方言と個性
 私の話し方はどうやら少しナマッテいるようだ。昨年NHKの海外向け放送ラヂオ番組で私の作品が紹介されインタビューを受けた。仙台で生れ育って二十余年。上京してからの生活はそれよりもっと長いというのに、聞こえてきたのは仙台弁特有の抑揚のないイントネーション。少々緊張したとは云え私とすれば普通に話したつもりである。が他人から見れば紛れもない《私》がそこに居たのである。
 「自分は自分は」と他の人との違いを並べ立てるのは一見個性的であるようで実は単なる自我の主張に過ぎない。自分ではさりげないと思ってやっていることでも「あの人らしい」と世の中に映るとするなら、それが個性というものである。金子みすヾの詩にこういう一節がある。「みんな違ってみんないい」ー私と小鳥と鈴とー。みんな違って当たり前。同じであるはずはない。なのに日本人の若者のファッションはいつの時代もみな横一列、教育でも個性教育を大切にと言いながら同じ器に入れようとする。旅行で添乗員さんの振る旗に行列を作ってついて行くのも日本人ならではの風景、つまり「右ならえ」の図だ。
「みんな違ってみんないい」そういう個性を育み、認め、暖かく見守る風潮が日本人と日本社会のDNAには欠けているのかもしれない。・・・・自分の少々ナマリのある話しぶりを聞いて、フトそんなことを考えた。
               東京新聞ショッパー(埼玉地域)2000年3月号より