民話
「民話」は1989年、3人のヴォーカル・アンサンブル「トリオ・ソネット(小松洋子/倉内和子/高橋幸子)」の委嘱で作曲され、後に女声合唱版(よのコーラス録音初演)、さらに’97年、(川崎混声合唱団の委嘱・初演で)混声版にもなりました。

[民話を作った背景]
「民話」をテーマに、とはこの作曲の数年前から考えていたことでした。海外の曲を聴くと言葉はもちろん、詩も意味も分かりません。でも「音楽の世界」として何かしら伝わってくるものがあります。
 日本の場合、とうぜん日本語で曲を作り、歌われます。しかし、時としてテキストの内容もその理解も言葉も伝わりにくい状況になることもあります。それは作曲の責任でもありますし、演奏の責任の場合もあります。どのようなテキストを選ぶかで、その作品の方向性は決まってしまいます。

 宗教曲のように「グローリア」だけで数分の曲が出来る、ということに私は一種の羨ましささえ感じます。つまりそれはアイデンテテイの問題なのです。どの人もそれを聞けばその中には「共通の認識」というものがある。日本語で、そのようなテキストで、と考えていくうちに、「民話」というテキストに行き着いたのはある意味で当然な成り行きであったかもしれません。
 例えば、「若返りの水」と聞いただけで、その世界を想像できます。「鬼が踊る」「おじいさんも踊る」といえば、「こぶとりじいさん」をイメージできます。また「雪の降る夜」のように「お地蔵様が幸せ運んで歩いてくる」といえば、「傘地蔵」や「六地蔵」を連想させます。
このような発想がそもそも「民話」を作るきっかけとなりました。

[資料調べについて]

 初めにこのお話があったのは1988年の終り頃でした。同じ与野市(現・さいたま市)に住み、与野市音楽連盟を立ち上げた際に私と一緒に骨を折って下さった倉内和子先生からの依頼でした。「親子のためのサマー・コンサート」で演奏する曲を、という依頼の内容でした。その頃、「民話」についてほのぼのながら案がありましたので、それをお話すると「それは面白い!」ということで、それからテキスト作りに取りかかりました。
 今でも頻繁に利用する与野市の図書館には何度足を運んだか。常に20冊くらいの民話の本を自転車で持ち帰り、その翌日にはまたまた20冊くらい持ち帰る、といったことを随分と繰り返しました。

 皆さんご存知のように、図書館から借り入れるのには一人何冊と制限があります。たしかその頃一人5冊が限度。我が家の住人であるネコどもの名前も登録しました。ウチのネコで人間?の名でも通用するかナ?というマオちゃんのカードを作る時、
「マオちゃんは何歳ですか?」
「今5才です。」
「図書館のご利用は初めてですか?」
「エー、まだ一人では来れないので・・・・」
 などと会話しながら利用者カードを作ったことを今思いだし、ひとり笑いしています。また図書館で「鈴木マオさ〜ん」という呼びだしがあっても、まるで人事のように、「どっかで聞いた名前だなー」なんて思ってたら、それはウチのネコの名前だったりして・・・・。
 ちなみに他に「チコタン」というネコもいましてそのカード名は「チイコ」。他にリボン、ポッポ、シシマル、という名のネコがいますが、流石にそのどれもご利用者カードには登録しかねました。

余談でした。

 図書館の「民話」に関する本を殆どといっていいくらい読みました。そうしてまとめたのがこの合唱曲「民話」のテキストです。

[テキストと音楽について]
<若返りの水>
 これは多くの人にとって馴染みのある民話です。物語性がありますので、その面白さをただ伝える、というだけでテキストには充分になりえました。そんな物語性を音楽にもしてみたかったのです。終りの方に「子供おばあさん」と繰り返しますが、この言葉ひとつで物語の展開がよく分かります。

 これも余談ですが、若返りの水を「おじいさん一口のんで若者になった」「それを見ていたおばあさん、たくさんのんで、子供になった」・・・・。
「民話」には人の良いおばあさんも出てきますが、どちらかというと女性の方が「意地悪」だったり「強欲」だったりします。この「若返りの水」もそうです。ただ、後日談としてある地方の民話には水をたくさん飲んで赤ん坊になったのは「おじいさん」というのもあるそうです。

 最後「おじいさん/背中におばあさん背負い」とあるところですが、旧版では「おじいさん/背中に背負い」とあります。これは混声版を作る時に、相原先生から(*この最後に混声版のいきさつを記しています)「やはり背中におばあさんを背負う」とはっきり書いた方が分かりやすい、というご指摘を受け、新版(女声)でもそのように直しました。

<動物たち>
 民話には動物たちのお話も本当にたくさん出てきます。騙したり、騙されたり、動物たちが擬人化され、朗らかに描かれています。タヌキやキツネが人を騙す、などというのは、私の祖父母からも身近な話として子供の頃、よく聞いたりもしました。私の祖母はそういう話がうまくて、子供心にもワクワクドキドキして聞いたものです。実際見たようにお話するのでした。そういう一連の話は祖母自身もその祖母から聞いたものでしょうし、語り継がれたものに違いありません。
 実際、タヌキに騙されて「肥だめ」で「あーいい湯だなー」なんて話も「どこどこのダレさんが若いころ・・・・」ということを、子供の頃、この耳で聞いた記憶があります。

 民話の世界のおそらく半分以上は動物が関わっています。批判や悪口は、動物に擬した方が分かりやすく、面白く描くことができたからでしょう。
 最後に「今日もポツンと山奥のどこかでキツネとタヌキがおはなししている・・・かもしれない」と書きましたが、それは今でもそんなのどかな世界があったら楽しいだろうな、という、私の思いそのままです。

 このテキストでは二文字、三文字、四文字の動物の名前が出てきます。この作品の指導によく呼ばれることがあるのですが、どこへ行っても「歌詞が覚えられない」と、苦情が相次ぎましたので、「新版」ではその言葉を整理しました。しかし、それでも覚えにくいそうです。
「サルとキジ」「クマとハチ」「ネコもイヌ」など、少しは分かりやすくしたつもりですが。また四文字の「モグラもネズミもイタチもウサギも」では、ちっちゃな動物から大きな動物へと意識して直したものもあります。
この点につきましてはご容赦のほどを。
 ついでに「イタチ」は民話のどの話を探してもいません。さんざん考慮した揚げ句、他に三文字の動物ってなかったものですから「イタチ」も加えました。

<でんせつ>
 大男の伝説は各地にあります。岩手では大男が山から町に降りて来て、乱暴をはたらき大きな石に「手形」をつけて帰っていったというお話。それで地名が「岩手」になったとか。青森のダイダラボッチ。宮城にもあります。宮崎駿監督のアニメにも時々(イヤいつもといっていいくらい)大男が出てきます。
 世界各地で大男の物語があります。これは「鬼」にも通じることですが、「異形」のものに対する畏怖心から来たものではないかと思います。
 よく「分からないもの」、時としてそれは「自然への崇め」であったり、「信仰」にも通ずるところです。
「でんせつ」の大男。底流には「業」というものがあります。「業」というのは「生きる意味」ということを含んでいます。「何故自分は生きているのか?」「何のために自分は生まれてきたのか?」ということです。その問い掛け自体、それは「救い」に通じると私は考えています。
 大男が最後に村人を救って、動かず、そのまま「山」になってしまいます。その時大男は思ったはずです。「何で自分がこんな大きな身体に生まれてきたのか。それはこうして村人を救うために生まれてきたんだ」と。それが分かった時、大男は自分の「業」を知り自身が「救われた」のです。
 このテーマはその数年後に「鬼の小六」に発展しました。
(ベルウッドの森の中に「鬼の小六」があります。テキストをそのままに紹介しています。ご覧下されば嬉しく思います)
 この「でんせつ」はア・カペラになっています。この曲は初めからア・カペラでしか考えませんでした。自由なテンポで、con motoで(動きをもって)、ドラマ性を充分に出して欲しいと思った時、ア・カペラはもっとも相応しいと思いました。
 ですので、演奏の際は、自由に、何よりこの「物語」が聴く側に伝わるようなものにしていただきたいと思います。まるで「語る」ように・・・・・。

<鬼とおじいさん>
「こぶとりじいさん」やそれに類する話は不思議とたくさんあります。物語のドラマツウルギー(構成)はみな似ています。この作品では多くの、そうした類似したお話をまとめるかたちでテキストを作りました。
 全体的にまるで「映像の世界」を見ているかのように、言葉でそれを表現しています。またさしずめ、行間を音楽で埋めるかのような展開をしています。
このテキストも「若返りの水」同様、物語の面白さを引きだそうとしました。
ダダダンダンダダン・・・では、皆さん苦労されているようですが、拍を意識し、リズム感を強調すれば、それも自然に歌えると思います。

 この曲は、これまでさまざまな趣向や演出を伴い演奏されてきました。私はそれが音楽的あり、またこの世界を引きだそうとされる演出でしたら、一向に差し支えないと思っています。特にこの作品がそういう(演出を伴う)傾向が多いのは、上で書いたように映像的なイメージを強く受けるからだろうとも思います。

 一度、この「民話」をバックにバレエの団体が踊ったことがありました。この「鬼とおじいさん」は躍動的で面白いものでしたが、最後「小判ザックザック」ではどのようになるか楽しみにしておりましたら、最後の最後「小判ザックザック」と言ったところで、舞台天井から小判がザッザッザッと降っていました。観客からは一瞬、ドヨメキ。とても面白かったです。

 尚、単独でこの曲が歌われる機会も多いのですが、ひとつ付け加えますと、この前曲はア・カペラの「でんせつ」です。この抒情と内なる激しさを持つ曲の、次の曲だからこそ、この「鬼とおじいさん」はあるのだ、ということもご記憶いただきたいと思います。

<雪の降る夜>
 おそらく多くの方が「傘地蔵」「六地蔵」を連想されるだろうと思います。この「民話」という作品では、民話の面白さをテキストにし、音楽的に楽しい曲を作ろうと思いました。事実、前4曲はそれぞれに民話の世界そのままに変化にも富んだものになったと思っています。しかし、最後のこの曲では「単に物語の民話」としての世界だけでなく、その世界の奥に流れる、これまで日本人の培った心、「民話」という日本人の心が育んだ物語、その朗らかで、優しく、温かな、世界を最後のこの曲で表したいと思いました。

「こころのやさしい人のところに/幸せはこんであるいてくるよ」
「こころのやさしい人だけが会うことができる/おとぎの世界」

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 この作品はこれまで多くの方によって歌われてきました。それは何度も上で書きましたように、日本人の心が育んだ物語、日本人のDNAに組み込まれている日本人としてのアイデンテテイ、それらが一種の懐かしさを伴っているからだろうと思います。

[混声版の経緯について]
 川崎混声合唱団(ー仲良し合唱団紹介ー)指揮者の相原末治先生は国立音楽大学の教授で、相原先生の同僚の教授、小松幸雄先生、小林光雄先生ともども、私の作品、とくに「永訣の朝」などをよく取り上げて下さっていました。そんな交流をいただく中で、相原先生が「民話」の混声版をお薦め下さったのでした。「これは面白いヨ」と。
 相原先生は常にそうですが、「自処超然」、つまり、「自らを処するに超然とす」そのままの方です。自分の都合や思惑など一切脇に置いて、良いものは良い、と云える方です。先生のお薦めで1997年11月に混声版は川崎混声合唱団の皆さんによって初演されました。

[よのコーラスとのレコーデイングについて]
 
「民話」の委嘱が決まって作り始めたすぐ後に、キングレコードより私の作品集CDのお話がありました。そこでこの「民話」も収録されることになり、曲が出来ると同時、「トリオ・ソネット」の皆さんにも楽譜をお送りし、「よのコーラス」の皆さんとも録音のための練習が始まりました。「トリオ・ソネット」の初演は7月。レコーデイングはその年の10月でした。
キングのデイレクターの佐藤秀夫さんにはお世話になりました。
 そして翌年の3月、CD完成、および、「民話」「鈴 木 憲 夫抒情小曲集」の刊行記念コンサートが、よのコーラスの皆さんによって催されました。
そのコンサートのために、皆さんへの感謝の気持ちを込めて「めぐりあいの中に」を作曲しました。
 今でも不思議と覚えているのですが、レコーデイングが終った後、皆さんと池袋の構内を歩いていて、この曲の冒頭の部分が浮かびました。

「やさしき人との出会いは やさしき心をうみ、
  素晴らしきめぐりあいは 人のまごころを薫る・・・・・」
                             2003年7月4日

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