鹿児島小旅行/06年1月26日〜29日
1月27日、「コール明和」のコンサートの翌日。指揮者の田丸先生、そして市内で合唱をおやりの勝山愛さんのご案内で「知覧」へ。知覧は御存知の通り「特攻隊」の基地でした。下の写真は特攻隊員がよく通ったといわれる「富谷食堂」。
特攻隊員たちにとって「母」と慕われた「鳥浜トメ」さんが経営していたこの食堂は、今、「ホタル館」として保存されています。
内部は撮影ができませんでしたが、映画「ホタル」でも有名になった「死んでホタルになって帰ってきます」と「富谷食堂」の「トメさん」に言い残して戦死した隊員の言葉通りに、実際に「ホタル」が飛んできて「ホタルが止まった」という「柱」もありました。
「知覧特攻平和会館」=知覧町
ご案内下さった田丸先生と勝山さん。
会館前で。
「とこしえに」の像、そして特攻飛行機の前で。
 会館内は撮影禁止。会館に入ると壁には特攻で散っていった少年飛行兵の顔写真が飾られていました。無数と思われるほどの。そして家族へ宛てた手紙や実物大の特攻飛行機も展示されてありました。
 昭和20年、本土最南端の特攻基地となり、1.036人の若者がここ知覧から沖縄に向け飛び立ち、帰らぬ人となりました。
 写真を見るとみなあどけなさが残る少年の面影が・・・。
「死んでいった」のではなく「散っていった」という語がふさわしい気がしてなりませんでした。
 国を思い、家族を思い、散っていった少年たちはきっと永遠の平和を願っていたことでしょう。
日本が滅びることなく繁栄していくことを。そしてそのために捧げる命に誇らしささえも感じていたのかもしれません。年頃の少年らしい表情の写真が、何とも切なくもありました。そんな時代に生まれた彼らに、今の私たちは何といえるのか・・・・と、一旦そんな思いを抱くと、それがずーっと消えずに心に残りました。ホームページhttp://www.town.chiran.kagoshima.jp/
隊員の宿舎。
「平和会館」入り口そばにたつ「平和の母」像。
知覧から「遣唐使」の船が出た「坊津(ぼうのつ)」へ。
遣唐使の船の模型の前で=坊津港にて 坊津港
 遣唐使というと今からおよそ1.300年前になります。坊津港は遣唐使船の船出の港として知られていますが、他にも長崎県五島列島などからも船出をしたようです。「遣唐使船」といっても一度だけの往来ではなく、「第十六次遣唐使船」で「空海」も唐に渡ったことを考えると、およそ200年の間に(正確ではありませんが)幾艘もの船の往来がありました。その海の旅は困難を極めたようで、4つの船を「船団」とし、時にはその半分も「唐」の国にはたどり着けずに難破・沈没したようです。
鑑真和上がたどり着いた「坊津町の秋目(あきめ)へ」。
 坊津港より少し先に「鑑真和上(がんじんわじょう)」が日本に上陸した港があるというので「秋目」まで足を延ばしました。
「坊津・秋目」には「鑑真記念館」があります。その会館から見た風景。
右の石塔は海に向かって立っていました。はるかかなた「唐」の国を望むように。
穏やかな海。この海は東シナ海です。
帰路の途中。枕崎の海辺の公園で。左に見える岩は「立神岩」
そこで不思議な光景を。モデルは「オナカ自慢」の田丸先生。
28日の午後は霧島市へ。「上野原縄文の森」を見学しました。
ご案内をして下さったのは霧島市の教育委員会の鈴木順一さん、と川野洋也さん。
鈴木さんは「国分少年少女合唱団」のご父兄でもあります。
 上野原縄文遺跡。展示館の3F展望台より臨んだ復元集落。
縄文時代のはじめの9.500年前の遺跡です。発掘された土器からは「貝」の模様のついたものが。ご案内下さった鈴木さんのお話ですと「縄目の文様が土器についたところから縄文時代というけれど、もしこの遺跡が先に見つかっていたら縄文時代とはいわず貝文時代といわれていたかもしれません」との興味深いお話も伺いました。
 私は東北、信州などの縄文遺跡はよく行きましたが九州の遺跡は初めて。
ーかつて縄文をテーマにした「祈祷天頌」「永久ニ」を作ったことがあります。ー

この地方が火山の活動によってどのような変遷を辿ったか知ることができました。
 桜島を遠望する高台にもご案内をいただきました。そこから見える風景に驚嘆!。おそらく何千年も変わらぬであろう景色を前にしばし言葉もなく佇みました。(写真が逆光で撮れず残念でした。)
「上野原縄文の森」ホームページhttp://www.jomon-no-mori.jp
案内をして下さった鈴木さんと。
上野原遺跡から霧島神宮へ。
「花は霧島、煙草は国分〜」と歌にあるように、国分(こくぶ)は国産煙草栽培の発祥の地として知られています。車で市内を巡りながら「ヤマトタケルノミコト」の伝説とか、古事記に出てくる伝説の史跡をご案内いただきながら一路霧島へ。車中での鈴木さんからのいろいろなお話を伺い大変勉強になりました。ほんの少し「薩摩」が分かったような気になりました。
上は霧島神宮。やや陽が傾きかけた5時ころの撮影。

 霧島神宮は「天照皇大神(アマテラススメオオカミ)」のこどものこども「ニニギノミコト」をお祀りしてある系譜も由緒のあるお社です。
 紋は「菊の御紋」なのですね。そういえば「神宮」というのはたいがい「菊の御紋」。以前宮崎神宮にも行ったことがありますが、そこもそうでした。
 やはり高千穂地方だけに神話の国を感じさせます。
「君が代」の歌詞にある「さざれ石」。
坂本龍馬が新婚旅行でこの地を訪れました。
数日後、霧島を降り、鹿児島の西郷さんの家に宿泊したそうです。はじめて知りました。
知覧、坊津。そして国分、霧島など。思いがけずに観光旅行をさせていただきました。
知覧へは田丸寛先生、勝山愛さん。国分では鈴木順一さん、川野洋也さんにお世話になりました。
この場で重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
さらにひとコマ追加
 薩摩川内市の祁答院(けどういん)から友人若杉賢君が奥さんと子供さんを連れて29日霧島でのコンサートの前に会いにきてくれました。
楽しく昼食を一緒にしました。
左、理沙ちゃん、右、春音(はるね)ちゃん。
彼女らは私のことを「ノリオチャン」と呼びます。