数寄屋橋のお地蔵さん
 
 今から25年ほど昔、銀座・数寄屋橋の交差点近くの路傍でお地蔵様の絵を描いている人がいました。その人が放浪画家小川安夫さんでした。
 小川さんの素朴な画風、そして純朴な詩・文に、私は一瞬にして心引かれてしまいました。傍で付き添っているご夫人のその清楚な雰囲気も同時に心に残りました。何度目か側を通った時に一枚の絵と手作りの詩集を求め、お話をしたその時から、小川ご夫妻との交流が始りました。その時の絵が上の写真のものです。その後、幾枚もの絵をいただきましたが両親、知人などに上げたりして結局、残るはこの一枚の絵のみとなりました。

 身障画家、そして詩人、小川安夫さんは若い時から不自由な体をおして一人放浪の旅をさまよいました。そして美佐子夫人と出会い結婚。二児をもうけました。その人生は著書「遠い旅の詩」「青空までとどけよ祈り」(いづれも春秋社刊)にくわしく綴られています。たくさんの詩、そして文の中から少しですがここでご紹介します。

「雲なびく春の空に帽子なげあげ」

「わし、はるかにふるさとをおもったり、
 はるかにその人をおもったり、
 そういう<はるかな時間>をもたないと、
 なにも清らかにならないようにおもうんです。」

「くぬぎ林に月はでて道教える石の光り」

「路頭が自分か自分が路頭か日々好日」


 
挙げればキリがありません。久しぶりに小川さんの本を開き、小川さんご夫妻を思いだすと、ついつい心の中がうるんできてしまいます。家が埼玉で近いこともあり、何度かお宅にお邪魔させていただいたこともありました。また知人を集めて我が家に来ていただいたこともありました。

 詩人の大倉芳郎先生が小川さんのことを知り詩を書きました。それに私が曲を付けました。大倉先生とはある演奏会でご一緒し、私の招きでそのコンサートに小川夫妻がみえた時、先生はびっくり、なぜ小川さんここに居るの?、と。そんな奇縁で出来上がった歌が「数寄屋橋のお地蔵さん」です。83年4月「こころの旅路コンサート」(有楽町・第一生命ホール/大倉芳郎制作)で青木裕史さんによって歌われました。今でもその時のことは忘れることはできません。

 やがて小川さん一家は京都に移り住みました。そして・・・そこで小川さんは亡くなりました。その数年後、新しい人生を踏み出したのもつかの間の美佐子夫人は、クリスマスの日に交通事故で亡くなられました。二人の子供を残して。大倉先生から電話で知らされた時はしばし言葉を失いました。二人で語り尽きない小川さん夫妻の話をしばらくしたのち、最後に私はこう言って電話を切りました。「これで、小川さんの物語、終りましたね。」

                        小川さんアルバム