光年のお話
 子供の頃、夜空に光る星々が何千・何万光年の彼方のものであることを知った時、その驚きはおそらく生まれて初めて受けたカルチャーショックだったに違いありません。正直未だに何千・何万光年って言ってもピンとこないのですが・・・。それは同時に子供心にも大きなロマンを感じさせました。
 少し「もの心」がつくようになると芸術への憧憬も膨らんできます。「ベートーヴェンって今から二百年以上前に生きた人なのに」と、その感動はどこか星の光年を知った驚きと似ています。「普遍」などという言葉の意味など理解できるはずもなく、ただただ星を仰ぎみるような憧れを感じたものです。その憧れの果てに、私はこうしてモノを作るようになったのかもしれません。

 作曲は演奏されない限り人には伝わりません。完成しても作品は演奏者の手に委ねることになりますので人の耳に届くのは半年か一年後。音になり世に出て初めて作曲家の「悶々の日々」は報われるわけです。そこで私はいつも画家(美術家)の仕事が羨ましく思えてしまうのです。画家は描きながらにして作品を眺めることができる。そのまま「ハイ」と人の前に置くことができる。その生産的(?)な仕事に時として恨めしささえ感じます。
 ちなみに作曲家と画家(美術家)の寿命を比べてみますと画家の方が圧倒的に長生きの人が多い。作曲家は?、というとどちらかと云えば早くにく・た・び・れ・る・人が多いようです。先に書いた「悶々」と「生産的」、この違い、寿命と大いに関係ありとワタシはみているのですが・・・。ついでながら指揮者と作曲家のそれも似たようなものだと。
ーいづれも偏説と思召し(おぼしめし)あって可也(かなり)ー

 今、思い描いている作品は完成まであと十年はかかるかもしれません。いわば十光年の仕事です。今の思いが十光年の先にどういうかたちでかまばたくにせよ、その時の私の髪の毛は果たしてどれくらい残っていることでしょう。
・・・・・・・・・・・・・ロマンに満ちた光年のお話。
                 埼玉近代美術館友の会「fam's」2002年号より