混声合唱組曲
「永久ニ」
ートコシナニー
初演データ
初演:諏訪合唱団
指揮:宮下荘一郎
ピアノ:安藤美季 /小口悦子
日時/場所:2001年11月10日(土)下諏訪総合文化センター
「永久ニ」初演プログラムより

 この作品の委嘱を受けたのは、今から3年前、’98年のことでした。たしか8月、暑い日でした。諏訪から宮下先生と団長の岡野さんが我が家にみえたその時から、この作品は始まりました。
 縄文の地、そして諏訪大社をいただく諏訪から発信して今の時代に躍如とした作品を、という、さらに以前の作品「祈祷天頌」のような作品を、という私の心の奥で最もうずくところで今回の委嘱を受けたのでした。
 実際の作曲はそれから1年を待たなければなりませんでしたが、その間、他の作曲の仕事の合間にも、この作品の方向づけをどのようにするか、私の頭の底にしっかりとこびりついて離れたことはありませんでした。

 完成まで約3年の時がかかりました。自身の詩作からのスタートですから、この3年はまるで霧の中を歩むが如くの辿々しい足取りでした。
 はじめに「星の降る丘」を2000年4月に、次に「永久ニ」を同年12月に、「宇宙(アメノシタ)のもと」を2001年6月に・・・・約束の期限も大幅に遅れ、この組曲は完成しました。合唱団の皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。

 作曲完成までの3年の間、諏訪には何度訪れたことでしょう。宮下先生はじめ皆さんに数々の遺跡をご案内いただいたり、資料もご用意下さったり、また霧ケ峰などの散策など連れて行って下さったりもしました。
 団長の岡野さんに諏訪湖が見下ろせる高台に連れて行ってもらった時、「諏訪ではよく流れ星が見えるんです」との言葉をヒントに「星の降る丘」を作りました。
縄文住居跡に立った時の感動、そして諏訪湖・八ケ岳の何千年も変わらぬ風景の前に身を置くように思いを馳せながら、少しづつ少しづつ形が出来ていきました。
 私のピアノの前には八ケ岳を遠望する諏訪湖の古い写真が作曲中ずーっと飾ってありました。

 私はこの作品を「祈祷天頌」の続編という位置づけで作曲を開始しました。しかし仕事を進めていくうちに、もはや私の内では「縄文そのもの」というテーマへの希求は終結していたことを思い知りました。さらに云えば、これまで私のライフ・テーマだった「祈り」さえ、次第に違うものに変わってきていることに気づき始めました。このことは大きな収穫でした。それを言葉にするには、もうしばらくの時間を必要とすることでしょう。

 前記しましたように、この作品は「星の降る丘」「永久ニ」「宇宙のもと」の順で作りました。この全貌が見えるまでに本当にウロウロと、まるで救いでも求めるかのように彷徨をし続けました。佐倉市の国立民族博物館の「縄文展」にも行きました。図書館にも幾度となく足繁く行き来もしました。
 合唱作品ですから勿論言葉は必要です。
 1曲目の「永久ニ」ではエネルギッシュなものを書きたいと思いました。日本書紀に行き着くまでは大変でしたが、詩は一旦書き始めると夢中で進んだような気がします。
 終曲の「宇宙のもの」の「宇宙」ーアメノシターも日本書紀より言葉を探りました。
 詩を作るのにこんなにも苦しい経験をしたことは初めてでした。宇宙という途方もない時空間の中にあって、その時々の今を生きるということ、人・生と死・生命・・・・・宗教的とさえ云える領域に足を踏み入れてしまった後悔と、そして悪夢に似た悶えの中、初めの数行ができたところで見切り発進のように作曲をスタートさせました。
 厳かで壮大で、どの人の胸にも迫ってくるもの、誰もがこの曲を聴いてつい空を仰ぎ見るような、そんな曲を作りたいという脅迫めいた思いに捕らわれながら、詩と平行して作曲していきました。そして「聞える/声が聞える/すべての生命の声が/聞える」という言葉を得たことで、私はこの作品に対する思いを自身で了解したのでした。

 この作品を根気強く、牛歩遅々とした私の仕事に寛容と励ましを下さった宮下先生はじめ諏訪合唱団の皆さまに心より感謝申し上げます。この作品への思いは私だけでなく、合唱団お一人お一人の思いも込められていると思います。

 この作品は「縄文賛歌」ではありません。かつてそこに人々が「在り」、山や川、湖など、また生きとし生けるすべての生命に対して敬虔な祈りを捧げたように、我々もまた諏訪湖・八ケ岳の風景の前に時代を超えて「今」佇み、今の我々の言葉でそれを謳おうとしています。そのことが何よりこの作品を作った意味であるようにも、今、作り了えて感じていることです。
                              2001年10月5日
                              鈴 木 憲 夫
「鈴木作品と諏訪合唱団」プログラムより/指揮者:宮下荘一郎
 
「鈴木憲夫先生に初めてお会いしたのは、98年の夏。
 縄文の宝庫諏訪や縄文人のロマンと情熱、エンルギッシュな生き方を合唱曲にして欲しいとお願いした。先生は全国各地の遺跡を廻り、縄文文化に造詣を深めておられ、古代語による「祈祷天頌」を作曲された方で、突然の依頼にもかかわらず、作詩・作曲を快く引き受けてくださった。
 以来、先生は何度も諏訪に足を運ばれ、諏訪の遺跡をご覧になったり合唱団を指導してくださったり、先生とご縁のある合唱団との交流を仲立ちしてくださったりしてきた。私たちも鈴木作品を少しでも理解しようと、前回の演奏会では「民話」「雨ニモマケズ」を取り上げた。今回は鈴木作品の「永訣の朝」を発表するとともに、「雨ニモマケズ」を先生の指揮で謳うことによって賢治の真髄に迫ろうということになった。
〜中略〜
 作曲を終え、先生は次のように回想している。

「当初の予定では、このように時間がかかり、内容的にもこれほど深く立ち入ったものになろうとは思いもしませんでした。しかし、前作「祈祷天頌」に続く作品となると、うかつなことは出来ないわけです。今、私が表したいのは、単なる縄文の賛美や感動ではなく、祈りでもなく、それ以上の何か、何者をも包み込むような汎い「寛容」「愛」ということになるのだろうと考え至りました。」

 諏訪の縄文文化を合唱曲にという私たちの願いは、もはや諏訪という一地方を離れ宇宙のものにまで拡がっていった。正直なところ、自然や神、そして脈々と受け継がれてきた生命の営みという神聖で壮大なテーマをもつこの組曲は、あまりにも大きすぎておしつぶされそうである。非力な私たちではあるが、素晴らしい作品を得たことを誇りに思い、高らかに産声を上げたいと決意を新たにしている。

テキストについて
「アオヒトトキ」について
 テキストの古語については「日本書紀」より引用しました。これについては楽譜に解説が付されていますのでここでは省略させていただきます。
が、第一曲、そして第三曲の中で「顕見蒼生〜」(ウツシキ アオヒトトキ)の部分については、これまで幾人の方からお問い合わせをいただきましたので、ここで少し書かせていただきたいと思います。
 このテキストでは「蒼生」(アオヒトトキ)としましたが、原典は「アオヒトクサ」です。なぜ「アオヒトトキ」としたかについてですが、このような経緯がありました。
下は宇治の奥村さんという方からのご指摘にお答えした私の返書です。一部引用いたします。

『お尋ねの「蒼生」ですがご指摘のように「アオヒトクサ」と読みます。このテキストを作るときに数多くの様々な文献をあたりました。それをメモをしたノートの中に「アオヒトトキ」と自分で書いたものがありました。ですから私は「アオヒトトキ」と思い込み作曲したわけです。途中で気付き、改めようとしました。そこで「アオヒトトキ」と書いてあったはず(?)の文献を再度探し始めました。当時、手当たり次第に図書館などから借りてましたので、その出典はどこからのものだったか、到頭、その文献を再び見つけることはできませんでした。結局、思い違いだったことがそこではっきりとしたわけです。

 やはり原典通りに「アオヒトクサ」と直すべきか、また「アオヒトトキ」とこのままにするか大分考えましたが、私の内ではすでに「アオヒトトキ」が鳴っていました。ですので敢えて、作品ということで割り切って(無理やり)そのままにすることにしました。
 もとはと云えば思い込みと勘違いです。
 また「ウツシキアオヒトトキ〜」の最後のところ原典では「衰エナム」とあります。しかしそこは「カムサリマシ」にしました。その方がはっきりとした意図、そして音楽的にも訴えかけが違うと思ったからです。

学術的な意味から言えば、上の二つの「私の勝手」は間違いではありますし、作者が現存されているのでしたら許されないことです。古典といえど、そのような勝手をすることに多少の後ろめたさを感じています。が、作品ということで好きにさせていただきました。(<多少の後ろめたさ>どころでは本当はないのですが・・・・)
〜中略〜
この「顕見〜」は日本書紀の中で、唯一、人間を語ったものです。(少なくとも初めから読んでいくと・・・・)。この言葉を見つけた時は驚喜でした。これでこの作品は出来ると思いました。』

 この他にも同様のご質問をいただきました。奥村さまはじめ皆さまにこの場を借りてお礼を申し上げます。

「星の降る丘」について
「人が神とともに在った時代」
「人が人しか信じなくなった時代」
「人が神を喪(な)くした時代」
「人が人として地上に生きる意味を悟(し)った時代」
 これは様々な解釈をしていてだいて構いません。が、最後の「人が人として地上に生きる意味を悟った時代」というのは私なりに未来への思いを託しています。「まだ人は人として地上に生きる意味を悟ってはいない」と私は考えるからです。
(03/6/17)
最後にこの組曲のタイトルをどのようにしようか?と考えていた時に、団長の岡野貞夫さんがこう云われました。「やっぱトコシナニでしょう」と。