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左が作者の大沼徳子さん、 右が大沼宙子先生。 |
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私の住む与野市(現さいたま市)の女声コーラス「よのコーラス」(「仲良し合唱団紹介」にて紹介)とはもう10年以上のお付き合いになります。その指揮者が大沼宙子先生です。大沼先生と「よのコーラス」の皆さんの励ましと理解が得られなかったら、私の女声合唱作品は多く生まれなかったことでしょう。
ある日、大沼先生が先生のお母様、徳子さんの歌集「心のこだま」を持って我が家にみえました。そしてこの歌集から選んで作曲をしてくれないか、という依頼を受けました。慈愛に満ち、自分をこれまで見守ってくれた病床の母へのお礼に、音楽作品となった歌を贈りたいということでした。控え目で、ご自分を出されることを嫌う大沼先生のお願いだけに、私はすぐにこれをお引き受けしました。どれに作曲するかは歌集より私が好きに選ばせていただくということで、それから歌をひとつひとつ読み始めました。 歌集の作者、大沼徳子さんは永いこと重い病で床に伏される生活をしておりました。そして先生とお二人で、はたしてどの歌を私が選ぶか期待しながら待っておられたようです。百近い歌の中から私が選んだ歌は、偶然にもお二人の願っていたものと同じものでした。 そのお話があったのは1990年7月のこと。そしてその年の11月にこの作品は完成しました。早速、大沼先生の指揮「よのコーラス」の皆さんで演奏されたことは言うまでもありません。この詠まれた歌は徳子さんのお母様、つまり宙子先生のご祖母の臨終を描いた挽歌です。これを徳子さんが宗教的ともいえる静かな目で、切々と悲しみを超え、祈りも込めて詠まれました。私はそれらひとつひとつの言葉の奥に流れる作者の心情を描こうと思いました。この作品には大沼先生母子2代の思いが息づいています。その思いに動かされて私は作曲を進めていきました。そして出来上がったこの曲を大沼先生、作者の徳子さんとも大変喜んで下さったこと、それが私の作曲への何よりの報酬であると私は思っています。(旧版プログラムノートより) この作品が発表されてからほぼ10年の時を経ました。地道ながら、しかし多くの人の熱い支持を得ながらこの作品は歌い継がれてきました。それは大沼徳子さんの詠まれたこの3つの短歌が、多くの方々の共感と感動を得たからにほかなりません。 この作品が世に出る様を病床で喜んで下さった徳子さんは1996年8月、亡くなられました。その告別式・ご出棺の折りに、宙子先生指揮・よのコーラスの演奏する「茜の空に」が流れました。それもご遺言だったとのことです。その日は曇り空ではありましたが、そのことを思い起こすたびに、どういうわけか私には、まるでこの歌にあるような茜いろに染まった夕焼けの空を思いだしてしまうのです。 「遥かなる浄土の空か夕茜あかねいろ増す旅立ちの宵」ー合掌。(新編「茜の空に」プログラムノートより) 今年の夏のことです。歩いて数分の大沼先生のお宅に向かう途中、急にふと「はて今日はご命日では?」と思いました。先生のお宅に伺いそのことをお話しますと、先生はびっくりされ、何と記憶力の良い!、と感心されたのでしたが、私からすれば思いださせられた、という思いのほうが強いのでした。8月29日、ちょうど7回忌。これもご縁の不思議というものです。 02年12.27 |
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