ゲスト・エッセイ(3)
めぐりあいの中に
バックナンバー
1.私と「永訣の朝」
2.学生生活と合唱
3.めぐりあいの中に
4.私と合唱とサッカーと
 ゆきゑさん
【自己紹介】
子供の頃は、本を読むことが大好きでした。
少し大きくなってからは、演劇にかぶれていました。
大きくなった(なり過ぎた?)今では、合唱とPCに夢中です♪
誕生日は12月25日。真面目で(?)地味な(?)山羊座。
                めぐりあいの中に
                                 
 1997年の春、夜桜の宵に『めぐりあいの中に』という美しい演奏を聴きました。
1年ほど前に、お友達の誘いで合唱を始めたものの、私は生来のマイペース人間、好き勝手に歌えるカラオケに戻ろうかと、思案していた頃のことです。
 合唱といえば、形式にこだわる、無表情な音楽という位置付けが、この時この曲で変わりました。

 これより3年遡る、1993年の5月、私は生死の渕を彷徨う大病を経験しました。
ある日気がついたら、見知らぬ病院にいたのです。そこは脳外科病棟でした。
 意識不明の状態で運びこまれ、緊急手術を受けたものの「命の保障はできません。一命を取り留めたとしても、かなりの障害が残るでしょう。車椅子で生活できるようになれば良いと思ってください。」 医師からの診断は厳しいもので、あまりのことに家族は愕然としたそうです。
 集中治療室、個室にいた頃のことは、殆ど記憶に残っていません。大部屋に移り、なんとか自力でベッドに起き上がれるようになってから、周囲の人が呆気にとられる程の速さで、病状が良くなりました。
 ある朝、主治医のS先生が「補助なしで、ベッドから降りてみてください。そして一人で歩いてみて。」と指導してくださいました。
多少ふらつきながらも、自分の足で歩くことができた、その嬉しさは決して忘れることができません。

 健康な時は、ごく普通に思っていることの一つ一つが、どんなに尊いものか、身に沁みることばかりでした。看護師さんたちの優しさに励まされ、その後も順調に回復することができました。入院期間40日で、危ぶまれていた後遺症も障害も残らず、退院することが出来たのです。
 S先生は「もう、普通の生活に戻って大丈夫ですよ。ただし過労と睡眠不足は絶対禁止ですよ。」診断書を渡しながら、そう忠告してくださいました。

 振り返ってみると、この病気は思いがけない大きな転機を授けてくれました。
仕事を持っている私の通勤を楽にするために、引越しすることになったのです。
 新しい街で、新しい友に巡り会い、小学校以来遠ざかっていた合唱を始めることになりました。始めてみたものの、続けられるかどうか悩んでいたときに『めぐりあいの中に』を聴くことができました。
 美しい詩、柔らかなハーモニーに、心が優しさに包まれ満たされていました。
そして、何とか合唱を続けていきたいという気持ちが生まれていました。

 毎日の暮らしの中には、嬉しいこと、楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、いろいろな出来事や、様々な出会いがあります。
 共に喜び、共に悲しんでくれる、掛け替えのない友のような歌、命あって『めぐりあいの中に』と出会えた、幸せを噛みしめる今日は、2003年の春です。(完)
                               03年3月29日

*鈴木:ゆきゑさんは私のHPができてすぐの頃からメールを下さったりしていました。
「めぐりあいの中に」の出会いが、ゆきゑさんの中で大切なものになっているということを伺い、作者としてこの上ない歓びを感じます。ありがとうございました。下はゆきゑさんのHPです。詩情溢れるHPです。
               http://www.hanano.que.ne.jp/