底に流れる蕩々の「祈り」
当間修一先生
 「鈴木憲夫作品」を演奏する喜びは作品の中に流れる太く大きく、そして熱い「想い」なのだと思います。軽妙さのある作品にも「想い」に通ずる音の運び、ハーモニーの流れが見え隠れしています。
 思えば多くの「鈴木憲夫作品」を演奏してきました。代表作であろう「永訣の朝」「祈祷天頌」「地蔵礼讃」「雨ニモマケズ」そして「抒情小曲集」「ことわざうた」「みすゞこのみち」「茜の空に」「民話」「地球に寄り添って」「未来への決意」等、その他編曲されたものなどを入れると相当の曲数になる筈です。作品によっては、混声、女声と重なる曲も演奏してきましたから、私の「鈴木憲夫作品」への愛着はしっかりと心に根付いたものであると自負できます。

 「大阪ハインリヒ・シュッツ合唱団」は名前でもお判り頂けるようにドイツの第作曲家、ハインリヒ・シュッツの作品を紹介しようとの意図のもの結成しました。今も月一度の「マンスリーコンサート」を基盤としてその普及に努めています。その合唱団が4度に及ぶヨーロッパ・ドイツ公演でのプログラムに主催者側から「日本作品」の演奏が強く望まれました。そこで出会ったのが「柴田南雄」。「柴田作品」はヨーロッパの人々に我々の想像を超えてセンセーショナルな衝撃を与えたようです。私たちにとっても、その出会いは「私たちの立つべき所」「精神の拠り所」「文化の奥深い相違」「アイデンテイテイ」という問題を突き付けました。

 私たちは、私たちの心に流れる「日本人としての文化の基層」とどう向き合うか?日本人の演奏家として我々は諸外国に向かって何を表現するのか?幸いにして、シュッツおよび諸米諸国の作曲家の演奏に対して多くの方々から高い評価を頂いてきた私たちが、今、同時に真剣に取り組むべき課題とは。それは「日本人による作品」である、との確信です。

 「様式」としての音楽的興味は、複雑、かつ多岐にわたっているのが現代でしょう。「音楽ジャンル」の枝分かれは著しく、作曲家の置かれている立場も、そして主張も様々です。私たちが演奏を通して知り得た事実、それは「共感できる作品」との出会い、それが「音楽の核心」「音楽の喜び」であるということ。

 「鈴木憲夫作品」に巡り会えたこと、それは私の音楽家としての最も大きな喜びの一つです。「鈴木憲夫作品」の「音」が立ち上がった瞬間、私の「心の基層」は深く静かに呼応し始めます。作品に流れる熱い「想い」、それは「祈り」へと昇華する軌跡。「想い」は熱く流れる「祈り」の響きとなって、身体全体に、そして心の奥深く共振し始めます。
 「鈴木憲夫作品」との出会いをもっと喜び、楽しみたい。それが、CD録音での希求となりました。木下牧子さんの作品とカップリングした「方舟/祈祷天頌」(昨年のリリース)に続いて近々続編を出す予定です。

                   指揮者/大阪コレギウム・ムジクム主宰 

(本ホームページの「仲良しー合唱団紹介vol.2」で合唱団の紹介をさせて頂いております。
HPアドレス=大阪コレギウム・ムジクム=http://www.collegium.or.jp/index.html
当間修一=http://www.collegium.or.jp/~sagitta/index.htmlをご覧下さい。)