弔辞1.中村淑子さん
 
 美智子さんと始めて会ったのは、憲夫さんの代表作の一つとなっている「永訣の朝」が出版された頃でした。
 宮澤賢治が妹の死を悼んで作ったこの詩に、美智子さんと一緒にどれだけ聞きいったことでしょう。
「いい曲でしょう。賢治の妹はとしこっていうんだよ。」
誇らしげに話してくれた美智子さんの声が今も聞こえてきます。
憲夫さんが全身全霊で取り組んだこの曲を、美智子さんも一緒に作っていたのですね。

 美智子さんも憲夫さんも20代。作曲家としてこれからどうなるかわからない憲夫さんと二人で、「音楽以外で稼がない。」意志を貫いて、キラキラ輝いていた時代でした。
  当然、暮らしは貧乏です。貧乏で、それでいてこの上なく楽しかった。
「才能とは何か。」「それは、生まれ持ったものだ。」「いや、続けることが才能だ。」みんなで朝になるまで話し続けました。どれだけ話してもまた明日がある、そんな時代だったよね。

 暑い夏、クーラーのない車にみんなで乗り合わせて軽井沢に行ったこともありましたね。美智子さんと一緒に過ごしたあの夏の日が、つい昨日のようです。
 
 何もないことが勲章だった時代。ただ夢と希望だけがあふれるほどあった時代。希望に輝いていたあの頃、二人の暮らす上峰の家には、美智子さんと憲夫さんのパワーにひかれていつも大勢の人が集まっていました。笑いと活気があふれたそこには、貧乏を上回るエネルギーがあったのです。

 あの頃から、美智子さんは、憲夫さんの応援団長。第1級のファンを越えるファンで有り続けていましたね。
 
 あれから何年経ったでしょう。家を訪ねると、美智子さんは必ず、「上がって、上がって」と満面の笑顔で迎えてくれましたね。悩みの日も、嬉しい時も、たくさんの時間を費やして、話を聞いてくれました。
 「今日は、仙台のお母さんからたくさんいただいたから一緒に食べよう。おいしいんだよ!」心のこもったおいしい手料理の数々を頂きながら、話した後は、いつでも元気を取り戻している自分に気づいたものです。
そして、一緒に怒ったり、喜んだりしてくれましたね。一緒に涙をながしてくれたことも数知れません。美智子さんに励まされて活力をいただいたことが何度あったでしょう。
 どんな時も美智子さんは、私の大いなる「味方」でいてくれたことに今更ながら驚いているんだよ。どれだけ感謝しても足りないね。
 
 ピアノを教えながら、一人ひとりの生徒さんがよりよく生きられるよう、本当に親身になって心をくだいてくれたのも、美智子さんです。
「あの子は、今、伸びる時期。吸い取り紙のように吸収してるんだよ。」と、自分のことのように教え子の成長を喜ぶ美智子さんは、これはもうピアノの先生を超えていました。ピアノを通して、その人がずっと豊かな生き方ができるように、心をくだく姿は輝いていました。いつでも変わらないこんな美智子さんの姿に私は、いつも感動していました。
 
 私の外にも、こうして美智子さんに励まされた人達が、どんなに大勢いたことでしょう。
美智子さんは、みんなの、人生の「味方」でいてくれたのですね。
 
 美智子さんがこの世の中を卒業して、旅だって行くのを見送るのは、いやです。寂しいです。でも、美智子さんからもらった心の力を糧にがんばっていきます。美智子さんがつないでくれた縁を大切に、憲夫さんを応援します。それが、美智子さんの願いだものね。
 
 いつも、いつでも、世の中の片隅でがんばっている人たちの「味方」でいて、応援してくれた美智子さん、本当にありがとう。いつの日か、この世の命をまっとうして天国で会えたら、また、たくさん話そうね。
 
                  中村 淑子(現浦和区内小学校教諭)

         弔辞2.谷道明さん
         弔辞3.澤口正一さん
        哀悼歌:小田切清光先生 
         美智子抄ページ

         
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