ゲスト・エッセイ館(1) 
バックナンバー
1.私と「永訣の朝」
2.学生生活と合唱
3.めぐりあいの中に
4.私と合唱とサッカーと
私と
「永訣の朝」
鴨太郎さん、神奈川県在住、女性、20?30?歳、合唱は主にソプラノパート。
 私が鈴木憲夫作品に初めて出会ったのは、今から15年位前(高校生くらい?)だったでしょうか、母が入っていた女声合唱団で「永訣の朝」を歌うことになった時です。
 もともと環境的に宮沢賢治に触れることの多かった生活(つまり地元)だったので、正直「よく『永訣の朝』なんて有名になりすぎたくらいの大きな詩に作曲する人がいるもんだ…。」と思ったものです。それまで賢治の詩に曲をつけたものをいくつか聴いたことがありますが、あまりいい印象を持てなかった、というのもあったと思います。いずれにせよ、そんな中で母に「こんなのを歌うから聴いてみて」と言われて渡されたのが、確か関西大学(混声)とよのコーラス(女声)の演奏テープでした。

 初めて聴いたときの感想・・・今も覚えています。実は・・・「言葉のアクセントが違う〜!(←地元ならではの感想)」&「いろんな曲にありそうな気持ちのいいサビを沢山つなげた曲だなぁ」というものでした!(先生、ごめんなさい!)小学4年から合唱に触れてはいましたが、クラシックすら聴かないし、合唱の本格的なもの(大曲)も初めてで、長い曲自体に慣れていなかったのです…。でも、不思議なもので、楽譜もあったせいか「もう1回聴こう」と思わされる曲でした。そしてテープがのびるまで何度も何度も聴きました。必要もないのに母よりも早く暗譜したし、伴奏も弾いてみたし…。そうして、壮大な前奏と「たくさんサビをつなげた曲」と思っていたものに段々とはまって行き(言葉は気にならなくなった)、自然とその曲には欠かせない要素として受け入れるようになっていきました。(今では冒頭のFのオクターヴを聴くだけで、「く〜っ!しびれる〜!」と反応してしまいます!)そして、自分も歌ってみたいと思うようになりました。・・・しかし、部活を引退して大学受験があった頃には、「永訣の朝」はしばらく頭の片隅に追いやられてしまいました。ところが、大学に入り、サークルも合唱団に入ったとき、今までやってきた曲一覧を見せてもらったら、なんと3ヶ月ほど前に定期演奏会で歌っているじゃありませんか!沸々とよみがえる思い…。そして「何でもう1年早く生まれてこなかったんだろう!!」その時の悔しいことと言ったら…。

 そんなワケで、高校から歌えそうで歌えないニアミスを8年間繰り返しました。社会人になって地元に帰り、もうそんな運命なんだと諦めかけていたとき、宮沢賢治生誕100年を機に、入っていた合唱団(混声)で歌うことになったのです!「やったーーーー!!」おまけに(地元中の地元ということで?)ソロまでさせて頂きました。本来AltoのところをオクターヴあげてのSop.ソロでしたが…。(←先生はどう思われたんでしょう。今でも不安です…。)トシ子に代わって私が天に行きそうなくらいの思いでした。
・・・そうして、8年間という長い片思いが終わりました。今では両思いの気分です。
 最近では女声で歌う機会が3度ほどありましたが、いつでもどこでも何度でも、今この瞬間でもまた歌いたいです!こんないい曲を作られた鈴木先生に感謝!!


*鈴木:実は前々から存じ上げていた「鴨太郎さん」に、「永訣の朝」とは縁の深い関係から何か書いていただけないか、とお願いをしていました。「鴨太郎さん」のご祖父は宮澤賢治のかつての花巻農学校時代の生徒であるT先生。今回、素敵な文を書いていただき嬉しく思っています。