心の温度
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昔の人はよく泣いたものだ、とある本で読んだことがある。国家を論じては憂えて泣き、書を読んでは感動して泣き、「俺の気持ちをよく分かってくれた」と言っては泣き、兎に角大の大人がよく泣いたのだという。これを私は滑稽とは思わない。人情と言うと安っぽいかもしれないが、人の心意気に感じ入り、心の機微また真心に触れ感激・感動するということは、もっとも人間らしく、そして今とは比べるべくもない精神性の高さをそこに感じるのである。 私は合唱のコンクールの審査などで沢山の演奏を聴くことがある。時にたしかに「うまい」演奏を聴くことがある、が「でもそれで?」と問い返したいことがよくある。どこを取ってもそつなく完ぺきに近い演奏だけれども心に響いてこない。それに反してあまり饒舌ではないけれど心に沁みるような演奏を聴くことがある。好み、の問題ではない。音楽とはやはり心に響くものでなければならない。 現代は人間の歴史の中で日々最前線を歩んでいる。それはあくまで科学的な進歩の面にである。しかし精神性・道徳性においてどれだけ進歩したというのだろうか。昔の人はよく泣いた、というその一事を取ってみても精神性、人の「心の温度」ということにもっと切実に考えを持たなければならないと思う。私のように音楽を作り、そして演奏もしている身ゆえに日ごろ考えていることである。 東京新聞ショッパー(埼玉地域)2000年3月号より |