二度とない人生だから
 「二度とない人生だから」が初演されて早や1年になろうとしています。
先月10日(03年6月10日)にお亡くなりになった委嘱・初演の竹上廣子先生に哀悼の意を込めて、この作品について少し書いてみようと思います。

 この作品は2002年7月7日、女声コーラス「ふじの花」の演奏、竹上廣子先生、ピアノはお嬢さんの丸山千晶さんによって、京都コンサートホール(小ホール)にて初演されました。

 竹上先生とは今より6.7年ほど前からお電話をいただいたり、お手紙を頂戴したりして交流が始まりました。「民話」を前々から取り上げて下さり、それについてのご質問がきっかけだったように思います。宮崎の「はまゆうコーラス」の指揮者・中村禎子先生とはお知り合いで、はじめ中村先生からのご紹介でした。
 そして今から遡ること約5年ほど前、先生から新作の委嘱のお相談をいただいたのでした。
「女声コーラスふじの花=京都市」は仏教讃歌をよく取り上げて歌っているコーラス団体で、委嘱作品についても「仏教の心を音楽を通してひろく語りかけるような作品を〜」というのがまず先生のたってのご希望でした。
 もとより、私はどの宗教にも属さないとは言いながら、「仏縁」というものに深く思い至ることを自身で認じておりましたので、ひとつ返事でお引き受けをしました。しかし、テキストとなりますと大変です。はじめ、先生のご希望でもあった、ある仏教説話をもとにした作品が候補になりました。それは私も以前から関心があり、いつかは自身で作品化しようとも思っていたものでした。

 竹上先生のお知り合いのY先生に詩のご相談をし、話は進んで行きました。テキストも順調に形ができつつあり、作品もより具体的になるかに思えました。しかし先生のご希望は上で書いたように「仏教の心を音楽を通して〜」という、さらに、私の「民話」のようなひろく歌われるようなものを、という希望も込められていました。
 テーマとして決めた「ある仏教説話」はややもすると、どうしても「仏教的」なときに「説諭的」な面さえ込めなければ成り立たなくなると、いつしか、形が見え始めるにつれて思うようになりました。そこで、時間もかけ、何度も竹上先生、Y先生と打合わせをし、テキストも半分以上出来ていたにも関わらず、白紙にしていただくことをお願いしたのでした。
 竹上先生、そしてY先生には本当に申し訳なく、特に、Y先生にはお忙しい中取り組んで下さり、それを、私が途中でヤメます、と言うのですから、こんな失礼なことはありません。しかもテキストは何度ものやりとりを通して「民話」のような語り口で楽しい、面白いものになっていました。

 竹上先生はそういう時でも一向に動ぜす、「先生のどうぞお好きになさって下さい」という一点で張り、私の好きにさせていただくことを許して下さいました。
 そこからまた新たなテキスト探しが始まりました。そんな一時暗礁に乗り上げた中、お嬢さんの丸山千晶さんから数冊の本が送られて来ました。
 その一冊に、竹上先生母子が存じ上げているという、大学のある先生の随筆風の本の中に、坂村真民という詩人の詩がいくつか断片的に取り上げられていました。不勉強ながら初めて目にする詩でした。
 それがこの「二度とない人生だから」の詩人・坂村真民さんとの初めての出会いになったわけです。

 早速、私は近くの本屋で坂村真民さんの詩集を求めました。ないものは注文をしました。まさに竹上先生の言っておられた「仏教の心を〜」にふさわしい、そして私も魅かれる詩がいくつもありました。竹上先生にこの詩で作らせていただきます、と申し上げるのに時間はそんなに必要ではありませんでした。他の作曲のスケジュールもあり、切羽詰まった状態でもあり、私には本当に幸運な詩との出会いでした。

この中で取り上げた
「念ずれば花ひらく」
「花・ねがい」
「妻を歌う」
「つゆのごとくに」
「からっぽ・サラリ」
「こおろぎ」
「二度とない人生だから」
以上の詩は、どの詩も心の奥で響き、どの人の心の奥でもおそらくふるえて共鳴するものだと思います。どれも簡単な言葉です。ゆえに人の心の響くのです。
 曲も簡単なものになりました。竹上先生に作品完成のご報告をした手紙に私は次のように書きました。
「今回の曲は皆さんにとって少し簡単だったかもしれません。易しさの中に音楽を満たすこと、それが私にはとても大切なことのように思われてきています。以前からもそうだったのですが、最近、ますますそれは感じます。また歌う方々もそれを望んでいるかもしれないと思っています。・・・」
事実、この作品の刊行後、比較的速い速度で各地に拡がっていきました。

 委嘱のお話があってから足かけ4年、上の完成ご報告の手紙の日付が2001年9月30日。 
 これらの曲は竹上先生というその人がおられなかったら作られることはなかったでしょう。上で作曲に至るまでの経緯を書きましたが、このようなかたちで作品が出来上がったのは、先生の一途な思い、そして願いに、私がそして「詩」が引き寄せられたという言い方がふさわしい気がします。
 
 間もなく初演から1年が経ちます。1年前、先生はお元気で居られたのです。この作品を思う時、竹上先生を識る人はもちろんのこと、この「二度とない人生だから」がどこか知らない地で演奏されたとしても、竹上先生の「仏教の心を音楽を通してひろくかたりかけるような作品を」という先生の願いは生き続けると、私は信じています。

    改めて竹上廣子先生のご冥福をお祈りします。・・・・合掌
                          2003年7月5日
  
       
              初演の時のステージで。右が竹上廣子先生。

              作品について
              トップページへ