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【こころ】 この作品は私が18歳(高校3年生)の時に作曲しました。初めての合唱曲です。友人のN君のお姉さんが大学の福祉同好会に所属されていて、慰問先の施設に関係する方々で作っていた「詩集」の中にこの詩がありました。 作詞者は木谷佐知子さん(旧姓菅原)、木谷さんもN君のお姉さん同様、学校(仙台の宮城学院大学の音楽科に在籍)は違いましたが、同じボランテイアでその施設に関係されていました。 これに作曲したのが7月頃、周囲は受験一色でした。この作品は昭和46年度・旺文社主催「第15回全国学芸コンクール/音楽部門・高校部門」(この年から音楽部門が開設されました)に応募をし、幸運にも第一席を頂戴しました。審査員は團伊玖磨先生。受賞の知らせを聞いた時は「天にも登る」気分でした。今でも覚えています。地元の新聞社から取材を受けるは、全校生徒の前で校長先生から祝辞を受けるはで「ちょっとした有名人に」。 もともとこの曲は混声合唱でした。「よのコーラス」のために女声版に編曲し「抒情小曲集」に収録しました。 作詩の木谷さんとは一度だけお目にかかったことがあります。現在は福岡県にお住まいです。私にとりましては懐かしい思い出深い曲です。 【白鷺乱舞】 詩人の中村泰三先生とは「詩と音楽の会」でご一緒をし、「まつばぼたん」という歌曲を作曲したことがありました。先生のお宅が蕨市にあり、比較的近くだったことから交際もごく自然に始まりました。中村先生は小児科のお医者さま。詩人としての業績も深く、県内では文芸賞を受賞するなど詩人としての「顔」も素晴らしいものでした。後の話になりますが先生とは「岩槻養護学校」の校歌も作らせていただいたこともあります。 優しいお人柄で、詩も子供の視線を捉えたものから、真摯な深い眼差しを持った詩作品も数多く、幅広い世界をお持ちの先生です。 浦和にサギの写真で有名な田中徳太郎先生が居られ、中村先生との交流も古く、この「白鷺乱舞」は田中先生の写真集をヒントに書かれました。私も田中先生にお目にかかり、白鷺に一途に取り組む姿勢に感銘を覚えました。そして写真集の白鷺の美しく優雅な姿に魅せられ’85年、この曲を作曲しました。 そしてその翌年の「笹川賞」に応募をし2位を頂戴しました。その後、改訂をしこの曲集に収めた、という次第です。 「笹川賞」で2位を得たことは今回初めて書いたかもしれません。2位という口悔しさ(笑)、またその時の作品(改訂前)が自分でもイヤだったものですから、敢えて公表することに憚りがあったのかもしれません。のちに中村先生の依頼で歌曲版にもなりました。 以後、ご要望があれば追加します。 作品についてへ トップページへ |
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