.551/2020.3.30

                   
                   今年の桜は早いですね。いよいよ一年一度の晴れ姿の「桜子」です。

 新型コロナウイルスの感染で今世界が震撼しています。
日々入ってくるニュースに毎日驚きの連続です。
 それだけ国民全体のストレスもうなぎ上りの様相を呈しています。
感染の実体そのものもさることながら、
それに対応する日本の指導者のリーダーシップのなさにも輪をかけてストレスが高じているのが今の世相といえるでしょう。
 我が国の首相、都知事など、この度の有事の対応に頼りなさといらだちが募ります。
まず話す言葉の「味気なさ」「温度」が低いこと。
 そして「表情」の活力のなさ。
こういう時だからこそ、リーダーたる「面目躍如」とした姿勢が欲しいものです。

 先日TVで街頭での若者の様子を観ました。
「これから踊りに行ってコロナなんか吹き飛ばすサー、俺たちコロナなんかにかからないし・・・」。
 唖然としました。
もちろん一握りの若者としてもこれも今の時代が生んだ「馬鹿」というものです。
「省みる事」これが自己修練の基本にあります。
それがないと「その場その場」の生き方になります。
 今、ここでこんな事を言っても仕方ありませんが・・・・・・・・。

 私なりに現在イタリアなどで大流行の根拠として考えられる事にふと思い当たりました。
それは言葉の問題もひとつにはあるのではないかと。
 イタリア語の発音・発声は「つば」が大いに飛びかうのですね。
フランス後もスペイン語もおそらく似たようなものかも。(よく知りませんが)
 そういう印象を持ちます。
日本語はどちらかといえば静かと言えるかもしれません。
 これは私の勝手な推測、思い込みかもしれませんが。

 合唱指揮などを仕事としている人は今まさに災難辛苦の時と言えるでしょう。
江戸時代だったら「浪人」。
「傘はり」でもしないと生きて行けない・・・なんて笑い事ではないかもしれません。 
周りを見渡すと本当に厳しい現実です。 
 
 とにかく、感染の勢いが弱まり、薬も開発・実用できる日が一日も早く来るよう祈るのみです。 

 どうか皆さまもくれぐれもご用心あって、御身を守るようなさって下さい。

HP通信NO.550/2020.3.20


                     

              
                      上の道を行くとその先に丘があります。 
    NHKの課題曲「僕らは仲間」(2011年やなせたかし詩)の中に「かぜふくおかでぼくらはおどった・・・・・・」という歌詞がありますが、 
                    それ以来この丘を「かぜふくおか」と私は呼んでいます。  
  
                  
                     今年も「桜子」の出番が近づいてきました。(3月18日撮影)  


 相変わらず静かな日を送っています。
連日、書を読み、1時間以上も散策をし、仕事もやや勤勉に務めています。

 以前、大半の蔵書を処分したと書きましたが、東洋思想の本は若干手もとに残していたので改めて、次から次へと眺めています。
前回書いた「老子」ですが、それを読んだのは私が40歳の頃です。
「老子」は「無知無欲」さらに「自然回帰して自己を発見せよ」というのが眼目でしたから、当時の私にはまだまだ無縁という捉え方をしておりました。
 まだ若いのに「無知無欲」はないでしょ、とばかり、その頃はむしろ「旬子」などに魅かれました。
それらはそもそも東洋思想の巨人というべき「安岡正篤」の本から多く啓発されてのことです。
 数多い著書のその半分くらいは私は読んでいると思います。
それらの本は知人・友人に上げたりして今手もとにのこっているのは僅かです。

 「孔子」の「論語」を初めとする「儒学」、のちにそれらを総じて「儒教」と言いますが、
「教」とあるので「宗教」と勘違いしやすいのですが宗教ではありません。
「仏教」はたしかに「宗教」ではありますが、汎く解すれば東洋哲学の一角とも捉えることができる。
 それらは「自然世界万物の中で人として<因縁>を持って産まれ存在し、人がつくる様々な<相>の世界の中でいかに生きるべきか」を説いている。
よく「宗教」は苦手、という人がおりますがこうした「東洋思想・哲学」つまりは「人が生きる上での手引き」と思えば宜しいのです。
 とくに今の若い人には是非触れてほしいと思います。

「今の若い人」は知識に富んでいます、しかも驚く程の知識量です。
言い換えれば「それしかない」。
「知識」が言葉をしゃべっている感さえあります。
大事なことは「智慧(ちえ)、想像力、胆力(忍耐力)」です。
 それらを教えてくれるのが聖賢人の言葉だと私は思うのです。

「菜根譚」(さいこんたん)は私の愛読書のひとつでした。
「でした」という過去形は今手もとにないのです。
 それも何冊も我が家にみえる若い人に上げてしまってついに一冊も残っていない、という始末。(また買い求めなければと今思っているところです)
是非、馴染んでいただけたら嬉しい限りです。


 今の窮屈な状況が一日も早く終息することを多くの皆さんが願っています。
4月になったらすこしづつ復帰しそうな気配もある中、予断をゆるしません。
 今年は温かな春でそれがせめてもの救いといえば救いといえるでしょうか。
近所には早咲きの桜も満開を迎えました。

 私は花粉症ではなかったはずなのですが、ここ数年、時折鼻水が出、頭もすこしモヤーとしています。
これは花粉症というのでしょうね。
 どうか皆さまには御身大切に。

HP通信NO.549/2020.3.10


                        

 最近は家で静かに過ごすことが多いこともあり、昔読んだ「論語」や「老子」などを眺めたりしております。
そうしたらある一篇が目に入ってきて思わず「アレ〜」と声を漏らしました。
 老子の下篇48章です。
「学を為せば日々に益(ま)し、道を為せば日々損ず。これを損じて又た損じ、以て無為に至る。無為にして為さざるは無し。」
意味は「学問を修めていると、その知識は一日一日とふえてくるが、「道」を修めていると一日一日とその知識は減ってゆく。
 減らしたうえにまた減らし、どんどん減らしていくと「無為」の立場にゆきつく。
その「無為」の立場でいると何事も成し遂げることができるようになる」(概訳)

 私は5年程前に蔵書のほとんどを古本屋に引き取ってもらったことがあります。
それにはひとつ意味がありました。
「知識でもって物事を観る(また図る)のではなく、自身の意識、また無意識、感性でもって物事を図る。それでこそ知識が活かされるというものだ」
ということを考えたのです。
 「老子」を読んだのは今から20年以上も前のことです。
同時に仏教も含め、広く東洋思想に関心を持ちました。
 それが今の私に随分深い影響を与えている、と今更ながらに感じます。
私の中でこの「老子」の言葉が息づいていた、ということに自身でも驚いたわけです。

 
 上のことをひらたく私なりの言葉で言うとこうです。
「知識を得ることはそれ自体大変意味のあることだが、いつまでもその知識にすがっていると、知識は知識のままで終わってしまう。    
 むしろ知識を捨てることで、素(そ)となり、培ってきた知識の経験を基に自身で観、思い、感じ、そして発見をすることこそが大切なのでは・・・」と。 

 毎日、自然の中を歩いているといろいろな事を考え、発見をします。 
それらはこれまで得た知識を自分なりに噛み砕いているようなところがあります。
 先日久しぶりに「老子」を読み、それが私にとって心深くに宿っていたことに嬉しさを感じたのでした。
さらに、一時期興味を持っていた「唯識論」(ゆいしきろん)も思い出しました。                       
 この中に「阿頼耶識」(あらやしき)という語があるのですが、それは「人の意識(無意識)が何層にも潜在して積み重なり、
それがある時、表に顕われる」(おおまかなですが)ということも思い出しました。

 私のそういう姿勢は(新しい知識など人が生きるのに必ずしも必要ではない)時代を逆行しているかもしれません。
賢人の言葉は時代を超えて、あだ疎(おろそ)かにすべからず、とつくづく思い当たるのです。
 もう一度、古人の言葉に触れようかと今思っているところです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 7日(土)は「Fontana di Musica 」の演奏会に行って参りました。
指揮は安達陽一先生、合唱は20人程度の少人数ですが皆さん「精鋭」ぞろいで、聴き応えのある立派な演奏でした。
 前半は私の歌曲3曲、そして合唱曲は「祈祷天頌」でした。
素晴らしい演奏で感動しました。

 この作品は1987年、私が34歳の時の作品です。
「はるかかなた そこに 生命(いのち)があった めぐりの中に 人は 生命を刻み そして・・・今も・・・・」
 という詩です。テキストも私が書きました。
聴きながら静かに涙が頬をつたわりました。
 その涙は感傷ではなく、作曲して30数年を経て今の私にとどいている心の歓び・幸せが、浄(きよい)涙となって流れたのだと思います。
こうして自身の作品に励まされることの幸せを噛み締めた一日でありました。
 ここに改めて指揮の安達先生、合唱団の皆さまに感謝を述べたいと思います。

                   
                         鳩山では今モクレンが咲いています。

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                       【レクイエム日本初演演奏会】

                     下記のようにレクイエム日本初演が行われます。
                  楽譜は当日刊行の予定です。会場にて即売も実施いたします。
                          是非おでかけ下さい。

             


HP通信NO.548/2020.3.1


 新型コロナウイルスの影響で、皆さんそれぞれにその対応に苦慮されていることでしょう。
私も先月中旬からずーっと山籠りです。
 3月も軒並みイヴェント中止で、外に出る用事もなくまったく静まりかえった生活です。
しかし近刊の校正や新編曲集の準備などで家での仕事は相変わらずといったところです。

 世情不安の今、未だ「正体不明」の新型コロナウイルスへの恐怖、
さらに「政府の対策」への不信も大きな要因となっていることは、多分皆さんも同じ認識であろうかと思います。

 まず我が国の首相はじめ、担当大臣の厚労省大臣の対応姿勢に、つくづくリーダーシップの欠如を感じます。
厚労省大臣のまるで「人ごと」のような対応、今回の首相の決断も国民最優先ではなく「まず身の保全第一」が発想の源のような気もします。
 首相の弁を皆さんはどのように聞かれましたでしょう。
私は「あの声、話し方」が苦手です。
 言葉のセンテンスがブツ切れで、聞き苦しいも甚だしい、心に届かないまるでロボットのような話し方。
国民を前に話すのなら、もっと普通に、聞き手の心に届く話し方をして欲しいものです。
 要するに「思い」がないのです。
「思い」がないから届きようもない。

 あまり大きな声で言えませんが、私は普段から我が国の首相のことを「口先ペラ男」(クチサキペラオ)と呼んでいます。
この先、首相の姿勢が問われることになったらきっとこう言うでしょう。
「私は 国民の 安全第一を 考え あのような 思いきった方策を 打ち出したじゃありませんか」と。
 相変わらずの自己保全の弁が想像できます。
国民は呆れているのにそれに気付かない「裸の王様」もいいところです。
 野党も「犬の遠吠え」です。
吠えるだけでなく思いきって「かみついてみろ」と言いたいです。

 政治不信に輪をかけてこの度の異常事態、国民一人一人が自己の責任で乗り越えなければならないようです。

 一日も早く新型コロナウイルスが終息することを願っています。



     
                                  

                       

HP通信NO.547/2020.2.20


                        毎日この風景の中を歩きます。
                       このところ小春日和が続いています。
                 
 
 歩きながらいろいろなことを考えます。
そして思います。
 これは私の持論なのですが、人の「視線とその思考性」というのは実に妙なものなのです。
たとえば下を見ながら歩きますと人間、大体こんな事を考える。
「今日は何を食べようか、とか、仕事のこと、などなど<現実的>なこと」。
 視線を普通に周りの景色に映すと<観察>する思考になる。
「散歩ですれ違う人や犬の様子、車の行き来を眺め、ときに横断歩道を渡る老人の危うさを心配したり・・・・」など。
 視線を上に空を仰ぎ見ると人は大体<はるか>を思うのです。
「あ〜あの人はどうしているか、とか、作曲の続きを考えたり、散歩から帰ったら次何しようか〜」などなど。

 都会を歩くとうっかりよそ見もできませんが、そもそも上で書いたような「視線と思考」とは関係があるのです。
どうか皆さん、一度、経験してみて下さい。
 とは言っても街の中ではくれぐれもご注意を。

 自然にはこうした「感受性」を育む力があるのです。
いつも皮肉を申す「スマホ世界」では何をかいわんや、です。

 鳩山荘は夜は月も星もきれいです。
毎夜、月と星を見るのが日課のようになっています。
「月は今日、どっちに出ているカナ〜」とか、「今日は星がたくさん見えるナ〜」とか。
 人にとって「のどか」を感じ、そして上を見上げて「はるか」を思うことって、とても大切だと思うのですよ。

 乾燥続きの昨今ですので、くれぐれも御身ご自愛のほどを。

HP通信NO.546/2020.2.11


 8日より日光に妻と行っておりました。
もちろん、独り暮らしの義母を気遣ってのことですが、今回はひとつニュースが。
 一昨年よりそれまで乗っていた大型車を廃棄し、義父の愛車の軽四輪車を譲り受け乗っておりました。(義父が免許証自主返納したため)。
私は軽自動車には初めて乗ったのですが、とても便利で気に入っておりました。
 ですが義父の入院などで頻繁に日光に行くようになると、軽自動車での高速道路走行に怖さを感じ始めました。
そこで中古ですが小型車に乗り換える事にしました。
 車の契約は1月の13日、そして17日に義父が亡くなりました。
日光通いのために買った車でしたが、これからは独り暮らしの義母のために使う車となりました。
 今回は車を受け取りに日光に行ったのでしたが、やはり新車というのは良いものですね。

 高速も快適。
これまでの軽自動車とは比べるべくもありません。
 私はそもそも車の運転というのは苦手の方です。
移動はどちらかと言えば「電車派」。
 しかしこれからは車での移動も多くなりそうです。

 白色のこじんまりとしたきれいな車です。これまでの軽自動車と比べると中古といえど「気分はベンツ」。

 一足先に春がやってきた感じです。

 HP通信NO.545/2020.1.30


 前回、義父の訃報をお知らせしましたがお悔やみと、義母(金子静江)へのお気遣いのメールなどをいただき、この場をお借りし御礼を申し上げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 1月のカレンダーも早や一枚めくる時期となってきました。
こんな調子で行くとあっという間に「一年がまたたくまに」などと思いたくない事をつい思ってしまいます。
 仕事もやや滞り気味です。
少しノンビリムードが過ぎるのでは、と自己反省の日々です。
 月1度来てくれる家政婦さんにそんな事を話すと「たまに良いのですよ」という労い(ねぎらい)の言葉が「暑いさなかの涼風」に思えてきます。

 鳩山に居るときは散歩は欠かせません。
歩いて1時間の映画館にもこのところよく通いました。
 往復ですからその時は2時間歩くことになります。
「歩くにもそこに美学」があるのです。
「美学」というと大げさですが、要するに「歩く姿の格好良さ」です。
 歩くに限らず、至る所に「美学」というものがあります。
人は「格好良さ」によりこだわった方が良い。
「立ち居振る舞い」ひとつにその人の品性というものが出る。
身につける服、靴など、いかに高級といえど、それが似合う振る舞いこそ言うに及ばず大切なわけです。

「スマホ人間」などは論外。
 話は飛躍しますが、人間の思考で大切なことは「順序立てる」ことです。
私たちは何年もの間「学校」に通い、何を学んだかというと「物事を順序立てて考える」ことを教わってきたとも言えます。
 スマホ世界に慣れた人間は「物事を順序立てて考える能力」が欠如しています。
「歩きスマホ」「食べながらスマホ」etc。
 子供の頃、食事しながら本なり新聞を読むと親に叱られたものです。
「食べるときはきちんと食べなさい」「歩くときはよそ見などしないで」などなど。
 スマホに夢中なっている人間の所作など「格好が悪い」。
しかしスマホを扱う人間は知識が豊か。
 それは知識といえるかどうか知りませんが、会話の途中でも検索が始まる。
「今何が一番大切なのか」が「人間の判断」の基準と考えるなら、明らかにそういう能力が退化していると言われてもしかたがないこと。

 たしか戦国大名の北条氏だったか
「長男がご飯のお椀に何度も汁をかけているのを見て、毎日やっているのにその要領のなさを見抜いて後継者にしなかった」
という有名な話があります。
「一事が万事」。
 スマホの悪口ばかり申しますが、もっと「格好良さ」しいては「美学」にこだわって欲しいものと思います。

 昔から年寄りというのは口うるさいものです。
私も時には意識的に「年寄り」になりましょう。
 スマホ愛好者の方には悪口雑言(あっこうぞうごん)の数々ご容赦のほどを。

HP通信NO.544/2020.1.21


 先週の17日、昨年より入院加療中だった妻の父が93歳(数え年)で亡くなりました。
17日の朝、容態が急変し突然の訃報でした。
 私は正月は日光で過ごし、一旦帰宅し、13日に見舞いに行ったのが最後となりました。
その別れ際、珍しく握手を求めてきました。
 きっと予感でもあったのでしょうか。

 葬儀を終え昨日、日光より帰宅したところです。
義父は東京芸大美術科の前身「上野美術学校」の最後の卒業生でした。
 専攻は油絵、後にデザインに転向し事務所を作りそこで数々の仕事を残しました。

 私とは気心が通じ、よく絵画論議など芸術全般に亘り話したものです。 
私も美術は趣味といえるほど好きなものですから、義父の若かりし時代の話を聞く事が楽しみでした。
 日光にはたくさんの温泉があるのでよく一緒に行ったものです。
私は温泉は正直苦手で5分程湯に浸かると「もう良い」のですが、時に義父に付き合い長湯をしフラフラ〜としたことが何度もあります。
 最晩年に至るまで頭脳明晰、亡くなる1週間程前になって意識がやや混濁したものの、最後まで元気でした。
入院中でも「温泉にまた行きたい」、病院食に耐えきれずに江戸っ子ですので「浅草の○△○が食べたい」などと話したりしてました。
 車で日光にはよく通ったものです。
しかも最近は軽自動車ですので、高速が怖くて怖くて、少し大きな車に買い替えようとしていた矢先でした。

 人との別れほど辛いものはありません。
もう数えきれないほどの別れをしてきました。
 これからもっと増えて行くのでしょう。
そういう「慣れ」の延長上に「自身の死」というものがあるような気がします。

 義母の静江先生も93歳。
昔は演劇を志し後に詩人となりましたが、連れ添って60有余年、若い画家と役者志望の貧乏時代の話をよく聞いたものです。
 半世紀以上苦楽を共にしとても仲睦まじかっただけに、悲しみはいかばかりかと想像だにできません。
「平和という果実」「さくらんぼと麦わらぼうし」の続編をと、会えばいつも新作の話をしています。
 また元気に新しい作品を生み出して欲しいものと励まし期待するところです。

HP通信NO.543/2020.1.10

 新年となって10日あまりとなります。
いつもなら「今年の抱負」というのが自然と湧き出るものですが、今年はとくにそんな気負いもありません。
 それは「歳をとったから」・・・・・とは思いたくない「お歳頃」の今年の「私」です。
とは言いつつ秘かに自身で「言い聞かせて」いるような事はあります。
 独り言のような類いなので敢えて「抱負」とは言わないだけです。

 私は今年の誕生日が来れば「67歳」となります。
世の中一般では高齢者に属する年代に入ることになります。  
 私と同世代からも周りでよく「もう歳だから〜」という言葉を耳にします。
私は正直、そのような実感をあまり持ちません。 
 年長者からみれば「まだまだ若いよ!」「これから老い老い始まるよ!」などとささやきが聞こえそうですが、幸いな事に身体は壮健です。 
    
 私は多分
(ですが)「もう歳だから〜」という台詞は言わないと思います。
いや言いたくないと思っています。
 言葉は「呪術的」なものです。
たしかに「もう歳だから」という気持ちは持つことでしょう。
 しかし、それは以前の「自分」と比べるからです。
比べるではなく「今の自分」として肯定し認識すれば「今の自分との付き合い方」も自ずと生まれてくると思います。

 70歳ならそれなりに・・・80歳ならそれなりに・・・。
そういうことを考えるスタート地点に今年あたりなるのかもしれません。

 そんなことをボンヤリと、陽当たりの良い鳩山荘で考えていた今年の年初めでした。


 HP通信NO.542/2020.1.4

                            2020年
              
 
                           新年おめでとうございます。
             この一年、皆さまにとりまして佳きことの多き年となりますようご祈念申し上げます



 暮れから昨日3日まで、妻の両親の居る日光で過ごしました。
義父はあいにく入院中。病院通いをしながら義母(金子静江)とは新作の話をしたり、2匹の猫に囲まれて穏やかな正月を過ごしました。
 日光の家は林に囲まれ、静かなところです。

 昨年はレクイエムの作曲に追われましたが、今年は比較的にゆったりと仕事をしたいと思っております、が、
夏までに3つの新刊、それ以降、新作に取りかかります。
 いつものことですが、体調に気を配り、食事に注意を払い、日々、慎ましく過ごしたいものと思っております。
皆さまにもどうかお健やかにお過ごしになられますように。

 本年も宜しくお願い申し上げます。 


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 10月4日、ウィーン・シュテファン大聖堂での「レクイエム世界初演」の演奏会がバチカン放送(中国語放送)で紹介されています。
この放送は世界で聴かれているとのこと。
 30分放送ですが途中16分過ぎくらいで流れます。
先週、1.Intoroit et Kyrie が放送されました。
 今回は3.Sunctus 4.Pie Juse 5.Agnus Dei 6.Commniu が放送されます。

 https://www.vaticannews.va/zht/podcast/daily-chinese-news/chinese-programme-2019-11-29.html


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 来年、2020年に下記のような催しがあります。
団体の参加はもとより、個人での参加も可能です。
 個人で参加の際は私が合唱をまとめることになっています。
ご興味のある方、下記にお問い合わせ下さい。
       "maruo@mcec-inter.com>  

            
                                         

 今回はお知らせまで。

                 メールはこちらまで。


◎先日初演の「ふるさとの木の葉の駅」(坂村真民詩)の映像と音楽→https://youtu.be/Qm-Bm0qB6s4

◎鈴木憲夫作品を歌う合唱団のHP→https://snchorus.wixsite.com/mysite


                2018年7月新刊 無伴奏混声合唱曲【般若心経】
          
            
 
               
                   般若心経の動画(You Tube)→https://youtu.be/ankuFjhxjzM


 刊行を機に、「音楽ほほえみ基金事業」としてこの「般若心経」の指揮・指導・無料奉仕を実施することといたします。
交通費、宿泊が必要となる際はご負担いただきますが、その他、指導、指揮に関しては、まったく費用を頂戴しません。

 これを実行するには、こういう経緯がありました。
作品が出来た時に、Bell musica(私の個人事務所)より楽譜を刊行しました。
 そしてCDも発売しました。
それらの売り上げは全て「音楽ほほえみ基金」を創設するための基金に当てられました。
 そうして2009年に「音楽ほほえみ基金・事業」で「日本こころのうた」のCDを制作・発売するに至ったのです。
その収益は「全国の介護施設など」にCDを寄贈する事業費に当てられています。

                                 現在も発売中   
                               定価1.780円(税込み)
                    
                            楽譜もカワイ出版より刊行
                            お申し込みはこちまで→



 この「般若心経」の作曲から今、私が行っている「音楽ほほえみ基金」の事業が始まったのです。
此の度、それらの延長として「指揮の無料奉仕」を実施することになりました。
  指揮だけではなく「般若心経」に関するお話もさせていただきます。
以後、女声版・男声版の刊行が続く予定です。
Bell msica では女声版、男声版も刊行いたしました)


 般若心経の世界に触れたいと思われる皆さん、どうぞご遠慮なくお声をかけて下さい。
お尋ねはこちらまで→Bell musica 
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★ You Tube で最近、面白く興味ある動画を見つけました。私の「雨ニモマケズ」の中国版です。
  興味のある方、ご覧になって下さい。
 https://www.youtube.com/watch?v=J_HjvcMxFj0

★ 近刊の「さくらんぼと麦わらぼうし」の歌詞入りYou Tube もご覧下さい。→https://www.youtube.com/watch?v=alSWXnvUMho

     日立市民混声合唱団さんのHPで「私の結婚を祝う動画」を作って下さいました。「10.30 おめでとうございます」
  先日のハンガリー・ウィーン演奏ツアーに、合唱団有志が参加して下さった関係で、ウィーンの街中の動画も併せて紹介されてあります。
             バックの音楽は日立市民混声合唱団の演奏による「平和という果実」です。
                 https://www.youtube.com/watch?v=gLrQBRsw2z4

                                  メールはこちらまで。


                           鈴木憲夫HPトップページへ