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「HP通信3」は08年1月より再開しました。 「HP通信1→2005年」「HP通信10→2015」 「HP通信2→2006年」 「HP通信11→2016」 「HP通信3→2008年 「HP通信4→2009年」 「HP通信5→2010年」 「HP通信6→2011年」 「HP通信7→2012年」 「HP通信8→2013年」 「HP通信9→2014年」 |
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HP通信NO.472/2017.12.20
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HP通信NO.471/2017.12.12
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HP通信NO.471/2017.12.12
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HP通信NO.470/2017.11.30
団員の方々とはまるで「親戚付き合い」のようです。
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HP通信NO.469/2017.11.21
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HP通信NO.468/2017.11.10
家の中に居りますとついつい姿勢も顔もちょっと緩みます。
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HP通信NO.467/2017.10.30
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HP通信NO.466/2017.10.20
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HP通信NO.465/2017.10.10
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HP通信NO.462/2017.9.10
9月に入って秋らしい日和になって参りました。 風が心地よく清々しい日が続いています。 蝉の啼き声もこころなしか弱々しく聞こえてきます。 夜になると、虫の声です。 季節はこのように確実に移ろっているのですね。 先週は四国・高知に合唱コンクールの審査で行っておりました。 高知へはもう何度目になるか、前回は4年前、久しぶりの高知に懐かしささえ感じました。 審査一日目を終えて、先生方とホテル近くの居酒屋で。 前列、左から清原浩斗先生、私の隣が小池芳弘先生、鈴木捺香子先生、 後列、四国副支部長の市村公子先生、山口英樹先生。 二日とも満員の聴衆で大盛会の大会でした。 演奏のレヴェルも高く、あっという間の楽しい2日間でした。 先生方とはこれまでどこかでご一緒しており、私の他は関西系の先生方ですので、楽しいノリノリの雰囲気で和気藹々の審査員室風景でした。 大会が終わって「ひろめ市場」にて一次会。 私は「ひろめ市場」が大好きで、高知を訪れる度に行っています。 高知城のすぐそば、屋内なのですがたくさんの店が軒を列ね、賑やかで活気のある屋内雰囲気満載のいわば「屋台村」です。 この日もいつもながらのお目当ての「かつおのたたき」、目の前でかつおを「わら」で炙(あぶ)るのでほのかに「わら」の香りに包まれた絶品です。 それをニンニクのスライスを乗せて食べるのです。塩とタレとがあります。 高知以外ではこんなおいしいかつおは食べれません。 その他にも新鮮な魚、それにここの名物ともいえる餃子も、私は大好きなのです。 この後、高知の二人のガールフレンドMさんKさんに案内され、西本佳奈子先生(大会実行委員長)とも合流し皆さんで夜の街に流れました。 審査員のどなたかが言っておられました。 「審査太り」と。 一日中、座りっぱなし、運動もせずに食事もきっちりと食べ、夜は夜でまたまた食べ、飲み、ホントウに太ってしまうよ、と。 高知に初めて訪れたのはたしか15年ほど前のこと。 これまでに大体6.7度は高知市に行ってます。 高知市近在のお寺もその殆どを歩いています。 私は歩くのが好きなものですから、歩くと街により親しみを感じます。 とくに高知は「郷土色」が強い土地柄です。 「龍馬パスポート」というのが発行されていて、私も持っています。 「日航ホテル」では昔、面白いサービスをやっていました。 「坂本龍馬の声でモーニングコールします」というものです。 早速、試したのは言うまでもありません。 今でもよく覚えています。 朝のモーニングコールが待ちきれずに、早目に起きて電話の前に座り、その時を待っていました。 電話が鳴りました!即座に受話器を取り上げ、耳に。 そうすると「ザザー」という「潮騒」が聞こえ、次に「コケコッコ〜」と鶏の声が聞こえてきて・・・・。 いよいよ龍馬の登場です。 「ワシャー坂本龍馬じゃが、早よう起きんと、日本の夜明けに間に合わんぜよ」と。 爽やかな青年の声でした。 骨相学に基づいて作られた音声との事でした。 これが私にはとても「ウけて」各地に行く度にこの話をしたものです。 鹿児島に行けば「西郷さん」の声で、仙台に行けば「伊達政宗」の声で是非「やって!」と、しばらくはこの話題で盛り上がりました。 私は「旅行目的」で歩く経験が殆どありません。 常に仕事がらみです。 この25年近くでほぼ全国を歩きました。 未踏の地は「鳥取、和歌山」くらい。 ですので、各地に訪れる度に懐かしさを感じるのです。 昔の古い駅舎の時代も知っていますし、市電や街並の変化も分かります。 それも街をよく歩くからでしょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 散歩をしていると季節の移ろいがよく分かります。
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HP通信NO.461/2017.8.30
「鈴木憲夫の作品を歌う合唱団」鳩山荘にて夏合宿。 8月26日、鳩山荘にて夏合宿が行われました。 この日参加の9人のメンバー、それに左端、富山市から森井氏が特別参加。 森井氏はつい最近、私の般若心経を指揮して下さいました。 合宿ですから昼間はきちんと室内で練習をしました。 12月10日に初舞台があるので、それに向けての練習でした。 練習も終わり、ご覧のように、テラスでの野外宴会。 私はもっぱら料理人をしました。 ・にんにく醤油漬けの肉炒めレタス包み。 ・うどんパスタのトマト風味(うどんは手打ち。) ・パエリア。 などなど10品目を作りました。 皆さんには概ね好評だったようです。 この合唱団は私の後ろの伊澤俊雄君(指揮者)、右側の背の大きい田中君が中心になって始めた合唱団です。 彼らの多くとは彼らが学生時代からの付き合いです。 旧い(ふるい)人でもう30年。 人生を語り合える「友」とも言えます。 鳩山は夜、星がきれいなのですが、この日、あいにく星は見れず、おぼろ三日月の下、楽しい一夜を過ごしました。 皆さん、私の作品に対する熱い思いを語ってくれました。幸せなことです。 夜遅くまで宴会が続き、この日、狭い家ながら7人が宿泊しました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 先日の北朝鮮のミサイル騒ぎで「Jアラート」で早朝起きた方もおられたのではないでしょうか。 私は電源を切っておりましたので知らずにおりましたが・・・・。 一事、東北の大震災の後、地震予告で携帯電話がよく鳴ったのを思い出しました。 震度3くらいの規模でも携帯がよく鳴ったものです。 電車に乗っていると一斉に鳴りだして驚かされた事が何度あったか。 しかし、最近では震度5程度でも滅多になりません。 あの騒ぎはなんだったのかと今思います。 今回のミサイルにしろ警報が鳴ったところで、逃げようがなし、成す術がありません。 結局のところ一種の「ポーズ」にしか過ぎないとは、いつも思うことです。 それぞれの立場の人が「それなりにやることはやっていますよ」という。 あの大災害の後での計画停電、それに伴う電車運行の制限、など今思えば、何だったのだろうと思います。 あれが「原発」なしでも「生活出来る」というアッピールだったら諸手を挙げて賛成なのですが、そうではないらしい。 常に一過性の危機感を募らせるものです。 一体、政治は、お役人は何を考えているのだろうと、つくづく思うのは私だけでしょうか。 あの時思ったものです。 「頭の良い人たち」が政治をやっているのだろうと思っていましたが、さにあらず、意外にも「頭の悪い人たち」が世の中を動かしているのでは、と。 前回のHPでも書きましたが、「枝葉末節」のところで「右往左往」しているように見受けられます。
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HP通信NO.460/2017.8.20 8月も半ばを過ぎました。 7月のあの猛暑日が嘘のように、比較的、暑さも緩やいで来たように思いますが、相変わらずの異常気象。 台風もまた次々にやってくるシーズンでもあります。 お盆は仙台でのお墓参りは出来ませんでした。 時期はずれますが今週お墓参りに行くつもりいます。 実家がない、というのは何とも心寂しいものです。 ただ親戚がたくさん居りますので、私にとってはそれが唯一の慰めにもなっています。 前回のホームページでは「日本人の歴史認識の薄さ」について若干述べました。 幾人の方から「そうだ!そうだ!」というメールを頂戴しました。 原爆といい大震災といい、当事者にとっては忘れ難いことではありますが、大部分の人々にとっては「過去の出来事」で済ませている感があります。 「広島原爆の日」の「8月6日」を日本人の約70%が「知らない」、との報道に私なりに一瞬、唖然としショックをも受けたものです。 日本人には世の中の動向について、「何とかなるさ!」という「日の丸親方的感覚」が底辺にあるように見受けられます。 江戸時代ではありませんが「お殿様が何とかしてくれるさ」という・・・・・。 日本の歴史で「革命」というものがどのくらいあったか、これは私の認識ですがほんのごくわずかです。 「大化の改新」「明治維新」、革命ではないですが「終戦」、この3つくらいでは、と私は思っています。 革命というのは世の中の仕組みがまったく変わることです。 日本は島国で隣接する国々がないこともあり、歴史的に他国からの侵害というのがありませんでした。(戦後日本を除けば・・・・) これが大陸だったら、河や山を越えて国土を侵害され、奪われ、宗教も変わり、人々は住む地を追われることが頻繁に繰り返されてきました。 だからこそ「侵略」という行為に人々は戦々恐々としてきたのが、多くの国の歴史、とくにお隣大陸の歴史です。 それゆえに、自国を守る、生命を守る、自由を守る、という意識が生まれるのは当然といえば当然ということになります。 幸いなことに日本にはそれがないのです。 それが前回のこのHPでも書いた、「日本人の歴史認識の薄さ」に通じるようにも思うのです。 今の日本は平和です。 が、いずれの日にか、世界中で戦争が起これば、日本もいつまでも「島国・日本」の独立国家ではいられなくなる日も来るやもしれません。 ですから「8月6日」が何の日?などということがあってはならない、とも強く思うのです。 政治家が使う言葉で「抜本的な改革」などとよく耳にします。 「抜本的」というのは「根底から意識が変わる」ことをいいます。 日本人は自らは「抜本的な改革」が出来ない民族なのを、政治家は把握しているのだろうかと思います。 結局、出来ることと云えば「枝葉末節」(根本の木を伐らずに枝葉を切る)程度のことです。 前回からの流れでつい余計なことまで書いてしまいました。 外国でコンサートをすると「ギャラリー」の質の高さに驚きと感動の経験をすることがよくあります。 「良い演奏にはそれに報いる熱い拍手」、それは「ギャラリー」がしっかりした「文化感」を持っているからです。 それは政治にも言えます。 「ギャラリー」たる日本国民の質の高さはどうでしょう。 文化、芸術、もちろん政治も今や「ギャラリー」の質の高さが問われているのではないかと思います。 ついでに言えば、日本は「文学の国」と言えますが、決して「音楽の国」ではありません。 むしろ「演歌の国」。 良い「ギャラリー」がいると「その担い手」の質は高まります。 今回は少し真面目な話題になりました。 夏の盛りも「峠」にいる感じです。 あと10日もすれば「9月」。 自分の仕事の進み具合をかえりみて、思わず「溜め息」が洩れます。 夏の課題をクリアすべく、これから尻にムチを打ち、ラストスパートと参りましょう。 相変わらずの天候不順の中、皆さまにはお元気で残り少ない「夏」を乗り切って下さいますよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私が相談役を務める <モードプラスのホームページ>→http://www.modepluspf.com/blank <フェイスブック>→https://m.facebook.com/modepluspf/ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ メールはこちらまで。 |
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HP通信NO.459/2017.8.10 梅雨も終わり、やっと夏らしい季節になったかと思ったら大型の台風、連日、猛暑が続いたり、ちょっと涼しい日があったり、皆さん体調はいかがでしょうか。 日本は確実に「亜熱帯」になりつつあるようです。 6日の「原爆の日」は改めて「平和」を願う日となりました。 それも、現在の不穏な状況な中ですので尚更のこと思うこととなりました。 日本人の意識調査で「8月6日は何の日」か分からない日本人が70%以上いたということです。 これには驚きました。 「原爆の日」はいつもながら広島での、今や数が少なくなりつつある体験者談が報道されます。 そこでは「戦争の恐ろしさ」「核への忌々しさ」が語られます。 が、そこで「アメリカへの批判」の言葉は今まで聞いたことがありません。 アメリカでは「パールハーバーの日」は今でも日本への批判があります。 韓国では「慰安婦問題」が日本人への批判と共に、今でも、続いています。 領土問題での中国しかりです。 なのに、これほど「非人道的」な「原爆投下」について、日本人の「アメリカ批判」がないということは一体どういうことなのだろう、とは 毎年この時期になって思うことです。 「戦争」なのだから、と一口に云えることかしら、と私は思ってしまうのです。 6日の夜、NHKの特集で知ったことなのですが、「広島」では今でも、どういう状況で人が死んでいったか追跡調査をしているということです。 その現実を知り、改めて「原爆」という「非人道的」な実体を考えさせられました。 日本人は「諦める」という「諦観」があると云えばそうなのですが、それにしても「原爆の日」が日本人から忘れ去られようとしているのは悲しいことです。 「東日本大震災」はまだ記憶に新しく、今でも各地、そして多方面から「追悼」のメッセージは絶えません。 私の親族でも津波で命を絶った人も、家を流され無一文になった人も、また近い親戚でもしばらく避難所生活をし、家を再建した様子を私は見ています。 今は亡き両親も被害に遭い、苦しい生活をした経験も知っています。 ですので、敢えて「追悼」というメッセージの発想は私にはありません。 それらは身近なこととして記憶に焼き付いているからです。 「東日本大震災」は「天災」、「原爆」は「戦争という非常時」とは言え、多くの命が失われたという事実は事実です。 「8月6日」が何の日か70%の人が知らないと同じように、いつしか「3.11」も、時の移りとともに日本人の記憶から遠くなるのでしょうか。 「福島」での「原発事故」はまだ「解決」していないのに、しかも「核廃棄」の問題の見通しのないまま「原子力発電所」の稼働が着々と進んでいます。 「3.11を忘れるな」という前に、現在進行形の「原発」、それを見ても日本人の記憶から次第に遠のいていることに暗澹たる思いを持つのは私だけでしょうか。 「原発」のある福井県敦賀市の知人の話ですと「公にはされてないけれど」という前置きで、死亡診断書には「癌」との因果関係を伏せて 「心不全」とか「多機能不全」という診断書が書かれるのが医師の間では常識、ということでした。 幼児性癌の発症率も高いとのことです。 その他、一般には知られない「放射能」に関する危機も現実問題ということでした。 「3.11」の教訓は「原子力発電」では全く生かされてないように見受けられます。 これを見るだけでも「3.11」が次第に風化しつつあることを如実に知らされます。 こういう「負」の遺産を「現実重視優先」で置き去りにしているのが日本人だ、と言うのも悲しすぎます。 「原爆」にしても「原発」にしても、人災です。 「人の都合」でまた同じ歴史が繰り返されるとしたら、何と人は愚かなモノかと思います。 そうはならぬよう、今の私たちはただ「祈る」しかないのでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 連日の暑さ、昔の夏はどうだったのだろうと思う時があります。 ましてやクーラーのなかった時代、人はどうしていたのだろうか、と。 昨日は35度を越える中、2時間歩いていました。 たしかに暑い!のですが、私くらいの「歩き」のベテランともなると汗もほどほどかく程度です。 子供時代からボーイスカウトでよく歩いたものですから、その経験が今でも活かされているお陰かもしれません。 夕食時のビールのこれまた美味しいこと。 ビールの季節で困るのは「ビール太り」。 まあ、こればかりは「現実優先」で「後のことは後で」考えることといたしましょう。 皆様にはどうか体調よろしくお過ごしになりますように。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私が相談役を務める <モードプラスのホームページ>→http://www.modepluspf.com/blank <フェイスブック>→https://m.facebook.com/modepluspf/ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ところで下記のように「鈴木憲夫作品を歌う合唱団」を紹介していますが、現在、月に2度の練習、10数人で活動しています。 とても熱心に練習に励んでおられるようです。 指揮者は伊澤俊雄さん、元「ひびとも」の指揮者です。 私も時折、顔を出すつもりでいます。 ピアノは蕗子さん。 関心のある方、どうか宜しかったらお仲間に入りませんか。
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HP通信NO.458/2017.7.30 蝉が木に停まっています。我が家近辺にはこういう光景がたくさん見られます。 もう世間は夏休み、といっても子供の世界ですが、それだけで賑々しい今日この頃です。 まだ梅雨も明けていないのに夏の盛りを思わせます。 皆さまいかがお過ごしでしょう。 猛暑お見舞いを申し上げます。 普段はクーラーなど点けないのですが、さすが仕事となりますとそうは行かず、クーラーのお世話になっています。 私は毎日、仕事、勉強(普段読まない真面目な?本を読む)、適当に遊ぶプランもあり、それに歩きも入り、さらに映画館にも通い(いつものことですが)、 結構、忙しくやっています。 夏休みというといつも子供時代の夏を思いだします。 毎年、母方の実家で一夏を過ごしていました。 ほぼ同じ世代の従兄弟が4人おり毎日、海、山を駆け回っていました。 ただし私よりひとつ年上の女の子◯◯チャンはおとなしくて、いつも勉強ばかりしていて、私たち男の子からいじわるされてベソばかりかいていました。 ある時それを見た祖父から男の子全員ゲンコツをくらったことがあります。 一度も怒った姿を見たことがない祖父からのそのゲンコツは今でも宝物のような想い出です。 その中で私は最年少。山では木登り、海では舟に乗っての遊びを、従兄弟たちの後をくっついて遊んでおりました。 私のように町で育った人間と違い、私から見れば彼らは「野生人」。 舟を櫓(ろ)でこぐ、などという経験をした方はそんなにおられないでしょう。 私は彼らから教わり、櫓も上手にこげるようになりました。 時代劇で櫓をこぐシーンなどを観ると、一言申したくなります。 「そんな腰では櫓はこげないヨ」などと・・・・・。 昔の遊びといえば、手作りのてっぽう(細い管に木の実を詰めて、それを木で押し出す)や、これも手作りのケンダマ、庭にスズメを捕まえためにカゴをしかけたり、 相撲(従兄弟たちは番付でいうと幕内、私は幕下)、私はいつも負けてばかりいました。もちろん釣り・・・・などなど。 今思えば本当に懐かしい、楽しい一夏を過ごしていました。 その従兄弟たちも3人亡くなり、今は私よりひとつ歳上の従兄弟ただひとり。 夏になるといつも思い出します。 思い出すその顔は夏の陽射しの下で、今でもみな笑っています。 故郷とは風景のみではなく、その風景と共にそこで息づいた人との想い出、そのものが故郷と言えるのではないかと思います。 私のような自由業の人間からすると夏休みは関係がない、と言えばそうなのですが、「夏休み」になると今でもワクワクします。 きっとそれらの想い出が私の心の奥で生きているからなのかもしれません。 今年の夏は猛暑、梅雨が終わればさらに本格的な夏になるのでしょうか。 夏はうっかりすると「すぐ」終わってしまいます。 ついこの間「もう7月だ」と思っていたのに「明日から8月」。 こんな調子でいくと「もう9月か〜」とならぬよう、私自身が決めた夏のプログラムをしっかりとやって行きたいと思っています。 皆さまにとって、どうか楽しい夏でありますように。 いつも歩く散歩道。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私が相談役を務める <モードプラスのホームページ>→http://www.modepluspf.com/blank <フェイスブック>→https://m.facebook.com/modepluspf/ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ メールはこちらまで。 |
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HP通信NO.457/2017.7.20
梅雨もあと少しすれば明けることでしょう。 そうしたら本格的な「夏」。 私は夏になるといつも忙しくするようにしています。 もちろん仕事、それと勉強、普段は読めない「真面目な本」を読み、また何か楽しいことする、つまり「遊び」。 この3つを夏は心がけるようにしています。 「まめ心」「あだ心」という言葉があります。 |
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HP通信NO.456/2017.7.10 7月になって猛暑日が続いています。 寒さよりも暑さには少しは強いと自負している私ですが、このところの暑さでやや「ゆでダコ」気味。 「歳をとると寒さ、暑さが身に堪える」と以前聞いた記憶がありますが、果たして「歳」なのか、今の気候が異常なのか、と首をかしげているところです。 しかし鳩山荘ではまだクーラーを使っていません。 風通りの良い家です。 それを良い事に、家全部の窓を開けていても覗かれる心配はないので、人様には見せられない格好で過ごしてる昨今です。 相変わらず外を歩くのを日課としています。 先日は東京35度の気温の中、森下の家から上野まで2時間かけて歩きました。 帽子をかぶり、リュックを背負い、江戸の町を歩くのは気持ちの良いものでした。 「江戸」の町は結構小さなエリアだということを最近、いろいろ歩いて実感しました。 当時の江戸は新宿や渋谷は郊外、北千住もそうですし、品川など江戸のはずれでした。 ですので、昔の人にとり江戸の町はある程度「徒歩圏内」だったわけです。 「時代物」を読み付けていますので地名にも親近感を覚えます。 森下を出発してこれまで、両国・浅草方面、水天宮・小伝馬町・神田方面、両国橋を渡り浅草橋、岩本町そして上野方面、と歩いてきました。 これらのコースは大体2.3時間程度です。 今度は日本橋、銀座まで歩こうか、と算段をしているところです。 知らないところを歩くのは興味津々、私は大体地図などは見ないのです。 大体「アッチの方向、コッチの方向」感覚で歩くものですから、時には道に迷うのも楽しいもので、そうすると道を覚えるのです。 そういえば私の「これまで」も「アッチ、コッチ」ぶつかりながら歩んで来たようにも思います。 きちんと地図を見て歩けばよいものを・・・これも「性分」なのでしょう。 私は各地を訪れると、機会があれば歩きますので、結構、各地の道を多く知っています。 今思い出すところでは、鹿児島では「西郷さん」の生家より城山まで、長崎ではグラバー邸から龍馬のいた「亀山社中」まで歩いたことがありました。 京都では新撰組の壬生寺から祇園まで歩いたこともあります。 歩いてみると昔の人にとって2時間程度の「歩き」は、結構平気だった事が分かります。 歩くことでひとつ自慢を申せば「なるべく汗をかかない」歩き方を私はしています。 「速度」を変えるのです。 冬は冬で「初めは少しテンポアップで身体が温まったら少しペースダウン」、夏は基本は比較的スローな歩きを心がけています。 風が気持ち良いところでは普通のペースで。 歩くことが好きとはいえ、この時期、熱中症には充分に気をつけるようにしています。 皆さまにもどうか熱中症、クーラー病には充分お気をつけて、体調よろしくお過ごし下さいますよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7月2日、「おかあさんコーラス中部大会」の選考委員で多治見市に行っておりました。 下の写真はその時の選考委員の先生方と。 元NHK歌のおねえさん、しゅうさえこさん、今大人気の作曲・指揮の相澤直人さんと。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ メールはこちらまで。 |
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HP通信NO.455/2017.6.30
先日27日の事、ふと耳に蝉の啼き声が入ってきました。
メールはこちらまで。 お申し込みはこちまで→ また寄贈についてのご協力もお願いいたします。 ご関心のある方は「寄贈に関する要項」をお読み下さい。 |
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HP通信NO.454/2017.6.20
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HP通信NO.453/2017.6.10
3日は高松市で新作の合唱作品「巡礼」の初演に立ち合ってきました。
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HP通信NO.452/2017.5.30
先週は福井市で上のコンサートに行って参りました。 大ホールは超満員。 男声合唱団「ゴールデンエイジふくい」のコンサートは毎回チケット売り切れの大人気です。 今回もそうでした。 アマチュアの合唱団のチケットがプレイガイドで売り切れというのは、そうざらにあることではありません。 会館の人に言わせると、こんなに満員になるのは「N響」の演奏会と「ゴールデンエイジ」くらい、だということです。 そのくらい、福井市では名物になっています。 ただ今、団員数約80人。 「ゴールデンエイジ」は十年前に、斉藤厚一さん、指揮者の田中幸一先生を中心に発足しました。 入団条件は「60才以上なら誰でも」というものです。 年間、約10回程のステージを持つというほど、福井市の文化活動に貢献している団体でもあります。 その結果が、毎回の演奏会での「超満員」ということです。 私は後半で「二度とない人生だから」を指揮しました。 本番前、伴奏の蕗子さんと。 この作品は元々女声合唱でしたが、「ゴールデンエイジ」の委嘱で初演されたものです。 皆さんのレパートリーになっているほどよく歌って下さっています。 ですので演奏も素晴らしいものでした。 指揮をしているとよく分かるのです。 歌って下さる皆さんの「熱」がまっすぐに伝わってきます。 さらに、それを聴いて下さっている聴衆の反応も「背中」通じ伝わってくるものです。 またこの日、「男声版・平和という果実」も初演されました。 この作品も「ゴールデンエイジ」の委嘱によるものです。 楽譜は当日刊行され、会場で即売されました。 大変楽しく、嬉しい演奏会でした。 打ち上げ風景。 左から、京都から馳せ参じてくれた指揮者の箸尾哲男先生ご夫妻、客演指揮をされた福島・相馬市の荒武敬先生、 そして私とピアノ伴奏の蕗子さん、そのお隣が指揮者の田中幸一先生、団長の斉藤厚一ご夫妻。 打ち上げは大盛り上がり。 皆さん歌い足りないのか、歌、歌の賑やかな宴会でした。 翌日は斉藤さんご夫妻と福井市近辺をご案内していただきました。 一乗谷朝倉氏遺跡で。 左はガイドをして下さった団員の坂野さん、そして斉藤さんご夫妻と私たち。 永平寺もご案内していただきました。 私は二度目になりますが、普通のお寺とは明らかな違いがあることに気付きました。 修行が目的の寺なのです。 山奥にひっそりと、しかも大伽藍の様相は「俗なるものを」阻むかのようです。 ご案内頂いた団長の斉藤さんとは20年来のお付き合いになり、その多方面の活動を拝見するにつけ、私は斉藤さんを「福井の観音様」と勝手に称しております。 「ゴールデンエイジ」の皆さんとはすっかり顔馴染みで、このメンバーから20人ほど数年前のウィーン楽友協会での「永久ニ」の演奏会にお付き合いをいただきました。 私はこのコンサートのプログラムに次のような言葉を寄せました。 <私も既にシニア世代。たしかに身体は少しガタツキ、若さについて思えば、かつての体力が羨ましくもありますが、 でも「心」はもしかすると、昔よりもっともっと若々しくいられるような気もします。 言葉を換えれば本当の若さというものが分かる年代になったとも言えるでしょうか。おそらくそれはゴールデンエイジの皆さんにも言えることと思います。 「歌」を通して、「仲間」を通して、まだまだ青春、という思いを持ち続け、いつまでも歌い続けて下さいますよう。 私も同世代として皆さんへのエールを贈り続けたいと思います。 鈴木憲夫> さて、「ゴールデンエイジ」の皆さまとは次はいつお目にかかれるか。 「ゴールデンエイジ」という名の通り、どうか「輝いた世代」としてご活躍いただきたいと切に祈るところです。 今週末は高松市で新作「巡礼」の初演です。 次回の更新はその模様をご紹介いたしましょう。 鳩山荘では「ほととぎす」が先週から啼きだしました。 相変わらず鳩山の「ほととぎす」は「ホットトギッチュ」と啼いています。 しかしまだ発声練習なのか「ホットトギッチュ、ギチュ、グチュ」と何やらつぶやくような場面もあり、ふと笑いがこぼれてしまいます。 「ほととぎす」は初夏を告げる鳥です。 もうそんな季節になりました。 とは言え、日ごとの寒暖の差が激しい折、どうか皆様には呉々も御身をご自愛下さいますよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <演奏会のご案内>
興味のある方はどうかお聴きになって下さい。
メールはこちらまで。 クイックすると歌詞表を見る事ができます。 |
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HP通信NO.451/2017.5.20
5月13日の京都でのコンサートは大成功裡の内に終わりました。 会場(1.800席)はほぼ満員状態。 箸尾先生、田末先生指揮する合唱団は9団体、総勢約180人がステージに乗りました。 今から4年ほど前に「永久ニ」を中心とした「鈴木憲夫の世界」をやって下さり今回は「パート2」というわけです。 曲目は上のチラシにもあるように、 ・レモン哀歌(箸尾哲男指揮) ・永訣の朝(田末勝志指揮) ・地球ばんざい(田末指揮) ・地球に寄り添って(箸尾指揮) 前半は「愛と死」後半は「地球」がテーマとなっています。 最後の合同演奏では「想い出」を私が指揮をしました。(ピアノ伴奏和田蕗子) どれも私の好きな作品で、とても良いプログラミングだったと思います。 聴衆の方々も大変熱心に聴いて下さいました。 プログラムでは次のようなことを書きました。
興味のある方はどうかお聴きになって下さい。
メールはこちらまで。 |
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HP通信NO.450/2017.5.10
今年も誕生日を迎えました。 これまでの生活では「誕生日」などとくに何事をするでもなく普通に過ごしたものでしたが、家族が出来るとその日は賑やかな一日となります。 長女夫妻が泊まりがけで来て、昨年に続き「お誕生会」をやってくれました。 ケーキにロウソク、「フッ」とそのロウソクを吹き消す「儀式」、少々「照れ」ながらも、楽しいひとときでした。 昨年もそうでしたが、長女は一旦私が吹き消したロウソクにもう一度火をつけて「フッ」と吹き消しては遊んでいました。 この連休は天気がよく、一日中、テラスで過ごしたりしていました。 5日は渋谷に出かけサイレント映画を観てきました。 家人の友人が「サイエント映画ピアニスト」として活躍する柳下美恵さんで、映画に合わせてピアノ即興演奏をするのです。 チャップリン、キートン、ロイドというサイレント映画の三大喜劇王の映画でした。 無声映画を私は昔からよく観たものです。 とくにチャップリンの初期の短編など、数知れず、久しぶりに観て懐かしさを感じました。 楽しい催しでした。柳下さんのピアノも見事なものでした。 私は子供の頃からよく映画を観ていました。 私の子供の頃は午後遅く、よく昔の映画をTVでやっていました。 そこではチャップリンの無声映画、また「自転車泥棒」「鉄道員」「禁じられた遊び」といったイタリア映画の名作などが放映されました。 子供と言えどもそれらの映画に深い印象を持ったものです。 イヤ印象などというものではなく、心の中でたくさんのモノを芽生えさせてくれました。 「切ない」という感情、さらに「哀愁」といった感情、それらは日常生活では感じ得ないものです。 私はそれを子供の時に映画から教わりました。 今の時代、大人からみればそれらの映画は子供に「難しい」というレッテルを貼られることでしょう。 しかし、「芸術」においては音楽も美術も勿論映画も、そもそも「子供用」など存在しなかったのです。 大人と同じものを鑑賞して子供は成長したものなのです。 「今の時代」は「子供の文化」です。 「大人が子供の文化に付き合わされている」といった風潮です。 私の子供の頃、もう「半世紀」も前の事になる訳ですが「子供が大人の文化に付き合った時代」だったのです。 事の「善し悪し」は別として、隔世の感があります。 |
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HP通信NO.449/2017.4.30
6月に高松市で新作の混声合唱曲「巡礼」が初演されますので、先日、高松混声合唱団の練習に行って参りました。 左、指揮者の中尾英雄先生と、全員の写真。 皆さん、大変熱心に取り組んでいて下さっていました。中尾先生の指揮で練習も楽しく充実したものでした。 この作品はほぼ5年がかりのものです。 ヨーローパでもそれをいくつかやりました。
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HP通信NO.448/2017.4.20
ようやくこのように外でお茶ができる季節となりました。 永い冬を越して、ようやく上の写真のように外でお茶ができるようになりました。 やはり冬は「籠る」と言った表現が合います。 「春」は暖かな陽光の下で大いに手足を伸ばす、と気持ちにさせます。 それのひとつの象徴が何といっても「桜」でしょう。 関東は桜の季節を過ぎました。 今は八重桜が咲き出しています。 近所の八重桜 今はTVはもちろんNetなどで情報が溢れていますが、もし、それがなかったら山に住んでいる私などは「浦島太郎」の世界です。 世の中はめまぐるしく変化しています。 最近、Netなどで情報を知る事を覚えましたが、それでも尚、世の中に追いつけないどころか、益々頭の中で「糸がもつれる」といった風です。 「老化現象」と言われてしまえばその通りです、が、それにしても世の中、急速に、と言うか、とてつもない変化です。 昔の事を言うと笑われそうですが、スローなペースで生きていた時代が懐かしく感じられます。 時代時代に必ず、ポツンと現れる「人」や「現象」によって世の中の風潮が変わることがあります。 たとえば「ビートたけし」。ある意味で世の中を変えた人と言えるかもしれません。 「赤信号みんなで渡れば怖くはない」とか「ババー、死ね」とか、悪辣な言葉で世の中を席巻しました。 良いとか悪いとかではなく、いわゆる「タブー」のラインを越えたのです。 それから「キムタク」などの世代に至ってはファッションやその言葉「ヤベー」とか「チョウムカツク」「ウザイ」とか、 いずれもそれが時代の申し子のように登場しました。 また「カラオケ」が登場してから日本人の文化は変わりました。 それまでの日本人は「人前」で何かをする、というのは苦手だったはずですが、「カラオケ」の出現で革新的に「自己表現」が顕著になりました。 よく耳にすることばで「メッチャ・・〜・〜・・」というのがありますが、あれは「滅茶苦茶」の略のようです。 文化が進むと言葉は「簡略化」されます。 たしか我々の時代も「言葉を簡略化」するのに快感と覚えた事もあります。 それはある意味、人間の思考力の低下につながっているのです。
興味のある方はどうかお聴きになって下さい。
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HP通信NO.447/2017.4.10
今年の桜も見事に咲きました。 上は私の命名による「桜子」の一年一度の晴れ姿です。 この「桜木」を一年中、観ていて、いつも声をかけているのです。 例えば夏、「いっぱい陽の栄養をもらって嬉しそうだナ〜」とか、冬になれば「もうすぐ本番だネ〜」とか・・・・・・・。 実はそもそも「桜子」と言うのはちっちゃな「小枝」のことだったのです、が、昨年、誰かに手(て)折(お)られてしまいました。 その小枝に「小枝桜子」という名前までつけていました、その小枝が今はありません。 小枝がなくなった時はショックでさえありました。 永年、この木、この小枝を慈しんできたものですから、とっても残念な思いでした。 「花を盗む人に悪人はいない」とは昔から言いますけど、しかし、自然の中でひっそり生きてきたものを家に持ち帰り、風流を気取るなど、 私のように一年の間「手塩」(?)にかけた者にとっては、やはり残念というか悔しさがあります。 前の「桜子」の近くにあった小枝を新しく今は「桜子」と名付けています。(桜子第二世) これからこの「桜子」に向かって一年中、話しかけることになるでしょう。 以前、独身男性が家に帰ると水槽の金魚とお話をする、という話を笑ったことがありますが、私も多分、その部類に入るかもしれません。 今、私の住んでいる鳩山の風景は一面、桜色です。 間もなく新緑で覆われます。 今はウグイスが啼いていますが、すぐにホトトギス、そしてやがて蝉が啼き出すでしょう。 自然の移ろいが楽しみでもあります。 昨日、小品をひとつ完成させました。 「平和という果実」の作詞者、金子静江先生が卒寿(九十歳)を期して作った「さくらんぼと麦わらぼうし」という歌です。 金子先生は私の義母に当たります。 ご夫妻は共に驚くほどお元気で、今はセカンドハウスとして建てた日光市にお住まいです。 我が家から車で1時間半ほどですので、たまに車でお邪魔をしております。 ここも自然が豊かです。 「さくらんぼと麦わらぼうし」は近いうちに合唱にしようとも思っていますので、いずれ皆さまの目にも触れることになるでしょう。 この歌は大体3週間程で出来ました。 その作曲期間中、実はずーっと「歯痛」に苦しんでおりました。 ところが完成した翌日の本日、「歯痛」が止みました。 この曲を聴く度にきっと「あの時は歯痛で…・」と思い返す事でしょう。 作品とはそうしたものなのです。 作品にはその時の想い、だけでなく、その当時の風景やときに匂い、さえ甦ることがあります。 「心のアルバム」のような意味合いを持っています。 そういう「時」を作品を通して振り返られるというのは、幸せなことだと思っているところです。 上で書いたように静かな自然の中におりますと世の中の動きをまるで「下界での出来事」と観るような心境にもなる時があります。 それが果たして「良い事なのか悪い事なのか」。 「フェースブック」や「ツィッター」を薦められることがありますが、私はあまりやる気がしません。 私は昔、「新しいモノ好き」だったのに・・・。 せっかく、こういう環境に慣れたのに、わざわざ雑音の中に戻る必要はない、と。 例えて言うなら「せっかく禁煙したのにまた戻ることもない」と。 と、このように書きながら、東京も半分住まいとしながら「江戸」を楽しむことも覚えました。 何とも「矛盾!」。 ですが「矛盾」も言葉を換えれば「多様」とも言えます。 さらに言えば「素」になれば何でも「直」に観る事ができる、すなわち「素直」が「肝心」とも思ったりしているところです。 今回は桜陽気の中、自身の近辺のことを書いてみました。 桜が散るのもまた美しいものです。 次の季節を楽しみにしながら、私はいつものようにまたコツコツと勤勉な(?・・心がけて・・)生活を送ろうと思います。 それでは今回はこの辺で失礼します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <演奏会のご案内>
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HP通信NO.446/2017.3.31
ようやく桜の季節がやってきました。 まだ咲き始めですが自然の色が華やいできました。 昨日から塩釜市の従兄弟の子供たちが東京に遊びに来ましたので、蕗さんと一緒に案内をしました。 スカイツリー、浅草、上野公園、月島(もんじゃ焼き)、お台場、などなど、普段は行く事のない所ばかりでした。 浅草=仲見世通りで。従兄弟の嫁と娘です。 従兄弟の娘を「いとこ違い」また「従姪(じゅうてつ)」と言うのだそうです。 それでは・・・・・・・・・・。
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メールはこちらまで。 |
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HP通信NO.445/2017.3.20 上は我が家のモクレンです。 モクレンというのはあっという間に咲いて、そしてすぐ茶色に変色して散ってしまう花です。 最近でこそ家に居る日が多いのですが、何年も、見頃の時期を逃したことがあります。 春と秋に咲きます。 今年も見事に咲きました。 モクレンが咲くと次は桜です。 昨日の19日は「ひびとも会合唱団」の第三回の演奏会に行って参りました。 関西大学のOBが中心になって作った合唱団で、19年前の創設時から応援しています。 メンバーの中には彼らがまだ学生の頃から、もう30年以上のお付き合いになる人もいます。 昨日も打ち上げで「あの頃は」という想い出話も出ました。 いつも思う事なのですが、「あの時は〜」という話が出来る事というのは大変幸せなことではないかと思っています。 もう既に故人となり、想い出を語り合えないということは、その人との時間が消えたことになります。 想い出というのは語り合ってこそ、その想い出のその人との「時」が生きてくるものだと思うからです。 一方通行の想い出というのは寂しいものです。 昔から変わらぬ彼らと久しぶりに酒を酌み交わし、楽しいひとときを過ごしました。 演奏会では「永訣の朝」が演奏されました。 上の写真はその指揮をした鈴木隆史さん。彼は関西大学ひびきの出身で、現在名古屋から月1回の練習に参加しているとのことです。 下は打ち上げ風景。(メンバーの一部の人たちと) 昨日は東京・森下の家に帰りました。 森下の家というのは妻の家です。 時折、東京近辺に用事がある時に鳩山に帰らずに森下に滞在しています。 そして本日20日、森下の家から浅草まで足を延ばしてみました。 両国まですぐなのです。 ほんの20分足らず。 あの「吉良邸址」の前を通りました。 「名所・旧跡」がたくさんあります。 回向院、国技館を過ぎ、隅田川沿いを歩き、雷門まで大体1時間半。 とても良い日和でしたので、江戸の情緒に浸りながらの散策でした。 私は「江戸時代物」が大好きですので、地名を見るだけでもミーハーのように胸が踊ってしまいます。 これからは、森下を中心に「あちらこちら」と歩き回ることを目論んでいます。 そして江戸の美味しい物を食べ歩く事も・・・・・・。 新しい楽しみが出来ました。 桜の開花も間近に迫ってきました。 今年は鳩山の春、そして江戸の春を楽しみたいと思っています。 それでは皆さんも、思い思いのそれぞれの春を楽しんで下さい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <演奏会のご案内> 高松混声合唱団HP http://takakon.kt.fc2.com/ 興味のある方、宜しかったらお出かけ下さい。 楽譜は初演当日に刊行される運びになっています。 ところで下記のように「鈴木憲夫作品を歌う合唱団」を紹介していますが、現在、月に2度の練習、10数人で活動しています。 とても熱心に練習に励んでおられるようです。 指揮者は伊澤俊雄さん、元「ひびとも」の指揮者です。 私も時折、顔を出すつもりでいます。 ピアニストは和田蕗子、私の妻が担当してくれています。 関心のある方、どうか宜しかったらお仲間に入りませんか。
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HP通信NO.444/2017.3.10 あの東北大震災から6年が経ちました。明日がその日です。 多くの亡くなった人にとって明日は「7回忌」ということになります。 きっと明日は一斉に当時の映像などが流れることでしょう。 正直、私は観る気がしません。 未だに記憶が生々しいからです。 宮城は私の故郷です。 しかも、被害の激しかった「七ヶ浜町」は私が生まれ育ったところです。 その日、私は名古屋の少し手前で急停車した新幹線の中に居りました。 どの人もおそらく「あの日・あの時」自分が何処で何をしていたかを思い出す事でしょう。 そしてその日の「衝撃」も決して忘れる事はないはずです。 私の母の従兄弟は津波で亡くなりました。 そして二人の叔父の家は半壊しました。 多くの親戚はしばらくの間、避難所生活をしました。 私の友人の家族は車に乗っていて津波の被害に遭いました。 その人は幸い軽トラックに乗っていたために、窓をハンドルで開けることが出来、脱出できました。 そして救助されるまで、電信柱に必死の思いでしがみついていたということです。 多くの車は電気系統が損傷し、車に閉じ込められて亡くなった人もあったそうです。 また私の近い親戚は、家ごとすべて流され、身ぐるみひとつで逃げ出しました。 当時、年老いた両親が二人きりでライフラインが閉じた世界で健気に頑張りました。 ようやく仙台入りが出来たのは2週間後、東京駅からの高速バスで6時間かけて仙台に行く事ができました。 ひとまず両親の元気な姿に触れて安心したものの、次々と上での現実を知る事になります。 家ごと流された親戚の家族の消息を案じ、訪ねた時は「顔から表情」が無くなっていました。 両親の家は高台の地盤のしっかりした土地柄のせいでまったく被害はありませんでした、しかし年老いた身にはかなり堪えたようです。 親戚の見舞いに両親と共に、途切れ途切れに通行止めになった道を車で走りました。 かつては自然豊かで、夏などは海水浴などの楽しい想い出のつまった浜辺は、観る影もなく痛々しい風景になっていました。 自衛隊のヘリが何機も海面すれすれの低空飛行で遭難者を捜索していました。 霊感の強い私の従妹はしばらく体調を崩しました。 一瞬にして多くの生命が失われ、その霊が彷徨う、と言っても信じない人も居られましょうが、それは現実のことでした。 噂ですが、被害の多くあったところではしばし「幽霊騒ぎ」がひっきりなしに伝えられました。 両親の家は利府町にあり、遺体の安置所が設けられたために、一日中、その搬送のヘリの音が響いていました。 4月になってすぐに、大きな余震があったことも忘れることはできません。 立っていられないほどで、身体をわしづかみにされ、振り回されるような揺れでした。 その余震のせいで、更に被害が広がりました。 あれから6年。 両親は既に亡く、その時の両親の事や、様々な光景を思い出すと胸が詰まります。 「かけがえのないもの」が失われました。 今の私たちに出来る事は一人一人の心に立てた「墓標」に祈ることのみです。 地震・津波は「天災」ですが、原発のような「人災」もあります。 福島の知人・友人たちで未だに帰る事の出来ない人たちを大勢知っています。 以前にもここでひとつ素朴な疑問がある、と書きましたが、このような「国家的危機」に何故、国がリーダーシップを取れなかったのか。 そして我が国の首相が「国民の安全と利益を守るために」と連呼するわりには、今後も原発を継続していく姿に、私は素朴に疑問を持つのです。 翌日の3月12日に福島原発が爆発しました。 その時、私は福井県高浜原発のある「高浜町」にいました。 演奏会の本番の日で、夕方、私は控え室でTVを観ていました。 出演者の部屋にはTVがなく、私の部屋に全員が集まり、それこそ固唾を飲んで観たものです。 当時の想いを語れば尽きません。 復興が進んだとは言え、決して昔の風景には戻りません。 心に「墓標」を立てると書きましたが、亡き人との想い出を抱き、そして美しかった故郷に想いを抱きながら、私たちは生きて行かなければならないと思います。 亡くなった多くの方達へ心よりの哀悼を捧げます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <演奏会のご案内> 高松混声合唱団HP http://takakon.kt.fc2.com/ 興味のある方、宜しかったらお出かけ下さい。 楽譜は初演当日に刊行される運びになっています。 |
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HP通信NO.443/2017.3.1
大分、暖かな日が多くなりました。 といっても、ストーブはまだ手放せません。 私は東北育ちですから尚の事、寒さには敏感なのです。 東北育ちだからと言って、決して寒さに強いわけではありません。 ただ、寒さには敏感なだけです。 我が家には週に一度、「灯油屋さん」が廻ってきます。 この近辺では我が家はお得意様になっています。 私から見れば近所の皆さん、寒さに強いというか、いつも「灯油屋さん」のトラックが止まるのは我が家だけです。 ですが、日中、陽が出る時は我が家はサンルームのようです。 昔聴いた話ですが、作家には二つのタイプがあるそうです。 まるで「穴蔵」のようなところで仕事をするタイプと、「サンルーム」のようなところで仕事をするタイプとがあるそうです。 それによって、その作家の作風もそれによって異なるとか。 ちなみに「穴蔵派」は一つの作品にコツコツと時間をかけるタイプ。 「サンルーム派」は、次から次へと作品を作り、作風の変化もいとわないタイプ。 私は昔は「穴蔵派」でした。 小さなところに閉じ篭る方が集中出来たりしました。 しかし、今は、「サンルーム派」です。 ですが、先日完成した混声合唱曲「巡礼」などは5年もかけています。 そして現在、また何年もかかる作品に臨もうとしています。 それから言えば私は相変わらずの「穴蔵派」と言えそうです。 それについて私なりの解釈があります。 私の私見ですが、作家には「北方系」と「南方系」があると言えます。 「北方系」はいわゆる「穴蔵派」、南方系は「サンルーム派」です。 日本は「北方圏」ではありますが、「葛飾北斎」「棟方志功」などは明らかに「南方系」です。 ピカソなどは典型的「南方系」。 ロシアの作曲家「ストラヴィンスキー」などは「北方圏」ですが「南方系」です。 そこにその作家の資質を見る事が出来るような気がします。
興味のある方はどうかお聴きになって下さい。
メールはこちらまで。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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HP通信NO.442/2017.2.21
先週の、突然の春の陽気で近所の梅も咲き出しました。 梅もおそらく「びっくり」しているのでは、と思うくらい、恥じらうようにまた誇らしげに咲いている姿に、つい「フッフッ」と笑みがこぼれました。 つい先日は新しい「ポピュラー編曲集」を完成させ、まずは一段落しホっとしているところです。 それは3年前から編集者と打ち合わせをしていたものです。 その間、いくつかの作曲に取り紛れていて、ようやく着手し完成した次第でした。 いずれ刊行される時にまたここでご案内いたしましょう。 一段落をしたところでまたぞろ「家の模様替え」をしています。 鳩山に住んで10年、何度、それを繰り返したことでしょうか。 「男」が一人で住み暮らす「家」というのは、どうしても殺風景になります。 そこには「女」の「視点」が欠如しているからです。 つまるところ「イメージ」なのですね。 毎日暮らしている「家」ですから、何事も当たり前になり客観的な視野がなくなります。 今回は我が家に新しい「視点」が入りました。 そのお陰でこれまでとは違い、少し前進した様変わりになりそうです。 「イメージ」を持つという事はとても大切なことだと思います。 私の仕事そのものは勿論、何事につけ、生き方にしても「イメージ」は欠かせないものだと私は思うのです。 「イメージ」を持てば、自然と身体も心も次第にそのようになるものです。 言葉を換えれば「想像力」です。 チャップリンの映画「ライムライト」の中で、チャップリンはこう言っています。 「人生で大切なことは<想像力>と<勇気>・・・・そして少しのお金かな・・・」という名言があります。 「想像力」と言っても何も難しい事ではありません。 ただ単に、「こうすれば〜こうなる」ということです。 それは日常的な事です。 昨日は久しぶりに「都会」に出ておりました。 駅のホームに飲み残された缶コーヒがひとつ置かれていました。 それがどんなに危ないことになるか、考えなくても分かる筈でしょうに・・・。 また当たり前の風景となっていますが、スマホを見ながら混雑の駅の構内を歩く人、スマホに夢中で電車のトビラの前で人が来ても避けもせずにいる人、 数えたらキリがありません。 そういう「想像力の欠如」の世間ですから、歩くにしてもウカウカしてられません。 我が家の模様替えも少しは落ち着いたかな、とは思いながら、一つ変えるとまた違うものが見えて来る。 当分「to be contenue」(後につづく)といったところでしょうか。 そろそろ春の鳩山の映像もご覧にいれたいところです。 少しずつ彩りが増すこの時期、楽しみな季節です。 とは言いながらまだまだ寒暖の差が激しいこの時期、皆さまにはどうかお御身お大切に。
興味のある方はどうかお聴きになって下さい。
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HP通信NO.440/2017.1.30 前回の更新でバチカン放送の事をお知らせいたしました。 お聴き下さった方からもメールを頂戴したりしています。 そして一昨日も二回目の放送がありました。 私はライブで聴く事ができました。 早速You tubeにアップされているようなので、下でご案内させていただきます。
興味のある方はどうかお聴きになって下さい。 その作品とは「混声合唱曲<巡礼>」です。
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HP通信NO.439/2017.1.20
暦は大寒を迎え、寒さも本格的になりました。 とくに本日20日、関東では雪の予報が出ています。 今朝は早々と買い物を済ませ、雪籠りに備えました。 ひとつお知らせがあります。
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HP通信NO.438/2017.1.10
今年の書き初めです。 <学道則愛人> 今の時代、たしかに文明が進み、とにかく便利になり、何もかも「強く、賢く」生きるのが最良に思われがちですが、果たしてそうでしょうか。
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2017年
HP通信NO.438/2017.1.1
新年のお慶びを申し上げます。
皆さま元旦をいかがお過ごしでしょうか。 年が改まり、新しい出発の本日「元旦」ですが、まさに私にとって新しい世界への幕開けとなりました。
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