「ありがとう」「さようなら」
 「ありがとう」という言葉。おそらくどの国の言葉もそうだろうが美しい響きを持っていると思う。この「あ・り・が・と・う」という簡単なたった5つの文字が、自然と自分の中で連なるのに何と時間がかかったろうかと思う。ある頃から、たとえば親に対してもこの言葉をスンナリ言えるようになった。それは親にだけではない、自分が生きて、生かされているということをうっすらながら悟(し)り始めた頃といっていいかもしれない。

 それに反比例して「さ・よ・う・な・ら」、これも5文字である。この五つの文字を私は年を重ねる毎に言えなくなった。「さようなら」とはたんにあいさつのひとつだったはずなのだが、年を経る毎に人との出会いもあればまた「さようなら」の数も増えた。大切な人との別れの数だけ「さようなら」があり、それは常に心を残す寂しさがつきまとう。だから私は別れ際に「さようなら」は言えない。「さようなら」というとほんとに「さようなら」のような気がしてしまうから。

 「人生の中で大切なことは常に簡単な言葉で語られる」、とは誰の言った言葉だったか、それもいつどこで知った言葉だったか忘れてしまった。正確には上の言葉通りではなかったように思う。いつの間にか私の内でこの言葉がドーンと座り続けるようになった。「簡単な言葉で」というけれど、何か本当の気持ちを伝えようとすると、それは難しいことであるかもしれない。

 結局「思い」ということなのではないだろうか。「思い」がなかったら人には伝わらない。その「思い」がないと人は「饒舌(じょうぜつ)」になる。「饒舌」はいかにもそれらしく聞こえ、分かったものの風(ふう)にも聞こえ、こちらも分かった風な気にもなるが、おおよそ人の心には残らない。これはもちろん音楽にも他の分野でも同じことであろう・・・・と。
 この「思い」ということこそ、上の言葉、さらに人とのかかわり合いの中で、もっとも大切なキーワードと言えるかもしれない。            03.1.16

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