永訣の朝
 この作品は私の21歳、仙台の東北学院大学3年生の時のものです。私は東北学院では法律を専攻しましたがあまり真面目な生徒ではなく、むしろ大学から車で15分程度のところにある宮城教育大学音楽科に入り浸っていることが多いくらいでした。時に研究室に泊まることさえありました。先生方も知ってて知らぬフリをしていたようなそんな長閑な時代でもありました。そんな中で「永訣の朝」は宮教大の混声合唱団のOBとの演奏会で仰々しくも委嘱・初演されたのでした。みんな同じ世代、何かを創り上げるという意気込みがそこにはありました。今思えば作曲した時間はあっという間のことだったように思います。若さ故に、純白に宮澤賢治という世界に真正面から立ち向かえたのかもしれません。当時から今なお、澤口正一(盛岡で高等学校の先生をしている)さんはじめ数々の友人と交流が絶えないのも嬉しいことです。

 作曲した翌年に日本合唱指揮者協会主催の公募で改訂版が入選をしました。上京して数年後にこの作品は作曲家協会主催のコンサートで二期会合唱団、私の指揮で演奏されました。そのコンサートに偶然にもカワイ出版の松野満男氏が来て下さっていました。もしその時、松野さんが聴きに来られなかったらはたして私のその後はどうなっていたことでしょう。

 この作品は私の出世作と言われています。この作品が出版される際、松野さんは初めて会った私にこう言われました。「この作品は鈴木先生の代表作になると思います」と。まだ20代後半の駆け出しもいいところの、しかも海のものとも山のものとも分からない不定の若輩の徒に今思えばよくも言ったもんだとつくづく関心さえしてしまうのですが、その時の私は前途にぎらぎらしたものを秘めていましたから「代表作はこれから作るんだ」という気概でおりました。松野さんはそれ以後もカワイ出版から出る私の作品のほとんどを手がけて下さっています。

 この「永訣の朝」は私に多くのことを教えてくれました。作品が一人立ちして歩いていく様を、私が作家として生きていく道筋を、そしてこの作品を自身で指揮する毎に未だに完成していないと真実不思議に思うこと、さらに一昨年亡くなった宮澤賢治の弟さん清六翁より、作家にとって初めての作品というのは大きな意味があるものです、というお話・・・。やはりこの作品は私にとって未だに切っても切り離せない関係にあるようです。