佐渡物語  
                    12.4                 
梨の木地蔵。
子供の成長を願い替わりに地蔵をおいて平安を願った。
旧街道道脇にある。
 先週は佐渡にいっていました。佐渡は初めてです。指揮者でピアニストの飯野淳也先生よりお誘いを受け、地元の郷土史研究家の佐藤利夫先生のご案内で、観光旅行では見られない佐渡の姿を見せていただきました。このところしばらくホームページで頭もチンチンと沸騰していましたのでちょうど良い気晴らしになりました。佐渡は一口では語れません。何事もそうですが、実際に自分の眼で見、感じなければ分からないものですね。風土というものなら尚更のことです。そしてやはり「人」。人との関わりがあって初めて風景も心に刻まれるというものです。今回は佐藤先生と意気投合、ついつい酒も二人で1升、あっという間に・・・・。ー飲めない飯野先生をよそ目にー

 3日間というもの佐渡の海を見、山を見、田んぼを見、川を見、おいしいものもたくさんいただき、全身全頭のアンテナを張って佐渡に触れてきました。しかしいつもながら人に迷惑をかけてしまうのが私の常。今回もコートを佐渡に置いてきてしまいました。佐渡から帰りの船(ジェット船)に乗る前、みぞれが降ってきてそこで気がつくとは。

 佐藤先生と奥様にお手間を取らせ、宅配で送ってもらう、という失態も。そういえばおんなじコート、昨年もちょうど今頃のこと、川崎で飲んでて終電に乗り遅れ南部合唱団の人に宅配で送ってもらったこともありましたっけ。
 ついでに宿屋では畳を煙草で焦がすし、新しいマフラーも少し焼けコゲ。何かに執(と)らわれてるとロクなことありません。私はその常習です。
 仏教で言う「空(くう)」の心って分かりますか?目の前にあるのに気付かない、見えるはずなのに見えない、ということです。澄んだ心で物事を見、感じるということです。「喰う」だったら間違いなく目の前のものなくなるけど・・。こんな冗談いってる場合ではないのです。マフラーの焼け焦げ、いつ家内に見つかるやら。

国府あとにて。佐藤利夫先生と。 金山道端で金(?)の鉱石を探す飯野先生。みんなで探しっこをした。